第7話 最強の魔法使い

 天使たちの襲来から数日後——。

 へーミシュはバルコニーの柵にもたれかかって頬杖をついていた。この間返り討ちにあった傷も、もうすっかり治っている。しかし、へーミシュの心は、この境界の空のように晴れないままだ。


『彼女はにはいない』


 ソフィアの歓迎パーティーの後、父・カリタスの書斎に呼び出されたへーミシュは、そう告げられた。デスク横の蝋燭の灯りが、父の顔の輪郭を暗闇に浮かび上がらせている。悲しみとも、憂いともつかぬ、ただただ感情を押し殺したような表情だった。


『そうか』


 へーミシュは、それだけ返事をした。それしか言うことはできなかった。


『彼女の魂をきちんと弔ってやらねば。しかし、私がこれ以上、この城を離れるわけにはいかないな』


 別れ際、父はそう言って、へーミシュを部屋から送り出した。虚げな、けれども温かな眼差しが、母を想う気持ちの全てを表していた。


 母が亡くなって、どれだけ時間が経っただろうか。薄れていく記憶の中でも、母の優しい笑顔だけは、色褪せることなくへーミシュの脳裏に焼き付いている。


「母さん……」


 あわや天使・悪魔間の戦争になりかけた、例の一件があってから、父はここ・テルミヌス城を離れることなく、城の防衛強化に努めている。城主代理であったにも関わらず、城を守りきれなかったことは、へーミシュの心に陰鬱な影を落としていた。

(俺がもっと強ければ、父さんは心置きなく母さんを探しに行けるのに……)

 そこでへーミシュは、はたと気づいた。

(そうだ……俺が母さんを探しに行けば……!)


「へーミシュ様。こんなところで、どうかされましたか?」

 聞き慣れた声で現実に引き戻される。振り返ると、羊頭の執事・セバストスが立っていた。

「来客のお時間です。カリタス様から、今日の取引はへーミシュ様がお相手なされるようにと、言付かっております」

「そうか。わかった、すぐ行く。そういえば、グレモリーも呼ばなきゃな。どこにいるかわかるか?」

「グレモリーでしたら、確か、ソフィア様とお茶会をしていたと思います。呼んでまいりましょうか?」

「いや、俺が行くよ。ランドルフにも同席してもらいたいからな。多分ソフィアと一緒にいるだろうし」

 それを聞くと、セバストスは「かしこまりました」と言い、駆け足で去っていった。


『そうだ……俺が母さんを探しに行けば……!』


 先程の思考が、まだ頭の中でこだましていた。正直言って、成し遂げられるとは思えない。だが、どうしてもこの手で母を探し出したいという思いが、へーミシュの中でどんどん大きくなっていく。

 へーミシュは、この広大な宇宙そらの下のどこかにいる母親に向かって、心の中で呟いた。

(待ってろよ、必ず探し出してみせるからな……!)


「グレモリー、ランドルフ、来客の時間だ。行くぞ。——って」

 へーミシュはグレモリーたちのいる部屋のドアを開け、中に入った。見ると、ランドルフが腕を振り回して、「かわいいって言うな〜!」と叫んでいるところだった。隣にいるソフィアが、「あわわ、ごめんね」と言いながらなだめている。

「ど、どうしたんだ?」

 へーミシュがそう聞くと、ランドルフが腕を振り回すのをやめて、へーミシュに飛びついてきた。

「ソ、ソフィアが、私のことを、また『かわいい』って言ったのである……!」

「は、はあ、そうか……」

 へーミシュはランドルフの頭を撫でながら(そういうところが、かわいいと思われてるんだろうけどな……)と思ったが、さすがに言えなかった。

 グレモリーが、「あら、もうそんな時間だったのね」と言って、話を戻してくれた。そして、グレモリーはソフィアに言った。

「さてと。そういうわけだから、ソフィア様、ちょっと待っててね」

「来客、ですか……?」

 ソフィアが首を傾げた。

「ああ、魔法使いだよ」

 へーミシュは何の気なしに言った。しかし、それを聞いた途端、ソフィアが「ええ!?」と大きな声で驚いた。

「ま、魔法使いってことは、に、人間!?」

 ソフィアが前のめりになって聞いてきた。

「あ、ああ、そうだが……なんだ、興味津々だな」

 ソフィアがこんなにも好奇心を向けるとは、意外だった。もっと、控えめで、すぐ思考停止するとか、そんなイメージしかなかったのだが。

「まあでも、確かに、ソフィア様はずっと私たち悪魔と一緒に過ごしていたものね。人間と聞いて興味が湧くのも、無理はないわ」

 グレモリーがそう言った。ソフィアは、「そ、それもそうですけど、境界って、人間も来れたんですか!?」と聞いている。「来れるぞー。というか、彼らはもともと境界ここにいるけどな」と返事をすれば、「えええ!?」とさらに驚かれる始末。

