第4話 狼少年は月夜に吠える

 かくかくしかじかで悪魔の城・テルミヌス城にしばらくいるという話が決まりかけていたソフィアだったが、なおも騒ぎ続ける悪魔たちを尻目に、ため息をついた。確かに、あのまま”下界”にいたら、教皇・マグナニムス家につかまって強制結婚させられかねない状況だった。だからといって、悪魔の城に居候することになるとは。

(どうしてこうなったー!!)

 先ほどから展開があり得なさ過ぎてパニクっている心を、なんとか落ち着けようとして目を閉じて深呼吸する。

 目を開けると、そこには一匹の狼がいた。

(み、見間違いかな?)

 目をゴシゴシと擦ってもう一度見る。やはり目の前には狼がいた。

「お、狼ー!?!?!?」

 驚いたソフィアは、よろけて尻もちをついてしまった。灰色の瞳に見つめられて、凍りつく。

「わわわ、私は食べてもおいしくないよ!?」

 しかしそんな言葉が通じるはずもなく、狼は鼻先をソフィアに近づける。匂いを嗅いでいるようだ。そして、狼が口を開いた。鋭い牙が剥き出しになる。そのまま食らいつかれるのかと思って、ソフィアは目を閉じた。


「なんだ、人間であるのか」


 目の前で声がした。思わず目を開けると、そこにいるのはやはり狼。しかし、まるで少年のようなその声は、狼から聞こえていた。

「お、狼が喋った!!」

「ん、狼が喋るぐらいどうってことないであろう。いきなり失礼であるな」

 狼に睨まれた。怖い。

「それよりそなたは一体何者である。人間が城にやってくるとは、へーミシュも気まぐれであるな」

「わ、私はソフィアって言います。初めまして、狼さん」

「私は狼さんではない。ランドルフである。ソフィア、と言ったか。なぜここにいるのであるか。ここは本来、人間のいる場所ではなかろう」

「い、いえ、へーミシュさんがここに連れて来てくださって。なぜかしばらくここで暮らすと言う話になってしまって……」

 狼から強い警戒心を感じる。ソフィアは思わず敬語で話した。無意識にへーミシュのこともさん付けで呼んでしまった。

「そうか」

 それだけ言うと、ランドルフと名乗った狼はへーミシュの方へと行ってしまった。近くにやってきたランドルフを見て、へーミシュが「よう、ランドルフ。今帰った」と声を掛けた。ランドルフは「お帰りなのである」と独特な言い回しをして、へーミシュを迎えた。そうしてへーミシュの後ろに回ったランドルフは、そこからソフィアのことをじっと見ている。

「あ、あの、へーミシュ。その狼さんって……」

 ソフィアが聞くと、へーミシュは「ああ、まだ紹介してなかったな」と言って、ランドルフの頭に手を置いた。

「こいつはランドルフ。人狼だよ。俺の仲間だ」

「人狼? あの、ひ、人を取って食べるって言う?」

 ソフィアがそう言うと、ランドルフが唸り声を上げ、尻尾をピンと立てた。ランドルフの黒いオーラが、部屋全体を闇に包んでいく。

「ご、ごめんなさい!」

 ソフィアは、何か嫌なことを言ってしまったのかと思って、必死に謝った。しかし、闇は一向に治る気配がない。


「まあまあランドルフ、落ち着けよ」

 そう言って、へーミシュがランドルフの頭に置いた手で、ランドルフをわしゃわしゃと撫でた。すると、すぐに闇は消えてゆき、ランドルフの中に戻っていった。でもまだランドルフは唸っている。

 すると、今度はランドルフの体が闇に包まれ、形を変え始めた。ぐるぐると闇がマーブル模様になって巡っている。そして、闇が動きを止めた時、目の前に現れたのは、


 一人の幼い少年だった。


「ら、ランドルフって、人間だったの!?」

「だから人狼だと言っているのである」

 ランドルフは、ぷくーっと頬を膨らませて呟いた。灰色の髪が動くたびにサラサラと揺れ、その髪の間から、大きな犬の耳のようなものが生えている。くりくりとしたつぶらな瞳は、依然としてこちらを睨んでいた。心なしか、恐ろしかった雰囲気も、今はだいぶ和らいでいる。

