第4話 二人きりのワルツ
「先程は助けてくださり、ありがとうございました」
王子専用の控室だろうか。ボールルームの裏手にある小部屋に通されたハルシアは、沈黙に耐えかねて礼を言う。
部屋に控えていたメイドは、替えのドレスを探しにどこかへ行ってしまった。現在、気まずくも王子と密室に二人きりなのである。
しかも、複数ソファがあるにも拘らず、王子は何故かハルシアに寄り添うようにして座っている。
(この状況は一体……。元婚約者とすら、こんなに密着して座ったことがないのに)
婚約破棄されて以来、それまで全くと言って良いほど関わりのなかったシノ王子と、偶然出会う機会が増えたように思う。
元婚約者、レイモンが離婚のために提示した調査書は未来から来たものだったのだろうか。
今の状況であれば、ハルシアを妬んだご令嬢たちに「不貞を働いている」と証言されてもおかしくない。
「彼女の弱い者いじめの噂は以前から聞いていたんだ。今日、釘を刺せて良かったよ」
「それで動向を注視されていたのですね」
「僕が見ていたのは彼女ではないけれどね」
「では何を見ていたのでしょう?」
ハルシアは素朴な疑問を投げかける。
ワイン事件が起きたのはホールの隅、完全なる壁際だ。外の庭園が見えるわけでも、壁に絵画がかかっているわけでもない。
「秘密」
王子は楽しそうに言う。
(まさか、私!? ……なわけがないか)
探究心の強いハルシアの性格上、気になって仕方ないが、どこぞのご令嬢に見惚れていたのだろうと思うことにした。
再び沈黙が訪れる。
何か気の利いた話を振らなければとハルシアが悩んでいたところ、ドレスを抱えたメイドが戻ってきてくれた。
「殿下、お待たせいたしました」
「ありがとう。彼女の着替えを手伝ってあげて」
王子はメイドに指示を出すと、部屋から出ていく。舞踏会に戻ったのかと思いきや、ハルシアの着替えを外で待っていたらしい。
ノックの音ともに着替え終わったかを聞かれた時は驚いて、同じく驚いた表情のメイドと顔を見合わせた。
「どうでしょう?」
白いドレスに身を包んだハルシアの前で、シノ王子は数度瞬きをした後、蕩けるような笑顔を見せる。
「綺麗だ」
お世辞だと分かっているのにハルシアは照れてしまう。
「ありがとうございます。なんだか、婚礼衣装のようですね」
地味なドレスを好んで着るハルシアは選ばない色だが、胸元に施された上品なピンクの刺繍が可愛らしくて気に入った。
「婚礼衣装なら、より上質なものを作らせるよ」
「殿下と結婚される方はきっと幸せでしょう」
「そうだといいな」
シノ王子は穏やかな表情でハルシアを見つめている。
自分に向けられた言葉だと錯覚したハルシアは恥ずかしくなり、メイドの姿を探したが、彼女の姿はどこにもない。
「ハルシア、僕と一曲踊ってほしい」
王子は手を差し伸べ、一礼をした。
「え、ええ……。私、どんくさくて、踊るの下手ですよ。元婚約者にもいつも怒られていましたし」
「上手く踊れなかったのは、たぶん君のせいじゃないよ」
レイモンにいつも舌打ちされていたハルシアは、ダンスに対して強い苦手意識がある。それでも王子が優しい言葉をくれるので、勇気を出して彼の手をとった。
舞踏会の会場から聞こえてくる微かな音楽に合わせて二人は踊る。
「ほら、上手に踊れてる」
「シノ王子のリードがとてもお上手だからです」
手を引き上げられ、その場で回転するとドレスの裾がふわりと舞う。
(ダンスって、楽しいものだったんだ)
ハルシアは自分が素晴らしい踊り手になれた気がして、嬉しかった。
「最近、困っていることはない?」
踊りながら王子は尋ねる。
何もないと答えたハルシアだったが、生まれたばかりの困り事を一つ思い出す。
「あの、殿下はイザク様とテッセル様とは親しいでしょうか」
「僕と踊っている時に他の男の話をするの?」
「失礼しました」
「冗談だよ。理由を聞いても良いかな」
丁度、音楽が止まった。ハルシアはドレスの裾をつまみ、礼をしてから説明する。
「父の仕事場に弁護人がおりまして、その人に頼まれて色々調べているところなのです」
依頼人や依頼内容の詳細は伏せたが、名前の挙がった二人の男から、シノ王子には大体の想像がついただろう。彼も噂を耳にしているはずだ。
「なるほどね」
「イザク様とテッセル様に直接お話を伺えれば良いのですが、ウィスティー家の家格では躊躇われてしまって」
「弁護人には身分関係なく話を聞く権利があると記憶していたけれど」
(あ……、そういえば、そうだったかもしれない)
国から銀のブローチを授かった際、そのような話を聞いた気がする。
法律、裁判規定のどこにも書かれていないことなので、ハルシアはすっかり忘れていた。重要なことは全て、明文化してほしいものだ。
「権利のことをすっかり失念していました。帰ったら早速、文を出します。あ、えーっと、出すように伝えます」
「もし揉めるようなことがあれば相談して。そうだ、イザクに会うようであれば、伝言を頼めるかな?」
「はい。急を要するものでなければ、承ります」
ハルシアは王子の言葉を待った。
『愚か者』
「えっ?」
「音を真似て伝えてくれれば良いよ。聞き取れた?」
「は……はい」
意味が分からなくて驚いたのではない。理解したからこそ、ハルシアは戸惑った。
シノ王子が発したのは、かつてこの地にあった大国の言葉だ。
今は使われていない古語だが、法に関する古い文献を読むために必要な知識なので、ハルシアは習得している。
王族は教養としてハルシア以上にしっかり学んでいるはずなので、王子が選ぶ言葉を間違えるとは思えない。
しかし、あれが従兄弟に向ける言葉なのだろうか。
「迎えはあるよね?」
「はい。馬車に待機してもらっています」
王子にエスコートされ、ハルシアは舞踏会の出入り口とは別の扉にたどり着く。
「君、門まで彼女を送ってあげて」
一人でも帰れるというのに、王子は見張りをしている衛兵の一人に頼んだ。
「ハルシア、おやすみ」
美しい人は優しい声でそう言うと、城の中へと戻っていった。
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