第9話 さぁ、反撃です

 二回目の召集日は雨だった。


 石造りの建物の中にも湿った空気が充満しており、肌にまとわりついてくる。


 原告側の弁護人席に座るハルシアは、前回とは違った緊張感を味わっていた。高揚、と表現する方が正しいかもしれない。


「懲りない奴だな」


 審理開始ぎりぎりに現れたレイモンは、ハルシアに聞こえる声で、面倒臭そうに吐き捨てる。


 相手にするだけ無駄だ。ハルシアは姿勢を正して裁判員の入場を待つ。

 今回の一件で、彼との婚約破棄は結果として正解であったと痛感した。


(もうレイモンの機嫌を窺って振る舞う必要も、プライドを傷つけないよう口をつぐむ必要もない)


 黒いローブ姿の裁判員たちが、裏口からぞろぞろ入ってくる。


 原告席のセレナは落ち着かない様子で会場内を見回していた。

 裁判が始まろうとしているのに、勝利の鍵となる人物の姿が未だ見えないのだ。


「イザク様、遅いですわね」

「雨の影響で到着が遅れているのかと。もしもの時は私が時間を稼ぎます」


 彼とは昨日も書簡でやりとりをした。故意に遅れているわけではないと信じたい。


「姉様、僕が見に行ってきます。殴ってでも連れてきますよ」


 傍聴席の一番前に座っていたアレスは颯爽と出て行った。ありがたいが、彼らを二人きりにするのは些か心配である。


「原告側の冒頭供述を始めてください」

「はい」


 ハルシアは冷静に返事をして立ち上がる。

 急ぐ必要はない。聞きやすく、説得力を感じるよう一音一音はっきり訴えを述べる。


「訴えの内容は第一回と相違ないことを確認しました。被告側は供述を割愛できます」

「前回から変更ないため割愛します」

「それでは次に移ります。原告側は不貞の事実がないとする証拠を提示してください」


 ハルシアは建物の入り口に目をやる。証人が到着する気配はない。


(ゆっくり話して、少しでも時間を稼がないと)


「提出資料の第八頁をご覧ください。被告、テッセル=ハーゲン氏が、原告、セレナ=トルマリア氏の不貞を装うため、商会の人間を買収したことが明らかとなりました」


 他にも、テッセルがセレナの代役に妹を使ったこと。支払い帳簿は彼の指示により後日改竄されたものであること。また、イザク邸のメイドに噂を流したのも彼であると指摘する。


 ハルシアが発言を続けるうちに、テッセルの体はどんどん萎んでいき、レイモンは苛々と足を揺すり始めた。


「証言を求めます」


 裁判員は力強い声で要求する。


「商会の人間、メイドが正規の証人であることは、提出資料の署名の通りです。証言につきましては――」


 ハルシアは後方を振り返るが、やはりイザクの姿はどこにもない。


「雨で証人の到着が遅れているようです。一旦、被告人の弁論に移っていただけないでしょうか」


 ハルシアの申し出に、出席者一同がざわついた。


 裁判規定で禁止されている行為ではないので、対応は居合わせた裁判員の判断に委ねられる。


(どうか少しでも猶予をください!!)


 ハルシアは緊張の面持ちで前方を見つめる。


 黒のローブを被った一人が、檀中央の取りまとめ役に一筆渡した。どうやらそれが決定的な意見になったようだ。


「許可します。但し、裁判員が証人は現れないと判断した場合には、証拠不十分を理由に棄却します」

「ご配慮をありがとうございます。承知いたしました」


 ハルシアはほっと胸を撫で下ろし、一度席に着く。

 代わりに立ち上がったレイモンは、不機嫌な声で異を唱えた。


 原告側の提示した内容は偽造に違いない。その証拠に、証人が現れない。彼はたったそれだけの短い弁論に留め、判決を急かす。


「被告人、間違いありませんか?」

「は……はい……」


 テッセルは歯切れの悪い返事をする。彼は何かに怯えるようだった。ハルシアはその理由を知っている。


「被告側の弁論が終わりました。証人が現れないため、証拠不十分を理由に――」


 ばん、と大きな音が響く。皆が一斉に後方の扉を見た。


「遅れて申し訳ない。が、道に大きな穴を掘っていたようで、馬車が足を取られ、立ち往生してしまった」


 雨に濡れたイザク=ロスティランゼは、友であったはずの人物に視線を向ける。 


(流石は王族。威圧感がすごい)