「ん、何をじろじろ見ているのである? まさか私が子供っぽい見た目だからといって、なめてかかっているわけではないのであるな?」

「い、いや、確かに、なんと言うか、可愛いなーとは思ったけど……って、なめてるわけじゃないからね!?」

 ソフィアは、言った後で、とんでもないことを言ってしまったと気付いたが、時すでに遅し。

「か、可愛いって言うな〜!!」

 そう叫びながら、ランドルフがこちらに向かって走って来た。どんな目に遭ってしまうんだろうとソフィアが身構える。

 しかし、ソフィアの体に伝わってきたのは、軽く叩かれている感覚だけだった。目を開けると、ランドルフがソフィアのお腹の辺りをポカポカと殴っているところだった。子供の弱い力で、しかも目を閉じた状態で、ランドルフはソフィアに攻撃しているのであった。

(か、可愛い! 口に出しては言えないけれど可愛い!!)

「こらこら、ランドルフ。叩くのは良くないぞ」

 へーミシュがなだめた。ランドルフはまだ不服そうだったが、仕方がないといった感じでソフィアを叩くのをやめた。

「でも、なんで人狼さんがここに? 人狼は、下界の東の方の森に住んでいるって聞いたことがあるけど」

 ソフィアが尋ねると、へーミシュが答えた。

「ああ、昔はな。でも今は違う。今はこいつが人狼族の最後の生き残りなんだ」

 ソフィアは、「最後の生き残りって・・・他に家族がいないってこと?」と尋ねた。

「私に人狼の家族はいないのである。人間の家族はいたのであるが・・・」

 再び狼の姿に戻ると、ランドルフは目を閉じて語り出した。


    *  *  *  *  *


 私は、先程ソフィアが言ったように、下界の東方で生まれたのである。実の両親? そんなものはいない。私は幼くして捨てられたのである。森の中の、大木のうろの中に。私の親がどんな親だったかさえ、今となってはわからない。私の小さな命は、そこでそのまま息絶えるはずだった。しかし、人間の村の近くに捨てられた私は、幸運にも、村のとある夫婦に拾われた。父の方は学者で、ずっと何かを研究していた。何を研究していたかは、わからなかったが。母は、そんな父を、ずっと支えていた。

 彼らは、見ず知らずの、生まれたての赤ん坊の私を、本当の息子のように育ててくれたのである。狼の耳の生えた、人でも狼でもないこの私を。暖かい家と食事を与えられ、私は愛情を持って大切に育てられた。


 ある時、私は家の近くの森で遊んでいた。その頃、私は頭にバンダナを巻いて耳を隠し、尻尾もなんとか隠して、村人たちと接していた。


『人狼族であることが知られれば、きっと良くないことが起こる。だから、耳や尻尾があることは誰にも言ってはいけないよ』


 小さい頃からそう両親に言い聞かされていた。


 木々の間から差す木漏れ日を浴びながら遊ぶのは、居心地が良かった。一人で遊ぶのが好きだったので、村の子供たちとの関わりはあまりなかった。その日もそうやって、一人、森の中で遊んでいたのである。


(狼でも人間でもない……。父は、私のことを『人狼族なのである』と言っていたが、一体私はなんなのであろう……)