「そんなに興味があるなら、ソフィアも来るか?」

 なんだかだんだん面倒くさくなってきたので、へーミシュはそう言った。

「い、いいの?」

 ソフィアがおどおどしながら聞く。へーミシュは、「構わないぞ」と言った。仕事の話だが、ソフィアがいたところで、別に支障はない。それを聞いたソフィアは、目をキラキラさせながら「ありがとう」と言った。

「じゃ、早く行くぞ。客を待たせてるからな」

「わかったのである!」

 ランドルフが元気よく返事をした。


 来客の魔法使いは、すでに応接間へと通されていた。二人いるうち、一人はずっと父やへーミシュと取引していた魔法使いの老人・マギステルだが、もう一人は見慣れない少年だった。へーミシュと同じくらいの年頃の、へーミシュよりも少し背の高い少年は、へーミシュを見るとピシッと背筋を伸ばした。

「ご無沙汰しております、へーミシュ様」

 老人が挨拶した。へーミシュも、「久しぶりだな」と答える。

「ところで、今日はどうしたんだ?」

 へーミシュは話を切り出した。この少年を連れてきたということは、何か彼に関する話があるのだろう。

「ええ、実はですな。わしも、年をとってきて、体のあちこちが弱くなってきましてな。このままでは、へーミシュ様やカリタス様に頼まれたお仕事にも支障が出るかと……。ですから、今後は、こちらの魔法使い・ウルクスに、仕事を引き継がせていただきたいのですじゃ」

 マギステルがそう説明する。へーミシュは、ウルクスと呼ばれた少年を見た。

「こやつはとびきり優秀な魔法使いでしてな。必ずや、へーミシュ様のお役に立てるでしょう。さあ、ウルクス。へーミシュ様にご挨拶を」

 すると、少年は立ち上がり、ひざまずいた。そして、へーミシュに向かって挨拶を述べた。


「悪魔の王、ルシファー様の御令孫、へーミシュ様。どうか、これからよろしくお願いいたします」


「お、おう……ぎょ、仰々しいな」

 あまりにも担がれすぎていて違和感があるが、へーミシュはとりあえず頷いた。しかし、このままでは、まるで主従関係のようなやりとりになってしまいそうだ。

「俺は対等な関係を望んでいる。敬語とか、敬うようなことをする必要はない」

 へーミシュはウルクスに手を差し出した。

「これからよろしくな、ウルクス」

「……はい!」

 今まで緊張しっぱなしだったウルクスが、ようやく笑顔を見せた。


    *  *  *  *  *


「それでこの間頼んだ薬草の話なんだが……」

 へーミシュが仕事の話をし始めてしばらくしてから、ソフィアは気を遣って席を外すことにした。本当は、へーミシュが始めた魔法の話が難しすぎて、ついていけなくなったからなのだが。

 城の南の庭に出て、ぼんやりと植物を眺める。

(それにしても、へーミシュがそんな血筋だったとは……)

 悪魔の王、ルシファーのことは聞いたことがあった。元々は偉大な天使だったにも関わらず、神に逆らって堕天した、悪の化身。ソフィアが幼い頃聞かされたのは、そんな話だ。その孫ということは、へーミシュは、悪魔の中では相当高貴な身分なのだろう。こんな巨大な城に住んでいるのもうなずける。

(あれ、でも、ルシファーに関する、何か別の話を聞いたことがあるような気がするな……?)

