第15話 鍾乳洞
「ソフィア——!」
へーミシュの叫び声を残して、ソフィアは巨大な水柱と共に消えた。気づくと、他の
「ちくしょう……ソフィア……」
へーミシュは拳を握りしめた。
「……俺のせいで……」
ネカレウスがうつむいた。ウルクスまでもが、どうすることもできずに、呆然と立ち尽くしている。
「……致し方ない……」
大きな決断を下したかのような声が聞こえ、へーミシュはフラゴルの方を振り返った。
「……ネカレウス、へーミシュ殿やお仲間を、
「えっ!?」
驚きの声を上げるネカレウスに、フラゴルは冷静さを取り戻した声で言った。
「ソフィア殿が奴らに攫われた以上、それを助ける方を優先させるべきだ。ソフィア殿が攫われたのは、お主にも一因がある。さあ、行ってソフィア殿をお助けするのだ!」
フラゴルの言葉に、ネカレウスは、鞭で打たれたかのように「は、はいっ!」と返事をして、隠れ里の方に駆けて行った。それを見届けたフラゴルは、へーミシュに向き直った。
「へーミシュ殿、どうか、ネカレウスをよろしくお頼みする」
「……わかったよ。ちょうど、道案内を頼もうと思ってたんだ」
ソフィアを助けに行くには、もう少し力の強い火の精が必要というのが、へーミシュの内心だったのだが、こうお願いされては、断るに断れない。
(それに、こいつは、他の
そんな期待を持ちながら、へーミシュは、隠れ里で待っているアルマとランドルフを呼びに行き、再び出発の準備を整えるのだった。
* * * * *
「
水の精の住処へと向かいながら、ネカレウスが説明した。ブルカニウス山のそばを流れる川の川沿いを遡り、少し歩いたところに、その住処はあると言う。
「……奴らは、地下を流れる水脈を辿って移動するんだ。おそらく、ソフィアも、それを使って連れていかれたんだと思う。いつもなら、この川沿いにも、奴らがいたりするんだが——」
ネカレウスは、そこまで言ったかと思うと、突然、素早く身構えた。目の前の茂みから、何かが動いている音がする。へーミシュも剣を構え、音のする方を見つめる。やがて、音の正体はその姿を現した。
茂みから現れたのは、群青の髪をした少女だった。
「誰だっ!?」
ネカレウスが、素早く魔法を唱えて言った。
「あんたたちこそ、何者!? それに、火の精がここに何の用よ!」
少女が負けじと言い返す。
「こいつらを案内しに来ただけだ。そうでなきゃ、誰が好き好んでこんなところにいるもんか!」
へーミシュが止めようとするのも聞かず、ネカレウスが喧嘩腰で言った。
「なんですって!?」
少女が怒りの色を顔に浮かべ、その周りを水泡が取り囲んだ。
「我ら
『
少女が呪文を唱え、その身を包んでいた水が、まっすぐにネカレウスに飛んでいき、直撃した。
「ぐはっ」
ネカレウスが短く声をあげて倒れる。
「ネカレウス!」
しかし、一番驚いていたのは、攻撃を放った少女だった。
「え、うそ!? ご、ごめんなさい……! こんなに簡単にやられちゃうなんて思ってなくて……!」
そうこうしているうちに、ネカレウスが姿を変え始めた。その体はどんどん縮み、ついには小さなトカゲになった。へーミシュは目を見張った。
「……まずいんじゃないのか、これ……」
「大丈夫、任せて」
ウルクスが『
「ぷは〜っ……し、死ぬかと思った……」
座り込んだネカレウスが、やっと息ができたかのように言った。「大丈夫か?」とへーミシュが尋ねると、ネカレウスは「ああ、なんとかな……」と言って苦笑いした。
「全く、何してくれてんだよ!!」
ネカレウスが喚いた。
「ご、ごめんなさい……」
少女がしゅんとした様子で謝った。
「……まあ、いいけど。その代わり」
ネカレウスが自分の口の前に人差し指を立て、小声で「ここで俺らにあったことは、誰にも言うなよ」と言った。
「わ、わかったわ……」
少女は頷いた。
「じゃあな。最近魔物が多いって言うから、気をつけろよ」
片手を上げ、歩き始めたネカレウスの言葉に、少女は「えっ!? ……あ、ありがとう……」と戸惑い気味に答えた。
