第10話 王子の溺愛(シノ視点)

「素晴らしい逆転劇だったと思わない?」


 裁判場を退出し、城内に入ったところでシノ=トアイヤ=ロスティランゼは黒のローブを脱ぐ。


 壇上で裁判を取り仕切っていた男もまた、フードを外して顔を晒した。

 眉間に皺を寄せた彼が何を言わんとしているのか、シノは聞かずとも分かる。


「殿下……一歩間違えれば越権です」

「法務省は僕の管轄下にあるのだから、傍聴することぐらい構わないだろう」

「一筆寄越しておいて、ですか?」


 男の落ち窪んだ目が、ぎょろりとシノを睨んだ。

 シノよりも遥かに長い人生経験を積んだ法務大臣は、王子相手に恭しく振る舞ってみせても、怯みはしない。


 ハルシア――いや、弁護人ハル=マグノリーが行程の変更を申し出た際、『多少の待機は構わない』と書いた紙を渡したことに苦言を呈したいのだ。


「あれは君が僕の予定を気にするといけないと思って。最終判断を下したのは君だし、審理内容の評決には参加していない」


 シノが微笑むと、大臣は眉間を揉みほぐしながら溜め息をつく。


「殿下はウィスティー家の娘を確実に贔屓されていますよね。性別と名前を偽って試験を受けた彼女を通したのも殿下です」

「そうだったかな」

「何故彼女に執着されるのですか?」


(良い子だとは思うが、妃にするのであれば他にもっと相応しい女性がいるだろうに、か)


 普通の人間はそう感じるのだろう、と大臣の心を読んだシノは思う。


 正確には心を読んだのではなく、望もうが望まざろうが、勝手に入ってくる。

 目を合わせると、その人の思考が、感情が、強制的に脳裏に流れ込んでくるのだ。


 何故そのような特殊能力が備わっているのか、シノ自身、未だに知らないでいる。

 しかし、自分が異常であることは物心ついた頃から理解しており、誰に打ち明けることもなく普通を装って生きてきた。


(これでも余計な口出しをしないよう、自制している方なのだけど)


 一途に慕ってくれているセレナ=トルマリアではなく、腹黒い感情を抱えるテッセル=ハーゲンを信じた『愚か者』について、つい新米弁護人にヒントを与えてしまった。


「行くところがあるんだ。これ、お願いするよ」


 シノはローブを大臣に預け、城を出る。


(彼女のことになると、僕はどうも駄目だな)


 ハルシアは覚えていないようだが、ずっと昔、子どもだった頃に二人は共に過ごしたことがある。

 ――殆どの時間、法に関する蘊蓄を聞いて過ごしたのだが。


 目を輝かせ、好きなことを語るハルシアを見ている時間は幸福だった。

 彼女の素直さや、野心の薄さは、大人のドロドロとした感情に囲まれ、疲れ切っていたシノ少年を癒してくれた。


 以来ずっと、シノはハルシアを愛している。


 彼女の幸せは優秀な弁護人と結婚し、大好きな法に関わり続けることだと身を引いたが、シノに覚悟が足りないだけだった。


 彼女が幸せになれるよう、手を差し伸べる存在は自分でありたい。今はそう思う。


◇◆◇


 ハルシアの元婚約者、レイモン=サルドーラとは貴族青年の交流会や、仕事の関係で時折顔を合わす機会がある。


 大抵は短い挨拶をするだけで、相手の深層心理が読めるほどの接触はない。


 そのため、彼がハルシアをぞんざいに扱っていることを、シノは知らなかった。


 彼の不貞や、身勝手で悪質な婚約破棄計画に気づいたのも、彼らの婚約破棄が成立した後である。


「今日は残念だったね」


 王城にある応接間の一つに赴いたシノは、赤髪の青年に声をかける。


 レイモンはシノに気づくと姿勢を正し、好青年を演じてみせた。


「傍聴していらっしゃったのですか!? お恥ずかしいところをお見せしました」


 人々は彼の表の姿に騙されるのだろうが、シノは呆れるばかりだ。

 

 今日の裁判に関して、彼は自分にも敗因があるとは微塵にも思っていない。


 心のうちでは、「俺があんな新人に負けたのは、作戦を台無しにした間抜けな依頼人のせいだ」と舌打ちをしている。


「君の恥ずべきところはそれだけではないと思うけど」

「何の話でしょうか」

「神殿、と言えば分かるかな?」


 シノが微笑みかけると、彼の表情は曇った。


「そっ、それは……」


 必死に言い訳を探す男に、シノは追い打ちをかける。


「ルリアーナという女と関係を持っていたのは、婚約していた頃からだよね」


 レイモンは視線を泳がせる。何故知っているのか、彼は疑問に思っているようだ。


 シノが把握している理由は勿論、レイモンの心を読んだからであるが、神殿を逢瀬の場にしていれば誰に見られてもおかしくない。


 殆ど祭事にしか使われない場所であっても、時折ふらっと立ち寄る人間もいるのだ。あの日のハルシアのように。


 あの時は焦った。神殿の方面に向かう彼女の姿を見かけたので、胸騒ぎがして後を追ったところ、嫌な予感は的中したというわけだ。


(僕と違って神殿が密会場所になっていることを知っていたわけでもないのに、偶然目撃する羽目になるなんて彼女は悪運が強い)


「君が婚約破棄してくれたことには感謝しているよ。今日はそのことを伝えようと思って呼んだんだ」


 シノがそう言うと、レイモンは何故か落ち着きを取り戻す。


「……あの噂は本当だったのですね」


(あの噂? ああ、君が捏造した婚約破棄の理由のことか)


 どうやら、彼は不貞を働いていたのは自分だけではなく、ハルシアもだと都合の良い解釈をしたらしい。


 確かに不貞の噂は存在した。


 シノの視線の先にハルシアがいることに気づいたどこぞのご令嬢が、尾ひれ背びれをつけて流した噂だと認識している。


 しかし、実際にはハルシアに触れるどころか言葉も交わしていない。一度ひとたび関われば、感情に蓋が出来なくなるのではないかとシノは恐れていた。


「僕は長いことハルシアを想っているけど、残念ながら彼女には相手にしてもらえていなくてね。同等に思われるのは心外だな」

「……失礼しました」

「他にも証拠の捏造など、弁護人に相応しくないことをしているようだね。改めないと、そのうち痛い目を見ると思うよ」

「……」


 顔面蒼白で立ちすくむレイモンを、ハルシアにも見せてやりたかった。


 シノは彼の肩をぽんと叩いて忠告をする。

 

「言いたかったのはそれだけ。あと、今後ハルシアに近づくことがあれば、僕は法廷に立って君の悪事を洗いざらい語るつもりだから」

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