第4話 悪魔①

 桜木姫 十四歳 中学二年生


 好きな色:白

 好きな食べ物:砂糖類、油類

 好きなアイテム:光ってるもの、綺麗なもの

 好きなファッション:派手なもの、華やかなもの、鮮やかなもの、個性的なもの、色々



「姫ちゃーん、そろそろ起きないと、遅刻だよー」


 隣の部屋から祖母の声が聞こえて、姫はもぞもぞと布団から顔を出す。

 目覚まし時計は、午前七時半を示していた。

 遠めの学校なので、すでにギリギリだ。


「…………」


 眠たい頭で、どうしようかと考える。

 寒いなあ。

 新潟の秋の空気は冷たい。


「布団があったかいのが悪いっ」


 二度寝した。



       ♥



「いってきまーす」


 家の外に広がるのは、緑豊かな田舎の風景。

 日は高く、もう一限目は終わってる頃だ。

 通学路を歩く学生服の人間は、もちろん姫しかいない。

 世界を独り占めしているようで、いい気分だった。


 すでに大遅刻だというのに、彼女は慌てるそぶりを見せない。

 ゆっくりと歩き、時には立ち止まって、街並みを堪能しているようだ。


 さらには、遠回りもする。

 通常のルートを外れ、外側へ大回り。

 その先には、閑散とした公園があった。


「わぁぁっ!」


 大きな広場に、数十本のイチョウの木。

 黄金の葉が風に揺れ、ちょうど桜吹雪のように舞い散るところだった。

 樹木にあるものと、土にあるものと、宙を舞っているものと。空間を、あふれんばかりの黄色で埋め尽くす。


 地方紙にも載っていない。

 近隣住民も知らない。

 姫だけが知っている、絶景である。


「いいねっ! いいねっ!」


 黄金の中心で、姫は踊るように写真を撮る。

 ガラケーの画面には、一枚一枚、一瞬一瞬の、違った自然の輝きが映し出される。

 今日は枯れ葉の散らばり具合がいい感じだ。茶色との調和が活きている。

 日光の当たり方もいい。淡く輝き、深みのある影を見せてくれる。


 家しかないような住宅街にも、過疎になって荒れ果てた村にも、美しい景色は存在する。適した季節を、適した天気を、適した時間を知らないだけで、たくさんあるのだ。


 そういう秘境を発見したときの感動は、計り知れない。

 そして今、大当たりだ。

 この喜びに比べたら、学校なんてどうでもいい。


「はぁぁ……っ! すごくよかった!」


 名残惜しくも公園に別れを告げる。

 上機嫌に、くるくると回りながら歩いた。


 こんど絵に描いてみようかな。

 でも、風景画は飽きたなあ。

 そんなことを考えていると、とても大事なことを思い出した。


「あ! 朝ヨーグルト食べるの忘れた!」


 姫はコンビニへ走る。

 近くにないのでさらに遠回りになるが、ヨーグルトの方が重要なのだ。


 見つけた。いつも食べてるヨーグルト。

 小難しい英語な上にルビも振ってないので未だに商品名は知らないが、体調を整えてくれるやつだ。


 ちなみに、登下校中に買い食いをするのは校則で禁止されている。財布を持ち歩くことも同様だ。そんなの知ったことか。


「あ、ドーナツ」


 姫が大好きな砂糖類。その中でも好物にあたるもの。


 おいしそうだなあ。

 食べたいなあ。

 朝ごはん少な目でお腹空いてるなあ。


 しかし、ヨーグルトを買ってしまってお金が足りない。

 逡巡する。


「……」


 まあいいや、盗っちゃお――、

 伸ばした腕をとっさに引っ込めた。


「あぶねー」


 あと一歩でしれっとドーナツを手に取って、しれっと鞄に突っ込んで、しれっと店を出るところだった。

 危うく通報されるところだ。


 手が勝手に、って言ったら許してくれるかな。

 絶対に無理だ。


「キャハッ」


 笑い事じゃないことに笑って、店を出る。

 時計を見た。

 さすがに、そろそろ学校に行かないと面倒なことになる気がする。


「急ご」


 頑張れば、三限目には間に合うはずだ。

 今日の遅刻の言い訳は何にしようかな。

 迷子を助けてあげてました、でいいか。うん、それにしよう。


「……ぐすっ、……うぇ」


 と、そんな矢先、子どもの鳴き声が聞こえてきた。

 声の方には小さな女の子がいて、周りに大人は見当たらない。

 なんと、本当に迷子が現れた。

 ラッキー。


「あなた、迷子?」


 女の子はビクッと肩を跳ねさせて、怯えた様子で振り返る。

 姫は目線の高さなど合わせず、腰に手を当ててありのままに尋ねた。


「近くの幼稚園の子かな? 先生探してるんでしょ?」


 女の子はこっちを警戒しながら、コクンとうなずいた。


「じゃあお姉ちゃんも探すの手伝ってあげるよ。ダイジョブ、きっと見つかるから」


 優しく微笑む姫に、女の子はようやく安心したようだった。


「……ありがと」

「ううん、いいの。一日一善だから」

「イチゼン……?」

「いいからいいから♪」


 迷子の手を引いて、姫は歩き出す。

 小っちゃい子かわいいなあ。

 このまま連れて帰っちゃおうかなあ。

