第5話 凶奇

 私は悪夢を眺めていた。


 天魔波旬な世界がそのおぞましい口角を引き上げ、私達の死を探しに来ていた。浮遊し襲い来るのは、ゆうに千を超える黒衣を纏う魔。呪術外法で「ブラックレイド」と呼ばれている者達だ。


「やべぇぞ、逃げろぉぉぉぉ!」

「うぉ、ちょ、まて、うわぁぁぁ!」


 死霊系のレイス、ゴースト、ファントムなどとはその性質が違う。ただ魂を食らうだけの存在。そこに恨みや呪いなどはない。黒き精霊とも呼ばれている。


「てめぇら、落ち着け! いいか、惑わされるんじゃねぇ! 六芒星陣形を取れ、白き精霊様の力を借りるんだ! 腹括れ、やるぞぉぉぉぉ!」


 グロリアスはお飾りの愚帝でも凡将でもない、純然たる帝王の資質を持つ。自らが動き、兵を鼓舞し、その言葉に勇気が漲る。だが、私を歓迎した後に大騎士団の兵達の大半は領内の持ち場に帰り、この地に残るは数百のみ。必死の抵抗は活路を生み出せず、海辺の岩礁の如く、荒れ狂う大波の様な絶望にただ耐えるしかなかった。


「うおらぁぁぁぁぁぁあああ! 調子にのんなよ、てめぇぇぇぇぇ!」


 唯一、人ならざる気勢を上げシン・剣帝のザックが、地に両手を突き固まるローブに迸る剛剣を無限に叩きつける。だが、ひたすら呪法の壁に阻まれ続けていた。それでも凄絶に手を緩めない。だが次の瞬間、突如襲った振動と共に地鳴りが不気味に鳴り響き、ローブ周辺の地がぐにゃりと液化すると、庭園の至る場所にて間欠泉の如く赤き巨大な爆発が、壮絶な勢いで噴き出し始めた。


「うおぉぉぉぉぉおおおおおお!」


 ザックがもろに爆発に巻き込まれてしまい、凄まじい勢いで私のすぐ側で戦っていたグロリアスの元まで吹っ飛ばされ、土煙をまき散らし痛ましくも地を転がり、そしてぐったりと伏した。


「お、おい、兄弟! 大丈夫か!」


 慌てた駆け寄ったグロリアスが、血に染まりボロボロになったザックの肩を抱き寄せ引き起こす。


 唯一最大戦力であるザックが倒れた。その衝撃的光景に私達は、とにかく彼を守る様に引きずり、ロープから急いで数百メートル離れ逃げる様に退く。だが不吉なブラックレイドの激しい追撃は止まらず、我々は絶え間なく急襲され続け、この術中から逃れる術はない。


「……ぐっ、アニキ、すまねぇ。くそっ! なんなんだよ、これはよぉぉぉ!」


 私の命ですぐさまマリアが膝をつき、両手を淡く光らせ横たわる血まみれのザックに急ぎ回復魔術を掛ける。そのままマリアは険しい表情で二人に告げた。


「グロリアス皇帝、ザック殿、これは外法の血の刻限、術者を中心に赤き絶海が生まれ、あらゆる生きる者を捉えます。飲み込まれたら最後です。何としてでも遥か遠方ではあれど術中外を目指し、この地を離れねば全員が死するのみ!」


「「なっ!」」


 息を飲み言葉を失う二人と、悲壮な瞳で彼方のローブを強く睨みつけるマリア。


「うわっぁぁぁぁ、なんだよ、これぇぇぇ」

「くそぅ、くそぅ、くそぅ、こんちくしょうぉぉぉぉぉ!」


 大勢の兵達は必死に抗い続けるが、凄まじい勢いで幾度も迫り来るブラックレイドの勢いは止まらない。先程の撤退から、もうこれ以上逃がすまいとする包囲攻撃に、我々は最早この場から身動きも取れなくなっていた。さらに抗う兵達をあざ笑う様に、絶海により地がジワリと柔らかくなり始め、血の様な液体が命を恐嚇する様に滲んで来る。


