第16話 帰る場所

「ネカレウス、誰か来る!」

 ソフィアのその言葉に、火精サラマンドラの少年・ネカレウスは、「マジかよ!?」と言いながら、慌てて小さなトカゲに姿を変え、ソフィアの後ろに隠れた。足音が、鉄格子の向こう側まで迫る。


 微かな月明かりに照らされて現れたのは、群青色の髪をした少女だった。暗い牢獄の中で、その髪は、柔らかな光を反射していっそう綺麗に見えた。


「こんにちは、ソフィアさん。ご飯を持ってきたわ。ここにきてから、何も食べてないでしょ」


食べ物を乗せた皿を持った少女がそう言って、鉄格子の扉を開けて入ってきた。

「あ、ありがとうございます……」

 ソフィアはそう言って、皿を受け取ろうとした。その間も、ソフィアは、自分の後ろに隠れたネカレウスの存在が気づかれないよう必死だった。皿が少女の手を離れる。


 その瞬間、ネカレウスが大きなくしゃみをした。暗闇の中で動いた、ゴツゴツした皮膚の生き物を、少女は見逃さなかった。

「あんた、何者よ!」

 少女が、ソフィアの後ろに隠れていたネカレウスの尻尾をつまみ上げた。

「な、何すんだよ、離せよ!!」

 小さなトカゲ姿のネカレウスが、空中でもがいて抵抗している。

「あら、あんた、昼間の火精サラマンドラじゃない」

 少女のその言葉に、ソフィアは驚いた。

「えっ? ネカレウス、この人、知り合い……?」

「い、いや、知り合いというか、昼間会っただけというか……って、今はそんなこと言ってる場合じゃない!! 離せこのっ!」

 必死にもがくネカレウスだったが、さすがに自分の何倍も大きな少女の力には勝てない。

「なるほど。侵入した火の精っていうのは、あんたのことだったのね」

「離せ〜っ!」

「大人しくなさい。いきなりあんたをフルクトゥス様の前に突き出したりしないわよ」

 少女の言葉に、ネカレウスは「ほ、本当か……?」と聞き返した。

「ええ、約束するわ」

 少女はにっこり微笑んで言った。

「私はアクア。よろしくね、ソフィアさん」

「あ、ソフィアで大丈夫……あ、あと、その子はネカレウス」

 名前を告げた少女に、ソフィアは、自己紹介にネカレウスの紹介を兼ねて言った。

「で、なんであんたはここにいるのよ、

 ソフィアにネカレウスを渡しながらそう言ったアクアの質問に、「そ、それは……」とネカレウスが口籠る。ソフィアを助けに来た、なんてことが知れたら、アクアは本当にネカレウスをフルクトゥスの元に連れていってしまうかもしれない。

「お願い、このことは誰にも言わないで……!」

 ソフィアはアクアに懇願した。

「う〜ん、こいつが火精サラマンドラじゃなきゃ、見逃してあげるんだけどね〜」

 アクアが小馬鹿にしたような笑みをネカレウスに向けて言った。

「ほっとけ!」

 ネカレウスがぷいとそっぽを向く。

「まあ、あなたたちの目的が何かにもよるわ。正直言って、ソフィアさんがここに閉じ込められているのは、かわいそうだもの」

 アクアはそう言って、深い海のような色をした目を伏し目がちにした。申し訳なさそうなその様子に、ソフィアの警戒心は少し解けた。

(この子なら、わかってくれるかも……)