 と、盗み癖がうずき出す。


 なーんてね。

 これでコンプリート。


 風景を楽しむ。

 ヨーグルトを食べる。

 一日一善。


 そんな感じの、朝のルーティーン。



       ♥



 学校に着く頃には、三時限目が終わっていた。


「おっはようございまーす」

「桜木……、お前また――――」


 教壇に立っていた男性教員は、息を詰めた。


 前川六郎、四十三歳、社会科担当。

 彼は姫の素行の悪さを半ば諦めている他の教員たちとは違い、更生を目指し何度でも叱り続ける気骨のある人物だ。

 今日も今日とて大遅刻をしてくるであろう劣等生桜木に向け、整えたのどから根性を叩きこんでやろうと張り切っていたところだった。


 しかし、そんな用意が無残に散るほど、目の前の光景は衝撃的だった。


「な、なんだその髪は!? それに制服は!?」


 髪とは、生まれ持っての茶髪に対してではない。地毛が黒髪でないことは彼も承知しているし、理解もある。

 ではなぜか。

 姫の髪は、鮮やかなピンクに染まっていたのだ。


「かわいいでしょ?」

「そういう問題じゃなぁいっ!!」


 彼女の背中まで伸びる長髪は、あからさまに人工的な輝きを放っていた。

 プラチナみのある淡い桃色が透明感を放ち、ウェーブのヘアアレンジが可憐さを際立たせる。

 髪のセットも厳密には禁則事項だが、美容に疎い前川は気づいていない。


 しかし、しかし、それだけならまだいい。


「お前、じゃあ、その制服は……? いったいどうなってるんだ⁉」


 彼を最も驚愕させ、口をパクパクと震わせるだけの衝撃を与えた原因は、制服の方にある。


「うちのセーラー服のデザインなんか古臭いから、くっつけちゃった♪」

「くっつけたぁ!?」


 姫がそう言って自慢げに見せるのは、腰の部分。

 本来、上着とスカートの二つに分かれていたはずのセーラー服が結合され、ワンピースのようになっている。

 すなわち、制服の改造である。


 姫はずっと悩んでいたのだ。

 中学校の冬服がダサいと。だが、元々の紺色と生地は良いし、捨てるのはもったいないと。


 だからいじった。

 現代風に、自分の好みに合うように。

 最も大きな変化はワンピース仕様にしたことだが、細かい修正ポイントはたくさんある。


 スカート丈を伸ばしてドレスのようにしてみたり、

 首元と袖口に白を加えて鮮やかにしてみたり、

 袖口を広くしてラフな感じにしてみたり、

 あとは、飾りでボタンをつけたり、ワンポイントで赤を入れてみたり――。


 膨大な研究と試行錯誤の末、とうとう完成したのだ。

 ガーリーとファンシーと、少しのファンタジーを併せ持った、最高の一品が。

 じゃんじゃじゃーん。


 前川は腕を組み、難しい顔をしながらうなる。


「……ううむ、たしかにすごいな」

「でしょー⁉」

「だがダメだ‼ この学校にいる限り、校則は絶対だ‼」

「えー」


 不服そうに唇を曲げる姫。

 だが前川は頑として譲らなかった。

 どれほど優れた技量があろうと、どれほど意表を突かれようと。

 彼は頑固一徹。鋼の男なのだ。


「だがな桜木、先週言った通りピアスを外してきたことと、化粧を薄くしてきたことはよい心がけだぞ!」

「あ、ピアスもメイクも夏には戻しちゃうよ。服に合わないから外しただけ」

「何ぃ……?」


 せっかくのフォローを台無しにして、姫はいたずらっぽく笑う。


「次はパンキッシュな感じにする予定だから、もっと派手になるかも」

「ぱ、パンキ……?」


 知らない単語に困惑する前川に、姫は噴き出した。


「先生面白いね」

「面白くないっ‼」


 クラスにいた生徒たちは、全員蚊帳の外だった。

 姫の奔放さに対抗できるだけの逸材は、教師はおろか生徒を含めても、前川六郎ただ一人なのである。割って入れる者はいない。

 そうこうしているうちに、四限目の予鈴が鳴った。


「次の授業先生だよね? じゃあちゃんと受けよっかなー」

「成績がまずいだけだろう?」

「えー、ホントなのにー」


 軽口を交わしながら、彼女は席に着く。

 他の生徒たちと並んでみると、格好の異質さはより際立った。

 学生服の中にアイドル衣装が混じったようなものだ。恐ろしく目立つ。

 鼻歌混じりに教科書を開く姫に、前川は忘れず釘を刺す。


「その髪と制服……、直せるのかは知らんが、直して来いよ!」

「イヤでーす」

「それから、後で生徒指導室まで来なさい!」

「それもイヤでーす」


 前川は肩を鳴らし、引きずってでも連行する決意をすると、授業を始めた。


「やっぱ派手さが足りないなあ」


 自らの姿を見下ろしながら、姫は独り呟く。

 すでに相当派手だが、まだ足りないらしい。

 彼女にとって重要なのは、形よりも色なのだ。


 まだまだ、改善の余地あり。

 理想の大好きを目指して、要検討である。

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