第六十六話 血塗れの敗走
皆が戦いに行ってから時間が経ち、空は赤く染まっている。
皆の帰りを門の前で待っているが、帰ってくる気配は一切無い。
「遅いですねー、マートさん」
ダス・ルーゲウスの幼馴染、イギティ・メゼルがそう言ってきた。彼女もまた、戦いに行った皆の帰りを待っている。
間延びした口調で彼女はそう言ったが、その言葉とは裏腹に彼女はどことなく苦し気な表情で地平線をじっと見ていた。
——やはり、友人が心配なのだろう。
「ダス・ルーゲウス達が心配か?」
そう問い掛けると、彼女はそのままじっと地平線を眺めながら口を開く。
「……そりゃそうですよ。相手はあのボスカルの獣ですよ? 確かにダスは強いですけど、だからといって無事とは限りませんし」
彼女の言葉も道理だ。何せこれまで何者も寄せ付けず、実際我々も縄張りを突破することが能わなかった相手である。
最悪の場合、死んでいる可能性さえある。
……今の彼女の言葉が、頭の中で反芻される。
「私のこと、恨んでいるか?」
「え?」
口を衝いて出た言葉を聞いて、彼女は目線をこちらに移してきた。
「……失敬」
だが、口を衝いて出たとはいえ、私の言った言葉だ。
はぐらかすというのは、礼節を欠く行為であろう。
「……お前の友人とその仲間を死地に送ったのだ。恨まれるのも当然だ」
私の言葉を受けて彼女は呆然とこちらを見つめ——
「……見た目怖いけど良い人ですよねー、マートさんって」
全然関係無い返答が来て面食らった。
「だから統治者になれたんでしょうけど……それはさておき、だとしたら私もダスやミーリィちゃん、ポン君に恨まれていると思いますよ。私もダスに頼みましたし」
「何と」
彼等を引き留める側かと思っていたが……寧ろ依頼するとは意外だ。
彼女は目線を移さず、怪訝そうにこちらを見つめていた。
「……どうしたんですか? 突然そんなこと聞いて」
……人に話すことでは無いのだろうが、自分から切り出したことだ。それに答えないこともまた、礼節を欠く高位だろう。
多少躊躇いを覚えるが、重い口を開けて言葉を紡ぐ。
「……ボスカルの獣が現れてからそうしているように、私はエトロンを守る為、そして帝国と戦う為に多くの物と人を犠牲にしてきた」
そもそも私がエトロンの統治者になったのも、その為だ。
しかしその所為で多くのものを戦いに投じ、そして多くのものを失ってきた。私の歩んできた道は、その失ったもので舗装されていると言えるだろう。
「だからこそ、時々苛まれるのだ……恨みを買っているのではないかと」
魘されることさえある。
私の所為で消えていったものが、そしてそれに関わりのあった者が、私に怒りと憎しみを向けているのではないかと。
私の言葉に、彼女はただ呆然と見つめているだけだった。そして何かを考えるように空を見上げて唸り——
「少なくともマートさんに恨み言を言っている人は見たこと無いですよ、私は。というか私も恨んでませんし」
真っ直ぐな視線と共に放たれたその言葉に心臓が跳ね上がった。
「んー何と言うか、人間って意志のある人間についていくものだと思うんですよね。例えばマートさんはエトロンの為に尽くしているじゃないですか。それに共感して、同じ道を歩みたいからこそ、命を懸けるんじゃないんですかねぇ?」
彼女のその反応を聞いて、言葉を失った。
——私と同じ道を歩みたいから、命を懸ける、か。
思わず微笑みが零れ落ちた。
「そうか——」
「——! マートさん!」
彼女の叫びを受け、咄嗟にその目線の先を向く。
地平線の向こうから現れたのは、空を飛ぶ小さな影。その影の背後からは流星のように何かが伸びており、こちらへと飛んでくる。
戦車の影は無い。
その光景に私もイギティ・メゼルも言葉を失った。
——いや、まだ分からない……まだ……
戦車が後から現れる、戦車が壊れただけでボスカルの獣は討伐できている——などと思い込むが、飛来する影がはっきりと分かる程に大きくなっても他の影は現れなかった。
その影の正体は、ダス・ルーゲウス達三人。流星のような何かは、彼が魔術で生み出した水だ。
