第三十八話 追憶 ~戦友~

「……何だ?」


 ボリアの公園の長椅子に座って巨槍の手入れをしている時であった。


 目の前に現れた、教団の魔卿の証である白と金の豪奢な印象のキムスに身を包んだ男——見覚えがある。

 ボリアのネドラ派を統括する男、名は確かジャレン・ラングルと言ったか。腐敗したネドラ派としては珍しく、善人だという噂を聞いたことがあるが……果たして。


「貴方がダス・ルーゲウス殿ですか? 地を這う者達アポラストを壊滅させた『ファレオの魔獣』——噂は聞いております」


 微笑を浮かべ、人当たりの良い柔和な口調で話しかけてきた。

 俺の噂を知っていることに、今更驚くことも無い。各地で『ファレオの魔獣』だと持て囃され——鬱陶しいことこの上無い。


「俺の噂、か——お互い様だな。それで、用件は?」

「いえ、特にありません」

「そうか、特に無い——は?」


 手入れしていた巨槍に向けた目が、すぐに再び彼に向けられた。


「お前、何のつもりだ?」


 途端に怪しくなった男を睨む。敵意剥き出しの視線を受け、しかしそれでも尚彼は微笑を崩すことは無かった。

 ネドラ派の腐敗もあり、その表情が酷く怪しく思えて仕方が無かった。


「不快に思われたら申し訳ありません。ボリアは破落戸が多く、いつかお世話になることと思いますので、挨拶を——」


 ジャレンの言葉を轟音が遮った。それと同時に遠景で煙が上っていくのが見える。


 ——噂をすれば。


「……早速、ですね」


 呆れた声でジャレンはそう零した。


 巨槍を携えて立ち上がり、煙の上る方へと駆け出し——


「私も行きましょう」


 後ろから声を掛けてきたジャレンが、駆け寄って来て俺の隣に並んだ。


 ——正直、怪しそうな奴だが……


「……好きにしろ」


 これが、ジャレンとの出会いであった。






 ジャレン卿と出会ってから、何年かが経過した。

 ボリアを訪れ、いつものように教団の礼拝堂へ足を運ぶ。


「あ、ダスさんじゃないですか。久しぶりですね。ジャレン卿ですか?」


 頻繁では無いが、何年も通っていることもあって、殆ど交流の無い教徒達にもすっかり顔と名前を覚えられている。

 そして、その目的も同様だ。


「ああ、今は大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。少々お待ち下さい」


 教徒はそう言うと扉から奥の方へと消えていき——


「久しぶりですね、ダス・ルーゲウス殿」


 少しして扉の向こうから現れたのは、果たしてジャレン卿であった。いつも通りの柔和な微笑と豪奢なキムス。


「久しぶりだな、ジャレン卿。本部に戻るから、ついでに寄ろうと思ってな」


 俺の言葉に、彼は微笑を零しながら応える。


「そう思って頂けるなんて嬉しいですね。どうです? 食事でも行きませんか?」


 ジャレン卿との食事——ありがたいことに、彼はいつも食事を奢ってくれる。ファレオの財政的に嬉しく、またボリアには料理店が山のようにあるので毎回違う食事を楽しめる。


「勿論だ。いつもすまない」


 そして俺達は礼拝堂を後にして食事をしに向かった。


 訪れたのは、エトロンで取れた魚を使った魚料理の店だ。注文を済ませ、後は料理が届くのを待つだけである。


 ——懐かしい。


 エトロンは俺の故郷で、餓鬼の頃はよく魚料理を食べたものだ。まあ今でも、エトロンを訪れた時はよく食べているのだが。


「何か、いつにも増して楽しげですね」


 微笑混じりに言われたその言葉で、高揚した気分が表に出ていることに気付く。確かに、今は色々と楽しい気分である。


 ……同時に、少しばかり心苦しくもあるが。


「……エトロンは故郷でな。よく魚料理を食っていたんだ」


 自然と、郷愁が口から零れ落ちていた。その言葉の意味を察したのか、ジャレン卿の顔から微笑が消えた。


「……ブライグシャ戦役、ですか」


 ブライグシャ戦役——ブライグシャ地方の国々と新ダプナル帝国による戦争にして、人間の時代で最も悲惨で凄惨だと言われている戦争。

