万国共通のパスポートなんかじゃない

浦原くみよ

万国共通のパスポートなんかじゃない

「ねぇ、ラインのトーク履歴見せてよ」と私は冗談めかして笑って言った。


「え、いいよ」


彼女はなんてことないように、ポケットに手を入れてスマホを取り出した。


「は、いいの⁈ちょっと待って、冗談のつもりで言ったんだけど」


「え、そうなの」


「そうだよ。何この、超行列店のラーメンがめちゃくちゃ普通の味だったみたいな肩透かし感は」


「いいよほら、見る?」


彼女は馬の鼻の先に人参をぶら下げるように、スマホを私の顔の前で左右に揺らした。


「だから冗談だって。なんであんたの方がグイグイくんのよ」と私はスマホを払いのけながら言った。


「だってほんとにいいんだもん」と彼女はむしろ断られたことに一抹の寂しささえ感じている様子で言った。


ふと頭にもう一つの疑念が浮かんで、私は物の試しに尋ねてみる。


「待って。もしかしてもしかすると、インスタのDM、も?」


「うん、いいよ。ついでにそっちも見る?」


彼女は指先をさっと動かし、アプリをインスタに切り替えた。案の定、予想は当たってしまって、私は彼女を止めに入る。


「やめなよ。てかバカじゃないの、時代に逆行しすぎだって。プライバシー全盛だよ、今。マイナンバーカード一つで世論だって真っ二つに割れるんだから」


彼女は少し目線を下げて言う。


「だって、後ろめたいことが何も起こらないんだもん、私のトーク履歴」


「急に哀愁出すのやめて」


「私の履歴を動かしてくれるのは地震と業務連絡だけ。『そっち揺れたみたいだけど生きてるか?』って緊急時をいいことに急に親の顔見せてくる父親とか、『明日シフト変われない?』ってことあるごとに聞いてくる私のこと暇人か何かだと思ってるバイトの人とか」


「出るわ出るわ哀愁のオンパレード。これが石油だったら最高なのに。てかさ、逆に見られたくないのって何?」と私は尋ねた。


「YouTubeの再生履歴。」


彼女は毅然とした態度でそう答えた。


「それだけは絶対に見せたくない。爪を剥がされても、電気椅子にかけられても見せない」


「それはもう拷問だって。なんでそんなに」


「だってあまりにも私だから。私という人間が露骨に表れすぎちゃっててほんとムリ。気持ち悪い」そう言って彼女はスマホの画面を閉じ、膝の上に置いた。彼女が続ける。


「私ね、人間って誰しも変態だと思うの」


「は、なに、びっくりした、急にモード発動しないでよ。慣れたからいいけどさ」


彼女は時折、何かのスイッチが入ったみたいに突然語り口調になることがある。特段人に語りたいことなんてない私には到底想像できないけれど、普段から口数が少なく物分かりがよさそうにしている分、彼女にはきっと溜まっていることがあるのだろう。その物静かな姿とのギャップに、最初の頃は結構面食らったものだ。こうなるともう止められない。


「みんながみんな、それぞれの変態性を抱えて生きてる。でもね、その中でも、人に見せられる部分と、そうでない部分っていうのは確実に存在すると思っていて」


饒舌に、淀みなく彼女は続けた。まるで初めから用意されていた台本を、完璧に暗記しているみたいに。カメラの方を向かず手元の台本ばかり読むせいで、ちっとも情報が伝わってこない民放のニュースキャスターよりもキャスターに向いていると思う。もっと人前でそういう一面を見せたらいいのに、と私は時折思うけど、そう簡単に上手くはいかない、ままならないことだってあるのだと、彼女と関わってから私は知ってしまった。尚も、彼女が続ける。


「私の場合は、その見せられない方と密接に関わっているものがYouTubeの履歴にはある。Twitterのいいね欄見られる方がまだマシ。あれならまだ見せられる」


「何それ俄然気になるじゃん。あんたのいいね欄も相当だとは思うけど」


そこで私は何かを閃いたみたいにして彼女に言う。


「てことは絶対エッチなやつだ、それ。」


「はぁ?なんでそうなるの。どうしてすぐに性と絡めるの。エッチとかエッチじゃないとか関係ない」突拍子もないことにうろたえたのか、彼女は少し早口だった。「それから、人に剥き出しの好奇心示すのは時として罪だからね、罪」


「仕方ないじゃん。気になっちゃうこっちの気持ちだって尊重してよ」とついムキになって私も応戦した。


「ずるいなーその言い方。でも嫌なものは嫌なの」


「だって友達じゃん。見せてくれたっていいのに」


そう言った後で、しまった、と私は思った。どこに彼女の地雷があるのか、それは重々理解していたつもりだったのに。


「出た。友達って言えばなんでも許される、みたいなのそんなの絶対にないからね。なんでも曝け出してこそ、真のダチ、とかそんなものが通用する環境がまだあるなら、私は呪う。一匹残らず駆逐してやる案件だよそれは。友達だから、は、万国共通のパスポートなんかじゃない。それを見せたら王道の観光地から欲望蠢く裏社会まで、どこでも通れちゃうような代物じゃないの」


コンロの火を強火にした時のように、彼女は語気を強めていった。


「ごめんて、うっかりしてたの。なにもそこまで言わなくたっていいじゃん、あれはあれで一つの人間関係の形なんだからさ」


「そうかもしれないけど」


「てか、逆に今までどうやって生きてきたの?人と」


私は気になって尋ねた。


「それは、はぐらかしとか嘘とか適当とか」


「あーごめんごめん、聞いたあたしが間違いでした。そしたら今度、あんたが寝てる時にでも盗み見しようかな履歴」


「絶交するよ、そしたら」


彼女はすぐさまこちらに向き直って言った。


「こわ、あんた冗談じゃなくてまじでやりそうだからほんと怖い。冗談だからね、今のも。あんたはそろそろあたしの冗談を見抜けるようになってください。疲れるよ、なんでも本気で受け取ってたら」


「それは、そうだね。頑張ります。精進します」彼女は私のことをまっすぐに見てそう言った。変な所で彼女は素直だ。


誰かと知り合いになったり、友達になったり、そういう関係を持つというごく当たり前のことが、どれほど難しいことなのか。私は彼女と関わってからそれを痛感しかしていない。はぁ、めんどくさい。

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