第14話 封印

「……ア……フィア……ソフィア!」

 へーミシュの声に、ソフィアは我に返った。前を見ると、へーミシュがソフィアの顔を覗き込んでいる。

「どうしたんだよ、ぼんやりして。大丈夫か?」

「う、うん、ありがとう、大丈夫……」

 心配をかけないように、ひとまず大丈夫と言っておく。その間も、頭の中に突然響いた声は、ずっと聞こえ続けていた。


『人間にわしの声が聞こえるとはな……まあいい……わしの言葉を伝えよ、奇異な力を持つ娘よ……』 


 そこでソフィアは気づいた。


(この声は……もしかして、風が運んでいるの……?)


 ソフィアには、この”火の山ブルカニウスの隠れ里”に来てから、ずっと不思議に思うことがあった。


 それは、風。


 ソフィアは、子供の頃から耳がいい。風が吹くときに発する小さな音を聞き分けて、風がどの方向に行くかがわかる。


 ここに来てから、風がずっとめちゃくちゃな方向に吹いていると、ソフィアは感じていた。確かに、風は気まぐれで、どこからどこへ向かうかも、風自身が自由に決めている。しかし、ここの風は、まるで目的を見失ったかのように迷走しているのだ。

 そのように乱れうごめく風の中で、一つだけ、まっすぐこちらへ向かって吹いているものがあった。その風が、ソフィアに声を届けている。


『娘よ……早く、私のところへ……このままでは、私は……』


 自分を呼んでいる今にも消えそうな声に、ソフィアの脳はようやくバタバタと動き始めた。

(ど、どうしようどうしよう……! と、とりあえず、へーミシュたちにこのことを伝えないと……!)


「へ、へーミシュ」

 ソフィアは、ネカレウスに続いて再び歩き始めたへーミシュを呼び止めた。

「どうした? やっぱりどっか具合でも悪いのか?」

 へーミシュが戻ってきて、ソフィアにたずねた。

「ち、違うの……さっきから、声が聞こえるの……」

「声?」

 へーミシュは、首を傾げ、それから辺りを見渡して言った。

「俺は何も聞こえねえし、周りには俺たち以外誰もいねえし……聞き間違いじゃないのか?」

「ううん、確かに聞こえるの。風が運んでるから、間違いないわ」

 そう言うと、へーミシュはまた首を傾げた。

「風が運んでるって……じゃあ、どっから聞こえてんだ?」

「え、ええっと……」

 ソフィアが風の元を辿ろうとしていると、ランドルフが何か言った。

「私も聞こえないのである〜。ただ、何だかさっきから、火が消えた後みたいな匂いがするのである」

「火が消えた後の匂い、だと?」

 ネカレウスが訝しげな顔をした。

「ランドルフ、その匂い、どこからするんだ?」

 へーミシュがランドルフに聞いたとき、ソフィアは「あ」と声を上げた。

「あっちだわ」

「あっちなのである〜」

 ソフィアとランドルフが、同時に同じ方向をを指し示す。


 そこは、ブルカヌスの館だった。


    *  *  *  *  *


「声が聞こえると言うのは本当なのか!?」

 館までたどり着いたへーミシュたちのところへ、フラゴルが血相を変えてやってきた。あれから、ネカレウスが慌ててフラゴルを呼びに行ったのだ。大きな声で聞くフラゴルに気押されながらも、ソフィアは何とか返事をした。

