第八話 魔卿ジャレン・ラングル

 謎の敵から逃げ、宿に身を隠し、翌日。


 わたし達はある人と話す為に、ヘローク教団の礼拝堂へと向かった。昨日の——というよりはこれまでのこともあってか、ポン君は宿に残っている。


「き、緊張する……」


 身分のかなり高い人と話すことになるので、緊張で胸と腹がきつく締められているような感覚を覚える。一方のダスさんは、そういった素振りを見せない。


「何度か話したり、一緒に行動したりしたことはあるが、良い人だから安心しろ」


 わたしもその人の良い噂はしばしば聞いているが、それでも緊張する時は緊張するのである。


 緊張に苛まれながら歩いているうちに、礼拝堂の前に辿り着いていた。結構距離があったと思うが、緊張のせいで時の流れが早く感じたのだろう。


 数百人も入るであろう大広間を持ち、ヘローク教団の礼拝堂の例に漏れず、そこから塔がそそり立っている。

 礼拝堂からそそり立つ塔は中央にある一つと、それを囲むように立っている四つの合計五つあるが、中央の大広間の塔には硝子の天井といくつもの硝子の窓があり、そこから大広間へと光が差し込む。


 入口の前に立ち、ダスさんが木製の厚く重い扉を開けて、わたし達は大広間へと入る。


 壁に等間隔に付けられている灯りのみが大広間を照らしていて仄暗い。そんな暗闇の中で、沢山の人々が跪いて祈りを捧げている。

 そして、上方にある塔から光が差し込める場所——大広間の中心部に、その人はいた。


「——む、ジャレン卿は説教中だったか」


 魔卿ジャレン・ラングル——魔卿の名が示す通り、ヘローク教団ネドラ派の高位の聖職者である。白と金の豪奢なキムを身に纏い、肩までかかる金髪を持つ。朗らかな笑顔で教団の教えを説いているようであるが、宗教に縁が無かったので何を言っているのか分からない。


 かつて最大宗派であったイレーム派とは異なり、ネドラ派は魔腑を信仰しているが、その実態はかなり腐敗している。

 魔卿になって完全な魔腑を得て満足し、碌に魔卿としての働きをしない人が多い——が、そんな中でも彼は非常に敬虔な教徒であり、様々な祭事、行事を行うだけでなく、毎日の礼拝や説教を欠かさず、さらに人々との交流も盛んである。そういうこともあって、多くの人からの信頼を得ている。


 わたし達は入口の傍の壁にもたれかかり、説教が終わるのを待つ。ダスさんは目を閉じており、まるで寝ているようだ。


「……ダスさん」


 暇だから話しかけてみた——とはいえ、邪魔にならないだろうか。

 彼は瞼を開け、黒の前髪の間から三白眼をこちらに向けて反応する。


「どうした?」


 小声で言われたその言葉を受け、少し考える。咄嗟の行動で、実は何を言うか考えていなかった。


「……ジャレンさん、何言ってるんですかね? わたし、宗教には疎くて……」


 そう言うと、彼は黒髪を揺らして上を向き、考えるような素振りを見せる。暫し黙り、そしてゆっくりと口を開いて彼は言う。


「……あー、まぁ……そうだな、大方『魔腑を喰らうと救われますよー』ってところじゃないか……?」


 その答えを聞いて、自分が失念していたことに気付く。そういえば、ダスさんもダスさんで宗教に縁の無い生い立ちであった。


「あ……す、すみません、ダスさん……」


 ……失礼なことを言ってしまったのではないだろうか。不快に思っているのだろうか。


「ん、ああ」


 特に気にしていないような真顔で彼は応え、そして瞼を閉じた。やはりこの人、普段は素っ気無い。まあ今みたいに、ありがたく感じる時もあるのだが。


 そうしているうちに、説教が終わったようである。ジャレンさんは降り注ぐ光に照らされながら黙って立っており、教徒達は続々と礼拝堂を後にしている。


「——おや」


 説教中に入り、小声で少しではあったとはいえ話していたのに、どうやら今わたし達の存在に気付いたようである。少し驚いたような表情と反応を示し、ジャレンさんはこちらに歩み寄ってくる。


