第十一話 ミーリィ・ホルムの欲望

 旧市街地に向かった日の翌日。


 わたしはポン君と一緒に商店街に来ていた。目的は、服を買うことと、風呂に入ること。

 今日はダスさんとは別行動をとっている。というのも、わたしの方が知名度は低く、その分見つかりづらいからだ。そう、つまり——


 ポン君に好き勝手できるのである——!


「おい……」


 ポン君は呆れた声を出し、こちらを睨んでくる。出かける前に髪を切ったので、伸びていた金髪は短くなり、清潔感を感じさせる。

 苛立ちと共に睨まれるのもなかなか悪く無いが、わたしはそんなことを意に介さず、ムスを試着した彼の姿を見てうんうんと頷く。

 白を基調とした、鮮やかな花の描かれたムスだ。筒状の裾の下の方に行くにつれて、まるで上から落ちてきているかのように花の数が増えていく。


 最初にこれを見せた時の心底嫌そうな顔は記憶から消して、ムスの上に羽織るキムを探しに子供服売り場に行く。

 うーん、と唸りながら並んであるキムをざっと眺め、その中で良さげな二着を手に取る。


「……黒の無地のものか、紺色のなんか色々と線があるものか……ポン君どっちが良い!?」


 そう叫んで問い掛ける。


「どうでもいい!」


 苛立ちを含んだ叫び声でそう返された。


「うーん、じゃあ黒か……?」


 紺色のムスを元の場所に戻し、黒色のムスを持って彼のもとへ向かう。


「はい、これに袖を通してー」


 わたしがそう言ってキムを差し出すと、彼は嫌そうな顔で渋々袖を通した。そしてわたしはキムの背中に付いている紐を掴み、彼の体の前側できゅっと結ぶ。


「それじゃあ前を向いて——」


 言われるままに彼はこちらを向き——わたしは興奮した。

 普段の棘のある、誰も寄せ付けないような態度を表しているかの如き黒色のキムを羽織り、その一方で白色で花柄のムスを着ていて、怖そうな態度の一方で実は可愛らしい趣味を持っているのかと感じさせてしまう。まあわたしが無理矢理着せた感じだが。

 或いは、本来は優しいけど、恥ずかしくてつんけんどんな態度を取っているという解釈も——


「おい……!」


 今度は怒気も孕んだ声で突っ込まれた。思わずわたしは彼の顔をじっと見る。


「お前何回これやるつもりだ……!?」


 確かにかれこれ十回近くはこのようなやり取りを繰り返しているが、少年を自由に着せ替えできるという貴重な機会を逃してたまるか。気が済むまでやるつもりである。


「いやー、よくよく考えたら値段少し高いなーって。ほら、ダスさんってかなりケチな人だから、もっと安い奴にしないと、ね!」


 などと取り敢えず嘘をつき、時間を稼ぐ。


「嘘つけ!」


 ばれてる。

 そう叫んだ彼は服を脱いではこちらに投げつけて元々着ていた服を着て、子供服売り場へずかずかと歩いていった。


 ——あれ?


 先程まで全然気付かなかったが、今になってある違和感に気付いた。


 ポン君は、まだ右腕の包帯を取っていないのである。魔術を行使し過ぎて、魔腑に蓄積されていた魔粒まりゅうが無くなり、それで再生の魔術が行使できなかったのなら分かる。

 しかし、魔粒はある程度時間が経てば十分な量が蓄積されるはずである。故に、再生の魔術が行使できないというのはほぼほぼあり得ない。何か理由があって包帯を巻いているのだろうか。


 などと色々考えているうちに、ポン君が服を持ってこちらに歩いてきた。一方は白色のムス、もう一方は黒色のキムで、両方とも無地である。


「これにする」


 そう言って服をわたしに投げつけてきた。わたしが受け取ったのを認めると、彼はまたずかずかと歩き出し、どこかに行ってしまった。


 ……正直、可愛い。






 服を買った後、ポン君は早速それに着替え、わたし達は服屋を後にした。人々の行き交う往来を歩き、公衆浴場を目指す。

 

「似合ってるね、ポン君」


 そう声を掛けると、彼は頬を微かに紅潮させ、金髪を揺らしてそっぽを向いた。わたしを殺す気か?


