第十四話 夜襲

 硝子の割れた音が響き、わたしは目を覚まして咄嗟に起き上がる。


「何っ!?」


 かっと見開いた目で周囲を見回し——黒装束を纏った人が、ポン君を捕まえていた。口を塞がれた彼は、涙目でもごもごと叫び声を上げている。


 ——ずっと追われていた? 浴場の破落戸達? それとも別の——


 色々と考えかけ、思考を止める。そんなことより今はポン君を助けることが最優先だ。


「ポン君を放せッ!」


 鉄棍を掴んで跳躍し、振り下ろす。しかしその一撃は躱され——


「ぐっ……!」


 短剣で首を突き刺された。引き抜かれると同時に血がぶわっと溢れ出る。その痛みに体勢を崩し、膝が床に着く。


 ——傷よ治れ!


 咄嗟に願って傷を治し——その隙に、黒装束は破壊された窓から身を乗り出して逃げようとしていた。

 ——まずい、このままじゃ——


 ダスさんの激流の弾丸が、黒装束の背中を撃ち抜いた。


「——ッ……!?」


 黒装束は膝から崩れ落ち——捕らえていたポン君を外に放り投げた。


「うわぁ————————っ!?」

「ポン君!」


 わたしも窓から身を乗り出してポン君を捕まえようとし——


 どこからともなく現れた黒装束の仲間が、彼を空中で捕まえた。


「クソッ、放せッ!」


 必死に抵抗する彼の声はどんどん遠ざかっていく。窓から外に出て石畳に着地し——


 銃声が響き、次の瞬間には弾丸がわたしの体を貫いた。


「くぅ……!」


 痛みを堪え、宿の一階の窓を鉄棍で破壊してその中に逃げる。


「きゃあ————————っ!?」


 部屋の中にいた女性二人が恐怖に震えて抱き合い、甲高い悲鳴を上げてわたしを見ている。


「あ、ごめんなさい!」


 二人に一声謝り——


 壁が破壊され、轟音を立てて崩れていった。


「ぎゃああああ————————っ!?」


 女性二人は部屋から逃げていき、わたしは鉄棍を構えて崩れた壁をじっと見る——そこには、人の体の倍くらいの大きさであろう大剣を持つ黒装束の姿がある。


 ——やはり、敵が多い。ポン君を連れ去る要員に、わたし達を足止めする要員——入念に準備されているようだ。


 黒装束が大剣を振り上げてこちらに迫ってくる。


 ——膂力を強化しろ。


 そう願い、鉄棍を構えて守り——しかしその重々しい一撃に吹き飛ばされる。

 壁に打ち付けられたわたしに、黒装束は追撃せんと大剣で壁を裂きながら再び迫ってくる。再び鉄棍を構え——


 ダスさんの激流の刃が、黒装束の腕を斬り落とした。右腕は大剣の重さもあって血を零しつつ床にどしりと落ち、黒装束ももがき苦しみながら床に倒れる。

 そんな彼の後ろにダスさんが現れた。既に何人か倒しているのか、服には返り血が付着している。


「敵はまだいるみたいだ……埒が明かない。ポンの救助を優先するぞ。ほら」


 歩み寄ってきたダスさんは手を差し伸べ、わたしは掴んで立ち上がる。そして大きく息を吸って呼吸を止め——


 どばぁん、と轟音を立てて生じた激流が、わたし達を呑み込んだ。激流は破壊された宿の壁の、その辛うじて残った部分を突き破り、ポン君を連れ去った黒装束を追う。


 ——冷気よ、水を凍らせて足場を作れ。


 わたしがそう願うと、わたし達の周囲が凍り、まるで小舟のような足場になる。激流は上方に進んで市街地の家々と同じ高さになり——


「——うわっ!?」


 ここで初めて敵の多さに気付いた。数十、もしかしたら数百もの黒装束が、わたし達の泊まっていた宿を包囲するように屋根の上で待機していた。

 彼らの銃口が一斉にわたし達に向けられ——


「飛ばすぞッ!」


 この大都市全体に響きそうな程の銃声が轟く。それと同時にダスさんが激流を更に生み出して氷の小舟を突き飛ばし、躱す。

 その勢いに髪が後方へぶわっと広がる。吹き飛ばされないように小舟にしがみつき、前方を見遣る——ポン君を抱えて屋根の上を跳躍している黒装束、その小さい影が見えた。


「あれですっ! ダスさんもっと速くできますかっ!?」

「ああ分かってる!」


 苛立ちの交ざったような声で彼は答え、小舟を突き飛ばした激流がそのまま伸びてさながら線路のようになり、突き飛ばされた氷の小舟は着水して黒装束を追う。

 距離は着実に縮まっている——が、それでも焦燥感に駆られてしまう。胸は苦しく高鳴り——


 わたしの体を銃弾が掠めた。咄嗟にそれが飛んできた方を見遣る——既に屋根の上で待機していたであろう黒装束達の姿が、そこにあった。反対を向いても、同様に黒装束達の姿。


