第4章 土の街と風の森

第19話 瑞光の戦士

 水精ウンディーネにさらわれたソフィアを助けるため、先に潜入したネカレウスを追い、”大瀑布カタラクタの隠れ里”に踏み込んだへーミシュとランドルフ。無事とまではいえないが、ソフィアを助け出し、ネカレウスと共に、隠れ里から出ようとしているところだった。入り口まで見送りに来たアクアが、ソフィアをお姫様抱っこで抱えているへーミシュに言った。

「何かわかったら、また知らせに来てください。それと——」

 アクアはネカレウスに向き直ると、何か言いたげな顔をした。

「どうした? 俺の顔になんかついてるか?」

 ネカレウスが聞くと、はっとした様子のアクアは、「え、ええっと……」と目を逸らしながら言った。

「あ、あなたもまた来てくれてもいいのよ……?」

「えっ? なんで俺まで指名してんだよ」

 ネカレウスがそうたずねると、アクアはさっと顔を赤らめて、今度は怒ったように言った。

「ど、どうでもいいでしょ、そんなこと!!」

「何なんだよ……」

 ネカレウスは呆れたような声で言ったが、声色とは裏腹にその顔にはキョトンとした表情を浮かべていた。

(何のやりとりを見させられているんだ、俺は……)

 へーミシュの方こそ呆れたかったが、ここに長居するわけにも行かないので、アクアに別れを告げ、ぼーっとしているネカレウスを促し、ランドルフとともに歩き出した。


 すでに東の空が明るくなってきた頃、ウルクスの掲げた松明の炎が目に飛び込んできた。

「へーミシュ! ソフィアは!?」

 ウルクスの問いかけに、へーミシュは答えた。

「おう、少し気を失ってるだけだ。怪我も、水精ウンディーネが治したしな。もうしばらくしたら起きるだろ」

「そっか、よかった……」

「すまねえ、ソフィアを頼む。俺はちょっと一眠りしてくる」

 安堵の笑みを浮かべるウルクスにソフィアを任せ、へーミシュは近くの木にもたれかかった。背が高い割には線の細いウルクスが、ソフィアを抱えるのに苦心している様子を見ていると、どっと疲れが押し寄せてきた。そのままへーミシュは眠りに落ちていった。


     *  *  *  *  *


「へーミシュ、起きて、へーミシュ」

 木漏れ日のように暖かな声が、自分を呼んでいるのがゆらゆらと聞こえた。目を開けると、ソフィアとウルクスが覗き込んでいた。

「んー……ソフィア……もう大丈夫なのか……?」

「うん、もう大丈夫だよ。ありがとう、へーミシュ」

 起きて早々にお礼を言われ、なんだかいつも以上に照れ臭い。

「ま、まあな。それならよかった」

 眠っていたからわからないが、まだそんなに時間は経っていないらしい。

「そ、それよりへーミシュ、大変なことが——!」

 ウルクスの慌てたようの声で完全に目が覚めた。同時に、辺りに満ちた霊力に体が反応して飛び起きる。霊力の根源らしき集団が近づくのを感じ取って、へーミシュは言った。

「そ、そうなの。さっきからずっと、遠くでこっちに向かってきている足音がしているの。最初は生き物かなぁって思ったんだけど、どんどん近づいてきて……」

 ソフィアもどうやら、気配を感じ取っていたらしい。それにしても——。

「さすがにこの数はまずいんじゃねえか……?」

「う、うん。一応結界は張っておいたよ」

「おお、さすがじゃねえか」

 ウルクスの気配りに感心しながらも、へーミシュは前に出て戦闘体制をとった。横でランドルフが狼に姿を変え、唸り声を上げる。


 霧の向こう側から現れたのは、白い翼を生やし、頭の上で金色の輪が輝いている集団だった。それに加え、金色の髪に、紺碧の瞳。

(やはり天使か。それも——)