「クソ……熱い」


 そう言って彼は袖を捲り、右腕の包帯が露わになった。それを見て先程の疑問を思い出し、彼に問い掛ける。


「そういえばさ」

「あ? 何だ?」

「その包帯、どうしたの?」

「え」


 困惑や焦りなどが混ざった声を零し、彼は立ち止まった。彼は慌てふためいているかのように目をきょろきょろと動かし——


「あ、アレだ。お守りみたいなモンだ」


 言葉を詰まらせながらそう言った。


 ——何か隠しているんだろう。


 その慌てた態度からは、そのような印象が窺える。しかし——


「——そっか」


 わたしはそう微笑んで応え、それ以上追求しなかった。わたしとダスさんのことがまだ信用しきれていないのであれば、何よりその隠していることを言って彼が傷ついてしまうのなら、彼の胸の内にだけ留めておいた方が良い。


 わたしの返事を聞いて、彼は胸を撫で下ろして、どことなくほっとしたような表情を見せた。


 お互いに沈黙したまま歩いているうちに、公衆浴場の前に着いた。


「あ、着いたよ、ポン君」


 わたしが入るよう促すと、彼は疑問の表情を浮かべてこちらを見た。


「あ? 着いたって、どこに? 今日ここに来たのは、おれの服を買う為だろ?」


 その疑問は尤もである。何故なら、先日ダスさんの水の魔術で汚れとかが落ちたのもあって、彼からは「服買ってきてくれ」としか言われていない。


 つまりここに来たのはわたしの独断である。まあ実際汚れとかを落としきれてはいないと思うし、ここのところ溜まっていたであろう疲れを癒せるとも思う。反応を楽しむのはあくまでついで、ついでです。


「あれ? ダスさんから聞いてない? 『まだ汚れが落としきれていないだろうし、疲れも溜まっているだろうから、風呂に入った方が良い』って」


 嘘がばれないよう表情を取り繕い、さも事実であるかのように言った。そんなわたしの言葉に、彼は怒りも混ざったような心底嫌そうな顔をする。


「はぁ? お前……正気か? おれは追われている身だぞ? 一人で風呂なんか入ったら——」

「いやわたしとだよ?」


 わたしのその言葉に、彼は思考が止まったかのように黙り、少しして爆発したかのように顔が一気に紅潮した。


「はぁっ!? お前……はぁ!? お、女の方に、入れってか!?」


 猛烈な勢いで捲し立ててくる。良い反応だ。それを待っていた。


「おれぁ十歳超えてるんだぞ!? もうそんな年齢じゃねぇ! つか恥ずかしいわ!」

「大丈夫大丈夫! 大の大人の男性が入ってくるならまだしも、子供なんて気にするどころか目の保養になって皆嬉しく思うよ! あとそもそも子供なら女性の方入っても大丈夫だよ!」

「お前それ目当てじゃねぇよなぁ!?」


 ずばり言い当てられたが、彼の腕を掴んで引っ張り、勢いで誤魔化す。未だにか細い体は、軽く引っ張っただけでふわりと動いた。


「ほら、行くよ! お風呂で汚れと疲れを落とさないと!」

「クソッ! 離せッ! やめろッ!」


 微かに残っている力で全力で抵抗されるが、それをものともせずに引っ張り、わたし達は公衆浴場へ入っていった。






 裸になって手拭いを肩にかけ、湯気に包まれた浴場に足を踏み入れる。既に何人もの利用者がおり、湯船に浸かって談笑している。


「ほら、ポン君!」


 なかなか出てこない彼にそう言って、浴場に入るよう促す。しかし彼からの反応は来ず——


「…………クソッ」


 少し経って扉が開き、顔を紅潮させている彼は浴場に恐る恐る足を踏み入れてきた。肩身が狭そうに体を縮こまらせ、周囲をきょろきょろと見ている。右腕の包帯は、やはり解いていない。そして、絶対に見せないと言わんばかりに、股間にあるものは手拭いでしっかり隠されている。


「……むふぅ……!」


 その初々しい様子に、思わず笑みが零れてしまった。いけないいけない。


「…………」


 彼はずっと黙ったままだが、時々わたしの乳房をちらりと見てはすぐに視線を別の方に映している。身長も乳房もかなり大きい自信があるが、やはり年頃の少年には魅力的に映るのだろう。


