第20話 落ちこぼれ

 ”瑞光の戦士イークウェス”が去り、アルマがソフィアたちの元を離れてからしばらく経った。それでも戻ってこないアルマを、ソフィアはしきりに心配していた。

「アルマ、大丈夫かな……」

 ソフィアの誰に問うでもない質問が、ポツンと聞こえた。

「……探しにいくか?」

 ネカレウスの提案に、ソフィアはうなずいた。へーミシュは来ないと思ったのだが、「仕方ねえな。お前ら二人じゃ、魔物が来ないか心配だ」と言いながらも付いてきてくれた。

(へーミシュ、まだ傷が治ってからそんなに経ってないのに……)

 なんだかんだ言って、へーミシュは優しい。


「……あそこだ」

 へーミシュの指差す方に、アルマはいた。川岸の木陰にうずくまって、俯いている。近くの茂みから様子をうかがっているこちらに、気づいている様子はない。

(なんて声をかけたらいいんだろう……)

 先ほどの天使たちが言った言葉は、確かに正しいことなのかもしれないが、それでもアルマが一方的に攻撃されているようで、心が痛かった。そう思っているのは、みんな同じなのかもしれない。へーミシュもネカレウスも、アルマに声をかけようとはしなかった。


「……俺、ちょっと話してくる」


 そう言って立ち上がったのは、ネカレウスだった。茂みから姿を現すと、アルマに声をかけた。

「アルマ」

「……ネカレウス」

 アルマは名前を呼ばれて顔を上げたが、またすぐに俯いてしまった。

「ちょっとは落ち着いたか?」

「……うん」

ネカレウスの問いかけに、アルマは俯いたまま答えた。

「そうか。でも、無理はするなよ。心が弱ってる時に無理すると、体にも良くないからな」

 アルマの隣に座りながら、ネカレウスが言った。そのままネカレウスはしばらく黙って、川の流れの移ろいを眺めていた。


「……なんだよね……」

「ん?」


 アルマが何かを小さくつぶやいた。その声に、いつもの明るさはない。


「あたし、ダメな奴なんだよね」


 アルマはそう言うと、語り出した。




「あたしはさ、ミカエル様に忠誠を誓うエリート部隊……”瑞光の戦士イークウェス”のところに生まれたんだ……”瑞光の戦士イークウェス”は、ミカエル様直属の、天使軍の中でも精鋭が集まる所なんだ……」

「……」

 ネカレウスは、アルマの話をじっと聞いていた。

「でもね、あたし、全然強くなくってさ。みんなはどんどん強くなっていくのに、私だけ取り残されて……」

 木々が風で揺れる音と、今にも風の音に紛れてしまいそうな、アルマの悲しそうな声だけが、あたりを包んでいた。

「あいつは——インシニスは、すごく優秀で……天使なのに、光魔法だけじゃなくて、他にも四属性の魔法が使えるの……それに、元は素直でいいやつで……あたしみたいにバカなやつでも、めげずに稽古に付き合ってくれたんだ……でも、いつからか、あいつも他の天使たちと一緒に、あたしを見下すようになった……」

「そうなのか……」

 アルマの声は、そこから急に明るくなった。言葉は、とても寂しいことを言っているのに……。ソフィアには、アルマが無理して明るく振る舞おうとしているように見えた。

「きっとあたしは、誰にも必要とされてないんだ。いつも向こうみずで空回りばかりして、みんなを巻き込んで……あたしなんて——」

 アルマの言葉は、そこで途切れた。


 ネカレウスは遠くを見つめ、それからアルマに視線を戻した。


「そうか……そう思っちゃうよな。でもな、アルマ」

 ネカレウスの優しい声に、アルマが顔を上げた。



「お前は誰かに必要とされてる。今はそうとは感じられなくても、きっとお前を必要としている人はいる」



 ネカレウスが、アルマの目を見てはっきりと言った。


「俺も、火精サラマンドラなのに、火を消すことしかできなくてさ。……小さい頃からいじめられたもんだよ。けどな」


 ネカレウスの言葉から、その真剣さが伝わってくる。


「そんな俺を、それでもブルカヌス様や長様は必要としてくれたんだ。『お前にしかできないことが、きっとある』って。だからきっと、アルマにしかできないこともあるはずなんだ」


