第3話

 校門を出たところで、俺は改めて大通りを眺めた。目的は、帰宅経路ルートの検討だ。寮は東の突き当たりにあり、入口は中央に一つと、左右端に二つ、計三つある。

 寮とは言っても実質生徒専用のアパートみたいなもので、男女別というわけでもない。ただ大まかには分かれていて、向かって左が男子だ。俺の部屋はほとんど左の端にあるから、左の入口から入るのが効率がいい。

 この道を通る以外選択肢はないが、問題はどう歩くかだ。左の入口に向けて一直線に進もうとすると、街路樹に阻まれる。物理的な最短経路を導き出したとしても、人の流れに沿って多少遠回りした方が効率的かもしれない。

 うーむ、今日は新入生が多いからか、全体的に雑然としてるな。ルート決定は少し落ち着いてからの方がよさそうだ。

「……ん?」

 そうやって人混みを観察していると、ふと気づいた。

 何やら、妙な歩き方をしている生徒がいるのだ。まるで闇の中を進むかのように、足下を見ながら一歩ずつ進んでいる。指を立てたり曲げたりしているのは、歩数を数えているんだろうか。

 一瞬、自分と同じように最高効率のコース取りを検討しているのかと思ったが、どうも違うようだ。時々直角に曲がったり、足踏みしたりしている。そんなことをしても効率は良くならないだろう。

 これはあれか。『白線の上を歩く小学生』の上位互換みたいな感じで、歩く際にルールを作って楽しむ類いの人種だろうか。俺も昔やったなあ、素数ごとに白線や道路のヒビを踏んだりとか……。

 などと思っていたら、また気がついた。同じようなことをしている生徒が、他にもちょくちょくいる。なんだ、流行はやってるのか?

「おい、そんなところで立ち止まるな」

「あ、すみません……」

 先生に怒られて、俺はすごすごと退散した。やべ、また悪目立ちしていた……気を付けよう。完全に浮かれている。

 さて、店を見て回りつつ、腹ごしらえでもしよう。手前から順に行こうかと思ったが、昼飯を終えたクラスメイトと鉢合わせると気まずいので却下した。冬野ふゆのとかな……。

 となると、この大通りじゃない方がいいな。どこで食べるかは置いといて、都市のどの辺を回るか決めようか。食にはそこまでこだわりはない。なおおそらく珍しいが、好きな物は野菜だ。

 スマホで調べて、電気屋がある地域を選んだ。パソコンが欲しいんだよなあ。以前使っていたものは、データ収集の制限があって持ち込めなかったし……。都市内は補助金が出ている関係で物が安いらしいので、貯金で足りることを期待しよう。

 大通りを離れると、エスカレーター、エレベーター、動く歩道など、徒歩を補助する設備が至るところに設置されていた。寮と高校の間に無いのは、むしろ歩かせて健康を促進するためだろうか。一日五分でも効果があると聞くし。

 やはり高校前に店が充実しているからか、生徒の姿はほとんど見なくなった。というか、人自体少ないな。仕事中の大人がもっといてもよさそうだが、効率よく遠隔地通勤テレワークなのかもしれない。

 それにしても、道は全部真っ直ぐ、区画も一定で気持ちがいいな。様々な拘束条件しがらみとらわれず、全く新しく都市をつくれるなら、これが最も効率がいいんだろう。美しい。

 目的地に着く前に、高級志向で有名なファミレスチェーンに入った。予想以上にうまかったし、その上牛丼並に安かった。素晴らしい。

 これはパソコンも期待できるか。そう思って電気屋に行くと、

「おお……」

 学生応援セールとかいうPOPの下に並ぶ値札を見て、俺は感動した。

 や、安い。これはとんでもなく安い。学割が利いているみたいだが、それにしたってセール品の半額以下じゃないか?

 もしかすると、データ収集の特殊事情をかんがみてこの値段になってるんだろうか。すばらしい……。

 その場で買ってしまおうかと思うほどだったが、さすがにやめておいた。よく調べないと絶対後悔する。他の店ならもっと安いかもしれない。

 何にせよ、パソコンは手に入りそうだ。これが最大の懸念点だったからな。高校でもパソコン部に入るつもりだったが、やっぱり家にも欲しい。

 幸先のいい新生活スタートだ。コミュニケーションで失敗したのがなんだ。人付き合いなんてゴミ箱にぶち込んで……。

「うっ」

 俺は思わず柱の陰に隠れた。

 見間違いでありますように。そう祈りつつ顔を出したが、俺の視力はいい。眼鏡のおかげで。

「ユズ、これは?」

「駄目。鍵盤が軽い」

「軽い方が、弾きやすくない?」

「いいえ。指を上げるのに力がいるの」

「そうなんだ」

 間違いない。今会いたくないやつナンバーワン、秋月あきづき柚葉ゆずはだ(珍しいことに、下の名前まで覚えてしまった)。なんでこんな場所で鉢合わせるかね……。

 どうやら電子ピアノを見ているようだ。春日井かすがいは付き添いなのか、気まぐれに鍵盤に触れたり、ふらふらと歩き回っている。

 秋月の方は、真剣な様子で品定めをしていた。しかし改めて見ても、こいつ美人だな。狙うわと言っていた男子の気持ちも分かる。

 俺だって、女子に興味がないわけじゃない。というか、わりとある。あまり表情が変わらないおしとやかな秋月が、自分だけに笑顔を見せてくれたりしたら最高だろう。

 でもお近づきになろうだなんて思わないし、告白なんてもってのほかだ。上手くいく可能性は限りなく低いし、上げる努力をする気にもなれない。効率が悪すぎる。その労力を他に向けた方がよっぽどいい。