「……おっぱい、見たいならじっくり見ても大丈夫だよ?」


 目を細めてにやりと笑い、手で自分の乳房を持ち上げて言った。


「は、はぁっ!? 見てねぇし!」


 彼の顔がまた爆発したかのように紅潮し、そう叫んでそっぽを向いた。そんな反応をされては、もっと揶揄からかいたくなってしまう。


 わたしは歩いて湯船に行き、温度を確かめるようにゆっくりと足を入れる。

 彼もわたしの後に恐る恐るついてきたが、なかなか入ろうとはしない。既に湯船に浸かっていた女性からの視線が彼に集まり、恥ずかしさから彼は俯いた。

 ……いや、きっとそれ以上に怖いんだろう。見ず知らずの、敵かもしれない人と一緒にいるのが。


「……ほら、おいで」


 そんな彼に、手を差し伸べて言った。彼はしば躊躇ためらったが、ゆっくりと湯船に入った——差し伸べた手は、掴まれなかったが。


「あっち行こっか」


 わたしは人のいない隅の方を指さして向かった。じゃぶじゃぶと音を立てて湯船の中を進む。

 隅に着いたら座り、壁にもたれかかる。肩まで浸かるように、自分の体を湯船の中に潜り込ませていく。黒の長髪が水面に浮かび、ぶわっと広がる。

 ポン君もわたしの隣に座り、こちらに体を寄せてくる。


「……久しぶりだ」


 彼は上を向いて息を吐き、懐かしむように、ありがたく感じているかのように言った。


「追われている身だもんね。こういう時こそ、ゆっくりしないと」

「気分は全然休まらないがな……」


 彼は溜息を吐いてそう答えた。


「これ?」


 そう言って再び自分の乳房を掌で押し上げ、水面から覗かせる。


「違う」


 食い気味で否定してそっぽを向く彼に、わたしは思わず微笑みを零した。でもポン君本当は見たいんでしょ……とは言わないでおこう。


 そしてお互い黙ってしまった。わたしは正面をじっと見て、ポン君は天井を見上げつつ時々視線をこちらに移している。

 ……正直、少し気まずい。何か話すべきか——


 ——と、そういえばポン君が何者なのか知らないことに気付いた。


「……そういえばなんだけどさ」


 横目に彼を見て尋ねる。


「ん、何?」


 彼はこちらを向いて答えた。先日尋問した際に口を割ろうとしなかったこともあって、躊躇ためらいつつ尋ねる。


「勿論嫌なら答えなくて大丈夫だけど……ポン君って追われている身でしょ? それで、ポン君が何で追われているのかなー、というか、ポン君は何者なのかなー、というか……」


 正直、彼は拒絶すると思うが——


「……おれ達はあくまでお互いを利用する関係だ。言う必要なんて無いだろ」


 彼は少し俯いてそう答えた。思った通りの反応が返ってきた。が、その冷たい表情は、どことなく申し訳無さも感じさせる。

 ……弱ったな。何を話そう。


「……あ! ポン君のお父さんとお母さんってどんな方なの?」


 咄嗟に思いついたことを聞いてみた。


「……父さんと、母さん、か……」


 彼は深く俯き、その表情は暗くなり——そこで自分のやらかしに気付いた。両親は今まさに行方不明なのに、それについて聞くなんて。


「あ、ごめんね!?」


 ただでさえ辛い状況にあるのに、更に落ち込ませてしまった自分に嫌気がさす。もっと考えて発言するべきだった。

 でも……何となく、彼の本質に触れることができたような気がした。今のことだけではなく、今日の一連の出来事からも、それが窺えるような気がする。


 彼は——ポン君は、本当はとても優しい子なのだろう。もっときつく拒絶できたはずなのにそうはせず、敵かもしれない見ず知らずの人の中に入り、秘密があることを恐らく申し訳なく感じ、両親のことを考えて辛いとも感じる——そこに彼の優しさが現れていると感じた。

 それが、謎の組織に追われて、両親と離れ離れになってしまったことで、猜疑さいぎ心の中に隠れてしまったのだろう。


 ……わたしは、そんな彼の力に、心の支えになれるだろうか。彼を助けたら、本来の優しさを取り戻せるのだろうか——


「動くなッ!」


 爆発するような音を立てて扉が開けられ、男性の叫び声が浴場の中に響いた。


「——ッ!?」


 わたしはその方向を見遣る——そこにいたのは、昨日見たような破落戸ごろつき達であった。

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