第六十八話 殺しの意志
何が違うのか。
一体これまでと何が違うというのか。
ミーリィ・ホルムの感情の強さか?
以前——不完全ではあったが——覚醒して、その時からの時間の経過が短いからか?
或いは——
いや、そのようなことなぞどうでも良い。
石畳に手を突き、体を起こして立ち上がる。
——確と動く、か。
数百年、ともすれば千年以来の感覚に、思わず哄笑してしまう。
動く体、口から出る声、耳を劈く喧騒、目に映る世界、鼻腔に流れ込む硝煙の臭い、肌に感じる空気——
久しく感じていなかった、生の感覚だ。
哄笑の所為か、誰しもがこちらを見ていた。ある者は怪訝そうに、ある者は恐怖に満ちた目で、ある者は敵意を宿した瞳で。帝国の者達とて例外では無い。
故にこそ、その隙にこの街の人々は逃げ果せた。今この場にいるのは私と帝国の者達、そして——
「……ミーリィ……なのか……?」
ダス・ルーゲウスという男。
ミーリィ・ホルムは十年もの時を彼と共に過ごしてきたが——思えば、こうして私と対面するのは初めてか。
彼女が私の覚醒を許さなかったが故に。
「ダス・ルーゲウスよ」
一瞥も与えずにその名を呼んだ。視界の端に、その体がぴくりと揺れたのが映る。
「ここの市民を連れて街から逃げろ。これ以上犠牲を出したくないのであればな」
恐らく少し時が経てば、ボリアでの戦い、あの時と同様の暴走が起こるであろう。そうなれば敵味方問わず多くの死者が出る。
——が、それ以前に、私の魔術は敵味方を選ばない。私の側にいれば、等しく死が訪れる。
私の言葉を聞いてこちらを見つめ、そして彼は頷き——
「だけど、避難が済んだら手伝う」
こちらをじっと見据えて言い放ってきた。
……あの時と同じことが起こり得ると理解しているはずだろうに。だが——
「——それが貴様の進むべき道ならば、そのようにするが良い」
そう応え、去っていく彼を後目で見届けた。
「……さて」
一言零し、眼前の敵に視線を移す。
敵の数は百程度——といったところだろう。その尽くが武装し、各々の得物をこちらに向けている。
その瞳からは敵意だけで無い、恐怖も見えた。
——貴様等は昔からそうだった。
己が利の為に、いかなる悪行でも働かんとするその精神。
長い間、ミーリィ・ホルムの中で吐き気を催しているかのような思いを抱き続けていた。
その溜飲はこれまでもこれからも消えることは無く、しかしこれで僅かに楽になるだろう。
「任せろ、ミーリィ・ホルム」
鉄棍を構えずただ握り、最大限の憤怒と憎悪を込めて眼前の敵を睨む。
「消えるべき命、その尽くを——殺し尽くしてやる」
その一言と共に、眼前の敵の顔が恐怖に歪んだ。
「——う——」
——冷気よ、殺せ。
敵の言葉が紡がれる前に、冷気を願った。
敵はこちらに銃口を向け——しかしそこから銃弾が放たれることは無かった。
他の敵も逃げようとし、しかし逃げること能わず。百程度の敵、その尽くが冷気に呑み込まれ——
死んだ。
力無く石畳に倒れ、最早これ以上動くことは無い。
——結局、ダス・ルーゲウスの助けは不要であったか。まあそうなるだろうとは察していたのだが。
敵の亡骸に一瞥も与えず、奴等に殺された者達の亡骸を見遣る。白い石畳は亡骸より滴る血で赤く染まっている。
——何と憐れな——
そこで気付く。
一人だけ、まだ生きている。微かに蠢く体に歩み寄り、屈んでその姿をじっと見る。その頭からは確かに血が流れている、が——
——銃弾は頭部を掠っただけか。
「おい、貴様。名は……マート・フィレンツだったか? 起きよ、帝国の奴等は殺した」
「ま、マート・フィルスだ……糞、頭が痛む……」
「む、失敬」
マート・フィルスは頭部の傷を魔術で再生させ、ふらつきつつも立ち上がる。そしてこちらの姿を認めると、訝しげにじっと眺めてきた。
「……ダス・ルーゲウスと一緒にいたミーリィ・ホルムか……? 何か、雰囲気が……」
確かに、普段明朗快活な彼女と比べたら、私は陰鬱とした人間であろう。それに喋り方も、斯様な若々しい女性から出るものでは無い。
「一時的に魂が入れ替わった——そう認識すれば良い」
「わ、分かった……しかし……」
そう言って彼は市民の亡骸を悲痛な面持ちでじっと見る。
……その胸に渦巻くのは、後悔なのだろう。ボスカルの獣を討伐し、暴虐の限りを尽くす帝国に反逆する——その果ての、守るべき市民の死。
——斯様な人間は何度も見てきたが、やはり理解ができん。己が意思で選択し、望んで進んだ道に後悔するなど——
その時であった。
遠方より鳥の鳴き声が響いてきた。その声は次第に大きくなり——
「……ほぅ」
例の魔獣——ボスカルの獣の生み出した鳥の群れが都市上空に侵入してきた。
「おい——って、マート、生きてたのか……?」
激流に乗り、焦燥を湛えるダス・ルーゲウスが、石畳へと降りるや否やこちらへと駆け寄って来た。
「ああ。だが、あれは——」
「ボスカルの獣が来る! 奴の姿も見えた!」
マート・フィルスが言い切るのを待たずに告げられたダス・ルーゲウスの言葉は、果たして、ボスカルの獣の襲来を告げるものであった。
——帝国の兵士を追って、此処に辿り着いたのか? 或いは昨日の件で人員不足になった隙を狙って襲撃したのか?
何れにせよ、此方としては好都合である。態々彼方に殺しに行く必要が無い故に。
「マート・フィルス、貴様は逃げろ。ダス・ルーゲウスは私を手伝え。それから、この街が全壊することになるだろうが、良いな」
「な、何を——」
「ごがああああぁぁぁぁ————————っっっ!!!」
マート・フィルスの言葉を遮るように、ボスカルの獣の咆哮が轟いた。奴はこの都市の目と鼻の先にまで迫っている。
獣の巨躯を睨み、彼の疑問に答える。
「奴を海に沈め、殺す」
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