第8話 旅立ち
人狼の幼い少年・ランドルフは、狼の姿でソファーに寝転んでいた。瞼が半分閉じ、眠りに落ちかかっている。暑くもなく寒くもない境界の気候は、下界にいた頃よりも過ごしやすい。ソファーに伝わった自分の体温が心地よく、昼寝には絶好の状況だ。
「……ルフ……ンドルフ……ランドルフ」
遠くから声がだんだんと近づいてきた、かと思えば、それはへーミシュの声だった。しかも、しばらく近くで呼ばれていたらしい。どうやら、いつの間にか、本当に眠っていたようだ。へーミシュが、わしゃわしゃとランドルフの頭を撫でた。
「起こしてすまないな、ランドルフ。ちょっと話があるんだ。大広間まで来れるか?」
「うーん……わかったのである〜……」
まだ頭がぼんやりとしているランドルフは、むにゃむにゃと返事をした。人間の姿になると、ソファーから起き上がり、へーミシュの後をついて行く。
「でも、何で大広間に行くのである?」
ランドルフは、前を歩いているへーミシュに尋ねた。
「ああ、お前だけじゃなくて、みんなに話したいことがあるんだ」
へーミシュは顔だけこちらを見ると、そう言った。
(みんなにって、へーミシュは一体何を話すのである……?)
いつも通り飄々としているへーミシュだったが、全員に話とは、どういうことだろうか。心なしか、へーミシュの表情が硬い気がする。
思い返せば、最近、へーミシュの様子がおかしい。バルコニーで外をぼんやり眺めて、物思いに耽っている時間が増えた。かと思いきや、城の図書室や自分の部屋に閉じこもったりしている。何か考え事でもしているのだろうか。前は、城主代理でどんなに忙しい時でも、ランドルフに構ってくれていたというのに。
ランドルフとて、構ってもらえないのが寂しいわけではない。ただ、へーミシュのいつもと違う雰囲気が心配なのだ。今も、へーミシュの目の下には、寝不足のせいかうっすらとクマができている。昨日は、ここにきたばかりのソフィアですら、「へーミシュ、どうかしたの?大丈夫?」と声をかけていた。セバストスも、グレモリーも、ポテスタスも、城中の悪魔たちが、口には出さないが、へーミシュのことを心配している。そんなへーミシュからみんなへの話ということは、よほど重要なことに違いない。
へーミシュの背中を追いながら、あれこれ考えていると、いつの間にか大広間までやって来ていた。大広間には、すでにセバストスやグレモリー、ポテスタス、そしてこのテルミヌス城の主、カリタスが来ていた。彼らだけではなく、城の重鎮など、他にも多くの悪魔が集まっている。また、グレモリーの隣にはソフィアがいて、何か話している。ソフィアの後ろには、ソフィアの守護天使になった天使の少女、アルマまでいる。なるほど、悪魔たちがざわついているわけだ。
「何でお前までいんだよ!」
へーミシュがアルマを見て喚いた。
「だってあたしたち、友達だもーん!」
アルマはソフィアと顔を見合わせて「ねー」と言った。へーミシュが額に手を当てて首を横に振る。
それにしても、アルマはともかく、ここまで色々な悪魔を呼ぶとは。いよいよへーミシュが何を話すのか分からなくなってきた。ランドルフが腕組みをして考えていると、部屋の扉が開き、ウルクスが入ってきた。「遅くなってすみません」と挨拶をして、ランドルフの隣へとやって来た。
「こんにちは、ランドルフ」
「こんにちはなのである」
挨拶を返すと、ウルクスになぜか笑われた。
(うぬぬ、解せぬ……)
「あはは、ごめんごめん。そんなむすっとした顔をしないでよ。何だか、かわいらしいなあって思って」
「あ、ウルクスさん、それ、言っちゃダメ……!」
ソフィアが忠告するも時すでに遅し。
「か、かわいいって言うな〜!」
ランドルフはウルクスに向かって突進した。目を閉じたまま、でしでしとウルクスの太ももあたりを叩く。しかし、ウルクスは痛がる素振りも見せない。頭の上に手を乗せられて、ポンポンっと撫でられた。子供扱いが不服なランドルフは、プク〜っと頬を膨らませた。
「お、全員揃ったな。じゃあ、話を始めるぞ」
へーミシュがそう言ったので、ランドルフは不満ながらもへーミシュの方を向いた。それまで騒めいていた悪魔たちが、静かになりへーミシュを見つめる。