「まだいるの……!?」

「銃撃は無視しろ! どうせ大体外れる! 近付いてきた奴だけ叩き落とせ!」


 そう言われ、鉄棍を構える。なるべく体勢を低くして銃弾が当たらないようにし——


「来ますッ!」


 前方に両側の屋根から飛び移ろうとしているとしている敵影が見えた。彼らは飛び降り——


「おうよッ!」


 ダスさんが巨槍を構え、横に薙ぐ。その穂先が中空に描いた一閃は激流の刃となって飛び、黒装束達の体を真っ二つに斬り落とした。


 しかし視界にはこちらに飛び移ろうとしている黒装束達が映っている。迎え撃たんと鉄棍を構え——


「——ッ!?」


 体が後方に思いきり引っ張られた。その勢いのまま小舟の外に放り出される。その瞬間に、小舟にしがみついていた黒装束の姿が見えた。


「ミーリィ——」


 家々の間を落ちていき、ダスさんの声が遠のいていく。見上げると黒装束達がわたしを討とうと、屋根から降りてくるのが見えた。


 ——次々と来るし、圧倒的に不利——でも、こんなところで終われない。


 水で濡れた石畳に手を突いて着地し、願う。


 ——無数の水の玉を生み出し、凍らせろ。


 そうしてできた無数の氷の玉が、頭上から降ってくる。それをじっと見据えて鉄棍を握り——


 ——膂力を強化しろ。


 そして頭上の敵目掛けて全力で振るう。激しく打ち出された氷の玉は、粉砕されて散弾となって飛んでいく。


「ぐっ……!?」


 氷の破片が突き刺さって体勢を崩した黒装束達が、どさどさと体で着地していった。その隙に逃げる——が、やはり全ての敵の足止めができた訳では無く、次々と何人もの追手が来る。


「やっぱり全員は駄目かぁ!」


 思わず声に出して愚痴り、銃弾の飛ぶ街路を、石畳の上に僅かに溜まった水を踏んでびちゃびちゃと音を立てながら駆ける。


 ——ん、水?


 そういえば、雨は降っていなかったのに水が溜まっている。ダスさんの激流から出たものだろう。


 ——これは使える。


 そう思い、わたしは願う。


 ——冷気よ、溜まった水を凍らせろ。


 すると冷気が足下に満ち、溜まっていた水が凍る。


「クソッ、弾が当たらな——」


 先頭にいた黒装束が、足を滑らせて転倒した。後続の黒装束達も、続々と転倒していく。冷気で水を凍らせて滑らせ、足止めするという寸法だ。足を滑らせる作戦は成こ——


「っだァ————————ッ!?」


 わたしも派手に転倒し、そのまま氷の膜の上を滑っていった。自分の後方だけ凍らせるよう願わなかった結果がこれである。


「い、痛い……」


 冷気の魔術が及ばずに水が凍らなかった所で、鉄棍を使って立ち上がり、膂力が強化された脚で跳躍して激流の中に飛び込む。

 猛烈な勢いで流されていく中で泳いで進み、ダスさんの乗る氷の小舟に接近する。


「——ッ!」


 ざぶんという音が聞こえ、何かが激流の中に入ったと気付き、後ろを向く——武器を持った黒装束達の泳ぐ姿が、そこにあった。


 ——どこまで追ってくるの!?


 先程と同様の過ちを犯さないようしっかり言葉を考えて、願う。


 ——冷気よ、わたしの後方の水を凍らせろ。


 わたしの後方に冷気が広がっていき、火が燃え広がるかのように水が凍っていく。


「——ッ!?」


 それに気付いたようだが既に遅く、彼らは逆行しようとしたもののあっけなくその体ごと水が凍ってしまった。激流を流れていた氷は自重に耐えかねて落下し、石畳にぶつかると同時に砕け散る。