 ネカレウスの言葉は、まるで暖かな火のように、アルマの傷ついた心を溶かしていく。ソフィアにはそう感じられた。


「俺にとって、お前はもう大切な仲間だ。それに、ソフィアだって、ランドルフだって、ウルクスだって——へーミシュだって、さっきは『仲間じゃない』なんて言ってたけど、あいつもきっと、本当はお前を仲間だと思ってる」


「……ほ、本当?」


「ああ。へーミシュが、仲間じゃない、必要じゃない奴のことを、わざわざ庇って怪我までするか? 全く、あいつも無鉄砲だよなあ。俺も人のこと言えないけど」

 肩をすくめていつもより饒舌に喋るネカレウスに、アルマが笑い出した。

「ふふっ……ありがとう、ネカレウス」

 ネカレウスは一瞬きょとんとしたが、すぐに屈託のない笑みを浮かべた。

「おう! ほら、アルマがそうやって笑っていてくれる方がいいんだよ。お前の笑顔は、きっと戰も止めちまうさ」

「も〜! ネカレウスはお世辞が上手なんだから〜っ!」

 すっかりいつもの調子を取り戻したアルマが、ネカレウスの背中を思いっきり叩いた。

「いってぇ!」

 ネカレウスが悲鳴をあげる。


「……ネカレウス、やっぱりいい子だね……」

「ああ」

 ソフィアの言葉に、へーミシュがうなずく。

「あいつも、散々苦しい思いをしてきたんだろうな……理不尽な言葉に、たくさん傷つけられて……だからこそ、あんなふうに傷ついたやつに寄り添えるんだろうな……」

 へーミシュのつぶやきに、今度はソフィアがうなずいた。

「さてと。そろそろ出発するか。おーい、アルマ——」

 そこまで言ったへーミシュが、突然茂みから飛び出した。

「へーミシュ!?」

 ソフィアは慌ててその跡を追った。



 茂みから飛び出してみると、そこには、二体の天使がいた。よく見ると、先ほどいた天使のようだった。天使たちの前で、へーミシュが剣を構えている。

「また来たのか。懲りねえ奴らだな」

「あら、あんたがいると面倒だと思ったから、アルマが一人の時を狙って来たのに」

 声と見た目から判断するに、どうやらどちらも女性の天使らしい。

「ミコに、ステラ……! どうしてここに?」

 アルマがオドオドしながらたずねると、少女の姿をした天使の片方が言った。

「あら、決まってるじゃない。あんたを連れ戻すのを諦めたとでも思ってるの? 全く、相変わらず頭が悪いわねえ」

「ほんと。天使軍の落第者よねえ。なんでミカエル様は、よりによってこんな落ちこぼれを——」


「やめて!」


 ソフィアは思わず声を出していた。このままでは、またアルマが傷ついてしまう。ソフィアは前に進み出た。なんとかこの天使たちを止めなくては。

「これ以上アルマを傷つけないで……!」

 しかし、天使たちがソフィアの言うことを聞く様子はなく、むしろ攻撃の対象がソフィアに変わっただけだった。

「あら、今すぐあなたを冥界送りにしてもいいのよ? ”慈悲クレメンスの巫女”」

「そうよ。イニティウム様に逆らう”慈悲クレメンスの一族”の末裔を、私たちが黙って野放しにするとでも思っているの?」

 天使たちの言葉に、ソフィアは一歩後退りした。

(冥界送り……って、私、殺されるの……!? う、うわあ、死にたくないよー)

 

「いい加減にしろ」

 へーミシュの地に響きそうな低い声が、天使たちの笑い声を止めた。

「黙って聞いてりゃベラベラと……ソフィアはお前らには関係ねえ。それに、アルマは渡さねえよ。お前らみたいな陰気臭い奴らに、こんなアホみたいに明るいやつ、渡せるわけねえだろ……!」

