第11話 邪眼

 へーミシュたちは、魔力の気配がした村の入り口の方へと向かっていた。駆けつけてみると、そこにいたのは、見覚えのある怪物だった。

「あれは……!」

「この間のオーガだ!」

 村の入り口を破壊していたのは、前にへーミシュの城を攻撃したオーガだった。オーガは醜い巨体を揺らし、あたりの木々を薙ぎ倒している。ランドルフが、狼の姿になり威嚇していて、かろうじて村に入るのを食い止めている。

「ランドルフ、もう大丈夫だ!」

 へーミシュはランドルフを呼び寄せたが、ランドルフが見せたその隙を、オーガは見逃さなかった。ランドルフが振り返った瞬間、オーガは拳をランドルフに叩きつけた。鈍い音が辺りに響き、ランドルフが吹き飛ばされた。へーミシュたちの足元まで飛ばされてきて、思わず叫んだ。

「ランドルフ!」

 ソフィアが駆け寄り、すぐさま治癒魔法をかける。

玉泉サナンズ・アクアム!』

 ランドルフに治癒魔法が効いても、しばらくは動けないだろう。ウルクスと一緒にソフィアたちの前に出る。

「よくもランドルフを……!」

 へーミシュはオーガを睨んだ。アルマが声を張り上げて、「くらえっ!」と、オーガに矢を放った。

 矢はオーガに刺さることなく、地面に落ちた。

「ええっ!? なんかデジャヴ!!」

「ねえ、このオーガ、なんか強くなってない? 前はアルマの弓も当たってたよね?」

 アルマとウルクスが立て続けに言う。二人の言う通りだ。前見た時のこのオーガは、これほどの大きさではなかった。体の大きさだけではない。魔力まで強くなっている。

「それにこれは——瘴気?」

 ウルクスが口を塞いだ。アルマも、いつもより口数が少ない。ソフィアに至っては、後ろでぐったりとしてしまっている。


「……やべーな、こいつ」


 瘴気は、上位の魔物や魔族、そして魔力源が発する気体だ。本来ならば、オーガのような下位の魔族が発するものではない。それなら、一体これは——?


「とにかく、こいつをこのまま村に入れるわけにはいかない。追っ払うぞ!」

 へーミシュがそう言うと、「うん!」とウルクスが答え、アルマも、「任せて!!」と言った。

「おめーはすっこんでろ、アルマ!」

「は!? 何でよ!?」

「アルマはソフィアたちを守ってて!アルマの霊力ちからで、少しは瘴気が浄化されると思うから!」

 へーミシュはアルマに向かって捲し立てたが、ウルクスが的確な指示をしたので、アルマも納得したように「わ、わかった……!」と言った。


    *  *  *  *  *


 ソフィアたちの前にやって来たアルマが、『燦燦ミコ!』と唱える。アルマたちの周りを光が包み込み、あたりの空気が浄化された。

「……ありがとう、アルマ……」

 ソフィアがそう言うと、アルマは、「うん。でも、もう少し下がろ。こんなに強い瘴気を吸ったら、ランドルフはともかく、ソフィアは死んじゃうよ」

 語尾にいつものような勢いがないアルマを見て、(確かに、さっきから息がしづらいなあって思ってたけど、今そんなに危険な状態なんだ……)と、慌ててアルマと一緒に狼姿のランドルフを抱え、村の方まで退いた。

「ねえ、アルマ、こんな時に聞くのもどうかと思うけど……」

 異変に気づいて集まってきた村人たちの後ろまで下がると、安心感からか、ソフィアはアルマに質問をした。

「うん、なあに?」

「魔物って、魔族の仲間じゃないの?」

 そう聞くと、アルマはバッサリと「違うよ」と言った。

「魔物は魔族の仲間みたいなものだけど、厳密には違うの。魔族は魔界で生まれる生き物だけど、魔物は”冥界”で生まれる生き物なの」

「冥界?」

 ソフィアが首を傾げると、アルマは頷いた。

「そう。この世界の一番下にある”異郷”だよ。”死者の国”とも呼ばれてるわ」

「死者の国……」

「うん。冥界で生まれた魔物が、どういうわけか境界や魔界、下界にまで現れるの。何でだろね」

 そこまで聞いて、ソフィアは相槌を打ったが、あることを疑問に思ってアルマに尋ねた。


「あれ、じゃあ、何でへーミシュは冥界に行くって言わないんだろう……? 前も、『境界を探す』って言ってたよね……」

 そう言うと、アルマは「た、確かに……」と言って、また考え込んでしまった。

「へーミシュのお母さんは死んじゃってるんだよね? どう考えても冥界にいるのよね……。冥界は瘴気が溢れてるし、魔物も多いけど、アイツはそんなことで諦めるような柔なヤツじゃないし……ていうかそもそもなんでお母さんの魂を探しに行くんだろう……」



