第十話 追跡
一部が欠落して内側を覗かせている木の扉を、ダスさんは音を立てないよう慎重に開け、わたし達は中に入る。入った先は大広間で、両端には階段がある。
高貴な身分の人の家だったのだろう、華美な装飾の施された家具があちこちに置かれている。埃と汚れを被り、蜘蛛の巣が張られ、それでも尚美しく見えるその様相は、そこにはかつて優雅な暮らしがあったのだなと感じさせる。
その一方で、無秩序に一纏めに置かれた家具もあった。横倒しになった
「私はこの階を確認しますので、上の階はお願いします」
「分かった。あっちを頼む、ミーリィ」
ダスさんは正面から見て右側の階段を指さした。
「はい!」
返事をし、指さされた階段を上る。上った先には扉があり、音を立てないようゆっくりと開ける。
その部屋は書斎だったようで、窓の側には小物の散らかっている机があり、壁に沿ってびっしりと本の詰まった本棚が並べられている。
窓は開けられていて、冷たい風を顔に受けながら中に入る。中に人はおらず、ぱっと見た感じだと、人の手が付けられた痕跡は抜き取られた本棚と散乱した本だけである。
「ここには何も無さそうですね……」
そう独り言ちて踵を返し——
「おい!」
ダスさんの声が階下から響いた。階段を駆け下り、彼のもとへ向かう。
「何かありましたか?」
先に来ていたジャレンさんが彼に問い掛けた。すると彼は手に持っていた何かをこちらに見せてくる。
切断された右腕を天高く掲げる紋章が施された白装束。これは——
「どうやら本当に、ここにいたみたいですね」
ヘローク教団ネドラ派の装束である。教義をそのまま反映したかのような紋章が、その確たる証拠だ。
それを見つけたダスさんは、しかし苛立ちに満ちた表情をしていた。
「既にいなかったか、俺達に気付いて逃げたか……手間かけさせやがって」
「まあまあ」
ジャレンさんはそう宥めると、
「こちらに」
そう言ってダスさんに手を差し伸べた。教団のものだから、ちゃんと回収しておきたいのだろう。差し伸べられた手にダスさんは白装束を乗せて渡した。
「ここにいたと分かったのですし、もう敵は見つかったも同然でしょう」
そう微笑んでいうジャレンさんに、ダスさんは、
「……ああ」
そう応えて目を閉じ、何かを願うような素振りを見せた。その瞬間に右腕が輝き、それが収まると同時に彼は目を開けて床をじっと見る。その視線は何かを追うように、階段へ、そして先程わたしが入った部屋へと向けられた。
「……こっちだ」
そう言うとダスさんは小走りで階段を上っていった。わたし達も小走りで彼についていく。
「羨ましいですね、燎原隊の魔腑は。こういった事態の為に、一人か二人はこの魔腑を持っていてもらいたいものです」
ジャレンさんは微笑んでそう言った。
ダスさんの持つ魔腑は、かつて北方の戦の民を征伐した『燎原隊』の隊員の魔腑であり、特化魔術の一つとして索敵の魔術を行使することができる。ファレオの仕事でも大いに役立つ代物だ。
「あれがあると無いとじゃ仕事の効率が大きく変わりますからねー」
そう応え、わたし達は階段を上って先程の部屋へと入った。既に入っていたダスさんは、開いていた窓から身を乗り出して遠くをじっと眺めていた。
「いるぞ。少し遠いが、余裕で追いつける」
窓が開いていたのは、ここから逃げたということなのだろう。
そう言うとダスさんは窓の外へと出て、石畳へと落下した。本の山を飛び越えて窓の側に立ち、机に乗ってわたしもそれに続く。
手を突いて着地し、走った衝撃と痛みを魔術で遮断する。わたしに続いて、ジャレンさんが隣に着地してきた。立ち上がり、前方をじっと見る。
「——あ、あれですか?」
前方に走っている人達の小さな影が見えた。そのうちの何人かが武器と思しきものをぶんぶんと振りながら逃げている様子は、どことなく慌てているようにも見える。
「ああ、窓から続いている足跡はあいつらに続いている——行くぞ。ジャレン卿、手を」
ダスさんがそう言ってジャレンさんに手を差し伸べると、彼は一瞬きょとんとし、すぐに何をするのか理解したようだ。
「ああ……いつもの水に乗る奴ですね。正直なところ慣れていないのですが……」
仕方無いか、と言わんばかりに苦笑し、彼は差し出された手を握る。わたしもいつ激流が来ても大丈夫なように身構える。
「それじゃあ——」
そう言ってダスさんは大きく息を吸った。わたし達もそれに続いて息を吸い——
激流が、わたし達を呑み込んだ。息を止め、往来の遥か先にいる影をじっと見つめる。往来に捨て置かれたものを呑み込みながら激流はずんずんと進み、遥か先に合った影は、その姿がはっきりと分かる程に近付いている。
「お、おい……! 追いつかれるぞ……!」
「嘘だろ!? 水に乗って追いかけてくるなんて……!?」
「くッ……!」
彼の仲間の足下を爆発させた。石畳の破片と、弾け飛んだ
——一人だけ、完全な魔腑を持っている。仲間を見捨てて逃げようとした、というところか。
しかし、そんな焦りに満ちた行動は無意味である。これで敵を見逃したり、全員がそちらにつられたりすることなど無い。