 私は、よく木の幹にもたれかかって、ぼんやりと自分の生い立ちについて考えていた。


 突然、何かが物凄い飛んできて、私の顔に当たった。痛いと思って顔を上げたら、少し離れたところから、年上の村の子供たちが、私に向かって石を投げつけていたのである。

「何をするのである!」

 私が体を起こすと、子供たちは、私を囃し立てた。

「やーいやーい!」

「お前の親父役立たず〜っ!」

「役立たずなことないのである。第一、君たちの家族も、よく父の仕事の世話になっているのである」

 私が反論すると、一番背の高いリーダー格の子供が、一歩前に出て、大声で罵った。


「なんだと!? のくせに!!」


 その言葉が、ぐわんぐわんと頭の中でこだました。


「もう一回行ってみろなのであるー!!」

 私は、その子供に飛びかかった。私の動きが素早かったせいか、それとも私が反撃するとは思ってもいなかったからか、はたまた相手にする気すらなかったからなのか。その子供は動こうとはしなかった。地面に倒れるほどの取っ組み合いになって、ゴロゴロと辺りを転げ回る。

 すると、その子供は、私の髪を引っ張ろうとした。その弾みで、私の頭に巻いていたバンダナが取れた。

 

 その場にいた全員が、私の頭上の耳を凝視していた。その時感じた、見られることへの恐怖を、今でも覚えている。


「ば、化け物だーー!!!!」

 子供たちはそう叫んで、逃げて行ってしまった。


 それからというもの、私は、家の外に出ないようにしていた。おそらく、子供たちは、見たものを全て村人たちに話しているだろう。村の大人たちが信じるかはわからないが、何せここは人狼伝説が伝わる村。恐れている人狼がそばにいると知れたら、両親が言っていたように、本当に良くないことが起こるかもしれない。

 両親にこのことを伝えると、父は「そうか」とだけ言い、母は、「何があっても、私たちはあなたの味方だからね」と言って、私を抱きしめた。その温もりが、暖炉の火よりも暖かく感じた。

 家に閉じこもって、何日か過ぎた頃だろうか。村が騒がしい。それと同時に、今まで感じたことのないほどの、夥しい数の魔力を感じた。


「大変だ!魔物の群れが……!うわあっ!」

「し、しっかりしろ!——ひいっ!」

 騒ぎを聞きつけて思わず外に出ると、魔物の大群が村に押し寄せてきているところだった。すでに村に侵入した魔物に、村人たちが襲われていた。

(今すぐ逃げねば……!)

 私はそう思い、家に向かおうとした。しかし、そこで立ち止まった。このまま村人たちを置いて自分たちだけ逃げることなど、父や母がするとは思えない。

(……もしここで私が狼の姿になれば、少しは襲われた村人たちを助けられるのでは……?)

 しかし、今は村人たちが見ている。そんな中で、狼に姿を変えれば——。


「致し方ない……」


 私は狼へと姿を変えた。地面を蹴って飛びかかると、魔物の肉を爪で引き裂き、その体に牙を突き立てた。魔物の血の味が口の中に広がり、毛皮は血で汚れた。それでも、私や、母が生まれ育った村を守るために、とにかく無我夢中だった。

 ぼんやりとした記憶がはっきりし始めたのは、全ての魔物を倒し終えた頃からだ。人間の姿に戻り、魔物の血で汚れた口元を拭った。


「じ、人狼だ……!」


 振り返ると、村中の人々が私のことを見ていた。恐怖に駆られた目で、私のことを見つめていた。

 そこから先のことは、それ以前の記憶よりもはっきりと覚えている。


『化け物!』

『怪物め!』

『お前のせいで、村に魔物が来たんだろ!』

『ずっと私たちのことを騙していたんだな!』

「おぞましい、魔物の仲間め!穢らわしい!』


 殴られ、蹴られ、石を投げられ、棒で叩かれた。汚い言葉で罵られ、誰かが言い出した”魔物の仲間”という嘘さえ、否定するものはいなかった。これまで微笑みかけてくれた隣の家の女性ですら、棒で殴りつけてきた。村人たちの怒りは、収まることがなかった。

