第2話

 意味があるのかないのかよく分からない、若干じゃっかん効率の悪い(まあ伝統ということで目をつぶろう)入学式のお話を適当に聞き流すと、今度は入口正面の校舎に誘導された。

 ドローンの案内はここまでのようで、中は生徒たちでごった返していた。奥の階段が混んで詰まり気味なのは効率が悪いが、これも多少は仕方ない。最も人が集まるであろう今のタイミングに合わせて設計したら、普段余ってしまう。

 それに、混雑の理由はもう一つある。校舎内でも人流設計がされていて、行きたい教室に応じて使うべき階段が細かく分かれているのだが、みんなまだ知らないのだろう。そのせいで、中央がこんなことになっている。

 俺は事前に調べていたので、いた廊下を迷いなく進んだ。うむ、効率がいい。

 一階には、生徒ではなく職員が使う部屋が多いようだった。果たしてこれは、どういった重要評価指標KPIに基づいて効率化された結果だろうか……。

 ふと気がつくと、すぐ目の前に一人の女子が歩いていた。

 つやめいた黒髪が、腰の辺りまで真っ直ぐに伸びている。それだけでも目立つのに、スタイルもよく、すらりとしたモデル体型だ。

 曲がり角でちらりと見えた、表情に乏しい顔も非常に整っていた。切れ長の目が印象的だ。大人っぽく見えるが、上級生だろうか。

 それはともかくとして、一つ大きな問題がある。抜き去るか、抜き去らないかだ。

 歩く速度はこっち方が上なのだが、一気にいけるほどの差はない。俺もかなり速い自信があるのに、相手もなかなかのものだ。

 女子を抜くかどうかは非常に難しい。さくっと抜くのが時間的には最も効率がいいのだが、トラブルがあれば一気にマイナスだ。リスクを取らずに抜かないという選択肢も十分にあり得る。なお変な意味は一切ない。

 うーむ、真後ろに付くのもマズいか。とすると少し減速するのがもっとも無難な選択肢……。

 などと考えにふけっていたら、女子が唐突に振り返った。あ、近い。

 女子はさっと廊下の端に寄ると、警戒するかのように俺を見た。これはマズい。

「……何か?」

「いや、何でもないですけど?」

 声が裏返った。どう見ても怪しい。『たまたま近かっただけで他意はない』という感じに返答しようとしたのに、計画はもろくも崩れ去った。

 女子は俺をじっと見つめている。感情の読めない顔だ。うっ、冷や汗が……。

 少しの間のあと、身を翻して去っていった。逃げられたかのようでショックだが、叫ばれるよりはマシだろう。俺はため息をついた。

 また追いついたりしたら最悪なので、しばらく待機してから歩き出した。効率が悪い……。

 目的の教室に着くと、席は半分ほど埋まっていた。だいたい皆大人しくしていたが、既にお喋りしているグループもある。全員今日が初対面のはずなのに、コミュニケーション能力が高いな。

 俺の席は、部屋のちょうど中央付近だった。個人的にはあまり良い席とは言えない。席順は人工知能AIが決めたのか、それとも公平性を重視してランダムか。どちらが正しいか、検証する方法はあるだろうか。

 席には支給品のタブレットが置かれていた。授業で使うのはこれだけで、紙の教科書やノートなんてものはない。何を読み書きしたかのデータは全て保存され、無くすことはあり得ない。バッグにはこれさえ入れておけばいいので、登下校も楽だ。

 満足して頷く。今日から俺の、最高に効率のいい……。

「こんにちは」

 突如かけられた華やいだ声に、タブレットを落としかけた。

 横を見た。美少女が、満面の笑みを浮かべていた。

「はじめまして、の方がいいかな。私は冬野ふゆの一花いちか

 まず髪型が左右非対称アシンメトリーというのが理解しがたいのだが、その上手間もかかっていそうだ。編み込み……というんだろうか。果たして毎朝、どれぐらいの時間を消費しているんだろう。