「もしかして、冥界にお母さんがいない、から……?」



 ブツブツと言っているアルマの横で、ソフィアは唐突に思いついたことを口に出してしまった。

「ま、まさか、そんなわけ……。だって、死んだ人間はみんな冥界に行くし、地上で彷徨っている魂も、いつかは天使が連れて行ったり、死神が攫っていく……はず……。じゃあ、何で……」

 言いながらアルマが混乱していくのがわかり、ソフィアは慌てて「ごめん、今考えることじゃないよね……」と謝った。

「ううん、いいの。でも、こればっかりは、へーミシュに聞くしかなさそうね」

 アルマはそう言うと、「てか、旅の目的地くらい知らせろって話よ!!」と、ちょっとだけ元気を取り戻して言う。しかし、その声を聞き逃しかけるほどの、強い風が吹いた。あたりの空気が一点に凝縮されるのがわかる。


 その一点とは、ウルクスの杖だった。ウルクスがオーガに向かって杖をかざし、それを振る。


暴風プロケッラ!』


 途端に、ウルクスの杖から風が噴き出した。風が砂埃を巻き上げて、オーガに襲いかかる。辺りに咆哮が響いた。

「やったか」

 へーミシュがつぶやいた。しかしウルクスは不安そうだ。

「どうだろう、発動した時、そんなに手応えはなかったよ……」


 ウルクスの、魔法に関する感覚は確からしい。砂埃が地に舞い落ちると、獰猛な唸り声を上げて、オーガが再び立ち上がった。

「やっぱ、そう簡単にはやられてくれねーか……」

「せめて、気絶させるぐらいできればよかったんだけど……」

 へーミシュとウルクスの会話が聞こえる。ソフィアの暮らしていた下界では、オーガのような魔族や、獣の姿をした魔物は倒して当たり前だったが、境界ではどうやら、倒さずに追い払うのが前提らしい。

(まあ、あんなに大きな怪物を倒すなんて、そう簡単にできないよね……)

 ソフィアがぼーっと考えていると、村人たちも攻撃を開始した。


火砲イグニシア!』

磐石サクスム!!』

黒雨イムベル!!!』


 村人たちが次々と攻撃を繰り広げる。火が噴き出し、岩が降り、大雨が怪物を襲う。ソフィアが見たこともないような魔法が飛び交う中、それでもオーガは倒れることはなかった。


「何なんだ、こいつは……!」

「いつもなら、火を見ただけで怯えて逃げていくのに……」


 村人たちも困惑している。オーガは大柄な割に臆病だと聞いたことがあったが、このオーガは、本当に強くなっているようだ。

「仕方ねえな……。このままじゃ、村が危ない。魔法のランクをもう一つ挙げられるか?」

 へーミシュがウルクスに言うと、「わかった!」と言ってウルクスが杖をかざした。


『草木を焦がす紅蓮の火柱よ、かの魔の者を焼き払え——火炎フランマ!』


 ウルクスが唱えると、まるで山火事のように大きな炎の渦が、オーガを包んだ。今までさんざん魔法で攻撃されても止まることがなかったオーガが、ついに足を止め、断末魔と地響きが聞こえた。


「今度こそ……!」

 ウルクスがつぶやいた、その刹那——。


 炎の中から、ウルクスにの方に向かって、太くて毛むくじゃらの腕が現れるのが見えた。

「ウルクス! 逃げ——」

 ソフィアの声は、オーガの爪が肉を切り裂く音で遮られた。

「ウルクス!」

「きゃああああああ!」

 へーミシュが叫ぶ声と、アルマの悲鳴。

「うっ……」

 ウルクスがその場にうずくまる。ソフィアは、瘴気にさらされる危険も忘れて、ウルクスに駆け寄った。

「ウルクス、しっかりして……!」

「ソフィア! あぶねーから下がってろ!」

「で、でも……!」

 ソフィアを怒鳴りながらへーミシュがウルクスに近づいた。

「大丈夫だ、こいつは俺が何とかする」

 そう言って、へーミシュがウルクスに触れようとした時——。


 突然、あたりの空気が重くなった。全身におもりがぶら下がっているような重さを感じる。

(……あの時と同じ——!)