「は、はい……」

「それで、声はなんと……!?」

 先ほどの冷静な様子とは打って変わって、フラゴルからは強い焦りを感じた。

「ええっと……『わしは今、封印されておる』、と……」

「封印だと!?」

「は、はい……そして、『このままでは、魂まで傷つけられて、本当に力を失ってしまう』、とも……」

 そこまで聞いたフラゴルは、額に手をやった。

「……なんと言うことだ……ブルカヌス様が封印されるとは……!」

「そんな……神を封印するなんて、一体誰がどうやって……」

 ウルクスまでもが取り乱しそうになっている。

「おい、フラゴル、フラゴル!」

 へーミシュが、放心したように立ち尽くすフラゴルを揺さぶった。

「今はこうしてる場合じゃないだろ!行くぞ!」

 へーミシュの少し乱暴な喝に、ようやくフラゴルは落ち着きを取り戻した。

「そ、そうだな。行くぞ、ネカレウス!」

「お、俺もですか!?」

「当たり前だ。ほら、早くせんか!」

「は、はいっ!」

 ネカレウスが、鞭で打たれたように走り出した。



「ここからは、ブルカヌス様の聖域中の聖域。皆のもの、心して入れ」

 フラゴルがそう言った。けれども、肝心のブルカヌスへの火事場の入り口には、魔法陣の結界がいくつも張ってあった。

「これが結界か……」

「左様。我々には、この結界は破れなかった」

「確かにな。これは光魔法の結界だ。火属性のあんたらが破るには、少し無理がある」

 へーミシュが、言いながら剣・ノクスを抜いた。


宵闇ヴェスペル!〉


 へーミシュが結界を切りつけた。しかし、その闇を放つ黒い刃は、それよりも強い光を発している結界に弾かれ、へーミシュはその反動で投げ出されてしまった。

「へーミシュ! 大丈夫!?」

「あ、ああ……ちくしょう、攻撃が効かねえ……相当強い光魔法だぞ、これ……」

 ソフィアの差し伸べた手をとって立ち上がりながら、へーミシュが言った。

「まるで、光を司るものが作ったようだな……」

 フラゴルがポツリと言った。

「ちっ……仕方がねえ。みんな、ちょっと下がってろ」

「へーミシュ!? ちょっと、それって……!」

 へーミシュが魔法陣を構えるのを見て、ソフィアは慌てて飛び退いた。見覚えのあるその魔法陣は、前にソフィアを捉えようとした教皇騎士団の騎士団長を、吹き飛ばしたものだった。


『冥界の底から湧き上がりし深き闇よ、その魔の力を持って、我の敵を葬り去れ——暗澹の夜陰テネブリス!』


 前に見た時よりも濃い闇が、へーミシュの手の中でボールのように集まる。それをへーミシュは、依然として強い光を放つ結界にぶつけた。


 放たれた闇が、光の結界を相殺するようにして、どちらとも消えた。後には、燃える炎が彫刻された扉が残るだけだった。

「ふー、扉が壊れなくてよかった……」

 へーミシュの魔法の強さでは、扉まで壊してしまうのではないかと思っていたソフィアは、ほっと息をついた。

「聞こえてるぞ」

「わっ! ご、ごめん、そういう意味じゃなくて……!」

「まったく。俺だって加減ぐらいはするからな」

 ちょっと不機嫌そうなへーミシュに、勢いよく謝ったが、へーミシュはあまり気にしていないように見える。その代わり、へーミシュは大きなため息をついた。いつも明るいへーミシュにしては、珍しい。

「恩に着るぞ、へーミシュ殿。さあ、行こう」

 フラゴルがそう言い、彼について来ていた火精サラマンドラたちが、その重厚な扉を開けた。



 そこにあるのは、巨大な水柱だった。水柱の下には、青い光を放つ魔法陣があり、その上にそそり立つ水柱の中に、髭を生やした中年の男性が浮かんでいた。その人物は、両手を磔にされたように枷で縛られていて、青白いその顔に、生気は感じられなかった。

「ブルカヌス様……!」

 フラゴルとネカレウスの声が重なった。

(ひどい……どうしてあんなことに……)

 ソフィアがそう思っていると、後ろから「ちょっと!! なんで私たちは入れないのよ!!」というアルマの声が聞こえた。振り返ると、ウルクスとアルマが先ほどの門番に引き留められているところだった。見ると、ランドルフまでもが入れないでいる。