「えっと、名前聞いてもいいかな?」

 間抜け面をさらしていた俺に、冬野は優しく聞いた。しまった、俺が答えなきゃいけないターンだったのか。

「あ、ああ。氷室ひむろだ」

 ずり落ちそうになっていた眼鏡を直しながら、慌てて答えた。

「よろしく。隣の席同士仲良くしようね」

「おう……」

 こくこくと頷く。冬野は再びにっこりと笑うと、前方に視線を向けた。

 ……ええと、これで会話は終わりってことでいいのかな? 分からん……誰かルールを教えてくれ……。

 無意味に視線をさまよわせていると、小柄な女子が教室に入ってくるのが目に留まった。

 小柄というか、今日見かけた生徒の中で一番小さいんじゃないだろうか。不安げに周囲を見回す様がまるで小動物みたいで、庇護欲をそそられる。

「ユズー!」

 どうやら知り合いを見つけたようで、表情をぱっと明るくした。初対面じゃないやつがいたらしい。中学が一緒とかだろうか。確率的にはかなり低いが、確かにゼロではない。

 たたっと駆け寄ると、栗色の癖っ毛が肩のあたりで揺れていた。他の場所も揺れている。よく見ると、身長にそぐわないデカさだ。どこがとは言わない。

 そして、彼女が目指す先にいたのは……。

「うっ」

 俺は思わずうめいた。

 小柄な女子ががばっと抱きついたのは、黒髪の女子。さっき廊下で出会ったやつだ。

 こいつ、同じクラスだったのか。同級生とは思わなかった。

「ユズと一緒で、よかった」

「ミオ、甘えすぎ」

 冷たいようにも聞こえる、落ち着いた声。だがその手は、栗色の髪の毛を優しく撫でている。何だか姉妹みたいだ。

「だって、不安だったから……」

「私がいなくなったら、どうするつもりなの」

 そう言った黒髪女子の目が、不意にこっちを向いた。咄嗟とっさに顔を伏せてしまった後で、俺は後悔した。

 ああ、しまった。対応を間違えた。これじゃあやましいことがあると言ってるようなものだ。女子の背後に忍び寄る変態だなんて、最悪の印象を付けてしまったかもしれない。

 廊下でのキモい受け答えがフラッシュバックする。ついでに冬野との会話もだ。

 俺はまたため息をついた。これだから、人付き合いは非効率的なんだ。

 いつも通りの結論に達する。一秒以下で最適な答えを出し続けられるようになれなんて、理不尽な話だ。せめて毎回十秒は欲しい。

尊いてぇてぇ……」

「あの二人レベル高くね」

「俺髪長い子狙うわ」

 男子のひそひそ話が耳に入る。楽しそうなことだ。

 気配を消して机を凝視していると、徐々にざわめきが落ち着いていくのに気づいた。顔を上げると、教壇には若い女性が立っていた。こっちは日本人のようだ。

「初めまして、皆さん。今日からこのクラスを担当させていただきます。よろしくお願いしますね」

 優しそうな先生だ。教師もAIかとちょっと期待していたが、技術はまだそこまで進歩していないらしい。

「皆さんはもう知っていると思いますが、この学校に通う上で、十分注意の必要な事柄が、いくつかあります。まず始めに、説明しますね」

 先生の言葉に、教室の空気が少し変わったように感じた。

 楽園のような場所だが、メリットばかりではない。人によっては絶対に受け入れられないであろうデメリットも、少数だがある。内容はだいたい理解していたが、改めて耳を傾けた。

「まずは一つ目です。皆さんの行動、つまり話したこと、行った場所、見たもの、書いたものは……データとして収集され、AIの学習に活用されます」

 これが最も大きなデメリットだ。この都市にはありとあらゆる場所にカメラが設置され、毎日膨大な量の映像が保存されている。企業が欲しいのも、この完璧な生活記録ライフログデータだろう。