 ソフィアは、アクアに全てを話すことにした。


     *  *  *  *  *


「……そうだったの。火の神・ブルカヌスも、ネプトゥーヌス様と同じように封印されているのね……」

「ああ。それも、強力な水魔法によってな」

「水魔法……」

 一連の話を聞き、閉じていた目を開けたアクアは、人間の姿に戻ったネカレウスを真っ直ぐ見つめた。

「つまり、火精あなたたちにも、私たちウンディーネ族を疑う理由がある、と言うことなのね……」

「まあな。だが、俺たちは水精おまえたちを疑っている訳じゃない」

「……」

 黙り込んでしまったアクアの代わりに、ソフィアは、先ほど見た光景を思い出し、口を開いた。

「さっき見た、ネプトゥーヌス、様……? あの人も、強い火魔法で封印されていたみたいなの……」

「なっ!?」

 ネカレウスが驚きの声を上げ、アクアがうなずきながら言った。

「それだけじゃないわ。私たちが、どんなにあの炎の結界に水魔法を放っても、全く効かなかったのよ」

「水魔法が効かねえなんて……一体何が起こってんだ……?」

 ネカレウスが顎に手を当てて唸った。


「でも、それなら尚更、どうして私を……?」

 ソフィアが今までずっと不思議に思っていたことを尋ねると、アクアは一瞬唖然とし、それからまじまじとソフィアを見つめた。

「……ソフィアさん、あなた、”慈悲クレメンスの巫女”じゃないの……?」

「ううん、たぶん、違う、はず……?」

 自信がなくて声が尻すぼみになるソフィアに、アクアが「なるほどね……」と言った。彼女が小声で「まだ自分の力に気づいていないのね……」と言ったのが、ソフィアにははっきりと聞こえた。

「でも、それならどうしたらいいのかしら……ソフィアさんの力が目覚めないと、ネプトゥーヌス様にかかった封印の呪いが解けないわ……」

「封印の呪い……?」

 ソフィアは首を傾げた。

「ええ。火魔法や水魔法の魔法陣は、あくまでも神々の力を弱めるためのものなの。だから、その呪いを解かないと、攻撃しても意味がないみたい」

「そ、そうなんだ……」

 さっきから、”慈悲クレメンスの巫女”だの、封印の呪いだの、聞きなれない言葉が並んで、ソフィアの頭は混乱している。

「他に方法はないのか?」

「ええ。封印を解く手段は他にはないわ。彼女の能力デュナミスが目覚めない限り」


能力デュナミス……?)


 ネカレウスとアクアの会話を聞きながら、ソフィアは、ふとある記憶を思い出した。


『——呪いは、かけた本人にしか解けない……呪いをかけた人を倒せば、その呪いを解くことができるわ——』


「もしかして、呪いをかけた術者を倒せば、呪いは解けるんじゃないかな……?」

 独り言のように呟いたソフィアだったが、顔を上げると、ネカレウスがギョッとした顔でこちらを見ていた。

「ネカレウス、どうしたの……?」

「いや、ソフィアから、倒す、なんて言葉が出てくるとは思わなかったからな……」

「私もびっくりしたわ……」

 アクアまであんぐりと口を開けている。

(そんなに変なこと言ったかなあ……?)