 天空は不吉に荒れ、暴風は腐臭を強め荒れ狂い、益々その勢いを増す。ただ、絶叫が、悲鳴が、咆哮が、怒号が、悲嘆が、果てしない怨嗟の世界に、非憤し、憤慨し、恨み、呪い、嘆き、最早どうしょうもない失意と悲観と自棄を、不条理な悪夢に為す術もなく差し出すしかなかった。


「ぐっ! お嬢様、早く、早く、お逃げ下さい!!!!」


 マリアの悲痛な声が次々起こる赤き爆発の中、私に向かう。


「お嬢様、あんただけでも逃げてくれ! ここは俺達がどうにか食い止る!!!!!」


 懸命に抗いながらグロリアスの覚悟を決めた叫びが轟く。


「そうだぜ、お嬢様だけは死んじゃいけねぇ! 絶対に逃がして見せる!」


 無限のブラックレイドを跳ね続け、必死に剣を振るうザックが吠える。


「「「「「うおおおお、恩人であるお嬢様に絶対に近づけんなよぉぉぉ」」」」」


 そして、必死の覚悟で奮い立つ兵達の、悲鳴にも似た巨大な絶叫がこの場を埋め尽くす。











 私は悪夢を眺めていた。


 誰もが抗しきれない絶望に飲み込まれかけていた。


 私は無力だ。


 私には一切の魔力がない。


 だから魔術も使えない


 剣も扱えない。


 体術も出来ない。


 私はこの悪夢の中で、最も弱い小さな小さな存在にしか過ぎない。


 私はただ茫然と悪夢を眺めていた。


 私は無力なのだ。


 だから、私は呟いた。











「……、ふふ、面白い」










「えっ! お嬢様、何か言われましたか!」


「おい、お嬢様、どうしたんだい!」


「お嬢様、早く逃げねぇと!」


 マリア、グロリアス、ザックが戦場の爆音の中、慌てて私に聞き返して来る。


 こやつらも十分絶望を楽しめたみたいだ。私も悪夢をすっかり堪能した。


「面白い、私はそう言ったのだ!」


「「「はぁあああああ?」」」


 この地獄にふさわしくないきょとんとした表情、楽しいな。


 私は肩から下げていたポシェットに手を入れ、金貨が詰まった革袋を取り出すと、優雅に宙に掲げ、呼び鈴のように左右に振った。


 チャリンチャリン。


「はっ! 我が主ミリス様、お呼びでしょうか、うへへへ!」


 いきなり目の前にこれまで隠れていた聖女カタリナが、空間転移を駆使し現れる。


 片膝をつき、紅潮したほほを気色悪く緩ませ、その視線は金貨の詰まった革袋を、よだれを垂らしながら見つめている。


 私が無造作に革袋をカタリナに投げてやると、嬉しそうに両手で受け取った。


「カタリナ、教会には伏せてあるが、貴様が聖級魔術以外にも精霊魔術を使えるのは知っている。今から、ここにいる全ての兵士に加護を与え守護せよ。さらにこの不浄の地の浄化だ。ついで、私の馬車も運んで来い」


「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! お、お仕事が、ちょっと多くありませんか! あの、その、私、今日は結構魔力を使っておりまして、はい…………、チラチラ」


 下らない言い訳だな、おねだりをしている。これだから欲しがりのメス豚は、いやらしくて面白い。


 私は再びポシェットに手をいれる。実は父に作らせた無限収納機能付きだ。無粋な形は嫌なのでコンパクトに美しく仕上げる為、30人以上のS級大魔導師を半年拘束し、昼夜問わず全力で魔力枯渇させ、史上有り得ない複雑で膨大な術式を練り込んでいる。


