第七話 信用無き契約

 わたし達は黒装束の敵から逃げ、森を抜け、先程とは別の宿に入った。ダスさんが襲ってくる敵を尽く倒したこともあって、追手は来ていない。


「……くそが……」


 少年——ポン君は紅潮した顔をわたしから隠すように、部屋の隅で縮こまって言った。見つからないようわたしのキムの中——つまり股の下に隠れてもらったからだろう。


「まあまあ、女性の服の中どころか、股の下に隠れるなんて経験なんてなかなか無いんだから」

「おれのことを辱めやがって……あとなんか臭かったし……最悪」


 言葉で思い切りぶん殴られた。


「ちょ、ちょっとっ! 言って良いことと悪いことが——」

「言わなきゃ改善できねぇだろ」

「いやこれは改善しようが無いでしょっ!?」


 状況が状況だから蒸れるのは当然だし、普段から臭い訳では無い。熱くなって思わず叫んだ。わたしの顔が紅潮しているのは、熱で分かる。


「静かにしろ……音でばれたらどうする」


 ダスさんの真っ当な指摘に、わたしもポン君も黙った。彼は鍋から汁を掬い、ポン君の前に運ぶ。


「ほら、食え……あと、服を買うぞ。それから髪も切る」


 ダスさんがそう言い、わたしはポン君の体をじっと見る。水に入ったことでぼさぼさだった金髪は元通りになり、体に付着した汚れは落ちているが、流石に服の破れはどうにもならない。何箇所もあるキムの破れた部分から地肌が露出しており、見てくれが悪い。羽織っているムスはより派手に破れている。

 再生の魔術で直すことはできるが、服を変えて髪を切って、敵に正体をばれないようにする為なのだろう。


「ん、ああ……確かに少し伸びたか」


 ポン君は自身の金髪を指でいじり、先程とは打って変わって従順であるような反応を示した。一方で——生来のものかもしれないが——視線の鋭さはあまり変わっていないような気がする。

 ……多分、まだわたし達のことを信じきれていないと思う。


「……そういえば」


 椀を持ったポン君の方を向いて問い掛ける。


「ポン君はいつまで同行するつもりなの? あ、勿論嫌じゃないけどね」


 目的も分からず漫然と行動を共にしても意味が無いだろう。それに、一時的とはいえ一緒に旅をするのだから、彼のことをもっと知りたい。そう思って聞いてみた。

 彼は黙って少し俯き、そして顔を上げて答える。


「……おれの父さんと母さんを見つけて、おれ達をソドック王国に連れていくまでだ」


 ……ソドック王国、か。

 ゴーノクルの南方、ラードグシャ地方にあるソドック王国——というよりはラードグシャ地方のヘローク教団イレーム派を国教とする国は、現在新ダプナル帝国と緊張状態にある。既に帝国は兵士達を向かわせていて、いつ戦争が起きても——それこそブライグシャ戦役のような惨劇が起きても——おかしくない状況だ。が——


「お父さんとお母さん?」


 そんなことより、こっちの方が気になった。わたしの疑念に、彼は暗い顔で重い口を開ける。


「……おれがここに来たのは何日か前で、それまでは別の所にいたんだ。だが……そこでおれ達はあいつらに追われて……父さんと母さんとはぐれたおれは、一人でここに逃げてきた」


 そう言う彼の表情は、怒りと後悔に満ちているようである。その辛さは、わたしにも分かる。俯いたまま彼は続ける。


「正直、今父さんと母さんがどこにいるのかは分からない……けど、おれは父さんと母さんを見つけて、故郷に帰りたい」


 とは言うが、彼の暗い表情は諦めを抱いているようであった。


「……ダスさん」


 諦めるには、まだ早すぎる。こんな子供が、こんなにぼろぼろになるまで追われ、その上両親に再会できず、故郷に帰ることもできない——そんなことなんて、あってはいけない。