 投げられた石の一粒一粒が、殴られた一発一発が、今も鮮明に思い出される。

 なんとか私は家に逃げ帰った。家に入る頃には、服どころか、体もボロボロになっていた。慌てて母が家の中に入れてくれた。青ざめた父の顔と、母の憔悴しきった顔が、月明かりに照らされてぼんやりと浮かんで見えた。父が、逃げるための荷物をまとめ始めた。その時、ドアを強く叩く音がした。村人が、家にまで来た音だった。


 その後の記憶は、全く思い出せない。いやきっと、思い出すことを私自身が拒んでいるのである。ただ、燃え盛る我が家と、母の悲鳴だけが、記憶にこびりついている。母とその後、再び会うことはなかった。


    *  *  *  *  *


 一連の話を終えたランドルフは、目を開けた。

(人間相手に、少し語りすぎてしまったのである……)

 へーミシュが、黙ったまま優しくランドルフの頭を撫でた。


 恐怖に縛られすぎて、他人を傷つけるのも厭わない。人間なんてそんなものなのである。

(だから、人間は嫌いなのである……)


 鼻を啜るような音が聞こえて前を見ると、ソフィアが目を真っ赤にして、ランドルフを見ていた。

「ランドルフ、つ、辛かったね……」

 目元に光るものを浮かべながらそう言ったソフィアは、なおも泣き出しそうな顔でランドルフを見つめている。

「私のために泣いてくれているのである……?」

 ランドルフは首を傾げた。

「だ、だって、ランドルフは何も悪くないのに、そんな酷い目に遭うなんて……」


 人間は嫌いだ。でも。

(この人間は、少し、他の人間とは違うような気がするのである……)

 へーミシュと同じ、優しい人間の匂いがする。自然と、憎しみの気持ちが和らいだ。


「ところで、ランドルフは、その後どうやってここにきたの……?」

 気持ちが落ち着いたのか、しばらく経ってからソフィアが尋ねると、へーミシュが答えた。

「ああ。下界に身元不明の魔族がいるって、潜伏中の魔族から連絡があったんだ。それで、行ってみたら、こいつがいたってわけ」

 ソフィアが、「へー、そうなんだー」と棒読みするのが、ランドルフにはわかった。おそらく、(魔族って、下界に潜伏してるんだ……)とでも思っているのだろう。

「まあ、最初はこいつも、警戒心が強くて手がつけられなかったんだがな。今はもう、俺の大事な相棒だよ」

「へーミシュ……!」

 ランドルフはその言葉を聞いて、へーミシュに飛びついた。

「嬉しいのである〜!」

「はいはい、わかったわかった」

 へーミシュが、再びランドルフを撫でる。その様子を、ソフィアが羨ましそうにじっと見つめていたので、ランドルフは言った。

「……別に、撫でてもいいのであるよ」

「……!いいの!?」

 ソフィアの目が輝いた。恐る恐る触れようとしているソフィアに、自分から近づいた。

「わ〜!ふさふさ〜!……あれ?ランドルフ、怪我してる……」

「ああ、そこは古傷である。気にしなくてもいいのである」

 前足の傷を見つけたソフィアにそう言うと、ソフィアは、「そうなんだ……あ、ちょっと待ってね」と言って、ランドルフに両手をかざした。


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 古傷が水の球に包まれた。そして、かつて傷つけられた痕が、みるみるうちに跡形もなくなっていく。ランドルフが驚いて顔を上げると、ソフィアは微笑みながら「これでもう大丈夫。他にも傷があったら治すよ」と言った。

「お、お前、魔法使えたのかよ……」

 一連の様子を見ていたへーミシュが、目を見開いたまま言った。すると、ソフィアは、こてん、と首を傾げて、こう言ったのだ。

「え、このくらいの魔法なら、普通みんな使えるでしょ?」

「普通じゃないっ!」

「少なくとも、人間にとっては普通じゃないのである〜!」

 へーミシュとランドルフは、間髪入れずにツッコミを入れた。

 まったく、意外な人物が、意外な力を持っていたものだ。


《第4話 狼少年は月夜に吠える 了》

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