 それを見届けてわたしは再び泳ぐ。小舟との距離は段々と縮まっていき——


「っは————————っ!」


 小舟を掴んで顔を出すと同時に、大きく息を吐いた。鉄棍を放り投げて中に入れ、両手を使って小舟に乗る。


「無事か!?」

「ええ、何とか……いや体が微妙に痛いですね、やっぱり」


 ——痛みを消せ。そう願い、体前面に感じていたひりひりする痛みを消す。


「ポン君は——」


 そう言って小舟の前方へと進み、ポン君を連れ去った黒装束の姿を探す——その姿は、もうすぐそこであった。

 後ろを向いた黒装束はこちらの姿を認め、焦ったかのように急ぎだす。


「ここまで来れば——」


 巨槍を構えたダスさんはそう言うと跳躍し、さらに激流を発生させて自分の体を打ち出す。

 砲弾のように打ち出された彼の体は一瞬にして黒装束に肉薄し——


 その体を真っ二つに斬った。二つに分かれた体は、ポン君を放して落下していく。


「ポン!」


 同様に落下していくポン君に、彼は再び激流で体を打ち出して急接近し、確保した。ポン君を守るように抱えたダスさんは、その勢いで屋根の上をごろごろと転がり、巨槍を突き刺して止めた。


「ダスさん! ポン君!」


 小舟から跳躍し、二人のもとへ駆け寄る。


「ポン君大丈夫!? 怪我は!?」


 恐怖に満ちた顔で荒い息をしている彼に捲し立てた。彼はその表情のままこちらを向いて言う。


「……生きた心地がしねぇ……」


 ずっと追われていた相手に深夜に奇襲され、拉致されかけたら生きた心地もしなくなる。わたしとしても、ポン君がそのまま連れていかれてしまったらと考えたら——


「おい、一息ついたところ悪いが早く逃げるぞ」


 ダスさんにそう言われてはっとする。ポン君を取り戻すことはできたが、まだ黒装束達から逃げられた訳では無い。


「それじゃあ、ポンを頼む」


 そう言うとダスさんは激流を生み出してそれに飛び込み——


「——ッ!? ダスさん避けてっ!」

「あ、何を——ッ!?」


 猛然とこちらに迫ってくる何かが目に入り、わたしはポン君の手を掴んで躱す。


 ——急に何!?


 躱してそれが横切った時、初めて何かが分かった——炎だ。石畳の街路から湧いたかのような炎の壁が猛然と進んできて、わたし達のいた家を呑み込んで燃やした。

 その炎はそこで止まらずに連なる家々をも燃やし、その中にいた人々と、それに気付いた人々の悲鳴が深夜の閑静な街に響き渡る。


 咄嗟に躱したから、上手く着地できない。ポン君を守るように抱え——体が石畳に激しく打ち付けられた。


「ぐっ……!」


 全身にびりびりとした衝撃と痛みが走る。石畳の上を数回転がり、そして止まった。


 ——痛みを消せ……!

 そう願って痛みを消し、ポン君を放して体を起こす。


「ッ……大丈夫か……?」


 ポン君も体を起こしつつ、どこか苦しげに声を掛けて——


「って、大丈夫!?」


 その苦しみの原因が分かった。ポン君の右腕が炎に呑まれていたのだ。袖と包帯が燃えて消え、右腕が晒されているのが一瞬見えた。


「いや……大丈夫……自分で治せる」


 わたしが見たからか、ポン君は咄嗟に右腕を自分の体で隠すようにし、魔術で治すような素振りを見せる。


「ミーリィ、大丈夫か!?」


 ダスさんが心配そうに駆け寄ってきた。そんな彼に、立ち上がって無事を示す。


「はい、わたしは大丈夫ですが、ポン君が——」

「大丈夫ですか?」


 突然優しげな声が聞こえ、その方を見遣る——


「あ、ジャレンさん!」


 そこにいたのはヘローク教団ネドラ派魔卿のジャレンさん。どうやら彼が助けに来たようだ。先日の件もあり、とても心強い。


「ポン君! もう大丈夫だよ! ジャレンさんが手伝って——」


 予期していなかった協力者の来訪に、わたしは喜んでポン君の方を見て——


「——ダス、さん……?」


 ポン君だけでなく、

 ポン君が警戒心でジャレンさんを睨むのは分かる。でも、何で、ダスさんまで——それに、巨槍を構えて——


 ——ジャレンさんの奇跡魔術は、


 瞬間、背筋にぞわっと悪寒が走った。突然現れた明るい希望は、また突然にどす黒い絶望へと変貌した。

 そしてわたしはジャレンさんの方を見遣る——


「良かったです、殺すことは本意ではありませんから……ええ、お察しの通りです」


 いつも通り、彼はにこにこと微笑んで言った。あの時と変わらない朗らかな笑みが、途端に冷酷で恐ろしいものに感じる。

 彼の後ろに続々と黒装束達が現れ——


 ポン君を狙う黒装束、そしてそれを統率する者——


「先日ぶりですね、お二方。そして——ようやく見つけましたよ、

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