第十六話 その真の名は

 黒装束達——もとい、ジャレンさん達から逃げて、森の中へ入る。月と星の光が届かず、暗く冷たい。風で葉がざわめく音と、鳥の声がよく聞こえる。

 すぐ追いつかれるだろうが、傷を治し、服を直す為の時間が欲しい。


「クソッ! 魔腑欲しさに魔卿になる奴が多くて腐敗してるし、まともだと思ったジャレン卿はイカれてたし、そもそも魔皇ヴィラス・ノルバットがいるのかいないのかも分かんねぇし——訳分からん……もう連中とは絶対関わらねぇ……!」


 あまりの苛立ちからか、ダスさんはそう愚痴を零して大きく溜息を吐いた。確かに、わたし達は教団に属していないので訳が分からないが……


 そんなことより気になること、確かめるべきことがある。


 わたしは座って木にもたれかかるポン君を見る。ばつが悪そうに俯いており、金の前髪で表情が窺えない。


 ……先程見えた、あの右腕。

 完全な魔腑を持つ者は、普通は右腕が爛然と光り輝いている。しかし彼の右腕に関しては、光が腕の形をしているというか、腕が光になっているというか……わたしやダスさんとは異なり肌が見えず、白い光のみ、という表現が一番しっくりくる。


「……ポン君——」

「ごめん」


 それが何なのか聞こうとすると、突然謝られた。


「え?」


 不意の出来事に、わたしはそう反応することしかできなかった。


「怖くて言えなかった……けど、ちゃんと言うべきだった」


 俯き、声を震わせて彼は言う。金の前髪からちらっと見えたその顔は暗く、罪悪感に満ちている。


「おれだけが狙われるなら良かった。でも、実際はお前らも殺されそうになって……」

「き、気にしないで大丈夫だよ! 今こうして生きているし!」


 まあ正直死ぬかと思ったが、わたしは君を守ると誓った。それに、帝国に身柄を確保されたら、碌でも無い扱いを受けるのは確実だろう。

 彼の抱いた罪悪感を払拭するようにわたしは宥める。しかし、当然ながらそんな言葉で彼の顔が晴れる訳が無い。


「……正直、お前らのことはまだ怖いし、よく分かんない……見知らぬ餓鬼に命張るのも訳分かんない……けど、良い奴らだとは思う。だから……」


 そう言うと彼は躊躇うかのようにより深く俯く。内に秘めた相反する思いがぶつかって苦しんでいるかのように顔を歪め、そして彼は顔を上げる。

 意を決した顔、声の震えは消えて真っ直ぐに放たれ——






「ポン・——






 千年以上前に滅びたはずのゲロムスの魔術師、そう彼は言ったのだ。


「——え?」

「は?」


 わたしもダスさんも、突然突き付けられた事実に愕然としてそう零すことしかできなかった。


「え? 魔術師? ゲロムスの魔術師? あの滅びたはずの?」


 訳も分からず、思った言葉がそのまま口から出てくる。


「ずっと滅びたって教えられてきただろうから、そういう反応をするのも無理は無いが……普通に考えて、強大な力を持っている奴らが簡単に滅びるか? ずっと隠れて生きてきたんだよ」


 どこか呆れたような声音で彼は言った。まあでも、言われてみれば確かに……そう考えると、東方の賢者や北方の戦の民も実は滅びていなかったりして。


 それと、ポン君の右腕についても合点がいく。わたし達のように魔腑を外から得ているのでは無く、ゲロムスの魔術師は生得的に魔腑を持っている——同じ完全な魔腑を持ちながら、わたし達とポン君とで右腕の輝きが違うのは、それによるのだろう。


「え!? 本当!? えー凄い——って、興奮している場合じゃないか」


 わたしの抱いていた訳の分からない思いは興奮へと変わっていった。

 滅びたと言われるゲロムスの魔術師が生きていたのだ。いかに危険な状況とはいえ、そう簡単に興奮が収まるものでは無い。


「……あー、成程。教団と帝国の狙い、何となく分かった」


 興奮するわたしをよそに、何かを理解したダスさんが嫌そうな声音でそう言い、嘆息を吐いた。彼はポン君を見遣って続ける。


——連中の狙いはそれだろ?」

「ああ、その通り」


 言っていることは聞き取れたが、その真意は理解できず、わたしは黙って訝しげな表情を浮かべた。

 それに気付いたポン君が、こちらを向いて説明する。


「魔術師の王の魔腑ってのは、簡単に言うと、調魔腑だ」

「調整?」


 疑問の声を零したわたしに、彼は続けて言う。


「魔術は『基礎魔術』、『特化魔術』、『奇跡魔術』の三つの段階に分かれていて、それから奇跡魔術であっても行使できない魔術があるだろ? それらは最初からそう定められていた訳じゃなくて、後から調整したものなんだよ」


 言われて気付く。そういえば特化魔術は魔腑の本来の持ち主の職業に応じて異なるのであった。当然仕事は生まれた時に既に決まっている訳が無く、魔腑の調整が必要となる。


「ゲロムスの魔術師の王は代々その能力を継いできた訳だが——それが、奴らの狙いだ。魔術師の王の魔腑を得て、魔腑を調整し、都合の良い魔術を行使できるようにするんだ」


 成程、何となく理解できた。魔術師の時代に存在した燎原隊、氷壁隊、流星隊、天使隊——それらのような戦闘面で強力な兵隊を作るよう、或いは魔術師の時代のような生活が完全に魔術で成り立つ世界にするよう調整するのだろう。

 だが——


「……でも、それってポン君達にとって好都合じゃないの?」


 傷付くかもしれないが、言葉を選んでそう言った。


 勿論碌でも無い扱いを受ける可能性も否定できない。しかし、魔腑を調整できるのであれば、帝国に協力してかつてと同様の地位を得られる可能性もあるだろう。それに、そうなれば隠れて生きる必要も無くなる。魔術師にとっても人間にとっても好都合ではないだろうか?