「俺、旅に出る。母さんを探しに」
しばらくの間、辺りが水を打ったような静けさに包まれる。誰一人として声を上げようとしない。いや、上げることを許されていないのだ。それほどへーミシュは強いオーラを纏っていた。覚悟の表れだろうか。
ふっと息を吐く音が聞こえた。沈黙を破ったのは、へーミシュの父、そしてこの城の城主、カリタスだった。その顔には、微笑を浮かべている。
「そうだな。私がお前くらいの年頃には、もう旅をしていたしな」
カリタスがヘーミシュの肩に手を置く。
「母さんを頼んだぞ」
「おう!」
へーミシュは、決意を顔に滲ませて答えた。
「わ、私も行くのである!」
気付いたら、ランドルフはそう言っていた。へーミシュは一人で行くつもりかもしれないし、見るからに幼い今の自分では、役に立てるかどうかわからない。でも、へーミシュを一人で行かせることなど、できるはずもなかった。
「おお、一緒に来てくれるか、ランドルフ!」
断られるのかと思ったが、へーミシュが笑顔で言った。
「い、いいのである……?」
「ああ。ちょうど誘おうと思っていたんだ。お前は頼りになるからな」
その言葉を聞いて、ランドルフは嬉しくなり、「やったのである〜!」と言いながら飛び跳ねた。
「ひょっとして、僕を呼んだのもそれが理由ですか?」
ウルクスがへーミシュに尋ねた。
「ああ。ウルクスがついて来てくれると心強いと思ったんだ」
「わかりました。僕もついていきます!」
ウルクスがへーミシュに手を差し出した。へーミシュもその手を取り、ガッチリと握手を交わす。
「よし、これで旅のメンバーは揃ったな」
へーミシュが呟く。
「わ、私も……!」
横から声が聞こえた。高いソプラノ声が。
「ソ、ソフィア、どうしたのである……?」
ランドルフは思わず声の主に呼びかけた。
「だ、だって、へーミシュ、危なっかしいんだもの。この間だって、あの天使さん相手に飛び出していっちゃったし。放っておけないよ」
ソフィアは心配してそう言ったのだろうが、同時に、ランドルフには、へーミシュがあからさまにむっとするのがわかった。
「危なっかしいのはどっちだよ。すぐ固まって動けなくなるくせに」
ウルクスが、「まあまあ」とへーミシュをなだめるが、へーミシュは言い返すのをやめようとしない。
「だいたい、お前がついて来て何になるって言うんだ?戦えるわけでもないのに」
「わ、私にだってできることはあるよ!」
「例えば?」
「え、ええっと、き、傷を直すとか……?」
「それだけじゃねーかよ」
へーミシュが間髪いれずツッコミを入れた。アルマが「ちょっと!言い過ぎじゃないの!?」と言っているが、へーミシュは知らんぷりだ。ソフィアは「い、いいのよアルマ……」と逆にアルマをなだめている。
険悪な雰囲気を唐突に打ち破ったのは、グレモリーだった。
「でも確かに、ソフィア様が一緒だと安心かもしれないわね。怪我してもすぐに治してもらえますし」
「お、おいおいグレモリー」
へーミシュが後退りした。
「そうですな。それにソフィア様も、同じ年頃のへーミシュ様やランドルフがいないと、少々退屈でしょうしな」
「セ、セバストス……?」
へーミシュが、ギギギと音が付きそうなほどゆっくりとセバストスの方に振り向いた。
「私も賛成である〜!ソフィアと一緒だと楽しいのである〜!」
「ラ、ランドルフ……」
ランドルフが賛成すると、へーミシュがなぜか頭を抱えた。そんなにおかしいことは言っていないと思うのだが。
「ふっ……はっはっはっはっは……!」
聞きなれない笑い声に振り返ると、笑っていたのはカリタスだった。額に手を当て、豪快に笑っている。
「どうだ、へーミシュ。勇敢な御令嬢なことだし、連れていってあげたらどうだ」
笑いながらカリタスはそう言う。ランドルフも首を大きく何度も縦に振った。グレモリーは有無を言わせぬ笑みでへーミシュを見ている。
「み、みんながそう言うなら……」
へーミシュが、しぶしぶと言った感じで頷いた。
「やったのである〜!」
ランドルフはソフィアとハイタッチした。
(ソフィアと一緒なの、嬉しいのである〜!)
