第8話 緊張も全て作戦のうち
裁判は王城の敷地の一角で行われる。建物が神式の造りであることを含め、かつて王族の立ち合いのもと神明裁判が行われていた名残だ。
原告側、被告側、それぞれが用意された椅子に着席して待っていると、裁判を進行する人間が現れ、前方の壇上にずらりと並ぶ。
彼らは国の法務省で働く誰かのはずだが、顔と身体的特徴を隠すため、黒のローブを身に纏っている。
公平を期すため、原告、被告ともに裁判員を特定し、接触することは許されていない。
「それでは、原告側の冒頭供述を始めてください」
厳かな雰囲気の中、檀の中央に座った人間が審理の開始を告げる。
「はいっ!」
ハルシアは大きな声で返事をし、勢いよく立ち上がった。
新米弁護人のぎこちない振る舞いと裏返った声が面白かったのか、被告側の席からは小さな笑い声が聞こえてくる。
開始早々恥をかいたハルシアだが、拳をぎゅっと握り、胸を張って前を向く。
「原告、セレナ=トルマリア氏は不貞を理由に婚約破棄をされましたが、不貞の事実はないとし、虚偽の噂を広めた被告、テッセル=ハーゲン氏を名誉毀損で訴えます」
噛まずに宣言することができたが、情けないことにハルシアの声は終始震えていた。
「次に被告側、同様に供述を」
「はい」
レイモンは薄ら笑いを浮かべてハルシアを一瞥すると、余裕たっぷりの態度で話し始める。
「原告が不貞を働いた証拠が残されており、かつ被告が噂を広めた当事者である事実はないため、名誉毀損にあたらないと考え、棄却を求めます」
レイモンの自信に満ち溢れた声に、ハルシアは呼吸の仕方を忘れそうになる。
いつかはレイモンと対峙することになると想像していたが、まさか初回から戦うことになるとは思っていなかった。
(落ち着け、私。今はレイモンに婚約破棄されたハルシア=ウィスティーではなく、弁護人ハル=マグノリーなのだから)
原告席に一人ぽつんと座るセリナは、不安げにハルシアを見守っている。傍聴席のアレスも同様だった。
「それでは、原告側から不貞の事実はないとする証拠を示してください」
ハルシアはトルマリア家のメイド長に視線を送る。
日頃から使用人をまとめているだけあり、彼女は不倫を目撃したとされる日にセレナが家にいたこと、他にも不審な外出はなかったことをハキハキ説明してくれた。
「調書の四頁をご確認ください。不倫現場とされるレストラン。また、被告と行動を共にしていた商会の人間から、原告が不倫したことを示すに十分な証拠が得られませんでした」
ハルシアが補足説明をした後、裁判員は原告であるセレナにいくつか質問をする。
どれも想定内の質問で、セレナは答えに応じる中で不貞の事実はないと力強く主張した。
「次に被告側、証拠を示してください」
レイモンに促され、見覚えのある商会の人間が、テッセルとの会食時にセレナ=トルマリアの不貞の現場を目撃したと証言する。
(私が聞いた時は、セレナ様の顔すら知らないと言っていたのに)
初めからテッセルの味方だったか、金で買収されたかのどちらかだろう。
他にも数名、証人が用意されていた。
彼らの証言を聞く限り、訴えられたことにより、後から慌てて証拠を作ったように思える。
「提出した通り、セレナ=トルマリアの名がレストランの帳簿にも書かれていることから、不貞の事実は疑いようがありません」
「私がレストランに赴き、確認した際にはそのような記述がありませんでした。捏造です」
レイモンの主張に対し、ハルシアはすかさずおかしな点を指摘する。
「捏造の証拠はどこにある? 君が確認したのは予約帳簿だろう。今回提出した支払い帳簿とは別だ」
「……っ」
悔しいが、ハルシアは黙らざるを得なかった。レイモンはハルシアが事前に予約帳簿を調べていたことを把握した上で、対策を打ったのだ。
「被告は不貞の現場を目撃した。間違いありませんね?」
「はい」
「積極的に噂を流した事実もありませんね?」
「はい。先程、弁護人より説明のあった通り、噂が広まった原因は原告の元婚約者側にあると考えます」
テッセルの主張は以前と変わりなかった。裁判員らがそれぞれ記述した意見を集約し、審理が終わる。
「棄却を認めます」
被告側の傍聴席から拍手が湧き上がる。
「残念だったな、おチビちゃん。法廷に立つのはもっと勉強してからにしな」
レイモンは去り際、俯くハルシアを揶揄う。
彼は恐らく、新米弁護人ハル=マグノリーが、元婚約者ハルシアだということには気づいていない。
気づいていたら、もっと心を抉るような嫌味を言うだろう。
「ハルさん、もう大丈夫だと思います」
セレナが優しく声を掛けてくれる。どうやらトルマリア家に関わる人間以外は退出したらしい。
「ありがとうございます、セレナ様。不名誉を負わせてしまって申し訳ありません」
「作戦に必要なことですから、構いませんわ」
実のところ、今日負けるのは筋書き通りなのだ。
ロスティランゼ王国の制度上、判断不可で保留にならない限り、一度の裁判で結果が決まる。
司法整備が進む東の大国では、裁判所が階層化されており、結果に不服があった場合は控訴というものを行うらしいが、ロスティランゼにその仕組みはない。
代わりに、新しい証拠を提示できる場合、二回まで再審を申し出ることができる。
最初から、二回目ありきの作戦だったわけである。
「ハルさん、迫真の演技でしたね」
アレスが興奮気味に話しかけてくる。イザクが不在なこともあってか、今日の彼は楽しそうだ。
「頼りない感じ、出ていましたか?」
「はい。演技だと分かっていても、僕まで緊張しました」
「それは良かったです」
(緊張は演技でないことは黙っておこう)
ハルシアはにっこり微笑む。
「あとはイザク=ロスティランゼ次第ですね。裏切るのは得意だろうから、心配無用だと思いますが」
「アレス。そういう言い方はよして」
勝利を収めたテッセルは油断しているに違いなく、レイモンが新米弁護人を侮っていることは言うまでもない。
「きっと大丈夫です。次の裁判では逆転してみせます」
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