門の前に着地するように落下していき——
そこで気付く。
三人とも血塗れだ。特にポンが酷い。まるで彼自身から大量の血が噴き出したかのようで——
「イギティッ! 医者はどこだッ! ポンが……!」
ダス・ルーゲウスの悲鳴じみた叫び声が響いた。
「わ、私が連れてくっ!」
「わたしも行きますっ!」
「ダス・ルーゲウス!」
ダス・ルーゲウスを呼び止めた。彼はミーリィ・ホルムにポンを渡し、鉄球付きの足枷が付いているような重い足取りで歩いてきた。
……その様子だけで、戦いの結果が分かる。
「ボスカルの獣は……!?」
「……………………すまない……」
その返答は、果たして討伐の失敗を告げる謝罪であった。そして彼等以外誰もいないということは、彼等以外は全滅したのだろう。
——ボスカルの獣は、こちらの想像以上の魔獣なのか……
再び言葉を失い、俯く彼を呆然と見つめてしまう。
「……いや、誤らなくていい。お前達はよくやった。また別の策を考えよう」
彼に掛ける言葉はそれしか見つからなく、彼からの返事は何も無かった。
エトロンはさながら海の上にあるような都市で、市街地の道のように水路が張り巡らされている。
街の中心は海の広場とでも言うべき場所で、水神エヴリアの像を中心とした円形の広場が形成されている。
……暗い気分の時の夜にいつも行く場所だ。
船着き場に足を踏み入れ——
「ダスさん……」
背後から聞こえてきたのはミーリィの声だった。ここに来ているということは、大方イギティから話を聞いたのだろう。
「……どうした?」
「ポン君は無事でした。目を覚ましてもいますけど……今はそっとしておいてくれ、とのことです」
「そうか……」
ポンの無事を知らせる言葉に、しかし暗い気持ちは晴れない。暗雲はずっと立ち込めたままだ。
「イギティさんにここにいるだろうって聞いたんですけど……」
そう言って彼女は訝しげに船着き場を見つめた。
「よく舟に乗っている……来るか?」
俺の言葉に彼女は少し時間を置いて頷いた。ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきて、彼女と一緒に舟に乗る。
舟を漕いで広場の中心部へと向かい、そこに停留させる。
溜息を吐いて舟に寄りかかる。
脳裏に浮かぶのは、共に戦い、散っていった仲間達の姿。そして討伐することのできなかったボスカルの獣の姿。
——俺の所為で、討伐できずに全滅してしまった。
俺が強ければ、ちゃんと考えていれば、勝てた戦いであったろうに。
そのどちらも俺には足りなかった。その所為で皆が死に、ポンが酷く傷付いた。
胸の内にあるのは、傷付き散っていった仲間達への罪悪感と、弱い己に対する激しい怒りのみだった。
「——糞ッ!」
思わず手を振り上げてしまった。その勢いで状態も起き——
「——ッ!」
ミーリィの酷く怯えた姿が目に映って冷静になれた。
——そんなことしたって、何にもならないだろうに。
「……悪い」
振り上げてしまった手をゆっくりと下ろす。己を苛む罪悪感と怒りを堪え、大きく息を吸って落ち着かせる。
だが当然、そんなものは効果が無い。
たった二人だけの海の上、沈黙がこの広場を包んでいて、聞こえるのは波の音のみ。
「……ダスさん」
ミーリィが静寂を破った。彼女は重い口を開け、躊躇いながらも言葉を紡ぎ続ける。
「……言っても自分を責めてしまうと思いますが……ダスさんは何も悪く——」
「いや、俺の所為だ」
そのつもりは無かったのに、否定の言葉が口を衝いて出た。
ボスカルの獣の行動は魔術を理解していればちゃんと対処できたはずで、実際その対処ができたはずだ。
だが、それを失念していたのだ。敗北が自分の所為では無いなんて、言える訳が無い。
彼女の許しの言葉を受け取る権利など、俺には無い。
彼女も俺も、その後口を開くことは無かった。
空に輝く星も月も気分が晴れるくらいに綺麗なのだろうが、それを眺める為に頭を上げる気力さえ無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます