第五話 尋問

 目覚めたおれは、重い瞼をゆっくりと開けた。揺らめく火が少し眩しく感じる。

 ……足が痛い。胸の辺りはもっと痛い。尋常じゃないくらい腹が減っている。もう何日も、まともな食事にありつけていない。


 立ち上が——れない!? 体が木に縛り付けられている……! というか、何で焚火が目の前にある……!?

 重い瞼は一気に軽くなり、周囲を見回す。森の中で、前には焚火。


 ……そうだ。おれが気を失っているうちに、男女二人組に拉致されたんだった。


 ……おれは、ここで死ぬのか——


「あ、ようやく起きた!」


 今の自分の気分とは正反対な、快活な女性の声が聞こえてきた。彼女は焚火を挟んだ向こう側におり、目を覚ましたこちらに気付くや否や、黒い長髪を揺らしながら小走りで寄ってきた。

 一見すると柔和な雰囲気であるが——どんな本性を隠していやがる。


「大丈夫!? お腹空いているでしょ!? どこか痛いところとか無い!?」


 心配そうな表情で彼女はまくしたててきた。


 以前見た時は座っていたこともあって分からなかったが、この女、かなりでかい。今まで見てきた女性の頭一つ——いや、二つ分くらいは大きく、意外なところで世界の広さを感じることとなった。


 ……それと、胸もかなりでかい。彼女の羽織っているムスが胸の部分を避けているような、或いは胸がムスを抉って突き出ているというか、そう言った具合で——


「……君、胸見てるでしょ?」


 まずいばれた。


「は、はぁっ!? 何で知らねぇ女の胸なんか見るんだよ!」


 咄嗟に言い訳をしたが、苦しい言い訳なことには言ってから気付いた。顔と耳が熱く、自分の顔が紅潮していることは鏡を見なくても分かる。


 女はにやりと笑い、ずいと身をこちらに寄せてきた。自分の胸を見せつけるように、おれの目の前に屈んだ。


「恥ずかしがらなくていいのに。この年頃の男の子なんて皆胸が気になるでしょ? 特にわたしの胸なんて結構大きい方だから、どうしても目に入っちゃうよね?」


 自分の胸を見せつけるかのように、挑発するかのように、女は体をくねらせて言ってきた。こうすれば気になるだろう、そう思っているような態度に沸々と怒りが湧いてくる。


「触りたいでしょ? でも縛られているから触れないよね? だ、か、ら! 今から言うことに——」


 女の頭上から、水が滝のように降ってきた。


 突然の出来事に、体がびくりと動いた。水は一瞬だけ降り、濡れたと同時に女は大人しくなった。

 上を向くと、木の枝の上に人がいるのが分かった。その直後に枝から飛び降りておれの前に着地した。


「いい加減にしろ、ミーリィ。挑発してどうする」


 男は手に持っていた巨槍を背負い、女を見て言った。黒い前髪から鋭い三白眼を覗かせ、体格はあの女以上にでかい——どこか恐ろしげな印象を感じさせる男だ。


「……ダスさぁん! これが可愛いんですよぉ!」

「知っている奴ならともかく、今日会ったばかりの奴にやる行為じゃ無いだろ……話は俺がつけとくから、こいつの飯でも出してやれ」

「ちぇー……」


 そう言ってあの女——ミーリィとか言ったな——は、肩を落として小走りで離れていった——体が揺れると同時に、胸も上下に揺れている。やっぱりでかい。


「……さて、衰弱していたとはいえ、寝ている間に拉致し、今まさに拘束していることは申し訳無く思っている。とはいえ、俺としても殺しに来るとは思わなかったからな……お前には聞きたいことがあるから、こうして拘束している。ただ、殴ったり殺したりする気は無いから安心してほしいし、言いたくないことは言わなくていい」


 恐ろしそうな印象とは反対の、誠実そうな奴だ。だが、本当に安心できるような奴かは分からない。まともそうな奴程、恐ろしい一面を隠しているものだ。

 聞きたいこと——やはり、おれのことを知っていて狙っているのか?


「——ああ、そういえば名乗ってなかったな。俺はダス・ルーゲウス。そして、あいつはミーリィ・ホルムだ。あいつは悪い奴じゃ無いが、少年が大好きだ。常に警戒しておけ」

「ダスさん今わたしをやばい奴みたいに言いましたよね!?」


 ミーリィは「失礼ですよ!」などとぎゃあぎゃあ喚いている。あんなことをしておいて警戒されない方がおかしいと思うが……


「まああいつは置いておくとして——」


 ダスはにべもなく彼女をあしらい、話を続ける。


「俺達はファレオ——知っていると思うが、各地を放浪する自警団だ。先日ここボリアに入ったんだが、何人もの少年が拉致されているって話を聞いてな。お前を保護したのは偶然だったが……拉致してる黒装束の連中、あいつらの狙いはお前だろ?」


 ずばり言い当てられた。少年を拉致している黒装束の狙いは、確かにおれだ。


「俺達は今、あの連中を追っている。だから、情報を提供してほしい。あいつらが誰で、目的は何か、取り敢えずその二つでいい」


 ……あいつらに追われていることは、隠せないだろう。だが、仮にこいつらがおれの正体が分からないとして、その二つ——特に目的を言ってしまえばばれてしまう。


「……誰が言うかよ。拉致した上に拘束して、その癖優しい言葉をかけやがって。信用させようとしてるんだろ? 馬鹿がよ。お前、親に教わらなかったのか? 『怪しい人に話しかけてはいけない』ってな」


 苛立ちもあって強い言葉で言ってしまったが、言いたいことは言った。思わずにやりと笑い——


 頭上に、巨槍が飛んできた。


 木に突き刺さるどころか、勢いのまま切断し、木はどすんと轟音を立てて倒れた。突然の出来事に心臓がきゅっと締まり、汗が止まらない。

 ——こいつ、こんな幼稚な挑発でぶちぎれやがった……!


「おい餓鬼……弱い立場だからって調子乗ってんじゃねぇぞ……俺はお前のような餓鬼が——」

「ダスさん落ち着いて下さいっ! わたしの知らない頃のダスさんに戻ってますっ!」


 拳を振り上げ、今にも殴り掛かろうとしていたダスを、ミーリィが間に入って止めた。そして焚火の向こう側へと彼を押しやり、彼女がこちらへ戻ってきた。


 ……やっぱり、信用ならない……! というかこんな挑発でぶちぎれるお前も餓鬼だろ……!


「ご、ごめんね! ダスさんすぐ怒るけど、悪い人じゃ無いから!」


 そう言われても、あんなことをされては信用できないんだが……


「……それで、やっぱり言えないかな?」


 こちらの顔色を窺うように、彼女は問うてきた。そんなの、当然——


「…………言える訳無ぇだろ、拉致して拘束してきた見ず知らずの奴によ。そもそも、こんなことしておいて、お前らがおれを狙っていないって証拠はあるのか?」

「あ……」


 そう言うと、彼女は黙ってしまった。自分の思ったことを言ったとはいえ、流石に言い過ぎたか——


「……胸揉む?」


 もっと強く言うべきだった。自分の胸を下から手で上げる彼女の姿に、思わず溜息を吐いた。


「あ、そうだ! お腹空いてるでしょ? ご飯作ったんだけど、食べる?」


 そう言って彼女は一旦離れ、そして汁の入った椀を持ってきた。湯気が立ち、良い香りがこちらに届く。

 ……確かに腹は減っているが、だが——


「……いらない」

「え!? 碌にご飯食べてないでしょ!?」

「毒を入れて殺すか、魔術を込めて何かするか……悪人の常套じょうとう手段だろ」


 勿論、断った。外の世界に警戒していなかった結果が、今の状況なのだ——自分に、そう言い聞かせた。


「……そっか」


 彼女は残念そうな表情で手に持っていた椀を眺め——


 飲んだ。


 ……どういうつもりだ? 安全だと、自分で飲んで証明したつもりか?


 すると彼女は椀を草の生えた地面に置き、こちらへと近寄ってきた。何かされるのではないか、そう思って不審に眺め——


 おれを縛っていた縄が解かれた。


「は……?」


 その行動に、思わず困惑の声を零してしまった。

 こいつら……おれを利用しないのか……? それとも何かの策か……?


「本当にごめんね。突然のことで、怖かったでしょ。それに、狙われていたとはいえ、子供を巻き込むべきじゃないと思うし。でも……」


 申し訳無さそうに彼女は言うと、地面に置いていた椀を手に取った。まだ湯気が出ており、汁が残っていることが分かる。


「何も食べないと本当に死んじゃうから、せめてこの汁だけでも飲んでいってね」


 そう言って、解放された自分の眼前に椀が差し出された……彼女が口の付けたものではあるが。

 ……ここまでされて飲まないのは流石に失礼だろうけど、他人が口を付けたものは……


「……いや、お前が口を付けたのは——」

「ミーリィ」


 いつの間にかどこかへ行っていたダスが、木々の奥から現れた。少し焦った様子である。


「どうしました?」

「縄を解いたのか……いや、丁度いい。追手が来た。逃げるぞ」


 その言葉を聞き、緊張が走る。奴らから逃げないと……でも、こいつらも怪しい……おれはどうすれば……


「はい、汁早く飲んで! 早くしないと捕まっちゃうよ!」


 彼女の叫び声が耳をつんざいた。突然言われたものだから、汁を零しそうになる。


「な、何だよ……!」

「わたし達のこと、信用できないと思う……けど! まだわたし達の方が信用できるでしょ!? どうせどっちも信用できないんだったら、まだましな方に——わたし達に賭けて!」


 信用できないような人間に、信用しろと言い放たれた。確かにあいつらよりましだとは思うが——


 ——外の世界は危険だから、出るべきではない。


 何度も教えられた言葉を思い出す。おれが何もされないという保証は無い。何かに利用したり、誰かに売り捌いたり——


「——わたし達を、信じて!」


 彼女の先程の態度を思い出し、そしてその強く放たれた言葉に、一瞬だけ、色々と考えていたことが吹き飛ばされた。


「…………ぅああッ!!」


 そう叫び、おれは椀に口を付けた。具を汁ごと飲み、空になった椀をミーリィに投げつける。


 今のままでは事態は改善しない。それどころか悪くなる可能性もある。でも、確かに、こいつらの方があいつらより断然ましだ。悪くなる可能性はあるが、あいつらとは違って良くなる可能性もある。

 ……だったら、ましな方に賭けよう。そして、隙を突いて逃げればいい。或いは、本当に悪い奴らじゃなかったとしたら、両親に再会するまで利用すればいい。


「分かった、分かったよ! お前らに賭ける!」


 おれが放った言葉を聞くや否や、彼女の表情はぱぁっと明るくなり——


 抱きつかれた。それだけでなく、持ち上げられた。碌に食事を取らなかったことで体は軽く、ふわりと簡単に持ち上げられた。


「ちょ、やめろ馬鹿っ!」


 そして彼女はぐるぐると回り、軽いおれの体がふわりと浮き上がる。普通嬉しくてもこんなことするか……?


「ダスさん! この子はわたしが守りますので、戦闘は任せます!」

「はいよ。でも、魔術はいつでも使えるようにしておけ」

「はいっ!」


 おれを抱えたまま、彼女は快活に返事をした……いい加減放してほしい。それと、顔がまた熱い。


「あ、そういえば——」


 そう言って彼女はおれの顔を見て、続ける。


「君、名前は何て言うの?」


 そう言われ、悩む。自分の名前を教えるべきか否か。でも——


「……ポン」


 名前くらいなら、大丈夫だろう。


「ポン、だ。お前らを一応信用して、名前も教えたんだ。ちゃんと守れよ」

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