第10話 魔法使いの村と老婆
「や、やっと着いたー」
逃亡中の公爵令嬢、ソフィアが、足をガクガクさせながら、何とか目的地に辿り着いて言った。「大丈夫かよ……」とへーミシュは言ったが、正直ソフィアにここまで体力がないとは思っていなかったので、少々呆れている。
(何でついてくるって言ったんだ、こいつ……)
「お疲れ様、ソフィア。もう休めるよ」
魔法使いの少年・ウルクスが、ソフィアに微笑みかける。それを見たアルマが、「わー! ウルクスは優しいのねー。誰かさんと違って」と囃し立ててきた。その言葉は「うっせえな」と一蹴したが。
「じゃあ、村長の家に案内するよ。ついて来て」
ウルクスが歩き出したので、へーミシュたちもそれに続いた。
境界と下界の境目にあるウルクスの村は、境界を囲む山脈の麓にある。境界中に満ちている霧が、村中に立ち込めていた。村の入り口には、村と外の世界を区切るように、小さな石碑が置かれていた。人間の村では、こうした石碑がよく置かれているのを目にする。前にこの村に来たときに、別の場所にあった石が何か尋ねたら、「お墓です」なんて返ってきたこともあった。
「おお、へーミシュ様じゃ」
「こんにちは、へーミシュ様」
村に入ると、へーミシュに気づいた何人かの村人から、挨拶をされた。「やあ」と返事をしながら、村人たちに「いま戻りました」と言っているウルクスをじっと見つめる。
「お、おお、おかえり、ウルクス」
村人がぎこちなくウルクスに言う。それを見たウルクスは、困ったように笑った。そのまま村人はへーミシュに一礼すると、家の中に入ってしまった。
(なんか引っかかるな……)
へーミシュはそう思いはしたが、口にはしなかった。
「こっちだよ」
もやもやしながらも、ウルクスの案内で、へーミシュたちは村の一番奥にある、村長の家に入っていった。
この村の家は、丸太を組み合わせて作られている。下界では、石と木を組み合わせて作られていることも多いと聞くが、木が豊富な境界では木造りの家の方が圧倒的に多い。家の中は、ランプの炎に照らされて、霧がかった外よりもほのかに明るかった。入ってすぐの部屋のソファーに、ソフィアたちを座らせる。
「じゃあ、僕とへーミシュは村長と話をしてくるから、他の三人はここで待ってて」
ウルクスがそう言うと、ランドルフが「わかったのである〜」と返事をした。
へーミシュとウルクスが奥の部屋に通されると、そこでは村長のマギステルが椅子に腰掛けていた。
「ようこそいらっしゃいました、へーミシュ様。最近は、ウルクスと親しくしてくださっているようで」
マギステルはそう言ってへーミシュと握手をした。「まあな」と言いながら、へーミシュも挨拶をする。
「ウルクスから聞きました。旅に出られるそうですな」
マギステルの向かい側の椅子に腰掛けると、マギステルがそう切り出した。
「ああ、そのためにも、情報を集めたい」
へーミシュはそこでいったん区切って、その先を伝えた。
「”母さん”についてのな」
「なるほど。では」
マギステルはそう言ってゆっくりと立ち上がった。
「我が村が誇る
* * * * *
その
「ここがウルクスの家か……」
「はい。大したおもてなしはできませんが……」
そう。ここはウルクスの家でもあるのだ。アラウダはウルクスの祖母で、今は二人暮らしなのだと、ウルクスが教えてくれた。
「アラウダ、いるか?入るぞ」
マギステルがドアをノックしてそう言うと、中から「お入りなさい」と言う、しわがれた声が聞こえた。
真っ暗な中に入ると、暖炉の近くにおいてあった椅子に、誰かが座っているのが見えた。部屋には他にも、古ぼけた机や椅子、二つのベッドなどが、部屋の端に寄せて置いてある。それでもなお、この小さな小屋は狭すぎるくらいだった。ウルクスが、入り口横においてあったランプに火をつけながら「ただいま、おばあちゃん」と言った。
「おかえり、ウルクス」
先ほどと同じ老婆の声が、よりはっきりと聞こえ、ランプの灯りがその後ろ姿を映し出す。皺が深く刻まれたその横顔の主——アラウダは、暖炉の方を眺めていたが、ふとへーミシュの方を向いた。
「ほお。魔王のお孫さんが、私に何の御用ですかえ」
へーミシュはそう言われて目を見開いた。
「驚いたな。俺のことがわかるのか。あんたは目が見えないと聞いていたんだが」
すると老婆は、布で覆われた額を指して言った。
「私には、この”眼”があるからねぇ」
その行動で、へーミシュの脳内にある断片的な情報が、すべてつながった。それが、導き出した答えが間違ってはいなかったと告げている。へーミシュは確信を持った。
「——なるほど。あんたもウルクスも、”魔なる目の者”、なんだな?」
ウルクスの肩が跳ねる。そのまましばらく沈黙の時間が続いた。
「……お気づきになられましたか」
黙り込んでしまったウルクスの代わりに、マギステルが口を開いた。
「ちょうど話さねばと思っておったところでした」
マギステルはそうつぶやくと、「まあまあ、どうぞおすわりになってください」と言って、ウルクスに椅子を差し出させた。へーミシュは謝意を伝えながら、続きを聞いた。
「……我々の一族は代々、堕天使サリエル様と契約しております。それによって、我々はより大きな力を得ているのです」
「堕天使サリエル、か……」