 彼は髪を掻き上げながら、中央の通路に敷かれた真紅の絨毯を堂々と歩いた。


 どうしてイザク様がここに? という囁き声が、あちらこちらから聞こえてくる。


「彼が原告側の証人です」

「……発言を認めよう」


 ハルシアが申し出ると、中央に立つ裁判員はしばらく黙った後、許可を出した。


「私、イザク=ロスティランゼは、テッセル=ハーゲンこそが、セレナ=トルマリアの不貞に関する虚偽の噂を流した張本人であることを、ここに証言する」


 場内がざわめく。テッセルは呆然と、青白い顔をしている。


「そこにいるテッセル=ハーゲン本人が、不貞の噂は自分が妹を使って仕組んだことであると確かに言った。居合わせたメイドも聞いている」

「あ……あれは、君が元からセレナ嬢と別れたいと思っていて、婚約破棄の件に感謝していると言ったから! 君に恩を売ろうと嘘をついたんだ」


 被告人は苦しい言い訳をする。


「嘘にしては随分具体的だったな」

「……っ」


 テッセルはこの日を迎える前から、友人にカマをかけられ、自分の立場が不利になる発言をしてしまったことに気づいていたはずだ。


 だからこそ、イザクの足止めを図った。


 しかし、プライドが邪魔をして、弁護人には正直に相談できなかったのだろう。

 何も知らなかった彼の弁護人は、予想外の展開に呆然としている。


「商会の人間は、ロスティランゼの名で問いただしたところ、すぐに自白したぞ。報酬に釣られ、裁判のために言われた通りの証言をしたとな」

「……っ、それは……」


 黙り込んだテッセルに、裁判員が追い打ちをかける。


「被告人、本証言を事実と認めますか」


 レイモンは首を横に振って見せたが、テッセルは小さな声で返事をした。


「はい」


 この瞬間、勝敗が決まった。

 ハルシアは心のうちでぐっと拳を握る。


「再審を要求する!」


 そう叫んだレイモンに対し、ハルシアはすかさず発言をする。


「裁判規定第二十三条に、提示された証拠に基づき、被告人が自らの過失を認めた場合、再審の権利は与えられないとあります。勉強不足でしたね」


 舐めていた新米弁護人にしてやられたレイモンの顔は、たちまち真っ赤に染まった。


 更に彼は激昂のあまり椅子を蹴飛ばし、裁判員から厳重な注意を受け、恥を晒すことになる。


◇◆◇


「ハルさん! やりましたね!!」


 原告側の訴えが認められると、セレナよりも先に弟の方が嬉しそうに駆け寄ってくる。


「アレス様、イザク様を探しに行ってくださって、ありがとうございます」


 アレスはイザクと共に戻ってきていた。


 聞けば、泥濘にはまった馬車を降り、自らの足で会場に向かっていたイザクを運良く見つけ、トルマリア家の馬車で連れてきてくれたのだという。


「ハルさんありがとう」

「俺からも礼を言う」

「セレナ様、イザク様、どうかお幸せに」


 寄り添う二人は美しく、尊かった。誰もが羨む夫婦となるだろう。


 外に出ると、いつの間にか雨は上がっており、青空が見えている。


(なんだか胸のつかえがとれたみたい)


 婚約破棄をされて以来、仄かに残っていたわだかまりが溶けて消えたようだ。


 ハルシアは足取り軽く、すっきりとした気分で帰路に着いた。

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