第6話 『愚か者』

「帰ってくれ」


 第一声がそれだった。


 案内された部屋に入ると、机に肘をついた銀髪の男はハルシアを視界に入れることなく言い放ったのだ。


 テッセルが友好的に訪問を受け入れてくれ、その後立ち寄ったレストランも快く対応してくれたので、すっかり油断していた。


 素直に引き下がるべきか、粘るべきか、ハルシアは相手の出方を伺う。


「帰れと言っているのが聞こえないのか」


 先程よりも刺々しい声だ。拒絶が強く表れている。


「弁護人は関係者に話を伺う権利を国から与えられています。少しだけでもお話をさせていただけませんか?」

「だから面会の場は設けてやっただろう。話すことは何もない」


 男は伏せていた顔をようやく上げ、ハルシアを睨む。イザク=ロスティランゼ。王家の血を濃く引いていることは、美しい髪色で分かる。


 シノ王子の容貌とはあまり似ておらず、部屋が薄暗いせいもあってか、氷のように冷たい人という印象を受けた。


「イザク様はセレナ様が不貞を働いたと信じていらっしゃるのですね」

「……」


 イザクは再び視線を机に落とし、沈黙を続ける。


「セレナ様の話も聞かずに婚約を破棄したことから、イザク様はセレナ様に対して愛も情もお持ちでなかった。そう受け止めてもよろしいですか?」

「……」


 返事はない。これ以上待ったところで、彼は頑なに弁護人を無視し続けるように思われた。


 ハルシアは一礼をし、立ち去ろうとしたところで王子からの言伝ことづてを思い出す。


 できれば忘れたことにして帰ってしまいたかったが、約束を破ることは自身の生き方に反する。


「はっ! シノ王子から伝言を預かっておりますので、それだけ最後にお伝えさせてください」


 たった今思い出したとばかりに、ハルシアは演技をした。


 イザクは「シノ王子」という言葉に関心を示したようで、初めて彼の方から問いかけてくる。


「何故アイツと話した」

「先日の舞踏会で色々ありまして。伝言をお伝えしますね」


 ハルシアはすっと一呼吸し、問題の言葉を口にする。


『愚か者』


「意味は分からないのですが、音を真似て伝えてくれとお願いされました。では、私はこのあたりで失礼します」


 伝えろということは、イザクは意味を理解できるのだろう。

 従兄弟同士の喧嘩に巻き込まれては困ると、ハルシアは明るい笑顔を浮かべて退散しようとする。


「待て」


 イザクの鋭く、低い声に心臓を貫かれた心地がする。


(やっぱりお怒りになりますよね……)


 ハルシアは顔を引き攣らせながら振り返る。


「な、な、何でしょう?」


 イザクがあまりにも険しい顔つきで立っているため、ハルシアは最悪牢に入れられることも覚悟した。


「セレナはどうしている」


 意外な問いかけに、ハルシアは目を瞬かせる。


「……私の前では涙を見せず、気丈に振る舞われていましたが、時折ひどく悲しそうでした」

「そうか」


 イザクは唇を噛み締め、一瞬、泣きそうな顔を見せた。それが、依頼人のセレナがふと見せた表情と重なる。


(ああ……、もしかして。この人はまだ、セレナ様を愛していらっしゃるのだろうか。セレナ様も本当はまだ……)


 そうだとしたら。ハルシアの脳内に、一つの筋書きが浮かぶ。


「イザク様は何故、急に婚約破棄をされたのですか」

「セレナに好きな男ができたのなら、手放してやるべきだろう」


 彼は拗ねた子どものように言う。冷徹な男の印象が崩れ、ハルシアの緊張は緩んだ。


「テッセル様の話を鵜呑みにしたということですね」

「テッセルだけではない。商会の人間も同じことを言っていた」

「セレナ様は不貞について、身に覚えがないと仰っていました。彼女が嘘をついている可能性も否めませんが、私の直感では違うと思います」


 不貞を働いた事実があるのにも拘らず、無実を証明したいとわざわざ弁護人事務所を訪ねてくる人間がいるだろうか。


 ここへ来る前、不倫現場だというレストランに足を運んだところ、予約帳簿にセレナの名前はなかった。唯一得られたのは、金髪の男女のペアが仲睦まじく食事をしていたという証言のみだ。


 この国で金髪はさほど珍しくない髪色なので、この情報だけでセレナと断定することはできない。


「では、テッセル達が嘘をついているというのか?」

「はい。その線も考えるべきかと」

「テッセルとは良き友人であったが、そうか……」


 イザクは妙に納得したようだった。先程までハルシアに「帰れ」と言っていた人物とは別人に見える。


「まだ可能性の話ですよ。嘘ではなく、勘違いかもしれませんし」

「シノにもこの話をしたのだろう?」

「はい、少しだけ」


 銀髪の男は軽く息を吐く。


「腹立たしいことに、アイツは何もかも見透かしていて、間違いを正す時は歳上の俺にも容赦ない」

「はぁ」

「先程の伝言は、俺に愚かな選択をしているとでも言いたかったのだろう」

「なるほど」


 どうやらイザクはシノ王子に一目置いているらしい。


 確かにシノ王子は神秘的で、不思議な人だ。そして、何もかもを見透かしているというのも、そうかもしれない。


 ハルシアに伝言を頼んだのは、イザクの非協力的な態度を見越してのことだったのだろう。


「先程までの無礼を詫びる。一度、セレナと話をさせてほしい」

「分かりました。伝えますが、承諾するかはセレナ様次第です。テッセル様にはご内密に。探りを入れられた場合は、私を追い払ったとでもお伝えください」


 ハルシアとしては、イザクとセレナに和解をしてもらい、テッセルに立ち向かう構図を作りたい。


 すぐにでもセレナに報告をしなければ。ハルシアは一刻も早く帰りたくなる。


「ところでお前は何者だ?」

「申し遅れました! ハル=マグノリア、一介の弁護人です」

「そうではない。やけにシノに気に入られているようだが……女に無関心だと思っていたが、まさかアイツ、男児が趣味だったのか」


 ハルシアはイザクの言葉に衝撃を受ける。


!? 男に見えているのだから、まぁいいのか……)


「シノ王子に会ったのは偶然ですよ。私ではなく、司法のことに興味がおありなのだと思います」


 ハルシアは男児趣味の誤解を与えぬよう訂正し、一礼すると、足早にイザク邸を去った。

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