 へーミシュは天使たちを睨みつけ、口を開こうとした。しかし、それよりも早く驚きの声を上げた者がいた。


「インシニス! なんであんたがここに……!?」


 声の主は、アルマだった。へーミシュは、意表をつかれて振り返った。ソフィアも驚いた様子で、「アルマ、知り合いなの……?」とたずねている。

「知り合いも何も……こいつは、私の同期みたいなものなの……」

「なんだ、今更仲間面するのか、アルマ」

 インシニスと呼ばれた天使が、鼻で笑いながら言った。

「今更も何も、あんたは私の仲間でしょ?」

「天使軍を離れ、悪魔と行動するものなど、仲間ではない」

 キッパリと言い放ったインシニスに、アルマはたじろいだようだった。

「で、でも——」

「”平和と秩序の天使”であるにもかかわらず、秩序を乱す。そんな奴は、我が隊・”瑞光の戦士イークウェス”には必要ない」

「——っ!」

 アルマの顔が凍りついた。インシニスはなおも続けた。

「大体、”戦いの天使”であられるミカエル様の元に、平和を司る天使など、そもそも必要ないのだ」

 インシニスがそう言うと、周りにいた天使たちも次々とアルマに嫌味を言い始めた。

「そうだそうだ!」

「こんな奴がミカエル様の御許にいるなんて」

「ミカエル様に使える天使の誇りはないのか!」

 アルマは、完全に言葉を失っていた。ソフィアが「ひ、ひどい……」と小さく声を上げる。


「だが、アルマ。貴様を連れ帰れとの、ミカエル様からのご命令だ。こんなお前にも、ミカエル様はお情けをかけて下さっている。さあ、行くぞ」


 気が付くと、へーミシュたちの周りを天使たちが取り囲んでいた。有無を言わせぬ雰囲気だ。だが——。


「おい」


 へーミシュは、インシニスがそれ以上何かいう前に、その言葉を遮った。

「そのくらいにしておけ。こいつはただ、ソフィアの守護天使としてついてきているだけだ」

「そのソフィアというものこそ、お前とつるむ反逆者だろう? 悪魔の子へーミシュ」

 インシニスの嘲笑に、ソフィアがびくりと肩を揺らす。ランドルフが牙を剥いた。その頭に手を乗せて落ち着かせると、へーミシュは反論を始めた。

「ソフィアは反逆者なんかじゃねえ。それに、アルマだって、別に俺は仲間だなんて思ってねえ。だがな——」

 へーミシュはそこまで言うと、一息つき、そしてまた言葉を紡ぎ始めた。

「理不尽な言葉をかけられた奴を放っておけるほど、俺は鈍い奴じゃないんでな」

 へーミシュは、インシニスたち天使を睨みつけた。

「へーミシュ……」

 アルマが、俯いていた顔を上げた。


 正直、アルマを庇うつもりはないのだが、こういう場面に出くわすと、つい昔の自分を重ねてしまう。それに、相手は天使。へーミシュは、怒りのタガがはずれそうになるのを感じ取った。


「それに、こんな所にいていいのか? この異郷は、”いと高き所スペルスの神々”が治める場所だ。いくらミカエルの直属部隊と言っても、下手に動いたら何されるかわかんねーぞ」

 へーミシュは、怒りを抑えて、努めて冷静に言った。

「”あいつら”など、恐るるに足らぬ。我々を見くびらないでもらいたい。何ならへーミシュ、今ここでお前を切り捨てることも可能なのだぞ、”反逆者の息子”よ」


 インシニスは小馬鹿にしたように言った。その言葉の意味する所を察した途端、ヘーミシュは素早く動きながら剣を抜き、それをインシニスの首筋に当てていた。


「よくも母さんのことを……!!」


 一瞬インシニスの動きが止まり、その直後、右後方からの攻撃を交わして、へーミシュはインシニスから離れ、後方にバックステップした。後ろから他の天使に攻撃されていたことに気づかなければ、危なかったかもしれない。しかし、へーミシュは、己の怒りを抑えることができそうになかった。自分の中から溢れ出す闇を、思う存分ノクスに込める。


「宣戦布告か……悪魔風情が、我々”瑞光の戦士イークウェス”に刃向かうつもりか。ならばこちらは、お前を切り捨てるまでだ……!」

 インシニスが剣を抜いた。周りにいた天使たちも、一斉に各々の武器を構える。

「へ、へーミシュ、さすがにこの数は……!」

 ウルクスが一歩下がったのが見えた。

「任せとけよ。ウルクスはソフィアたちを頼む。行くぞ、ランドルフ!」

「ガウルッ!」

ランドルフが唸り声でへーミシュに答えた。ランドルフと視線を合わせて合図を送り、剣・ノクスを振りかざすと、へーミシュは天使の中に突進した。



「はあっ!!」

 敵に向かっていった矢先、へーミシュは大勢の天使に囲まれてしまった。ランドルフが援護してくれているから何とかなっているが、次から次へと繰り出される攻撃を交わすだけで精一杯だ。

(こいつら、かなり強え……”瑞光の戦士イークウェス”……ミカエルの直属部隊なだけあるぜ……キリがねえ)

 そんなことを考えながらも、不意に背後から迫る気配を感じて振り返り、鋭い刃を受け止めた。

「……この攻撃をかわしたか。さすがはカリタスの子、いや、”サタン”の孫だけあるな」

 攻撃の主、インシニスは、ノクスを受け止めた短剣に力を込めながら、平然と言った。

「……じーちゃんをその名前で呼ぶな……!」

 怒りに任せ、へーミシュはインシニスに剣を振り下ろした。インシニスはあっさりとそれを受け止め、弾き飛ばした。

「ちっ、もう一丁!」

 今度は横から切りつけようとした。その時、一瞬インシニスの姿が消えた。


「なっ!?」


 それと同時に「危ない!」と言うソフィアの声が聞こえた。


 背中に鋭い痛みが走る。振り返ると、そこにはインシニスの冷酷な瞳があった。背中を切り付けられたのだと、遅れて理解した。


「貴、様……ぐっ……!」


 へーミシュはそのまま正面に倒れ込んだ。


「へーミシュ!」

「ソフィア、行っちゃダメ!」

 アルマとウルクスが、ソフィアを必死に止めているのが、視界の端に見えた。ランドルフがインシニスに飛びかかった。しかし、インシニスが『氷柱スティーリア』と唱え、ランドルフは飛びかかった姿勢のまま凍りついた。

