第3章 火の山と大瀑布

第13話 赤い髪の少年

「おのれ、魔族め!」


 ——魔法使いの村を立ってから三日たったある日の朝、天使の少女・アルマが、鬼のような形相で、赤い髪の少年に向かって矢を放っていた。

「どわっ!!」

 少年がギリギリでその矢を避ける。しかし、なおもアルマは追撃をやめようとしない。

「やめろよ、アルマ。ってか、『おのれ魔族』って、悪魔と旅するって言い出した奴が何言ってんだよ」

 見かねたへーミシュは口を挟んだ。しかし、アルマも負けじと反論してくる。

「最初に攻撃してきたのはこいつでしょ!!」

 アルマは、もはや一方的に少年を攻撃している。

「やめろっつってんだろ。それに、そいつは魔族じゃない。精霊だ」

「せ、精霊……?」

 アルマを止めようとあわあわしていたソフィアが、へーミシュのその言葉に首を傾げた。確かに、先ほど突然目の前に現れ、攻撃してきたその少年は、魔族かどうかの見分けがつかない見た目をしている。鮮やかな赤色の髪。トカゲの様な尾。しかし、その姿とは裏腹に、まだ幼さの残る少年からは、どこか魔族とは違う気配を感じる。

「へっ、精霊!? ……い、いや、精霊なら尚更よ!精霊は我ら天使の敵っ!」

 いつにも増して語尾が力強いアルマを、ウルクスが「まあまあアルマ、そのくらいにしておきなよ」と言ってなだめる。ランドルフも「アルマ、落ち着くのである〜!」と言って、アルマの腕を軽く叩いた。それでようやくアルマは落ち着いた。


「何で悪魔と天使が一緒にいるんだよ!!」

 アルマの攻撃を避けて岩陰に隠れた少年が、顔だけ出して悲鳴に近いような声で叫んだ。

「わりぃ、驚かしちまったな」

 へーミシュは、いつもの軽い調子で少年に話しかけた。さらに、アルマを指差しながら、「こいつは後でしばき倒しておくから」と付け加える。

「はあ!? 何でよ!!」

 だが、それにアルマも反応し、再び言い合いになった。ウルクスが、またしても「まあまあ、へーミシュもアルマも落ち着いて……」となだめている。


「お前がへーミシュなのか!?」


 へーミシュとアルマの口論を止めたのは、意外にも、赤毛の少年の声だった。睨みつけるようにへーミシュを凝視する少年に、へーミシュは「ああ、そうだが……」と答えた。

「ちょうどいい。お前を探していたんだ」

 少年は、アルマが弓を仕舞ったのを確認して、岩陰から出てきた。へーミシュが尋ねる。

「俺を探していた……って、何でだ? 見たところ、お前は火精サラマンドラ族だろ。俺に何の用があるんだ?」

「ああ、だが、その前に——」

 少年が、へーミシュの方に手をかざす。

「——俺と勝負だ!」


『いと高く掲げしわが灯火よ、その聖なる火よ、燃え上がれ——イグニス!』


 少年が呪文を唱え、その手に構築された魔法陣から炎が噴き出した。火がへーミシュに迫る。

「みんな、下がれ!」

 へーミシュの声で、それまでぼーっとその様子を眺めていたソフィアも含め、全員が素早く横によけた。しかし、思ったよりも小さなその炎が、へーミシュに届くことはなかった。