「……あの」
「ん?」
少女の呼びかけに、ネカレウスが立ち止まる。
「……私たちの住処なら、こっちなんだけど……」
再び戸惑いながらも少女が指差したのは、ネカレウスが向かっていたのとは真逆の方向だった。
ネカレウスが真っ赤になって戻ってきたのは、言うまでもない。
* * * * *
「ここが、”
ネカレウスの案内で、へーミシュたちは
「……入れそうにないな……」
へーミシュは、厳重な警備を見て顔を顰めた。
「……よし……行くか!」
突然、ネカレウスがそう言って立ち上がった。
「おい、どこに行くんだよ」
へーミシュがそう言うと、ネカレウスは振り返って言った。
「お前らはここで待っててくれ。俺が中の様子を偵察してくる」
「偵察って……どうすんだよ、その姿じゃすぐ見つかっちまうぞ」
へーミシュがたずねると、ネカレウスが「大丈夫だ」と言って、複雑そうな笑みを浮かべた。
「……さっき見ただろ、俺の本来の姿を。あんな小さい姿なら、鍾乳洞の中の岩に紛れられるし、見つかってもすぐに隠れられる」
ウルクスが「なるほど」とうなずいた。
「じゃあ」
へーミシュは、拳を突き出して言った。
「ソフィアを頼んだぞ」
その一言に、ネカレウスは驚いたような表情を見せたが、「ああ」と、拳を突き返してきた。
それからネカレウスは、火柱をあげてトカゲの姿になると、鍾乳洞近くの草むらに入っていった。
* * * * *
顔に当たる熱と明るい光で、ソフィアは目が覚めた。地面から伝わってくるひんやりとした冷気が、体をじんわりと冷たくしていた。しかし、それすら気にならないほどの熱が顔に当たっているのを感じて、ソフィアは前を見た。
目の前にあるのは、燃え盛る火の魔法陣と、その中で磔にされたようになっている男性だった。青く短い髪は熱で焦げ、その顔は炎の色で赤く照らされていた。動く気配は全くない。
「ここ、どこだろう……」
ソフィアは起きあがろうとしたが、何かひんやりとしたもので両手を後ろ手に縛られていて、起き上がることができない。暗い中でよく見ると、足も何か冷たいもので縛られていた。いや、固定されていた。
(これは、氷……?)
そこで、ソフィアの脳裏に、気を失う前の記憶が蘇ってきた。
「そうだ、私、
「気がついたか」
魔法陣の横から、一人の女性が現れた。右手の魔法陣から光を放ち、そう言った人物に、ソフィアは見覚えがあった。
「フルクトゥス、さん……?」
「起きたのならば問題ない。早くこの結界を解くのだ」
「えっ?」
ソフィアは、自分に言われるとは思ってもみなかった言葉に、しばし固まった。しかし、そんなソフィアの心境を意に解することもなく、淡々と
「決まっておろう。ネプトゥーヌス様はこの通り、封印されておる。その封印を解かねば、ネプトゥーヌス様のお命に関わる」
そう言って、フルクトゥスが指を鳴らすと、腕が軽くなった。手首を見ると、ソフィアの腕と足を拘束していた氷が消えている。しかし、起き上がったソフィアは、フルクトゥスに向かって、「で、でも……!」と言った。
「どうした、まだ何かあるのか? ”
機嫌を損ねたように言うフルクトゥスに少し怯みながらも、ソフィアは続けた。この誤解だけは解いておかなければならない。
「わ、私、”
ソフィアは必死だったが、その言葉がフルクトゥスの怒りを爆発させたのかもしれない。
「まだシラを切るのか! もうよい、こいつを牢獄に閉じ込めろ! 認めるまで牢獄から出すな!」
フルクトゥスがソフィアを指差して言った。
* * * * *
甲高い金属音とともに、ソフィアは牢獄に閉じ込められた。ソフィアを連れてきた
(どうしよう……)
ふいに、光が差した。顔を上げると、はるかに高い天井のその一部に、小さな穴が空いていたのだ。光は、そこから差し込んでいた。どうやら、雲が光を遮っていたらしい。その穴から見える空は、先ほどのこの部屋のように黒かった。「……もう、夜なんだ……」