「ほら、これを飲め」


 私はとある瓶をほおり投げた、するとカタリナの表情が珍しくも驚愕し打ち震えた。


「ひっひえええぇぇ、こ、これはエリクサー! あ、あのミリス様、飲まずに売っては駄目ですか? 軽く金貨5000枚以上の価値がありますが……」


「駄目だ、飲め。ほら、代わりにこれをやる」


「へっ? どひっぇぇぇぇぇぇぇえええええええ! は、白金貨! それも十枚も! はわわわわわわわ!」


「早く働け! 私はお前を馬車馬の如く使い倒すと決めている」


「ぬふふふふふふふ、かしこまりましたです! 流石は我が主、ミリス様! うひひ、白金貨だぁぁ、うひひひ、嬉しい!」


 下卑た顔でにやつくカタリナは、言うなリすっと両膝をつき、急に人格が入れ替わったみたいに神々しい顔つきとなると、両手を胸の前で合わせ祈り始めた。


 すると、その身体が淡い聖なる光に包まれ、遥か天空より清い鐘の鳴る音が周辺一帯に響き渡る。


 途端、その頭上に眩い光を放つ白き精霊達が次々と顕現し始め、空を望み暗い闇を払う様に、雪の様な光をふわりふわりと降らせながら楽しそうに舞い始めた。その柔らかくも美しき光はこの場の全ての者に降り注ぎ、兵達の身体にそっと触れると淡く微かに発光し、彼らのその疲弊した表情が一変した。


「うぉぉぉぉおおおお、なんだこりゃ!」

「力がみなぎるぜぇぇぇぇ!」


 一旦魔力を使い果たしたカタリナは、すぐにエリクサーを下品にラッパ飲みする。


 まったく嗜みがない、仕方ないメス豚だ。そして先に私の馬車をこの地に転移させ、その後再び祈り始めると、この場所を中心に、徐々に地面が生き生きとした鮮やかな緑を蘇らせ、清浄なる空気が喜びをたずさえ美しく溢れ始めた。


 それを見ていたグロリアスが脈絡もなく現れた馬車に驚き、ブラックレイドを弾きながら私に聞いて来る。


「ちょ、お嬢様、なんで馬車なんだ? 一体何をするつもりなんだ?」


「今から私が我が家の至らぬ執事に鉄槌を下すからだ」


「えっ、まじかよ! でもそれと馬車になんの関係が?」


「うん? 決まっているだろ? この先の汚らわしくて臭い地は歩きたくない、ドレスが汚れるのは淑女の恥だ。それと戦えるようになったお前達は、私を守護してついて来い」


「「「「はぁああああああ?」」」」」


 それを聞いていたザックを含む周囲の兵達も、思わず大声をあげ驚いた。


 途端、グロリアスが大きく剣を振りブラックレイドを弾き飛ばした後、剣を地に刺し、光が差し込み始めた天を見上げて、愉快そうに馬鹿笑いを始めた。


「わはははははははははっ! おもしれぇ、流石は俺達のお嬢様だ! なぁ、みんな! こういうのがいいんだよ、こういうのがな! わはははははっ!」


 その笑い声を皮切りに悲壮な戦いに挑んでいた皆も、次々と笑顔を取り戻してゆく。そしてそれぞれが見る間に決意を固めその顔つきを改めると、「やるか!」と気合を入れ直し、手に持つ剣を全員が派手に天に掲げ大きく叫んだ。


「「「「「うおっし! お供しますぜ、お嬢様!」」」」」









 私の乗る馬車はこの悪夢の中心地に向け、猛然とツッコんでゆく。

 羽虫の様に群れて向かい来るブラックレイドを、皆が全力で払いのけ突き進んでいた。


「うぉぉぉぉぉぉおおお!」

「どりゃぁぁぁあああああ!」


 たかだか数百メートルの距離だが、外からは兵達の凄まじい怒号があちこちから聞こえて来る。皆、頑張っている様だ。禍々しい車窓からの景色は、とてもこの世のものとは思えないが、今は関係ない。私は優雅にクッキーをつまんだ。


 この馬車はマリアが御者とし操舵している。カタリナは守護の為、馬車の天井に無理矢理設置し座らせた。時折「ひぃぃぃぃぃいいい!」と声が聞こえるが、しっかり仕事をして貰おう。


 我がビスタグス家自慢である私専用の馬車は、樹齢10万年を超える精霊森林の黒雷樹を使用し、大陸でも有数なエルダードワーフの名工30人を集め贅を凝らし作らせた。例え神級魔術を100発食らおうが破壊する事は不可能だ。ゆえに少々の黒き精霊などまるで問題ない。


 ただし、衝撃で傾くのが嫌だから、私はあの後グロリアス達の戦闘力を上げる為、賢霊珠の指輪を渡した。あらゆる魔を滅し全ステータスを10倍にする大陸でも有数のレアアイテムだ。さらに全属性攻撃無効化、全状態異常無効化もつき、いかな大国でも1個所持出来るかどうかの貴重な指輪だ。


