第3話 美少女と下の名前で呼び合う関係になった。

 一通り話を終えて、引き続き市ヶ谷さんの部屋にて。

 俺と市ヶ谷いちがやさんはローテーブルを挟んで座っている。


「気づいたら外が暗くなってきたね」


 市ヶ谷さんに言われて壁にかけられた時計を見ると、19時前だった。


「もうこんな時間か……」

「そろそろお腹が空いてきたでしょ?」

「確かに」

「せっかく上野うえのくんと恋人になったわけだし、手料理でもご馳走してあげようか」

「恋人のフリだろ?」 

「ああ、うん。そうだった。まだフリだったか」 


 まだ?

 少し引っかかる反応だったけど、俺がそのことについて聞く前に市ヶ谷さんは言葉を続けてきた。


「それで、夕飯食べてく? 私って一人暮らしで自炊してるから、料理の腕には自信があるんだ」


 校内の誰もが憧れるような美少女である市ヶ谷いちがや初音はつねの振る舞う手料理か。

 まさに、男のロマンって感じがする。

 

「正直、かなり興味はあるけど……今日はそろそろ帰らないとまずいんだ」

「あれ。上野くんの家って、門限が厳しかったりするの?」

「門限はないけど、俺が失踪して以来、家族が過保護なんだ」

「ああ、なるほどね」


 市ヶ谷さんは俺の言葉に納得した様子を見せた。

 そう。

 俺はこっちの世界の時間で約一ヶ月ほど、別の世界に転移していた。

 しかし、周囲の人間に「異世界に行っていた」なんて言ったら頭がおかしくなったと思われる。

 だから俺は、失踪していた間のことは何も覚えていないと説明しているんだけど、それが余計に気を使う要因になったらしい。

 行方不明と記憶喪失を経験した男として、家族がやたら俺を心配してくれる。


「やっぱり……通知が大量に来てる」

  

 スマホを制服のポケットから取り出すと、画面には義妹からの着信やメッセージの通知がずらりと並んでいた。

 授業中に通知音が鳴らないようにサイレントモードにしたままだったので、気づかなかったな……。

 設定を変えていなかったおかげで市ヶ谷さんとの行為の最中に鬼のように通知が鳴らなかったのは、不幸中の幸いか。


「そっか。心配してくれる家族がいるなら、大事にしないとね」


 市ヶ谷さんは笑顔でそう言うが、その表情はどこか複雑そうだった。

 羨ましさとか、寂しさとか。

 いろいろな感情が垣間見えた気がした。 


「市ヶ谷さん、明日一緒に登校しない?」

「え?」

「恋人のフリをするんだったら、その方が自然だと思うから」

「上野くん……うん、そうだね。じゃあ、一緒に登校しようか」


 市ヶ谷さんは、曇りのない表情でうなずいた。

 ……やっぱり美少女には、明るい顔の方が似合う。

 それにしても、女子を誘うとか陰キャなのに大胆すぎないか、俺。

 これも異世界でメンタルを鍛えた結果だろうか。

 そんなくだらないことを考えながら、俺は玄関に向かった。


「じゃあまた明日ね、八雲やくもくん」

「あれ、呼び方が」


 見送りに来てくれた市ヶ谷さんの言葉に、俺は違和感を覚える。


「だって、フリとは言え恋人なんだから、呼び方から変えた方がいいでしょ」

「なるほど、一理ある……か?」

「そういうわけで、八雲くんもどうぞ」

「どうぞって」


 俺は靴を履いたところで、立ち止まる。

 まさか下の名前で呼べってことか……?

 俺は少し迷った後、意を決して口を開いた。


「じゃあ……初音さん?」

「なんで疑問形? しかも、さん付けって」

「悪いけど、今の俺にはこれが限界だ」

「そっか。初音さん……か。まあ、悪くない響きかも」


 市ヶ谷さん改め初音さんは、満足そうにしていた。

 勘違いでなければ、俺は高校一の美少女にやたらと気に入られたらしい。



◇◇◇◇


次回からはいよいよ学園ラブコメらしくなっていきます。

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