「ソ、ソフィア、へーミシュ」

 ウルクスが振り返った。苦しそうな、そして悲しそうな顔だった。


「逃げ、て……!」

『逃ガスカ』


 ウルクスではない声が同時に聞こえて、ソフィアは硬直した。地の底から這い上がってくるかのような声が、ソフィアの動きを完全に止める。ウルクスは再び苦しそうな声を上げてうずくまると、傷口を抑えて血濡れた両手で、ためらいもなく頭を押さえた。

「い、嫌だ……! 僕は……!」

 そう言い終わらないうちに、ウルクスの額から、紫色の光が差し始めた。

「おい、しっかりしろ、ウルクス!」

 へーミシュが声をかけても、反応がない。毒々しい色の光が、ソフィアとへーミシュを照らす。

 不意に、ウルクスが立ち上がり、額に巻いた紫色の布を取った。その額に、紫色の目のような模様があるのを、ソフィアは横から見た。オーガがウルクスの魔力に怯み、少し後退りした。虚なウルクスの目が見開かれる。


消滅フィーニス


 ウルクスが呪文を唱えた。彼の声と、別人の低い声が混ざって、まるでウルクスではない誰かが喋っているように聞こえる。

「やめろ、ウルクス! 目を覚ませ!」

 へーミシュがウルクスを揺さぶるも、その額から放たれる光が止むことはなかった。

 ウルクスがオーガの方を見ると、光が一層強くなった。すると、オーガの足元に魔法陣が浮かび上がり、同じように紫色の光を放ち始めた。


 次の瞬間、オーガは、まるで砂の山が崩れるように消えた。そう、のだ。ソフィアの背丈の二倍はありそうな怪物が、砂が風に吹かれて飛ぶような音を立てて。魔物は断末魔さえ残さず、後には、キラキラした小さな粒のようなものが、宙を舞うだけだった。


「な、何が起こったの……?」


 アルマが呆然とつぶやいた。一瞬の出来事だった。しかし、オーガが、その肉体すら残さず空気に溶けた光景が、脳裏に焼き付いてしまっている。


「ウルクス、おいウルクス!」

 へーミシュが再びウルクスを揺さぶった。今度は両手で躊躇なく。ウルクスは、へーミシュの力のままにぐらんぐらんと揺れていたが、我に返ったように「あ、あれ、僕は、何を……」と言った。ぼんやりと宙を見ていた、彼の黒い瞳も、光を取り戻している。ウルクスは、目の前を漂う光を帯びた粒子に気づくと、ため息まじりに言った。


「また、やってしまったんだね……」


 自嘲を含んだ笑いと共に、ウルクスは地面に倒れた。


「ウルクス!」

 ソフィアは、しゃがみ込んでウルクスに呼びかけようとした。



「近づいてはならん!」



 しわがれた大声に、ソフィアの肩が跳ねた。恐る恐る振り返ると、皺だらけの老婆と、前にへーミシュの城で会った老人が、村人たちをかき分けて、ゆっくりとこちらへ向かってきているところだった。

「マギステルに、アラウダも……!」

 へーミシュが言った。ソフィアは、先ほどの大声に驚いて硬直していたが、声の主は、どうやらこのアラウダという老婆だったらしい。ソフィアとすれ違う時、老婆の額に、ウルクスと同じ紫色の布が巻かれているのが見えた。

 アラウダは、杖をつきながらウルクスに近づくと、彼の傍に落ちていた紫の布を手に取り、それをウルクスの額に巻いて結んだ。

「これでもう大丈夫じゃ」

 アラウダはそう言うと、今度は村人たちに近づいた。

「誰か、ウルクスを小屋まで運んでくれんかの」

 村人たちはお互い顔を見合わせ、何かゴニョゴニョと話していたが、前に進み出るものは誰もいなかった。

「俺が運ぶ。手伝いはいらねーよ」

 へーミシュがそう言って、ウルクスを軽々と担いだ。そのままソフィアに、目で「ついてこい」というと、アラウダやマギステルと共に歩き出した。ソフィアも、ランドルフを抱き抱えてそれに従った。


 小屋についたへーミシュが、ウルクスをベッドに寝かせる。アラウダは「ありがとうごぜえます」と、へーミシュに感謝の言葉を伝えた。マギステルが、ウルクスの様子を伺って、説明してくれた。

「ウルクスは、少し力を使いすぎたようで……少しの間、眠っているでしょう」

「そうですか……よかった……」

 ソフィアは胸をなで下ろした。アラウダが、ランドルフのために自分のベッドを貸してくれたので、お礼を言ってそっと寝かせた。

「そうだ、へーミシュ、怪我の治療を……!」

 ソフィアはそう言ったが、傷口を見ると、瘴気に蝕まれて、傷口がだんだん広がってきていた。瘴気を浄化しなければ、ソフィアの治癒魔法を使っても効果がないだろう。

 ソフィアが困っていると、アルマが『浄化プルガーティオ』と唱えた。アルマが「これで瘴気は浄化されるはずだよ」と言って、力なく微笑んだ。

「ありがとう、アルマ」

 ソフィアはそう言って治癒魔法を唱えた。アルマのおかげで傷はすぐに治ったが、マギステルの言った通り、すぐには目を覚さないだろう。

 しばらくの間、誰も話さなかった。


《第11話 邪眼 了》

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