「ジャレン卿、あれを頼む!」
激流から顔を出したダスさんが叫び、ジャレンさんは握っていた手を離して激流から抜けた。わたしとダスさんは尚も逃げている
「く、来るなぁッ!」
逃げていた
——魔術が来る。
ダスさんもそれに気付いたようで、
わたし達を追いかけるように爆発が連続で生じた。連鎖して起こる爆発は激流を消し飛ばしながらどんどん近付き——
ダスさんに手を掴まれた。
「——ッ!?」
それと同時に下から激流が生じ、わたし達を打ち上げた。その直後、わたし達のいた場所で大きな爆発が生じた。
「大丈夫か?」
「は、はいっ!」
横目で見て問い掛けてきたダスさんに、咄嗟に答えた。
突然掴まれたものだから驚いた。こちらとしても色々と心の準備がしたかったが……今はそれよりもあの
眼下を見遣ると、焦った表情の
「ミーリィ、手を出せ」
そう言ってきたダスさんに、わたしは左手を差し出した。また先程のように、激流で飛ばすのだろう。ダスさんが手を握り、わたし達は落下しながら眼下の
わたしはいつ吹き飛ばされてもいいよう、大きく呼吸をして高鳴る心臓を落ち着ける。
ダスさんは片手で巨槍を構え、
「——今ッ!」
激流に飛ばされたと同時に、わたし達のいた場所に爆発が生じた。寸でのところで躱し、その衝撃も合わさった勢いで、さながら流星のように落下する。
「きゃぁ————————————————っ!!!???」
当然、心の準備をしたところで無意味だ。黒の長髪がぶわっと舞い上がり、落下の勢いで肌が吹き飛ばされるような感覚を覚える。
遥か高く打ち上げられたわたし達は、刹那のうちに
その右腕を、巨槍が斬り落とした。
激しい衝撃と共に巨槍は石畳に深々と突き刺さり、
「ぎゃあぁ————————っ!?」
着地し、そんな
——この人の痛みを打ち消し、右腕を再生させて。
すると
「ぐ……!?」
ダスさんが倒れた
「……あんま思い出したくないが、爆発の魔術を使う奴を一人知っている」
……いたっけ? わたしが把握している限りではファレオにはいないと思う……ファレオの外部の人間だろうか?
「爆発の魔術には慣れている。アレに比べりゃ遥かにマシだ……クソ、胸糞悪い」
彼の足を縛りながらダスさんは溜息を吐き、どことなく苦しそうな声で言った。余程嫌なことがあったのだろう。
突き刺さった巨槍を引き抜き、手足を縛られて碌に身動きが取れない
「さて、お前達がどこの誰か、答えてもらおう。もし答えなかったら——」
「あ、
驚く程呆気無く答えを言った。わたしもダスさんも呆然としている。が——
「
あの組織はかつてダスさんが滅ぼしたはずである。今になって何故——
「……まあ、やはりそう簡単に消えはしないか。残党が集まって復活させた、といったところか?」
わたしも疑問に思っていたことを、ダスさんが問うた。
「そ、そうだ!」
「そうか。詳しいことは後で聞くとして……黒装束を身に纏った奴らに心当たりは?」
「は!?」
焦る
「ま、街中で見たことはあるが何かは本当に知らないっ! 仮に
「貴方達に用があるのは、私達の方ですよ」
声の方を見遣ると、そこにはジャレンさんの姿があった。先程魔術で吹き飛ばされた
その姿を見て、ダスさんが踏んでいる
「貴方達には聞きたいことが沢山ありますからね——お覚悟を」
にこやかに微笑んではいるものの、溢れ出ている怒気は隠しきれていない。ジャレンさんは
「く、来るな! 来るなぁ————————っ!!」
「改めて、本日はありがとうございました。お陰様で、犯人を捕まえることができました」
その後、ジャレンさんに夕食をご馳走になり、宿まで見送ってもらった。彼はにこやかに感謝の言葉を述べた。
「ああ。だが……面倒なことになったな」
ダスさんは溜息を吐き、不快感を感じさせる声音で言った。
わたし達の追う黒装束がどこの誰なのかは結局分からず、一方で
「まあ……俺が対峙した黒装束の行動から考えるに、あいつらは
ダスさん曰く、情報を吐かずに自害を選んだ——
「
「すまない、ジャレン卿」
そう話しているうちに、宿の前に辿り着いた。礼拝堂から距離は離れているが、楽しい話をしていると時の流れがあっという間に感じる。
「あ、着きました!」
「おや、もう着いてしまったのですか。もう少し話したかったところですが……まあ、別の機会に取っておきましょう」
残念そうに言うジャレンさんは立ち止まり、わたし達は彼の方を向く。
「では、次は明後日ですね。またお会いしましょう」
「はい! 夕食ご馳走様でした! ここのところずっと簡単な料理しか食べてなくて——」
「余計なこと言うな」
思わず日頃の不満を打ち明けてしまい、ダスさんに巨槍の柄で小突かれた。そんな光景を見て、ジャレンさんは目を細めて微笑みを零す。
そして彼は目を開け、目にかかった金髪を手で払い、微笑んだまま言う。
「——繰り返しになりますが、ありがとうございました。明後日、再び貴方達に会うことを楽しみにしております」
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