 へーミシュがソフィアの手を取り、後ろに引いた。つられてソフィアが下がると、途端にへーミシュから濃い闇が溢れ出した。

「そもそも、お前ら天使には償ってもらわなきゃいけねえことがあるからな……ちょうどいい。返り討ちにして、ミカエルに思い知らせてやる……!」

 へーミシュがノクスを抜いた。怒りのこもったその声に、思わず固まりかける。すると、後ろからポンと肩を叩かれた。振り返ると、ウルクスがにっこりと笑って、「大丈夫。僕の結界の中に入ってて」と言った。後ろの茂みからランドルフも現れて、へーミシュの隣で合図を待っている。

「……なるほど。どうしても私たちに消されたいようね。じゃあ、お望み通り、あなたも冥界送りにしてあげるわ! あなたの母親のように!」

 武器を構え、天使たちが言った。

「やってやんよ……!」

 へーミシュがノクスを振りかざした、その時——。


 川の対岸で、何かが動く大きな音がした。枝葉を踏む音がいくつも聞こえる。あまりの数の多さに、へーミシュも天使の少女たちも、少しの間動きを止めた。音はどんどん近づいてきて、ついに茂みを抜け出した。


 現れたのは、狼のような生き物だった。しかし、その毛皮は真っ黒で、その体からは、毛皮よりも黒い闇を放っていた。そして何より、数が多い。ざっと数えただけでも、二、三十頭はいるだろうか。その先頭には、一際大きな狼が佇んでいた。

(お、狼……?)

 ふと見ると、隣にいるウルクスの顔がこわばっている。それに、なんだかソフィア自身も息がしづらい。

(あれ、これって、前に魔法使いの村でオーガを見たときと同じ……)

 そこでソフィアは、ようやく気づいた。

(ま、魔物だ……!)


 先頭にいた魔物が遠吠えをした。それを合図に、魔物が川に飛び込み始めた。

「こ、こっちに来る……!」

 魔物たちはこちらの岸にたどり着くと、唸り声をあげて威嚇してきた。さらに、魔物が近づくにつれ、さらに息が苦しくなってきた。「口を塞いで!」というウルクスの指示に瞬時に従う。その間にも、魔物たちは少しずつ距離を詰めてきている。ネカレウスが慌ててウルクスの結界に飛び込んできた。

「くっ……! 霊力の炎でも瘴気を防げないなんて……!」

 ウルクスが杖に込める魔力を強めながら言った。

「俺も手伝う」

 ネカレウスがそう言って、炎の魔法陣をもう一つ構築した。そのおかげか、少し息がしやすくなった気がする。

「ウ、ウルクス、この魔物は……?」

 ソフィアがたずねると、ウルクスは固い声ながらも丁寧に答えてくれた。

「これはサエブルプスっていう魔物の一種だよ。”はぐれ”だったらよかったんだけど……この数は……」

 普段冷静なウルクスがこんなにも焦っているということは、よほどの緊急事態なのだろう。そう他人事のように考えてしまうほど、ソフィアの頭もすでに機能していない。

 ランドルフとサエブルプスの睨み合いが続く中、一匹のサエブルプスが倒れた。天使の少女が放った矢が、完全にサエブルプスの体を貫通したのだ。

「いくわよ、ステラ!」

「ええ、ミコ!」

 少女の姿をした天使二人が、そう言いながら次々とサエブルプスに矢を打ち込んでいく。

「やめろ、こいつらは……!」

 へーミシュが止めようとしたが、二人の天使は言うことを聞きそうにない。


 次の瞬間、羽ばたいて空から攻撃していた天使の一人、ステラに、一匹のサエブルプスが飛びかかった。

「きゃっ!?」

 足に噛みつかれたステラは、地面に引きずり下ろされてしまった。

「ステラ! ——くっ!」

 ステラを助けようとしたミコも、横から現れたサエブルプスに肩を噛まれ、倒れ込んだ。ミコにサエブルプスの鋭い牙が迫る。

「ひっ!」

 ミコの短い悲鳴が響き、ソフィアは思わず目を閉じた。


 金属が肉を切り裂く音で、ソフィアは再び目を開けた。見ると、へーミシュが、ノクスでサエブルプスを真っ二つにしていた。

「……こいつらは、仲間意識が強い。攻撃するのは危険だ」

「な、なんであんたが……!」

 ミコが驚きのあまり固まっている。

「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ!」

 背後から迫るサエブルプスを振り返りざまに切り返し、へーミシュは言った。

「気をつけろ、ランドルフ!」

 へーミシュの声にランドルフが唸り声で答えた。


(す、すごい……)