声は、誰に届くでもなく、一人でいるにはあまりに広い牢獄にこだました。ソフィアは再び辺りを見回した。月明かりに照らされて鈍く光を反射している頑丈そうな鉄格子が、微かに見える。
(そういえば、背中の痛みがなくなってる……)
誰かが治療してくれたのかもしれないと、ぼんやり考えた。
その時、鉄格子の向こう側に見える曲がり角から、赤く光る目が一対現れた。突然現れた赤い目は、睨みつけるようにソフィアを見ている。
「ひ、ひいっ!?」
ソフィアは悲鳴をあげた。しかし、ソフィアのその声は、「しぃーっ!」という声に遮られた。
「………えっ?」
その赤い目は、曲がり角から出て、その小さな姿を現した。そして、その小さなトカゲの体で鉄格子を抜け、ソフィアの方へへろへろと走ってきた。
「……びっくりさせて悪い……俺だよ」
聞き覚えのあるその声の直後、火柱が立ち、ソフィアの目の前には、人間の姿をしたネカレウスが立っていた。
「……ネカレウス!」
「しぃ〜っ」
思わず大きな声を上げたソフィアを、ネカレウスは口の前に指を当てる仕草で落ち着かせた。
「ネカレウス、どうしてここに……!?」
「……ああ」
ネカレウスは小さくうなずいた。が、次の瞬間、勢いよく床に倒れ込んだ。
「ネカレウス!? 大丈夫!?」
「し、静かにしろよ……見つかっちゃうだろ……」
ネカレウスは息も荒いまま、再びソフィアに静かにするよう言った。その服や髪はぐっしょりと濡れている。
(ひょっとして、水の中を通ってきたのかな……
そこでソフィアは疑問に思った。なぜ自分は、今まで存在すら知らなかった
(どうしようどうしよう……あ、そうだ……!)
『
ソフィアが唱えると、ソフィアの手から小さな風が沸き起こる。ソフィアはその風を、無意識にネカレウスの心臓にむけていた。風は火を育て、大きくしてくれる。いつか祖母からからそう教えてもらった記憶が、ソフィアにはあった。そうしていると、次第にネカレウスの呼吸が落ち着いてきた。まるで空気を送り込んだ炎のように、ネカレウスはゆっくりと起き上がった。
「……ありがとう、ソフィア。危うく死ぬとこだったぜ」
少し元気を取り戻したネカレウスは、苦笑いしてそう言った。
「さて、と。ここまで辿り着いたはいいものの……どうやって脱出すればいいんだ……?」
ソフィアはその言葉で、ネカレウスが自分のことを助けにきてくれたのだと悟った。
「ネカレウス、ありがとう。ここまで来るの大変だったでしょ……?」
「ん? ああ、いいんだよ。大したことじゃないさ。それに」
そこまで言うと、ネカレウスは、屈託のない笑顔を見せながら、さらに言った。
「ソフィアは俺の命の恩人だろ? そんな人を助けないなんて、
ソフィアは一瞬言葉が出なかった。あの時は、無意識に行動していて、助けるなんて考える余裕もなかった。それでも、ソフィアはその言葉に、温かな気持ちになった。クスリと笑いが溢れる。
「な、なんだよ……」
訝しげな顔をするネカレウスに、再び「ありがとう」と告げた。
「にしても、どうやって脱出すっかなー……?」
「そうね……あっ」
ソフィアは上を見上げて気づいた。はるか上にある天井に開いた穴。よく見れば、人が一人通れるくらいの大きさはある。
「……あそこから出られないかな……?」
ソフィアは穴を指差した。
「……ちょっと無理があるんじゃないか? 俺たち飛べるわけじゃないし」
「そ、そうだよね……」
ネカレウスに否定されて、ソフィアはがっくりと肩を落とした。
(じゃあ、どうしよう……)
その時、ソフィアの耳に、遠くで鳴る足跡が聞こえた。だんだんこちらに近づいてくる足音に、ソフィアは慌てて「ネカレウス、誰か来る!」と言った。ネカレウスは「マジかよ!?」と言って、急いでトカゲに姿を変え、ソフィアの影に隠れた。足音がほんの少しの距離まで近づき、その音の主が姿を現す。
それは、群青色の髪をした少女だった。
《第15話 鍾乳洞 了》
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