 餓鬼の頃、俺は戦争で全てを失った。今でも時々思い出しては魘される程に、あの戦争は凄惨であった。


「ジャレン卿を悪く言うつもりは無い。あれはあくまで帝国が行った戦争で、それにジャレン卿は関わっていた訳では無いだろう」


 いかに帝国の国教がネドラ派と雖も、いかに戦争の目的にネドラ派の流布が含まれていると雖も、それはジャレン卿には関係の無いことだ。

 帝国は憎いが、ネドラ派まで——況してやそれに関わっていないであろう教徒にまで憎しみを向けるような真似はしない。


「俺は戦争で全てを失って——ファレオに属すると決めた。魔術に苦しめられる人がこれ以上現れないようにする為にな」

「……そうでしたか」


 そう言ったジャレン卿の顔には、再び微笑が浮かんでいた。それはどこか、過去に思いを馳せているようにも思えた。


「……私達、似ていますね」

「は?」


 ジャレン卿が微笑を浮かべながらも重々しく言い放った言葉を、すぐには理解できなかった。

 その言葉を反芻し——そして理解する。


「私も、昔は魔術に苦しめられていました。貧民街で育ち、闇市場で手に入れたであろう魔腑を持つ破落戸達に苦しめられ——そして、教団に救われました。その時に、教団に入信して私も人々を救いたいと思いました」


 そういえば、聞いたことがある。ネドラ派には魔術に苦しめられた人が入信する傾向があるのだと。

 それは、魔術に苦しめられたから自分も強大な魔術を行使したいという思いから来るもの——そう思っていた。

 けれど、実際そういう奴もいるのだろうけど、そうでない人もいる。


 ——腐敗した教団だが、まだ腐敗しきってはいないんだな。


 ジャレン卿を見ながら、思わず微笑が零れた。そんな俺を不思議そうにきょとんとした顔で彼は見ていた。


「いや、何と言うか……ジャレン卿と出会えて良かった、って思ってな」


 所属する組織も、最終的な目標も違うけれど——同じような境遇で、同じように人々を救おうとする人がいて、本当に良かった。











 魔術は嫌いだ。


 魔術が無ければ、全てを失うことなんて無かった。


 魔術が無ければ、村の皆を、友人を、両親を——妹を、失うことなんて無かった。


 しかし最早魔術を消し去るなんて非現実的だ。


 だから——魔術を悪用する奴等を殺し尽くすと決めた。


 ——だから、殺した。


 奴が本性を現した時、殺すと決めた——否、或いは体が、脳が、本能が自然と動いて奴を殺した。


 躊躇いは一切無かった。


 後悔も無かった。


 ——だのに。


 それが湧いて出てきたのは、殺した後だった。


 奴との思い出が脳裏に湧いて出てきた。


 手段も、目的も、願いも——あらゆるものが違えど、人々を救いたいという思いは俺と同じだった。


 奴と交流してきた数年間は、満ち足りたものであった。友のように接してくれて、色んなことをした。


 その思い出が楽しかったことは、今でも本当だ。


「…………」


 頽れた亡骸をじっと眺める。殺すべき敵で、だからこそ殺した——なのに、胸は苦しく、切なさが体全体に広がっていった。


 ……俺は、戦友を殺した。


 数少ない、かけがえのない戦友を、殺した。


 また俺は、友人を失った——しかも、自らの手で殺した。


 あの日以来もう二度と失いたくないと思ったのに、もう二度と失うものかと誓ったのに、仲間を、友人を、自らの手で殺した。


 もう俺は——少なくともこの世界では——彼に会えない。


 あの楽しかった日々を繰り返すことは、もうできない。


「……なあ」


 弱々しい声が自然と零れ落ちていた。それが彼に向けられたものなのか、今は亡き友人達に向けられたのか、誰にも向けられていないのか——それは分からなかった。


「…………何が、正しかった……?」


 殺すべき敵なのに、この手で殺した敵なのに——ずっと彼は、戦友だ。

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