 ソフィアは記憶を辿ろうとしたが、辿ろうとしても記憶の糸がつながらない。「うーん」と思考を巡らせていると、「きゃああああああ!」と、いつか聞いたような悲鳴が聞こえてきた。見上げると、やはりいつか見たような影が降ってきている。ソフィアは咄嗟に庭の隅へとよけた。

 影は、垂直に庭の真ん中へと落ちた。

(こ、今度は避けられた……)

 ソフィアは、ほっとしたのも束の間、なんだか心配になってきて、庭の中心へと向かった。


「あいたたた……。今度は足を滑らせちゃうなんて……」

 天使の少女・アルマは、またまた痛そうに腰をさすっている。ソフィアは、「大丈夫ですか、アルマさん!?」と言って駆け寄ったが、次の瞬間、思いもよらぬことを言われた。

「あ!あなた、こんなところにいたのね!ちょうどよかった!」

「ちょ、ちょうどよかった……?」

 そう聞くと、アルマは得意げに微笑んだ。

「あなた、あいつに攫われたんでしょ?助けてあげる。さあ、あたしについてきて!」

 どうやら、アルマはとんでもない勘違いをしているらしい。

「ち、違うの……!私は助けてもらって……」

 ソフィアはなんとか違うことを説明しようとする。しかし、アルマは言い終わらないうちに話し始めた。

「騙されてるのよ!アイツのことだわ。きっと何かいい口実をつけて、あなたを連れてきたんでしょ」

「そ、そうじゃなくて、ほんとに——」


 突然、「大変だ!オーガが侵入した!」という声が聞こえた。続いて、「南の庭の方だ!」という声が聞こえる。

(南の庭って、ここのことだわ……!)


 低い唸り声と、何かがガラガラと崩れる音がした。振り返ると、後ろに、醜くて、城壁よりも背の高い大男が立ち、牙を剥き出しにしている。大男の目の前の城壁は、粉々に壊されていた。

 ソフィアは思考停止しそうになった。

(オ、オーガだ……!ど、どうしようどうしよう……!)

 ソフィアが動けなくなっていると、「く、くらえっ!」と言って、アルマがオーガに矢を射掛けた。矢はオーガに真っ直ぐ飛んでいき、その腕に刺さった。だが、オーガはさらに大きな唸り声を上げ、その矢を引き抜いてしまった。

「う、嘘!?」

 アルマが驚嘆の声を上げる。

 オーガが逆上し始めた。こちらに向けて突進してくる。

「に、逃げるわよ!」

 アルマがソフィアの手を掴んだ。ソフィアの体がふわりと宙に浮かび上がる。アルマが翼をはためかせ、空へと舞い上がり始めたのだ。しかし、二人分の体重を支えているため、なかなか思うように飛べない。

 すると、オーガが、近くにあった石を投げつけ始めた。石が、凄まじいスピードで次々と飛んでくる。アルマも、最初の数発は避けたが、一際大きな石がアルマの翼に当たってしまった。

「きゃあっ!」

 アルマはバランスを崩し、ソフィアと共に地面に叩きつけられた。衝撃が瞬時に体に伝わってくる。

「い、いたた……。って、アルマさん、大丈夫!?」

「う、うう……」

 アルマはうめき声しか上げない。よく見ると、翼の付け根の近くが折れてしまっている。

「た、大変!どうしよう……っ!」

 後ろからも唸り声が聞こえ始めた。恐る恐る振り返ると、そこにはオーガがもう一体いた。しかも、今までここにいたオーガよりも大きい。今度こそソフィアは完全に思考停止した。もう一体との縄張り争いに勝ったらしい、大きな方のオーガの足音が近づいてくる。影がソフィアとアルマを覆い尽くした。オーガたちが咆哮と共に二人に手を伸ばす。鋭い爪が迫る。


氷晶グラキエス


 魔法を唱える声がした。驚いて目を開けると、目の前にいるオーガの手が凍っている。オーガが驚いて後ろにのけぞった。同時に、「大丈夫か、ソフィア!」と言う声がして、へーミシュが空を飛んで駆けつけてきた。

「わ、私は大丈夫……。そ、それよりも、アルマさんが……!」

 ソフィアがそう言うと、へーミシュは、「またこいつか!ったく、しょうがねえな……!」と言い、アルマを担いだ。乱暴な仕草に、思わず「へ、へーミシュ、もうちょっと優しくしてあげて……」という言葉が出た。

「ところで、今の魔法って……」

 へーミシュが来てくれた安心感からか、ソフィアが聞くと、へーミシュは「話は後だ。とりあえず逃げるぞ」と言った。ソフィアも我に返り慌てる。

「三人とも、早く!」

 空から声がした。上を見ると、魔法使いの少年・ウルクスが、箒に乗って空を飛んでいた。初めて見る光景にぽかんとしていると、へーミシュが、「おい、何してる。行くぞ!」とソフィアの手をとって飛び始めた。へーミシュは、二人も担いでいるのに、楽々とウルクスと同じくらいの高さまで舞い上がる。