 さすがに風呂やトイレは対象外だし、人間がデータを見るわけでも無いのだが、それにしたってすごい話だ。このせいで、女子の倍率は男子に比べて大幅に低いとか。

「この条件に関して、細かい注意点がたくさんあります。例えば、皆さんは指定の機器デバイス以外で、ネットや電子書籍を見てはいけません。紙も駄目です」

 見るものを全て把握するためにしても、紙禁止とは徹底してるなあ。まあ、今どき困ることはほとんどないか。

「二つ目です。AIによって、皆さんには日々の勉強内容が提案されます。無視しても構いませんが、なるべく従うことをお勧めします」

 急にふわっとし始めたが、これは次の項目に関わることだろう。

「最後に。皆さんの成績は、常にAIによって予測されます。そして成績がいちじるしく落ちるだろうと判断された場合……勉強内容や、生活の一部までされるようになります。これは拒否できないので、気を付けて下さいね」

 赤点補習の強化版みたいなものだろうか。生活の一部というのがちょっと不気味ではあるが、ちゃんと勉強すればいいだけの話だ。

 その後一般的な説明がされて、最後に生徒が自己紹介をすることになった。俺は、プログラミングやAIに興味がありますなどともごもご言って、無難に済ました。

 他の生徒の自己紹介も一応聞いていたが、たぶんほとんど忘れるだろう。せいぜい、さっきの黒髪の女子が秋月あきづき柚葉ゆずは、小柄な女子が春日井かすがい美桜みおという名前だと分かったぐらいだ。

 今日はこれで終わりのようだった。先生が出て行って、弛緩した空気が流れる。さっそく都市を見て回ろう、と意気込んでいたら、

「ね、みんな」

 隣の席の冬野が、唐突に立ち上がった。

「このあとお昼でも食べに行かないかな? せっかく同じクラスになったんだから、みんなと仲良くしたいの」

「そうだね。みな初対面ばかりだ、お互いを知るのにちょうどいい」

 反応したのは、確か火口ひぐちとかいう名前の男子だ。いかにもリーダーっぽい、自信に満ちた自己紹介をしていたから覚えている。

「とは言え人数が多いし、都市に詳しい者もいないだろう。無難に学食にすべきだと思うんだけど、どうかな」

「うん、いいと思う」

「なら、僕は先に席を確保しておくよ。今日混むことはなさそうだけど、他にも同じことを考えているクラスがあるかもしれないからね。冬野さんは参加メンバーを集めて、食堂に連れてきてもらってもいいかな?」

「わかった。ありがとう、火口くん」

 おおう……なんというスムーズかつスマートな会話だ……。あいつ、視界の下の方に選択肢でも見えてるんじゃないのか?

「席取り手伝ってくれないか」

「おう、いいぜ」

 火口は友達らしい男子を連れて出て行った。もともと知り合いだったのか……いやこいつなら、五分で友達の一人や二人作っていてもおかしくはない。

「じゃあみんな、一緒に来てくれる人は手を挙げてもらってもいいかな?」

 冬野が言うと、教室のほとんどは手を挙げた。が、

「ごめんなさい、私は遠慮する」

「えっと、じゃあ、わたしも……」

「ううん、大丈夫だよ。私の方こそ急にごめんね」

 秋月と春日井のペアは不参加のようだ。俺も慌てて便乗した。

「俺もだ。ちょっと、行きたいとこあって」

 初対面の集団とコミュニケーションなんてハードモード、とても挑む気にはなれない。べつに大した予定もないのだが、一人で都市を見て回るつもりだったので嘘ではない。

「そっか。わかった」

 少し寂しそうに言われて、ドキッとしてしまった。いや、勘違いしてはいけない。単に、ついさっき話した相手だからというだけだ。他意があるはずもない。

 楽しそうに集まるクラスメイトたちを横目に、俺はそそくさと部屋を出た。こうして、記念すべき高校一日目は終わりを告げた。

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