 「すまんな。いくらへーミシュ殿のお仲間と言っても、人間や魔族、ましてや天使を、ブルカヌス様の御前にお連れするわけにはいかんのだ」

 フラゴルがそう言った。

「じゃあ、なんでへーミシュとソフィアはいいのよ!?」

 アルマの金切り声にも動じず、フラゴルは「この方々は特別なのだ」とだけ言い、へーミシュとソフィアの方を見た。

「へーミシュ殿に——ソフィア殿、と言ったか。この状況を何とかできるのは、そなたたちしかいない。どうか、ブルカヌス様の封印を解いてはくれぬか……!」

「えっ、わ、私も!?」

 ソフィアは驚いた。封印を解くことができるのは、自分とへーミシュだけとは……。

「あの、どうして私を……?」

「うむ。もしやとは思っていたのだが、やはりそなたには、不思議な力があるようだ……まるで、神霊から授かったような力が。心当たりはないか?」

 フラゴルが神妙な面持ちで言った。だが、それが何のことだか、ソフィアにはわからなかった。

(確かに、傷を治せたり、周りと比べて耳が異様によかったりはするけど、それはお母様やお姉様、それにレオンもできていたことだし……特別な力じゃないと思うけどなぁ……)

 ソフィアが、心当たりのない質問に思考を巡らせていると、フラゴルが優しい目をして言った。

「……まあいい。そなたは、そのうち気づくだろう……己の力に。それよりも、今は是非とも、我が主人を救っていただきたい」

「わ、わかりました……!」

 ソフィアは、自分にできることを探すことにした。

「へーミシュ、ソフィア。とりあえず、魔法陣の周りをじっくり調べてみて。何か手がかりがあるかもしれないし、ひょっとすると、魔法陣に綻びがあるかもしれない」

 ウルクスの提案に、へーミシュが「おう!」と返事をした。


 魔法陣の周りを一周回ってみたが、ソフィアにわかりそうなことは何もなかった。

「これは……水魔法だな……火魔法なら効くかもしれないが……」


 その時だった。

「大変です!」

 大声を上げながら、一人の火精サラマンドラがやってきた。息も絶え絶えの様子だ。その赤い髪はびしょ濡れで、フラゴルたちのところへやってくると、勢いよく倒れ込んだ。

 「何があった!?」

 フラゴルや他の火精サラマンドラが駆け寄った。

 「ウ、水精ウンディーネ族が、攻めてきました……!!」

「何!?」

 フラゴルが今までよりも大きな声を上げた。

「今はなんとか”炎の門”で食い止めていますが……いくら”紅蓮の結界”があるとはいえ、このままでは………」

「わかった……早鐘を鳴らせ!」

「はっ!」

 命令を受けた火精サラマンドラたちが、走って鐘の方へと行ったのを見届けると、フラゴルはへーミシュに言った。

「へーミシュ殿、どうか我々にお力添えしてくださらぬか。奴らは、水神ネプトゥーヌスの加護を受けておる。ブルカヌス様が封印された今のままでは、この隠れ里が滅ぼされかねない……」

「わかった。ウルクス!」

「うん!」


    *  *  *  *  *


「襲撃だ!」

「女子供は家の中に入れ!」

 そんな声を聞きながら、へーミシュが再び結界を張って”炎の門”を潜り抜けると、そこでは、青色の髪をした兵士が、水精ウンディーネたちと戦っていた。

「これが水精ウンディーネ族……?」

 後ろから声がして振り返ると、ソフィアがウルクスの結界から出ているところだった。

「何で来てんだよ……」

 もはや呆れることしかできないへーミシュに、ソフィアは「だって、へーミシュやウルクスが怪我しちゃったら大変だもの」と言ってきた。

「そう簡単にはやられねえよ」

 そう言って、へーミシュはウルクスとともに、水精ウンディーネの中に突進していった。「へーミシュ!」と言うソフィアの声を背に。



地に引かれよグラヴィタス!』

 ウルクスが呪文を唱え、水精ウンディーネたちの動きを封じた。そして、へーミシュが『閃光ミカーレ』と唱え、へーミシュに襲いかかってこようとした水精ウンディーネたちを気絶させた。