光明オビチェ・ルーチス

 唱えたへーミシュの足元に、光を放つ魔法陣が浮かび上がった。その魔法陣から放たれる光が、少年の火魔法を完全に遮断した。

「えっ……」

 少年が驚いている間に、へーミシュは素早く構えた。

『冥界の底から湧き上がりし深き闇よ、その魔の力を持って、我の敵を葬り去れ——暗澹の夜陰テネブリス

「これが直撃したら、お前は一瞬で吹き飛ぶが……それでもいいのか?」

 魔法陣を構築しながら、へーミシュは言った。

 少年は、「ひ、ひえっ」という短い悲鳴をあげて後退りし、その場にへたり込んだ。

「へ、へーミシュ、実力行使は大人気ないよ……」

 ソフィアがそう言ったが、「知るかよ」とだけ返した。目には目を、歯には歯を。攻撃された時は、相手の敵意を無くさせることも大事だと、父が昔言っていた。


「……ねえ、どうしてへーミシュと戦おうと思ったの?」

 突然、ソフィアが少年に近づき、しゃがみ込んだ。へーミシュは、慌てて魔法陣に魔力を込めるのをやめた。闇属性のこの魔法がソフィアに当たってしまっては、怪我どころでは済まない。やれやれ、と思いながら、ソフィアと少年の様子をうかがう。


「……長様が……」

「え?」

 何かを小さくつぶやいた少年は、顔を上げて言った。


「長様が、お前らを連れて来いって……」


    *  *  *  *  *


「……俺は、ネカレウス。見ての通り、火精サラマンドラ族だ」

 へーミシュたちを連れて歩き出しながら、不機嫌そうな赤い髪の少年——ネカレウスは語り出した。毛先にいくにつれて赤から徐々にオレンジへと移り変わる髪が、風にたなびいている。

「さっきは突然攻撃してすまなかった。侵入者だと思ったんだ」

「構わねえよ、別に。で? 結局俺に何のようなんだ?」

 へーミシュは尋ねた。

「ああ……実は、ブルカヌス様が、最近俺らの前に姿を見せないんだ」

「ブルカヌス? あの、火の神の?」

 へーミシュの問いかけに、ネカレウスがうなずく。

「ブルカヌス様は、俺ら火精サラマンドラ族の主人でもあり、火を司るお方だ。いつも、ご自身の鍛治場にこもっておられるのだが、近頃は全くそこから出てこられなくなってしまったんだ……」

「また新しい剣でも作ってんじゃないのか? ブルカヌスはいつもそんな感じだと聞いているが」

 へーミシュは単純に、ブルカヌスがまた剣にこだわりすぎて引きこもっているのかと思った。しかし、その言葉に、ネカレウスは首を振る。

「それが、おかしいんだ。長様が様子を見に行ったら、入り口に結界が張ってあったんだ。今までこんなことはなかったのに……なぜそうなったのかは、長様でもわからないらしい……」

(ただ篭りきりたいだけのような気もするが……)

 へーミシュはそうは思ったが、心配そうなネカレウスの手前、さすがに口には出さなかった。

「それは心配だね……」

 ソフィアまで不安そうに言った。ソフィアはどこまでも心配性な気質らしい。

「……で、俺にどうしてほしいんだ? まさか、俺にブルカヌスを呼んでこい、なんて言わねえよな?」

「そこまでは言ってない。ただ、魔族であり悪魔でもあるお前なら、何とかできるんじゃないかと、長様は考えたらしい」

「なるほどな……」

 へーミシュはうなずいた。


 そんな話をしながらネカレウスについて行くと、だんだん地面の傾斜が大きくなってきた。歩く方向からして、山の麓を水平に移動しているらしい。そうしてしばらく歩いた頃、山腹に大きな洞窟が口を開けているところにたどり着いた。

「ここは……」

「ここがブルカニウス山への入り口だ」

 ネカレウスが洞窟を指差して言った。

「入口って……洞窟じゃねーか。山に登るんじゃねえのかよ」

「山に登ると数時間はかかるぞ。それに、ここが、俺らサラマンドラ族の住処への入り口なんだ」

「へえ〜」

 ネカレウスの説明に、ソフィアが感心したような声を上げた。そのままネカレウスが歩き出す。洞窟に入ると、奥に行くにつれ、暗く、そして何だか蒸し暑くなってきた。

「……すごい……風が吸い込まれてる……」

 ソフィアがつぶやいた。言われてみれば、確かに、風が洞窟の奥に向かって吹いていた。

 さらに進んでいくと、目の前に、ぐつぐつと音を立てる赤いマグマが現れた。

「……おいおい、まさかここを通るなんて言わねえよな……?」

 すると、ネカレウスが首を傾げて言った。

「そうだが、それがどうかしたか……?」

「焼け死ぬわっ!!」

「絶対無理なのである〜っ!!」

 へーミシュとランドルフは、ほぼ同時に叫んだ。

(マグマの中なんて通れるわけないだろ……!)

