第三話 謎の少年

 ごみの山の隣で倒れている少年のもとに駆け寄る。


「ちょ、ちょっと君っ!? 大丈夫っ!?」


 そう言って体を何度も叩くが、反応は無い。咄嗟に自分の顔を彼の顔に近付けると、すんすんと微かに息をしていることが分かった。生きてはいるみたいである。

 しかし、このような有様では大丈夫な訳が無い。服や肌は汚れ、金色の髪の毛はぼさぼさ、そして体は痩せ細っている。ひんやりとした石畳と彼の背中の間に手を入れて、彼の体をぐっと持ち上げ——


「——って軽っ!?」


 あまりの軽さに顔の高さまで少年の体が持ち上がった。まともな食事にありつけていないことが分かる。急いで路地から出て、わたし達の泊まっている宿へと向かう。


「どいて下さーいっ! 死にかけの子がいまーすっ!」


 いかに人が多くても、死にかけの少年を抱えて叫べば、人は道を譲ってくれる。開かれた道を駆け足で進んでいく。


 抱えられ、激しく揺らされても少年は目を覚ます気配が無い。背負っている鉄棍が何度も体に当たり、髪が激しく揺れて視界を妨げるが、そんなことを気にしている余裕は無い。無心で走り続け——いつしか宿の前に辿り着いていた。

 勢いよく扉を開け、早足で部屋へと向かう。


「すみません店主さんっ! 扉閉めてもらっても大丈夫ですかっ!?」


 店主に一瞥もせずにそう叫んだ。


「え? お、おう」


 店主の返答を聞いて部屋の中に入り、勢いよく、しかし繊細に寝台の上に下ろす。

服を脱がし、傷が無いか確認する。多少の擦り傷はあるが大きな傷は無い。しかし右腕は包帯が巻かれている……包帯? 魔腑まふが十分な大きさになっていなくて、傷の回復ができなかったのだろうか? 包帯に手を伸ばし——


 どす、と重い物が床に落ちる音がした。音のした方を向き——


「……お前……」


 言葉を失ったダスさんが、黒い前髪を払い除けて軽蔑の目でわたしを見つつ、背負っていた巨槍を手に取っていた。


「……流石に擁護が——」

「いやちょっと待って下さいよダスさんっ! 緊急事態っ! ふざけている場合じゃありませんっ! 一刻を争う事態なんですよっ!?」


 思わず叫び、咄嗟に少年の方に向き直る。


「あ、何か食べ物を——ダスさん何か食べ物用意して下さいっ!」


 彼の方を向かずに叫ぶと、彼はわたしの傍に駆け寄って来て少年をじっと見る。


「何日も碌な食事を取らずに、一人彷徨っていた少年、といったところか? 懐かしいな」

「すみませんダスさん早く手伝って下さいっ!」


 確かに懐かしいですが……! 今はそんなこと言っている場合では——


「……んぁ……」


 と、わたしが叫んでいたからか、少年が目を覚ました。重い瞼はなかなか上がらないようで、細い目でわたし達の姿を認め——


「……ッ!?」


 少年の瞼が一気に開いた。それと同時に焦った様子の彼は体に手を当て——そして服が無いことに気付き、彼は周囲を見回す。


「あ、これ?」


 そう言って傷を確認する為に脱がせた服を見せると、少年は咄嗟に力強く引っ張って回収し、そのうちのムスの方の衣嚢に手を突っ込み——


「——っ!?」


 衣嚢に入っていた短剣を取り出すと同時に、その短剣を掲げてわたしへと飛んできた。無心になって服を脱がせたせいで、それの存在に気付けなかった。まずい、避けきれない——


「——ぐぁっ!?」


 切っ先がわたしの顔に突き刺さる寸でのところで、後ろにいたダスさんが躍り出てきた。巨槍の柄の先端で少年の胸を打ち、壁に叩きつける。少年は柄の先端だけで押さえつけられて足掻いており、さながら宙に浮いてじたばたしているようである。


「だ、ダスさんっ! この子死んじゃいますよっ!」


 恐らく魔術で膂力りょりょくを強化して押さえつけている上に、少年の体は衰弱している。本当に死にかねない。


「それは分かっている……だが、殺しにかかる奴に恩情をかけるつもりは無い」


 しかしダスさんは視線をこちらに向けずにそう言った。少年の拘束を解くつもりは無いようだが、流石にこれは——


「クソッ! 離せッ!」


 少年の残っていた僅かな力を振り絞ったような叫びを上げて、尚もじたばたしている。


 ——少年が拉致される事案が多発しているみたいだ。


 ふと、ダスさんの言った言葉を思い出した。彼がこうもぼろぼろで、衰弱しているのは、何かから逃げていたからかもしれない。そして少年を拉致する理由が、無差別的に暴力や強姦などをする為では無く、特定の個人を利用する為であるとしたら——


「ダスさん、この子もしかして——」

「ああ、さっき言った拉致に関係があるかもしれない」


 ダスさんはそう言うと拘束を解き、少年の体はどん、と大きな音を立てて落ちる。しかし少年は体をふらつかせながら立ち上がり、短剣を構えてこちらへと寄ってくる。その瞳は、やはり憎悪に満ちている。


 この子は、何故こんなにも敵愾心てきがいしんを抱いているのだろう……?


「……争うつもりは無いが、お前がそうなら仕方が無い」


 溜息を吐いてダスさんも巨槍を構え、泰然と待つ。少年は再び短剣を掲げ、身を乗り出すように振り下ろし——


 ばたん、と床に倒れた。


 短剣はダスさんには当たらず、勢いのまま床に深々と突き刺さった。ただでさえ衰弱していたのに激しく動き、そしてダスさんに攻撃された——こうなるのも当然である。


「……一応、腕と足を縛っておくか。ミーリィ、こいつに食べさせる料理でも作っておいてくれ……って、俺が頼まれてたな」

「いえ、任せて下さい!」


 そう言ってわたしは寝台の横に置かれた背嚢はいのうを漁る。食材の入っている袋から乾燥した野菜と肉、塩の入った袋、そして鍋を取り出し、台所へと持っていく。


 炉の上に鍋を置き、中に塩と野菜と肉を入れ、そして願う。


 ——水よ、鍋を満たせ。火よ、炉に灯れ。


 そう願った直後、右腕の魔腑まふの輝きが僅かに強まり、無から水と火が生じた。そしてその願い通り鍋は水で満たされ、炉に火が灯った。


「その子……大丈夫ですかね……?」


 視線をダスさんの方に向けて言った。勿論容体も気になるが、それと同じくらい少年が抱えているものも気になる。本当に誰かに狙われているのか、その理由は何なのか、ずっと一人だったのか——


「どうだかな。まあ、死にかけて尚俺達を殺そうとしたことだし、腹が満たされれば元気に——」


 どがん、と壁が破壊された。


 落雷のような突然の音にびくりと体を震わせ、咄嗟にその音の方を見遣る——壁に開いた穴から、全身を覆い隠す黒い装束の人間が何人も乗り込んできた。

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