「お二人とも、大丈夫ですね。じゃあ、いきます」

 ウルクスが呪文を唱えることなく、杖をかざした。


イグニス


 唱えた瞬間、ウルクスの杖から炎が放たれた。赤々と燃える炎が、オーガの目の前まで迫る。その火は、オーガを焼き尽くすことまではしなかったが、オーガは炎に怯み、二体とも逃げていった。


「た、助かった……」

 へーミシュが地面にソフィアを下ろすと、ソフィアは力が抜け、へなへなと座り込んだ。しかし、へーミシュがアルマを地面に降ろしているのを見て、「そ、そうだ、傷の手当てを!」と立ち上がった。


玉泉サナンズ・アクアム


 アルマの怪我をした所が、霊水のボールに包まれる。

「き、傷が治ってく……!」

 アルマは驚いている。ソフィアは「これでもう大丈夫」と言って微笑んでみせた。へーミシュは、「やれやれ」と言って呆れている。

「す、すごい……!治癒魔法をここまで完璧に使いこなす人、初めて見た……!」

 ウルクスが感嘆の声を上げた。「ど、どうやったらそんなふうに使えるんですかっ!?」とソフィアに詰め寄る。

「ど、どうやったらって言われても……。物心ついた頃からできたし、家族にもできる人がいたし……」

 そう言ったら、「ええ!?く、訓練もせずにできるようになったんですか!?」とさらに驚かれてしまった。


「あ、あの……」

 声が聞こえて振り返ると、それはアルマだった。

「治してくれてありがとう。ええと、ソフィアちゃん、だっけ?お礼にあなたの願い事を叶えてあげたいの。私はまだ力が弱いから、小さな願い事しか叶えてあげられないけど……」

 アルマはそう言った。光を宿した青い瞳が、ソフィアの視線と重なる。

「ね、願い事!?え、ええっと……」

 未だごちゃごちゃの脳内をなんとが纏めようと考え込んでいたが、ソフィアの心にあることが浮かんできた。


「じゃあ、お友達になってほしいな」


ソフィアはそう答えた。

「え、ええ!?そ、そんなことでいいの!?」

「うん。だって、私のこと助けてくれたんだもの」

 アルマはしばらく「えー、でも……」と考えこんでいたが、心を決めたようで、頷いた。

「わかった。じゃあこうしましょう」


『我、天使アルマ、ソフィア・エオーニオンの守護天使とならん——リガーレ


 アルマが呪文を唱えた。その一瞬だけ、アルマとソフィアの間に金色の糸が見えた気がした。

「これで、私はあなたの守護天使になったから、いつでも会えるわよ!なんでか知らないけど、あなたには守護天使はいないみたいだし。ちょうど良かった!」

 アルマはそう言って、にっこりと笑った。

「ありがとう、アルマさん!」

 ソフィアは嬉しくなってお礼を言った。「も〜!アルマでいいよ〜!」とアルマは照れている。


「ま、マジかよ……」

 へーミシュはガックリと項垂れた。これで、アルマはソフィアの守護天使として、いつでもこの城に来れることになってしまう。悪魔としては、この城に天使が来るのは許しがたい。しかし、守護天使は守ると誓った人間を守ると言う、いわゆる”この世界の掟”的なものがあるので、変に干渉できない。

(てか、もうこの城には来るなって言われてたのに、なんでここにいるんだよ、こいつ……)

 さっきから脱力を強いられることばかり起こっている。それなのにキャッキャとはしゃぐソフィアとアルマに、へーミシュはいい加減水を差した。

「てか、お前は何しに来たんだよ、アルマ」

 そう言うと、アルマはハッとした様子で、「う、うるさい!覚えてなさい!じゃあね、ソフィアちゃん!」と言い飛び去っていった。「ソ、ソフィアでいいです〜」と言うソフィアの声を背に。

 なんだか最近、疲れが増している気がする。そんなことを考えながら、ぼんやりと、ソフィアと、彼女を再び質問攻めにしているウルクスを眺めるへーミシュであった。


《第6話 最強の魔法使い 了》

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