「お久しぶりですね、ダス・ルーゲウス殿。それから——」


 微笑んでダスさんに挨拶をし、次いでわたしの方を向いて彼は続ける。


「初めまして。ダス・ルーゲウス殿のお仲間——といったところでしょうか?」


 そう言うと彼は目を閉じて両膝を突いて跪いた。開いた右手を自身の顔の前に運び、さながら剣の切っ先を向けるようにして五本の指をこちらに向けている。一方で左手は腰に当てており、閉じている。

 ……ヘローク教団の挨拶なのだろうか。このような挨拶はやったことが無い。益々緊張し、それに応じて腹と胸も痛くなる。


「あ、えっと……ミーリィ・ホルムです……」


 緊張と困惑で半ば混乱しているが、跪いて右手を顔の前に、左手を腰に運び、何とか挨拶を真似てみせる。


 これでいいのかな、という思いと共に顔を上げると、そこには少し驚いたかのようなジャレンさんの顔があった。そんな彼の顔は、微笑を零してすぐに朗らかな笑顔へと変わる。


「緊張されているようですね。確かに魔卿は教団内での地位が高いですし、あまり良い話は聞かないと思いますが、あまり肩肘を張らず、私には友人と接するような態度で話して頂いて大丈夫ですよ。ここボリアの方々にも、そういう風に接して頂いておりますので」


 ……緊張していることがばれている。余程わたしの身振りや喋り方に出ていたのだろう。思わず紅潮し、視線を逸らしてしまった。


「それで——」


 彼は立ち上がりながらダスさんの方を向き、問い掛ける。わたしも彼に続いて立ち上がった。


「今回はどういったご用件ですかね? ……まあ、ある程度予想がついておりますが」


 いつものことである、と思わせるような言い方だ。きっとわたしと一緒に旅をする以前にも、こういうことがあったのだろう。

 というのも、ネドラ派の魔卿は例外無く完全な魔腑を授かる——つまり、特化魔術と奇跡魔術を行使できる訳であり、その強力さ故に戦闘を伴うような危険な仕事に携わることがある。何なら、ダスさん曰く戦闘しかしないような魔卿も存在するらしい。聖職者としてどうかと思うが……


「ああ……最近、少年の拉致が多いらしいな」


 彼の言葉にジャレンさんは黙り、怒りや忸怩など様々な負の感情が混ざったような苦い顔をする。


「……そうですね。まさにその件で、この都市の方々からどうにかして欲しいとの依頼が沢山来ています。が……」


 先程の苦しい顔のままで何かを言い淀んだが、しかし彼は再び口を開く。


「……我々の方でも、少し問題が発生しました」

「問題?」

「え……どうしたんですか?」


 悔しさを感じさせるような彼の言葉に、わたし達は疑問を抱いた。事件は少年の拉致だけでは無いようだ。


「はい……どうやら知らないうちに我々の中に紛れ込み、色々と盗んでいった輩がいるのです。拉致の問題にも対処しつつ、犯人探しをしている状況ですが……正直、色々なことに人員を割いていることもあって、どちらにもあまり手が回っていない有様です」

「そうか……なら、丁度いいな」


 ダスさんは目にかかっている前髪を払い除け、続ける。


「いつも通り協力し合おう。もしかしたら同じ奴らが犯人かもしれないしな」

「ええ、今回もお願いします。ダス・ルーゲウス殿」


 淡々と述べるダスさんに、ジャレンさんは微笑んで応じた。


「では——」


 そう言ってジャレンさんは後ろを向き、廊下に繋がっている扉へと向かっていく。扉の前に着くや否やそれを開け、入る前に金髪を揺らしてこちらを向いた。そして彼は微笑んで言う。笑顔の絶えない、見ていて気持ちの良い人だ。


「私は着替えてきますので、少々お待ち下さい。『疾き行いは、成功と勝利を齎す』——早速、始めましょうか」

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