 なんて、余計なことを考えていたのがいけなかった。

 視線を感じたのか、秋月がこっちを向いた。

 やべ。慌てて隠れたが、確実に目が合った。俺がクラスメイトだと気づいたかどうかは微妙だが……。

 ど、どうしよう。帰るにはあそこを通らなきゃならない。ぐるっと回れば回避できるか?

「ミオ、先に出ていて」

 鋭い声の後、足音が近づいてくる。駄目だ、これは気づかれている。今から逃げるのが悪手なのは、さすがの俺にも分かる。

「や、やあ秋月さん……」

 柱のかげから現れた秋月に、俺は引きつった笑顔を見せた。

 いや、たまたま会っただけなんだ。卑屈になってどうする。クラスメイトとして、普通に話せばいいだけ……。

 そんな考えは、次の瞬間打ち砕かれた。秋月は俺の胸ぐらを掴むと、乱暴に引き寄せた。整った顔がすぐ近くに迫ったが、少しも嬉しくない。

 学校でも見た無表情、じゃない。これは、怒りの表情だ。

たちをつけ回して、なんのつもり。あなた、ストーカー?」

 俺は唖然あぜんとして、ただ口をぱくぱくさせていた。まさかこんな手荒な真似をされるとは、夢にも思っていなかったのだ。

「反論はないってわけ。どっちが目当てか知らないけど……ミオにちょっかい出したら、死ぬほど後悔させてやる」

 やばい、こいつ目がマジだ。俺は何とか無実を主張した。

「ち、違う! つけ回してなんかない!」

「教室を出た時から隠れて見てたんでしょう。……気持ち悪い」

 心底軽蔑したように言う。違うってのに……。

「そうじゃない、今さっき偶然見つけたんだよ」

「偶然? 口ではなんとでも言える」

 そう断言されてしまったら、もう何も……いや、待てよ。

「こ、これを見てくれ」

 横目で見ながらスマホを操作すると、電子マネーアプリの履歴を見せる。秋月の視線が動いた。

「俺が昼食べたファミレスだ。秋月は全然別の店だろ? もしつけ回してたなら同じ店にいたか、もしくは食べずに店の前ででも待機してないとおかしい」

「……」

 秋月の怒気が若干じゃっかん緩む。迷いが出ているようだ。

「ごまかすために、わざとそうしたんじゃないの」

「ならどうやって追いかけたんだよ。言っとくが、ここからはちょっと遠いぞ。入っちゃったらお前らがどこ行くか分かんないだろ」

「……本当にその店にいたの? ネットで買ったとか……」

 おいおい、そこまで疑うのかよ。通販してるわけでもないだろうし、絶対に不可能とは言わないが無理があるだろ。

「あ、そうだ」

 もっと確実な証拠があった。入学式は終わったし、記録が始まっているはずだ。

生活記録ライフログデータを見せてもいい」

「ライフログ?」

「先生が言ってただろ、行動の記録だよ。俺とお前が今日いた場所を付き合わせれば、つけ回してないって分かるだろ?」

 人工知能AIの学習に使うためのものだが、自分のデータなら自由に閲覧できるし、他人に渡すこともできる。これなら疑いの余地はない。

 ようやく納得したのか、秋月は俺の服を掴むのをやめた。突き飛ばすように、胸を押してくる。

「離れて」

「お前から近づいてきたんだろ……」

 呆れたように言うと、あからさまに不機嫌そうな顔をされた。

 こいつ、こんな性格だったのか。もっと大人しいやつだと思っていたのに。俺しか知らない顔を見れたのかもしれないが、喜ぶ気にはなれない。

 深くため息をついたあと、秋月は言った。

「疑ってごめんなさい」

 丁重ていちょうに頭を下げたかと思ったら、すぐににらみ付けてきた。

「でも、疑わしい行動を取っていたあなたも悪い。廊下でも、教室でもそう」

「うっ、それは……」

 キモいことをしていた自覚はあるので、言い返せない。俺にもっとコミュニケーション能力があれば……。

「今日のことは忘れて。あたしの態度も、言ったことも。他の人に言わないで」

 本性を隠したいってか。べつに言う相手もいないし、できる予定もないんだが。

「その代わり、あなたが学校でやったことも忘れる。それでいいでしょう」

「分かったよ」

 素直に頷く。俺からすれば都合のいい条件だが、教えてやる義理もない。

「二度と話しかけるな、とは言わない。でもなるべく関わらないで」

 そう言って、秋月はきびすを返して去っていった。

 今の言葉の意味を考えてみる。本性を知られているやつと人前で会話するのはボロが出そうで嫌だが、徹底的に避けるとそれはそれで他のやつから関係を勘ぐられる、ってところか。

「……やっぱり人付き合いなんてクソだな」

 俺は改めて、その事実を確認した。

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