「貴様、魔族のくせに、なぜ我々の邪魔をする!」

 一番奥にいた女の水精ウンディーネが言った。

「お前らこそ、何で攻めてきたんだよ」

 へーミシュは、気絶させきれなかった水精ウンディーネを薙ぎ倒しながら返した。「何を抜かすか。この憎き火精サラマンドラたちが、我らが主人、ネプトゥーヌス様を封印したというのに」

「……なんだと!? ネプトゥーヌスも封印されているのか!?」

(何かが、おかしい……)

「おのれ、フルクトゥス! よくもわしの集落を……!」

 フラゴルが高く跳躍し、フルクトゥスと呼ばれたその水精ウンディーネに襲いかかった。


業火フランマニア!』


「何をっ!」


急流トルレンス!』


 炎と水はぶつかり合い、お互いに消え去った。

「……お主、なかなかやりおるな」

「お主もな」

「だが、これはどうだ……!」

 フラゴルが魔法陣を構築し、再びフルクトゥスに攻撃しようとした。

「待て、フラゴル!これは何かの間違いだ!」

「間違いなどあるものか!」

「悪魔は黙っておれ!」

 へーミシュの忠告も虚しく、二柱の精霊は、争い続けている。


「くらえっ!」


火砲イグニシアっ!』


 へーミシュの横を、小さな火の玉がかすめていった。弱々しいその力の源を辿って振り返ると、それはネカレウスだった。

「ネカレウス! お前、何でここに!?」

「よしっ、行けっ!」

 ネカレウスは、へーミシュへの返事そっちのけで、拳を握りしめ、その炎の行く末を見守っている。その小さな火魔法は、ゆっくりとしたスピードでフルクトゥスにぶつかった。——その火の玉を、フルクトゥスは手で軽く払った。

「なっ!?」

 ネカレウスの驚く声と共に、フルクトゥスの嘲笑うような声が、あたりに響く。

「生まれて数年の小僧の魔法などでは、我は火傷すらせんわ!」

 眼光鋭くフルクトゥスが言った。

氷晶グラキエス

 その手には、冷たい光を放つ魔法陣が構築されていた。フルクトゥスは、無慈悲にもその魔法を素早く放った。魔法陣から出現した氷の刃が、ネカレウスを貫こうと恐ろしい速さで迫る。

「ネカレウス!」


 へーミシュは、ネカレウスを突き飛ばそうと動いた。が、それよりも早く動いた影があった。代わりにへーミシュが見たのは、ネカレウスを庇って背中に傷を受け、倒れ込んだ、白銀の髪の少女だった。

「——ソフィア!」

 駆け寄ろうとしたへーミシュだったが、その行手を、突然、地面から現れた氷が塞いだ。魔力の源を探って振り返ると、目を見開いたフルクトゥスの顔が目に飛び込んできた。

「あの娘は……!」

 へーミシュの脳裏を嫌な予感がよぎる。

「ソフィア、逃げろ!」

 しかし、それよりも早く、フルクトゥスがソフィアに勢いよく近づいた。

「お主、”慈悲クレメンスの巫女”なのか!?」

「えっ!? わ、私!? ち、違います……!」

 唐突なフルクトゥスの問いかけに面食らった様子のソフィアは、それでも必死に否定した。

「ふん、誤魔化そうとしても無駄だ。来い、小娘!」

 フルクトゥスはそう言うなり、ソフィアの腕を掴んで無造作に引き寄せ、『水脈プルスス』と唱えた。

「ソフィア——!」

 へーミシュが叫ぶも、遅かった。その声は青色の魔法陣から溢れ出した水柱に遮られ、ソフィアの姿は、フルクトゥスと共に水の中へと消えた。



「へーミシュ——!」

 ソフィアは叫んだ。しかし、足元に現れた魔法陣の光が、ソフィアを包み込む。同時に、全身に冷たいものが触れた。水の中にいるのだと気づいた時には、強い力で引っ張られていた。

(息が……でき、な、い……っ……)

 ついに息が持たなくなり、息を吐いた。口の中に水が入り込み、苦しみが一気に押し寄せてくる。次第に苦しみすら感じなくなってきた。そこでソフィアの意識は途切れた。


《第13話 封印 了》

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