 キョトンとしたネカレウスに半ば怒りを感じていると、ウルクスの「ま、まあ、結界を張れば通れなくはないかも……」という一言で、へーミシュは「その手があったか」と掌を打った。


    *  *  *  *  *


ソフィアは、へーミシュが作った魔法陣の中に入った。ウルクスも結界を張れるのだが、さすがに全員は入りきらない、ということだったので、二手に分かれる。

「こっちだ」

 ネカレウスの案内で、ソフィアは恐る恐るマグマの中に踏み込んだ。ネカレウスが進むと、マグマが分かれて道が開いた。

「ほう……火精サラマンドラは火の中でも平気と聞いていたが……こいつはちょっと他の奴らとは違うらしいな」

 へーミシュが何やらぶつぶつ言っているのを聞いて、ソフィアは魔法陣の外を見た。マグマがじゅうじゅうと音を立てている。そこでソフィアは盛大に転けた。

「きゃあっ!?」

 ぐつぐつと音を立てるマグマが鼻先まで迫り、ソフィアは思わず悲鳴を上げ、目を閉じた。


 そのままマグマの中に飛び込むかと思ったが、暑さも何も感じなかった。


「大丈夫かよ……」


 呆れたような声に目を開けると、へーミシュが、両手でソフィアを支えていた。

「全く、気をつけろよな……魔法陣の外に出ちまったら、本当に大変なことになるぞ」

 へーミシュがソフィアを起こしながら忠告したので、ソフィアは完全に動けなくなった。

「ん、どした?」

「あ、足が動かないの……」

「ったく、しょうがねえな」

 体が浮き上がる感覚と共に、へーミシュに抱えられたのだとわかった。

(またお姫様抱っこ!?!?)

 ソフィアはあたふたしているが、へーミシュはなんとも思っていなさそうだ。


(お姫様抱っこって……そういえば、小さい頃にお父様にしてもらって以来だな……)


 そんなことを思い出し、少しだけ家族を懐かしく思った。




 ようやくマグマの中を抜けると、そこには広大な空間が広がっていた。へーミシュが、ソフィアをゆっくりと地面に下ろした。

「あ、ありがとう、へーミシュ」

「おう」

 それを見ていたネカレウスが、「お姫様抱っこって……何イチャついてんだよ」と言った。

「こいつがまたフリーズしてたから、運んでやったんだよ」

 へーミシュがケロッと返す。

(うわー、やっぱりなんとも思ってない……)