 私はそれを千個以上所有している。これは護身用とうっかり失くした時の予備にと、祖父からプレゼントしてもらった物だ。私が軽々と全兵士分を渡すと皆ビビっていた。グロリアスは「ぜ、絶対にパクるんじゃねぇぞ!」と一番物欲しそうな顔で怒鳴っていた。


「うおるぁぁぁぁぁぁあああああ!」


 復活し指輪を嵌めたザックの叫びがひと際強い。馬車の周囲であらゆる魔を焼き尽くさんばかりに、凄まじい雷撃が幾つも散見している。ただし、庭園の花々を散らさない様に、先にきつく言いつけ、「へい、もちろんです!」と了承済みだ。奴も花々を大事にする心を少しはわかって来たみたいで、私も嬉しい。


 さて、そうした激しい攻防戦の後、暫くして馬車が止まった。


「お嬢様! 着きました!」


 御者席に通じる小窓が開き、マリアの弾む様な声が聞こえた。


 すぐさまマリアは馬車の扉を開いてくれ、私はそっと降り立つ。


 カタリナのおかげで、目の前のローブを中心に周辺で液化した絶海が、ほぼ元の芝生に近くなっていた。これなら歩ける。駄目だった場合は、このメス豚をどういじめようかと思っていたが杞憂だったみたいだ。


 ここからだ。


「ザック!」


 私は凄まじい速度で雷撃を放ちまくるザックを呼び寄せた。


「はい、お嬢様、どうしました?」


 ほぼ瞬間移動並の速度で、私の目の前に現れる。全身が激しく上気し、燃える覇気が湯気の様に立ち込めていた。


「いいか、お前も攻撃を弾かれ理解していると思うが、呪術外法を使うローブの周辺にはコントラクトが発生し、黒零双と呼ばれる結界が生まれている。私が今から精霊王の戒杖で、この外法自体を破壊する。ただし、同時に贄である術者を奪われまいとイグジスタンスと呼ばれる黒精霊の親玉が出て来る。お前はそれを倒せ」


「おっ、つええんですか、そいつは?」


「ああ、その辺のブラックレイドの実に千倍以上だな」


 私のその言葉を聞き、ザックはぶるっと武者震いを起こし、剣をぎゅと握り胸の前に掲げた。


「わかりました! シン剣帝の名に賭けて、ぜってぇに倒します!」


「頼んだぞ」


 私はザックの肩をポンと叩くと、ポシェットに手を入れた。そこから透き通る様な蒼曜色で、眩く輝く七色の賢霊珠を埋め込んだ特別な杖を取り出した。


「ああああああっ! ミリス様、それはまさか精霊王の戒杖じゃありませんか!」


 馬車の天井から祈りを捧げ続けていたカタリナが、驚いて声を上げる。


 精霊王の戒杖、世界に二つとない品だ。精霊界の理に干渉出来る唯一の杖。昔、庭をいじっていた祖父が私をだっこして、お気に入りドレスを汚してしまった時に、泣き叫んでいたらくれた。怒っていた幼い私は綺麗なモノに弱かった、まあ、今でも弱いな、ふふ。


「ふえええええ、ま、まさか! あのぅ、ミリス様、今から何をなさるおつもりで!」


「お前も判っているだろう? 気にするな、いいから黙って祈れ」


 私がそう言うと、カタリナは途端に震える様に血相を変え焦りまくり、それまで以上に全力で一心不乱に祈りを捧げ始めた。


「行くぞ、ザック!」


 私は精霊王の戒杖を掲げた。途端に激しく周辺の空気が震え、杖に向け収束する様にこの地の白き精霊達の力が膨大に渦を巻く。同時に呪術外法のコントラクトが反応し、怪しげな黒き闇を纒い始め、その五芒の黒雷が抗う様に激しく弾け始めた。


「ふふ、愉快な反応だ」


 私がそう言うと、一帯の白き光の渦が七色の賢霊珠に一気に収束し、刹那、様々な光彩が爆発的に広がり始めた。


 その美しき杖を勢いよく振り下ろしながら、私は叫んだ。



「禍々しき外法よ、消え失せろ!」



 私は輝く光彩を一気にコントラクト黒零双の闇に叩きつけた。







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