 そう訝しげに尋ねると、ポン君は落胆したように顔をしかめて溜息を吐いた。


「……おれ達には強大な魔術があった。だからこそ、魔術師の時代は終わり、ダプナル帝国は、魔術師は……おれ達を残して滅びた」


 再び理解できず疑問の表情を浮かべるわたしに、彼は続けて言う。


「魔術師が滅びた原因は——まあ終わりの者も関わっているが、一番大きいのは魔術師同士、そして魔術師と人間の争いだ」


 滅びの要因として挙げられたのは、災厄の魔獣『終わりの者』と人間、そして彼ら魔術師であった。


「終わりの者が消えた後の荒廃したゴーノクルでの権力争い、魔術師の王の魔腑を狙う奴ら。魔術による殺し合いが繰り広げられ、沢山の魔術師が死に——そこに当時奴隷だった人間、特にネドラ派の反逆が起きた」


 その一言で、ネドラ派を国教とした新ダプナル帝国が成立した理由が何となく分かった。それを証明するように彼は続ける。


「魔腑を喰らったネドラ派が、魔術師を殺した。それが決定打となってダプナル帝国は滅び——その結果ネドラ派が力を得て、新ダプナル帝国を建立した」


「本来生活を豊かにするものであった魔術が、殺しの道具と化す、或いはそれ目的で殺し合いが起こる——といったところだろ。これだから魔術は嫌いなんだ……」


 そう言って溜息を吐いたダスさんに、ポン君は「ああ」と肯定した。


「そうなれば、魔術師どころか人間も滅ぶ可能性がある。仮に滅ばなくても、こんな腐った世界じゃ魔術で虐げられる人達も出てくる——実際、魔術師の時代にもあったし。だからおれ達は隠れて生きることを選んだ」


 そして彼は俯き、その顔に暗い影を落とす。


「けど、その結果がこれだ……帝国はおれ達が隠れているソドック王国と、その周囲の国々に兵隊を向かわせ、おれと父さんと母さんはこうして狙われ、それからお前らを危険な目に合わせた」


 ラードグシャ地方の国々と新ダプナル帝国の緊張状態——これも魔術師を巡るものだったのか。

 それに、教団と帝国は魔術師の王の魔腑を手に入れる為には殺しを厭わないようだ。確かに危険である。だが——


「だから、そんな争いに付き合わせてごめん。おれはもう一人で——」

「大丈夫、とことんまで付き合うよ。ね、ダスさん?」

「ああ、勿論だ……腐敗した組織だ、魔術師の王の魔腑を手に入れたらどうせ碌なことにならん」


 ——だからこそ、わたし達が協力しないといけないと思う。魔術の濫用を防ぐファレオとして、そしてポン君を守ると誓った者として。

 そう言うと、ポン君は呆然としてわたし達を見た。わたし達の発言を、思考を理解できないかのように口をぽかんと僅かに開けていて、そして溜息を吐く。


「……訳分かんない。何で見ず知らずの餓鬼に——」

「待て、静かに」


 急にダスさんがそう言い、わたし達は咄嗟に黙った。彼は耳をそばだてて森の奥の方をじっと眺め——


「来た、多分奴らだ」


 黒装束達——最初に遭遇した時と同じだ。いかに森の様相を呈しているとはいえ、所詮は大都市の中にある小さな森だ。すぐに追手が来る。


「やっぱり早いですね……!」

「逃げても埒が明かない——ミーリィ、を」

「了解です!」


 そう言われ、わたしはダスさんとポン君に触れる。


「待てミーリィ、何すんだ?」


 そう不安げに尋ねてくるポン君に、その不安を宥めるよう言う。


「隠れるよ」


 そして願う——わたし達の姿を消せ。


「——ッ!? 何だ!?」


 ポン君は自分の姿——あるべきはずの体が消えていることに愕然として叫んだ。同様に、わたしの姿もダスさんの姿も消えている。


 わたしの特化魔術は、隠れることに特化した魔術である。これはそのうちの一つである姿を消す魔術だ。便利だが、魔粒の消費量が多く、長時間使えない点は問題である。


「声は消えないから静かにね。木には登れる?」

「木に登るくらいなら、できる」


 ——脚力を強化しろ。彼の言葉を聞いてわたしはそう願い、木の上に跳躍する。それに続いて、ダスさんもポン君も木の上へと跳躍してきた。

 そして木の上から下を眺め——


 ——来た。


 そこに現れたのは、やはり黒装束達であった。わたし達の下を彼らが通っていく。地鳴りのように轟く足音、何十人も走っている姿——それはまるで雪崩のようである。


 走り去るのを待ち——全員いなくなったところで魔術を解除する。


「行ったみたいですね——ダスさん、どうします?」


 そう言ってわたしはダスさんを見遣る。彼は特に考えもせず、すぐに答えた。


「ここから逃げて、一旦ファレオの本部へ行くぞ」

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