サリエルは、月の魔力を操る堕天使だ。堕天したにもかかわらず、魔族と連まない奴だと、聞いたことがある。神・イニティウムに反逆して堕ちた他の堕天使は、魔族と結託して、魔界で暮らすことも多い。その方が、堕天使であるへーミシュの祖父・ルシファーというツテを辿りやすい。しかしサリエルは、なぜか一人だけ、月と冥界の女神・ルーナに仕えている。月の天使だからだろうか。
そんなサリエルに仕えているというこの村の魔法使いたちは、やや特殊な部類に入るのだろう。へーミシュたちのような、変わった悪魔たちと取引しているのも、わかる気がする。
「はい。そんな我々の中でも、サリエル様に見出された子供は、生まれながらにして、”魔なる目”、すなわち”邪眼”を持つのです。へーミシュ様もご存じとは思いますが、邪視とは、見ただけで相手を呪う、サリエル様の術。その力を持つウルクスやアラウダは、村では”サリエルの申し子”と呼ばれております——」
へーミシュはウルクスの様子をうかがった。俯いて、こちらを見ようとしない。ウルクスにとっては、あまり知られたくないことなのかもしれない。マギステルも、いったんそこで間を置いて、再び語り出した。
「——しかし、神霊の力は、人間がそう簡単に操れるものではありません。我々の一族は、何度もその事実に直面してきました。そして、その度に学んだのです。いかに強い意志や魔力を持とうとも、その強大な力には抗えぬ、と」
マギステルは淡々と語っているが、どう見てもその表情は辛そうだ。その視線の先には、ウルクスがいる。マギステルが話を進めるとともに、ウルクスがぎゅっと拳を握りしめた。
「ゆえに、ウルクスは、時としてその力の制御を失ってしまうことがあるのです」
「そうなのか……」
へーミシュは、ウルクスに向き直った。
「あの紫の光……。あれはそういうことだったんだな」
ウルクスは俯いていたが、やがて決心したように顔を上げた。
「……うん。黙っていてごめん」
「いいんだよ。言いづらいことだろうし」
へーミシュはそう言って、本題に入ることにした。このままこの話題を続けても、ウルクスが辛くなるだけだ。
「アラウダ。俺は”母さん”の情報を知りたい」
一息ついた後、へーミシュは思い切って言った。
「母さんは、やはり”冥界”にはいないんだな?」
いきなりストレートに聞きすぎたかと思ったが、アラウダは困惑することなく答えた。
「ええ。やはり、冥界にはおらぬようですわな。前、カリタス様がいらっしゃった時も、この”眼”でしっかりと確認しております」
「じゃあ一体どこに……」
へーミシュがつぶやくと、アラウダは困ったような顔をした。
「それが、なぜか見えぬのですわ。この”眼”に見えぬものはないというのに。お力になれず申し訳ありませぬ」
「いや、いいんだ。じゃあ、何か手がかりになるような情報は見えないか?」
へーミシュが尋ねると、「・・・しばしお待ちを」と言って、アラウダは見えない両目を閉じた。
ウルクスが放ったものと同じ光が、アラウダの額に巻かれた布の下から差す。その光が止んだかと思うと、アラウダは語り出した。
「ここから境界の中央に向かってまっすぐ行くと、”
へーミシュは頷いた。
「わかった。行ってみる。ありがとな」
へーミシュたちは、ウルクスとアラウダの家を後にした。マギステルが、家を出て早々、「へーミシュ様、本当に神々の都へ行かれるのですか?」と、心配そうな顔で聞いてきた。
「ああ、こうなったら、突撃するしかないな」
ニヤッと笑って見せたら、「へーミシュ、不敵な笑みになってるよ……」とウルクスに言われた。
「しかし、よいのでしょうか。へーミシュ様のお供には、天使もいるんでしょう……?かの神々のところへ行って、攻撃されないでしょうか」
まだ不安そうなマギステルに、へーミシュは言った。
「その時はその時だろ。それに、あいつらだって、そう簡単に攻撃してはこないだろうし」
「そ、そうですか……」
(まあ、マギステルの不安はもっともだが、少なくとも、俺には攻撃してこないだろうな)
へーミシュにここまでの自信があるのは、いちおう魔王の孫だという自負もあるからなのだが、実は他にも理由がある。
「……さすがに俺に攻撃したら、じーちゃんどころか、ばーちゃんまで怒りかねないし、そんな危ない轍は踏まないよな」
「へーミシュのおばあさん……?」
「い、いや、何でもない」
(やべ、うっかり口に出ちまった)
へーミシュは焦ったが、ウルクスはあまり気に留めていないようだ。
「じゃあ、ソフィアたちも呼んで、旅の準備を始めるぞ——」
へーミシュは、そこまで言って足を止めた。
「それより」
村の方で、大きな魔力の塊が、ゆっくりと動くのを感じ取ると、へーミシュは振り返って言った。
「——気づいているか?」
ウルクスが「へーミシュ!」と言って駆け出す。へーミシュも後を追った。
走りながら、ウルクスと「だいぶ大きな気配だね」「そこそこの強さだな」と会話を交わす。村と森の境目まで来ると、ソフィアが「へーミシュ!」と言いながら駆け寄ってきた。
「どうしたんだ」
「大変なの、ランドルフがどこかに行っちゃったの……!」
「何だって!? こんな時に!?」
ウルクスが動揺している。
「そうなの、魔力の気配もするし」
ソフィアの後ろからやって来たアルマが付け加えた。
「……あいつのことだ。ヤツの匂いを嗅ぎつけたんだろう……!」
「そ、そんな、じゃあランドルフは……!」
アルマが青ざめた。
「とにかく、行くぞ!!」
へーミシュは、みんなに呼びかけた。
《第10話 魔法使いの村と老婆 了》
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