 へーミシュとランドルフの戦いぶりをただ眺めていたソフィアだったが、そこで一つの疑問が浮かんだ。

(あれ、最初に群れが茂みから出てきたときには、もう一回り大きいのがいたような……)

 見渡しても、そこまで大きな個体はいない。気のせいか、と思ったそのとき、後ろで何かが動く音がした。嫌な予感がして、恐る恐る振り返ろうとした瞬間、ソフィアは何か大きなものにぶつかられて倒れ込んだ。目を開けるとそこには、血濡れて赤く染まった牙と、ギラギラと光る一対の目があった。


(あ、大変だ、どうしよう)


 心の声すら棒読みなソフィアの脳内は、パニックどころか思考停止していた。へーミシュが自分の名前を呼ぶ声も、まるで遠くで聞こえているかのようだった。

(私、このまま死ぬのかあ……)

 ソフィアは絶望で目を閉じた。



「そこまでです!」



 突然響いた澄んだ声に、ソフィアはゆっくりと目を開けた。

(ん? 私、もう冥界に着いたの?)

 目を開けると、そこにはまだ真っ黒な毛皮のサエブルプスがいた。

(ああ、まだ死んでなかった……)

 そう言ってソフィアは目を閉じかけたが、再び両目を勢いよく開いた。


(今の声……アルマ?)



 声の正体は、ソフィアが想像した通りアルマだった。アルマが、ソフィアに食らいつこうとしているサエブルプスに、横から弓を向けている。その凛々しい顔は、いつもの明るいアルマの表情ともまた違うものだった。それだけではない。アルマは、その身に光をまとっていたのだ。


「冥界の怪物よ、”平和”を頂きしわが名において、今すぐその娘を離しなさい」


 金色の髪が、境界の風に吹かれて揺れた。アルマのはずなのにアルマでないと感じるその声は、いつものアルマより大人びている。さらに、彼女が放つ光も相まって、今のアルマはまるで——。


(女神様、みたい……)


 サエブルプスは、アルマに対しても唸り声を上げたが、アルマは全く動じていない。それどころか、アルマは弓に込める力をさらに強くしている。ソフィアに噛みつかんとしていたサエブルプスが、一歩、また一歩と下がる。ソフィアから完全に離れると、サエブルプスの頭は遠吠えを上げた。一斉に他のサエブルプスたちが動き出す。やがてサエブルプスたちは、川を渡り対岸の茂みの中へと消えていった。


「ソフィア!」


 へーミシュが駆け寄ってきた。ソフィアはゆっくり起き上がり、へーミシュが差し出した手を取って立ち上がった。

「ありがとう、へーミシュ、それにアルマも……アルマ?」

 ソフィアと目が合うと、アルマはにっこりと笑って目を閉じた。徐々に発していた光が静まっていく。やがて完全に光が消えると、アルマは目を開けた。


「あ、あれ、どうしたんだろう、あたし……」

 そうつぶやいたアルマに、全員が驚いた。

「……覚えてないのか?」

 へーミシュの問いかけに、アルマは首を振った。

「なんか、ソフィアを助けなきゃーって思った時から、記憶がないんだよねぇ……」

 アルマは苦笑いしながらそう言った。


「んで、お前らはまだいんのか?」

 気を取り直したように言ったへーミシュの言葉に、状況が飲み込めていない様子の天使二人は、「お、覚えてらっしゃい!」と言い、慌てて去っていった。白い羽が、いくつか宙を舞いながら地面に落ちてきた。


(それにしても、不思議だなぁ……)

 ソフィアは、アルマの神々しい姿を思い返していた。いつもは明るくてお転婆なアルマ。しかし——。


(もしかしたら、アルマには本当に特別な力があるのかも……)


 そう思いながら、ソフィアは改めてアルマに感謝を伝えにいくのだった。


《第20話 落ちこぼれ 了》

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