 へーミシュとの距離感に未だに慣れないソフィアだったが、助けてくれたことに改めて心の中で感謝した。

「ところで、ここがお前らの住処か?」

「ああ。ここは、”火のブルカニウスの隠れ里”、と呼ばれている」

「大きな火山だとは思っていたけど……まさか、中にこんな空間があるなんて……」

 ウルクスが感心したように言った。なるほど、ここは火山の中。そのせいか、確かに先ほどまでとは比べ物にならないほど暑い。

 村の入り口らしき門をくぐると、人の気配を感じたからか、赤い髪の人間たちがたくさん出てきた。

「あれは、悪魔に、人間に……天使?」

「なぜ彼らがここに……」

 へーミシュたちを見てざわめいている、人の姿をした彼らに、ソフィアは神聖な気配を感じた。人間でも、悪魔でもない、ソフィアが感じたことのない気配を。

「ここの奥に、ブルカヌス様が住まわれている宮殿があるんだ」

 ネカレウスがそう言い、指差した先を見ると、小高い丘の上に、館らしきものがあった。へーミシュが、視線をネカレウスに戻す。

「なるほど。で、問題のブルカヌスは?」

「こ、こら、ブルカヌス様を呼び捨てにするな!!」

 ネカレウスが注意した。


「いいのだ、ネカレウス」


 声がした方を見ると、赤い髪の青年が、こちらへ向かって歩いてきていた。

「フラゴル様!で、でも……」

 ネカレウスが青年に反論しようとしたが、それを手で制止した青年は、へーミシュに向かって手を差し出した。

「ようこそ、へーミシュ殿。”火のブルカニウスの隠れ里”へ。私はフラゴル。火精サラマンドラの長をしている」

 へーミシュもその手を取り、握手をする。

「そなたが来るのを心待ちにしておった。何せ、今我々は窮地に陥っておるからな……」

 フラゴルが真剣な眼差しで言った。若い見た目にしては、古風な話し方をするなぁ、とソフィアが思っていると、へーミシュが本題に入った。

「話は大体聞いた。だが、一体何が起こってんだ?」

「わからぬ……だが、事は急を要するかもしれん」

「どういう事です?」

 ウルクスが尋ねると、フラゴルはさらに表情を険しくして言った。

「うむ……お主らは気づいておるか? ……ブルカヌス様は、この世界を作りしものの一つ、火を司るお方。そしてこの火山は、ブルカヌス様の鍛治場でもある。火を絶やすことはない」

 そう言いながら、フラゴルが胸の辺りで右手を開く。その手には、火が出現していた。今にも消えそうな、まるで小さな灯火のような炎が、チロチロと燃えている。

「それが今は、この通り、この世界における火の力まで弱まっておる……我々が守っているこの火山の火すら、今は消えかかっている状態なのだ」

「なるほど……てことは、つまり——」

「うむ……ブルカヌス様に何かあったのかもしれぬ……」

 フラゴルが右手の拳を握りしめた。再びフラゴルが掌を開いた時には、火は跡形も無くなっていた。


「……んで、俺はどうしたらいいんだ?」


 へーミシュが両腕を組んで言った。

「うむ。まずは、ブルカヌス様の聖域に通ずる結界を解いてもらいたいのだ。あの結界のせいで、我々はブルカヌス様の様子を確かめることができぬからな」

「わかった。いくぞ、ウルクス」

「うん!」

 ウルクスが杖を持ち直した。

「ありがたい。ではネカレウス、へーミシュ殿をブルカヌス様のところへお連れしろ」

「は、はいっ!」

 ネカレウスが元気よく返事をした。すぐに駆け出し、ソフィアたちを「こっちだ」と言い手招きしている。ソフィアも行こうとしていると、周りに集まっていた若いサラマンドラたちが、何やらヒソヒソと話しているのが聞こえた。

「なんでアイツばっかり……」

「能無しのくせに……!」

(な、何だか不穏な雰囲気……)

 陰口が苦手なソフィアは、耳を塞ぎたくなった。しかし、その前に、「おーい、ソフィア。何ぼーっとしてんだよ」というへーミシュの声が聞こえ、慌ててその跡を追った。ずいぶん先に行ってしまっていたへーミシュたちを、走って追いかける。その時——。


『誰か……早く……』


(えっ……?)

 へーミシュのところにたどり着いた瞬間、声が聞こえた。

「へーミシュ、なんか言った……?」

「ん? 何も言ってねえけど」

「そ、そう……」

 キョトンとした顔のへーミシュを見て、聞き間違いかと思った。しかし、声はなおも聞こえている。

『……そなた、私の声が聞こえるのか……』

「——!」

 へーミシュでも、ウルクスでも、ましてやネカレウスでもない男性の声は、しっかりとソフィアの耳に届いている。ソフィアは、へーミシュの呼びかけにも応えることが出来ずに、しばらくその場に立ち尽くしていた。


《第13話 赤い髪の少年 了》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る