第六十七話 迫り来る魔の手

 ボスカルの獣から逃げた次の日。


「ポン君の調子はどうですか……?」

「今起きているよ。ただ……そっとしておいてあげな。体の傷も体調も大丈夫だけど、心が酷く傷付いている」

「そうですか……」


 病院に来て看護師にそう告げられた。

 魔術があるから傷が治るのは当然として、体調も問題無いという点は良かった——が、安堵できるはずが無い。


 大地を槍に変えての不意打ち。それによって下半身と右腕を失う。

 体を失うという、恐らくこれまで感じたことの無いであろう激痛に藻掻き苦しみ、しかし魔腑を失って——魔腑があったとしても魔粒が尽きていて——痛みを消すことも体を再生することもできない。

 大人でも耐え難いその苦痛、況してや彼のような子供が耐えられる訳が無い。


 ——わたしが守るべきだったのに……


「まあ、あの子を止めなかった嬢ちゃん達にも責任はあると思うけど」


 腕を組んでこちらを見て放たれた彼女の言葉。心臓がどきりと跳ね上がり、床に向けられた視線は自然と上がった。


「でも、あの子が自分で『行きたい』と言ったんだろう? 自分には活躍できる力があって、それを信じて——或いは過信して、戦場に突っ込んだ。だったら、その責任は嬢ちゃん達にあると言うよりは、あの子にある。嬢ちゃんが重く抱える必要は無いよ」


 それは意外にも慰めの言葉であった。てっきり糾弾されると思っていたが……

 しかし、だからといってわたしが悪くない訳では無い。確かにわたしはポン君を守ると約束して、でも結局その約束を果たせなくて——


 ——ああ、ダスさんもこういう気持ちだったのだろう。


 彼に悪くないと言っても、何の慰めにもならないじゃないか。

 しかしだからといって、どうすべきなのか——その見当はつかない。


「それに、あの子今まで戦ったことが無かったんだろう? だったら丁度良い機会じゃないか——、それを知る為のね」


 さながら熟練の戦士のように、彼女はそう付け足した。

 ——仕事が仕事だから、きっと同じような人達を見てきたのかな。


 確かに、ポン君は戦いがどういうものなのか知らなかったであろう——その中で、どのように苦しむのかということも。

 その点、ファレオとして全国を巡る以前に戦いの経験があったわたしは幸運なのかもしれない。


 ——これから彼の故郷に着くまでに、幾つもの戦いを経験するだろう。その時、彼はどうなるのだろうか——


 看護師の先程の言葉が頭の中で何度も何度も再生された。






 病院を出て、わたしは街を彷徨っていた。

 ダスさんは宿の部屋に籠っていて、ずっと昨日の調子で戻りづらい。それもあって行き場が無く、取り敢えず街を歩いているだけだ。


 街路を歩きながら、この街全体に流れ込んでいる海水を見る。ボスカルの獣に負けて街が暗い雰囲気に包まれているからか、水路を行き来する舟の姿は一切無い。


 エトロン——というよりはブライグシャ地方の沿岸部全域がこのように水に浮かんでいるかのような様相を呈している。

 ダスさん曰く遥か昔はこの辺りは海水が一切流れ込んでいなかったらしい。だから、今の建物は昔使われていた建物の上に建っている。海水の流入はブライグシャ地方の人達が信仰している水神エヴリアの恵みだとか。


 ふとダスさんがそう言っていたのを思い出した。

 転落防止の為の柵から身を乗り出し、水面の向こう側を目を凝らして覗く——と、確かにそこには昔使われていたであろう建物があった。

 海藻が生い茂り、魚の住処となり、しかし看板や壊れた家具も見え、確かに昔そこに人が住んでいたのだろうと感じさせる。

 ——が、楽しい気分になりはしなかった。


 ——今は、ボスカルの獣をどう倒すかを考えないと。


 ……いや、考える必要は無い。

 実際倒せるかどうかは分からないが、わたしは

 だけど、それを実際にやるかどうかは——


「——ん?」


 不意に遠くから人々のざわめきが響いてきた。

 街の暗い雰囲気、沈黙が、ざわめきによって破られる——何か悪いことの前触れだと感じずにはいられなかった。


 ——行ってみよう。


 音を頼りにその場所へと向かった。角を曲がり、大通りへ出て——辿り着いた場所は、門の前。


 果たして、わたしの予感は的中していた。

 マートさんを始めエトロンの人達の前にいたのは、帝国の兵士であった。


 ——帝国……まさか、昨日の件……!?


「ミーリィ!」


 同じくこのざわめきを聞いて駆けつけてきたのだろう、巨槍と鉄棍を持ったダスさんが背後から声を掛けてきた。

 彼は鉄棍を手渡してきて——


「どういう状況だ!?」


 そう問い掛けてきた?


「いえ、わたしも分かりません……さっき来たばかりで、既に帝国の兵士が……」

「分かった。とにかくマートのところに——」


 銃声が耳を劈いた。

 その音現に、視線が吸い寄せられる。


 そこにあったのは、倒れて血を流しているマートさんの姿。


 ——何で。


「ボスカルの獣を討伐するのなら、そしてここにいる全員がそれに賛同するのなら——帝国の意思に背くのなら、殺すだけだ」


 銃声の後の、恐怖に満ちた静寂。だからこそ、その横暴な宣言がはっきりと聞こえてきた。

 死の恐怖に人々は咄嗟に逃げ出し——しかし無慈悲にも帝国はそれを許さなかった。

 銃弾に襲撃され、人々は血を噴き出してばたばたと倒れていく。

 そのうちの一人が、わたしの前で倒れた。虚ろな目と僅かに開けられた口、そして頭の前後からだらだらと垂れている血が目に映る。


 ——最早、魔術による回復も望めない。


「糞ッ! ミーリィ、やるぞ!」


 ——何で。


 何でこの人達は帝国に殺されたのだろうか。

 何でこの人達は罪を犯していないのに殺されたのだろうか。

 何でこの人達は平和に生きたいと願っていただけなのに殺されたのだろうか。

 何で、何で、何で、何で——


 ——何で帝国は、


 わたしの内に湧いて出てきたのは、怒りと憎しみだった。

 何もかも奪っていく帝国への、憤怒と憎悪。

 無慈悲に、残虐に人々を殺していく帝国への、憤怒と憎悪。

 昔からずっと人の心など持ち合わせていない帝国への、憤怒と憎悪。


 ——駄目、抑えないと。


 そう思えども、湧き出てくる感情を抑えども、その感情は止め処無く。


 視界がぼやけ、意識が朦朧としてくる。立とうにも立てず、その場で膝を突いてしまった。


 ——また、が出てきてしまう……!


「ミーリィ!? おい、どうした——」


 遠のいてくるダスさんの叫びに、


「……ダスさん……逃げ、て……」


 そう返すことしかできず——











 憐れみを捨てろ。


 慈しみを捨てろ。


 怒りに燃え上がれ。


 憎しみに狂え。


 そして、分からせてやれ。


 貴様は、この世から消えるべき命なのだと。


「……おじさん、だぁれ……?」


「私か? 私は、シャール・ウェイス」











「——貴様の、

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