「……ランドルフ……!」

「ふっ、無様だな、悪魔の子へーミシュ。悪魔と人間の血を引く貴様ごときが、我々に勝てると思ったのか」

「くっ……」

 痛みで動くこともままならない。


「さあ、せめてもの情けだ——天界の聖なる炎に焼かれて、消え去るがいい!」


 インシニスの左手から炎が吹き出した。しかし、避けることもできない。

(ちくしょう……!)


 パチンと指を鳴らす音が聞こえた。ぼんやりとし始めた意識が、それで呼び戻される。

「な、なにっ!?」

 インシニスの不意をつかれたような声が聞こえた。

「そんな炎じゃ、こいつは焼けねえよ」

 まだ幼さの残る声が、へーミシュのすぐ近くまで来る。

「……火精サラマンドラか。お前のように霊力が弱いものが出てきたところで、我らには敵わないぞ」

「お前、喧嘩売ってんのか」

 声の主——ネカレウスの声色は、いつになく本気だ。

「それより、今何をした? ……いくら火精サラマンドラとはいえ、敵が放った炎を操ることはできまい」

 そう言ってインシニスが『業火フランマニア』と唱えるのが聞こえた。熱波が体を包む。かろうじて目を開くと、ネカレウスとへーミシュの周りは巨大な炎に包まれていた。逃げ場はない。しかし、ネカレウスは落ち着き払ってつぶやいた。

「決まってんだろ。俺の得意技は——」

 ネカレウスが指を鳴らし、再び乾いた音が異様に辺りに響く。その瞬間、あたりの木々を焦がしそうな高さまで届いていた炎が、消えた。


「——俺の得意技は、火を消し操ることさ」


「ネカレウス……」

 へーミシュは、思わず痛みすら忘れてネカレウスの名前をつぶやいていた。


 見えないとはいえ、魔力のように確かに存在しているものを消し去ることは、容易ではない。ウルクスですら、前に彼の能力デュナミスを使った後は、膨大な霊力ちからを消費したせいで倒れてしまった。それを、ネカレウスはこんなにも簡単にやってのけたのだ。


(まさか、ネカレウスにこんな力があったとは……)


「さて、と。お前の炎は、完全に消したわけじゃない。さっきの魔力は吸収させてもらった。今の俺なら、あんたの攻撃よりも強い攻撃を放つことができるが……それでもやるか?」

「ふっ、なるほどな。最弱のサラマンドラは、最強の力を持つ、か。……覚えておこう」

 そう言って、インシニスが身を翻した。

「撤退だ、行くぞ。それからアルマ——」

「な、何よ」

「このことは、ミカエル様に報告させてもらう。お前は悪魔に庇われた軟弱者だ、とな」

 インシニスの後に続く天使たちが、アルマの方をわざとらしく見て、クスクスと笑い声を残しながら、霧の中に消えていった。


「へーミシュ、しっかりして!」

 ソフィアが駆け寄ってきた。

「こ、このくらい、どうってこと……うっ!」

 起きあがろうと体に力を入れる。が、すぐに力が抜けてまた倒れ込んでしまった。

玉泉サナンズ・アクアム

 ソフィアの静かで落ち着いた声とともに、背中の痛みが取れていくのがわかった。へーミシュは顔を上げた。ソフィアの背後では霧が晴れ、境界にしては珍しい朝日が登っている。その朝日が、ソフィアの陰を鮮明に映し出していた。

「……治せたけど、無理はしないでね」

 そう言ってソフィアは優しく微笑んだ。逆光でも、その表情ははっきりと見えた。

「あ、ああ。ありがとな」


(またソフィアに治してもらっちまったな……)


 まるで自分が弱いみたいで、少し複雑な気持ちになった。


 ネカレウスがランドルフの氷を慎重に溶かしている間、ソフィアがアルマに近づいた。

「アルマも、大丈夫……?」

「う、うん」

 ソフィアの問いかけに頷きはしたが、アルマの顔は晴れていない。

「ごめん、少し、一人にさせてもらってもいいかな?」

 アルマはそう言って、その場を離れた。

「わ、わかった。気をつけて」

 ウルクスの心配そうな声は、その背中には届いていないようだった。ゆっくりと起き上がったへーミシュは、ネカレウスと顔を見合わせ、それから再びアルマの後ろ姿が消えた方を、じっと見つめるのだった。


《第19話 瑞光の戦士 了》

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