 ソフィアの感覚では、そこまでおかしなことを言ったつもりではなかったのだが。


「ま、まあそれは置いといて。にしても、術を解くのに、そんな方法があったとはなあ」

 ネカレウスが腕を組んだ。

「そうね。ソフィアさんが力を使えないかぎり、そうするしかなさそうね」

 アクアはそう言いながら頷くと、ソフィアに向き直った。

「で、ソフィアさんはどうしたい?」

「……え?」

「ソフィアさんがここに閉じ込められていても、きっと、何もいい方向には向かわないわ。もしソフィアさんがここを抜け出したいのなら……」

 そこまで言って、アクアはソフィアに微笑みかけ、その後ひどく切実そうな顔をして言った。


「私も協力するわ。その代わり、ネプトゥーヌス様を必ず助けて。お願い」


 その表情で、アクアたち水精ウンディーネにとって水の神ネプトゥーヌスがいかに大切な存在なのかが、ソフィアにも伝わってきた。

「……うん。ありがとう。絶対に助けるね……!」

 ソフィアは心に誓った。


「じゃあ早速、ここからどうやって脱出すればいいか教えてもらえるか?」

 ネカレウスがそう尋ねると、アクアは悪戯っぽく目を輝かせ、「あなたに教えるとは言ってないわよ〜」と言った。

「はあ!?さっき『協力する』って言ったのはなんだったんだよ!!」

 からかわれていることにも気づかずに、ネカレウスが怒り出す。

「まあ、今回は特別に教えてあげる。唯一ここから出る方法。それは、”あれ”よ」

 そう言って、アクアは遥か上の方を指差した。とても届きそうにないその穴から見える空には、いくつかの星が瞬いていた。

「ここの鉄格子は、土精ノームが鍛えた鉄でできているの。そう簡単には壊せないわ。まあ、誰かさんがもっと強い火魔法を使えたら、溶かせたかもしれないんだけどね〜」

 アクアのからかいに、ネカレウスが文字通り怒りの炎を燃え上がらせた。しかしアクアは全く怖がることなく、「はいはい」と言って流した。

「だから、脱出しようとするならば、あの穴から出るしかないわ。難点があるとすれば、ここから抜け出せたものは、一人もいないってこと」

 ソフィアは、その言葉に震え上がった。

「じ、じゃあ、私は……」

「大丈夫よ、ソフィアさん。抜け出せないだけで、ここに入ったものは後でちゃんと解放しているわ。でも、ネプトゥーヌス様が目覚めないかぎり、我らが長・フルクトゥス様は、ソフィアさんを出してはくれないと思う」

「そ、そんなぁ……」

 アクアの言葉にホッとしたのもつかの間、再び無力感がソフィアを襲う。

(力に目覚めてないって言われても……封印を解くような魔法なんて知らないし……私、一生ここから出られないのかな……)

「私もフルクトゥス様を説得してみるけど……あの方のことだわ、きっと首を縦には振ってくださらないと思う。だから」

 アクアはそう言って、ネカレウスの肩をポンと叩いた。

「あなたが頑張らないとね、

「その言い方やめろよ。てか、俺に何しろって言うんだ?」

 アクアに対しては相変わらず不機嫌そうなネカレウスだが、一応彼女の意見は聞こうとしているらしい。

「簡単なことよ。まず、あなたがあの穴から外に出る。そして、昼間一緒にいた悪魔なり魔法使いを、この穴の上まで連れてくる。彼らはソフィアさんのお仲間だと聞いたわ。だったら、あとは彼らがなんとかするでしょ。私はその間、ここに誰も近づかないように、都合のいい言い訳でも言いふらしておくわ」

「……なるほどな」

 ネカレウスが感心したようにうなずく。

「でも、こんなことして、アクアさんが協力してくれたことがわかったら、後でアクアさんが大変な目に合わない……?」

 ソフィアは、アクアの話を聞いている間、それがずっと心配だった。ソフィアたちに手を貸して、アクアが酷い目に遭うのはいやだ。

「大丈夫。うまくやるわ。それに、私のことを疑われたら、『火の精サラマンドラに脅されて、仕方なくやった』とでも言うから」

 ソフィアの心配とは裏腹に、アクアはそう言ってネカレウスの方を見ると、ニヤっと笑った。

「……お前なあ……」

 いよいよネカレウスの怒りが頂点に達しそうなので、ソフィアは「まあまあ……」と言って彼を落ち着かせた。

「じゃあ、ネカレウス、アクアさん」

 ソフィアは二人に向かって頭を下げた。

「どうかよろしくお願いします」


「……ああ」「もちろんよ」


 答えたタイミングが重なって、二人が目を合わせる。そのまま見つめあっていた二人は、しばらくすると気まずそうに顔を背けた。


「二人とも、どうかした……?」


「いや」「なんでもないわ」


 再び重なった声に、ネカレウスがキッとアクアを睨む。

「被せてくんなよ、この根性悪!」

「はあ!? あんたが被せてきてるんでしょ、この非力火精サラマンドラ!」

「なんだと!? もっぺん言ってみろ、この性悪女!」

「性悪しか言うことないの!? この脳みそ貧弱男!! 大体、レディの牢獄に忍び込むなんて、どういう神経してんのよ、この変態!」

「変態とはなんだよ!!」


 凄まじい勢いで罵倒が飛び交うのを、ただ聞いていることしかできないソフィアだったが、そこでなぜか懐かしい思いが込み上げてきた。


(この光景、どこかで……)


 そこでソフィアは気づいた。



(なんだか、へーミシュとアルマみたい……)



 まだ出会ってから一ヶ月も経っていないはずなのに、不意に寂しさが押し寄せてきた。


(アルマにウルクスにランドルフ、そしてへーミシュ——)


いつの間にか、彼らが大切な仲間になっていたことに、ソフィアは初めて気がついた。


(帰ろう、絶対に——!)


 ソフィアの心に、希望が灯った。


《第16話 帰る場所 了》

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