「じゃあ、あたしも行くわ!」
アルマがそう言った。
「はあ!?何でお前まで来るんだよ!?」
へーミシュが喚く。
「だってあたし、ソフィアの守護天使なんだもーん!!」
アルマが自信満々で言った。へーミシュが、「そこ別に威張るとこじゃないからな」と釘を刺す。
「はあ……どうしてこうなった……」
へーミシュがため息をついた。
* * * * *
数日後——。
「準備はできたかー?」
へーミシュは荷物を背負い、みんなに呼びかけた。
「できたわよ!」
「お前には聞いてねーよ。てか、お前、荷物ほぼねえだろ」
手を上げて笑顔で答えるアルマに向かってへーミシュが言った。「何よ!なんか文句あるの!?」とアルマが噛みついてきたので、へーミシュは「文句しかねーよ」と言い返す。
「まあまあへーミシュ、それににアルマ、そのくらいにして、出発しよう」
ウルクスが二人を落ち着かせようと声をかけた。ここ数日で、ウルクスの硬い雰囲気もだいぶほぐれてきている。へーミシュは思った。「友達のような感覚でいてくれると嬉しい」と、何日か前に言った甲斐があるな、と。
「わ、わかったわよ……」
アルマがへーミシュに向かって振り上げた弓を下ろす。へーミシュにとっては怖くも何ともなかったのだが。
「もう行くのか」
後ろから声が聞こえたかと思えば、それは父・カリタスだった。「ああ」とへーミシュは答える。
「そうだ——ほら、これ」
父が、手にしていた剣をへーミシュに差し出した。
「……いいのか?」
へーミシュは父の様子をうかがった。いつもと変わらない穏やかな表情だ。
「……俺はまだ、これを持つにはふさわしくない」
そう言ってへーミシュは俯いた。悔しいが、この間ソフィアに言われた通りだ。我を忘れて、己よりも強力な敵に攻撃を仕掛けた自分には、父からこの魔剣・
「……確かに、まだお前は子供だ。無鉄砲に飛び出して行ってしまうこともあるだろう。だが——」
そこでカリタスは一呼吸つくと、その先を続けた。
「だからこそ、成長できるんだろ?」
そう言ってカリタスは笑った。「それに、魔法では倒せない魔物もいるはずだ。そういった時困るだろ」と言って、へーミシュの頭にポンと手を置く。
「やめろよ」
恥ずかしくなって慌ててその手を退かす。
今ではだいぶ父の身長に追いついたと思ったが、その背中は、思ったよりもまだだいぶ遠かった。
(それでも、いつか絶対に追いついてやる……!)
「じゃあ、行ってくる!」
へーミシュは、城に向かって手を上げた。
「行ってらっしゃいませ〜!」
セバストスがハンカチを振った。グレモリーもにっこりと微笑んでいる。ポテスタスは、なぜか「お、お気をつけて……!」と言いながら号泣している。
(そんな、今生の別でもないのに……)
呆れつつ、「行こう!」と新たな仲間たちに呼びかけた。一歩、また一歩と歩みを進める。
「へーミシュ」
父の声に振り返った。
「たまには帰ってこいよ」
父が拳を突き出した。
「おう!」
へーミシュも拳を突き返す。とびっきりの笑顔で。
「じゃあ、行くか。これ以上いると長引きそうだ」
そう言ってへーミシュは荷物を背負い直した。アルマが「本当は寂しいから、なんでしょ〜?」とニマニマしながら聞いてきたので、睨みつける。
「そういえばへーミシュ、まずどこを探すの?」
ソフィアが質問した。
「ああ、とりあえず、手始めに境界を探す。そのために、ウルクスのいる魔法使いの村に行って、準備を整えようと思うんだ」
「魔法使い、の村……?」
ソフィアの語尾はいつも疑問系だな、と思っていると、ウルクスが説明してくれた。
「僕の村は、境界の外れにあるんだ。僕の一族の魔法使いが暮らしているよ」
「へえ〜、そうなんだ」
ソフィアが関心したように相槌を打った。
「じゃあ、そこに向かってしゅっぱーつ!」
「何でお前が仕切ってんだよ、アルマ!」
自分がリーダーのつもりでいたへーミシュは、アルマの台詞に、少しだけ機嫌を損ねた。勢いよく見当違いな方向へと走り出したアルマに、「てかお前、場所わかってんのか!?」と、さらにツッコミを入れる。
これが、世界を、そして彼ら自身の運命を変える、長い長い、旅の始まり。
《第8話 旅立ち 了》
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