「ポン君のご両親を探して、ソドック王国に送り届けてもいいですか?」

「…………は?」


 ポン君は驚きと困惑の混ざったような声を零してわたしの方を向いた。鋭かった目は、大きく開かれている。


「いや待て、そもそもおれはまだお前らを——」

「大丈夫だ。両親から依頼料を沢山貰えるだろうしな」

「ありがとうございますと言いたいところですが、ダスさん不謹慎ですよっ!?」

「緊張状態にあるから迂回した方が賢明だな。列車でブライグシャ地方——」


「——おいっ!」


 わたしとダスさんの話を遮るように、ポン君が怒声を上げた。そんな彼の顔からは、僅かな苛立ちと激しい困惑が見て取れる。


「だから、おれはまだお前らを信用していない! 急に攫って、今度は助けるって、何なんだよ!? しかもおれなんてお前らからしたら知らない奴だろ!?」


 感情のままに彼は叫んだ。こんなぼろぼろになるまで追われ、もしかしたら何かされそうになって——そう考えると、見ず知らずの人間に「助ける」と言われて困惑や恐怖を抱いてもおかしくは無い。けど——


「……確かに、怖いよね」


 彼の言葉を噛み締め、答える。その気持ちは、わたしにも十分に分かる。


「この世界は恐ろしい。犯罪は沢山起きて、いろんな人が拉致されて強姦されたり奴隷として売られたり、戦争とかで沢山の人が死んだり——でもね」


 そう言ってゆっくり歩いてポン君に近付き、訝しげな表情で困惑している彼の隣に座り、ずいと体を寄せる。


「な、何だよ……」


 彼は顔を微かに紅潮させ、体を蠢かせて自分から離した。そんな彼の緊張と困惑、恐怖を解すように微笑んで言う。


「恐ろしいだけじゃ無いんだよ。辛い思いをしている人がいたら、寄り添って支えてくれる。困っている人がいたら、手を差し伸べて助けてくれる。誰も不幸にならないように、あれこれと手を回してくれる——そういった、優しい人もいる」


 そして彼の色んな感情の混ざった顔を、瞳を見て、にこりと微笑んで言い放つ。


「だから——大丈夫だよ。色んなものが敵になったとしても、ファレオは——わたし達は、絶対に助けるから」


 まだ分からないかもしれない。理解できないかもしれない。でも、ゆっくりでもいいから、理解して欲しい——この世界は、決して辛く恐ろしいことだけでは無いのだと。


 しかし彼はまだ困惑し、疑念や恐怖などを抱いているようである。どうすればいいか分からない様子で、彼は俯く。

 ……きっと、それ程までに辛い思いをしたのだろう。


「……そんなに悩むんだったら」


 突然、ダスさんがポン君に投げかけた。その言葉に、彼はダスさんの顔を見る。


「俺達に金を積めばいい」

「…………ダスさん?」


 わたしが良さげなことを言ったのに、それとは真逆の一言が投げかけられた。その言い方は、どちらかと言えばこの世界の恐ろしい方であろう。困惑と呆れの混ざったような目で、わたしはダスさんをじっと見ている。ポン君も困惑した目でダスさんを見ている。

 尚、当の本人は「何も間違ったことは言っていない」と言いたげな、何とも感じていないような真顔だ。前髪の間から覗かせる瞳は、至って純粋である。


「…………は?」


 ポン君の困惑の声に、その理由も分かっていないのか、ダスさんは平然と答える。


「金は信用の証だ。積めば積む程、積まれた側はそいつの期待に応えようと——」

「ダスさん今の話聞いてましたっ!? そういうのがポン君を怖がらせるんですよっ!?」

「いやでも本当のこと——」

「本当でも言って良いことと悪いことがありますよっ!」


 わたしとダスさんであれやこれやと言い合い——


「…………分かったよ」


 大きな溜息と、次いで投げかけられた言葉に、わたしとダスさんはポン君の方を向いて反応した。彼は呆れと、先程とは別のことへの諦めを感じさせるような表情で、こちらを見ていた。


「正直、おれはまだお前らのことを信じられない……だから、おれはお前らを、お前らはおれを、利用すればいい。利用して、都合が悪くなったら切り捨てる——これが丁度いいだろ」


 彼の提案に思うところが無いと言えば嘘になるが、それでも、わたし達が共に行動することを受け入れてくれただけでも大きな一歩である。


 わたしはにこりと微笑んで言う。信じることはできなくとも、受け入れてくれたことへの感謝と、両親を探してソドック王国に行くことへの激励の意を込めて。


 ——それと、ぼろぼろになってしまったであろう心が、せめて元に戻るように。


「……うん、頑張ろうね、ポン君!」

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