魔女の都

ゼノンたちが『大墓地』へと向かった時、学術都市アルフィアは滅びの一歩手前であった。

その理由は、学院内部に空いた空間の亀裂から湧き出す『融合獣キメラ』ではない。

都市外に現れた二体の巨影によるものである。


ただ、進む。

学院最長の塔よりそれを見るアルフィアの目には、緩慢な動きにしか見えない。

だがその緩慢な一歩がただただ大きい。

僅か一歩で数百メートルを踏破し、そのままの速度で進めば、僅か一時間ほどで都市を踏み潰すだろう。


そんな魔物が二体。それを見るアルフィアの表情は穏やかなものだった。

彼女にとってこれは、予定調和だ。はるか以前からこの光景を知っていた。

だからこそ、魔物の襲撃自体に興味はない。だが、この先の景色こそが彼女が待ち望むもの。


「失礼します。迎撃隊の準備は整いました」


小さなノックの後、学院長室に入ってきたのは、初老の男だ。白髪交じりの髪は乱れ、深い皺の刻まれた額は普段よりも色濃く疲労を滲ませている。


ボブス・マイヤー。都市に五人しかいない最高権力者である議員の一人であり、今はエリスに学院生襲撃の証拠を掴まれ、傀儡に落ちた男だ。


だがそんな男も今は、都市の危機と混乱に乗じて、見張りを撒き、信頼できる部下による警備の元、議員として正しい行動をしている。

と、思っている。実際には悪魔による監視はまけておらず、ただすでに利用価値が無いと判断したエリスによって放置されているだけだった。

アルフィアはそれの影に蠢く存在に気づいていたが、ただ黙ってその報告を聞いて、小さく頷いた。


アルフィアの返事を見ても、ボブスはその場を動かない。ただ黙ってアルフィアを見ている。否、睨みつけていると言ってもいいだろう。


「全軍の指揮権はどうなさいますか」


固い声音で尋ねる。

巨大な魔物二体の迎撃隊の指揮官や、都市内に溢れた魔物の討伐隊、臨時の冒険者ギルドへの指揮権、市民の避難誘導や教会勢力との協力など、足元の小さな指揮権は確定しているが、全体の、この混乱を納める責任者は決まっていない。

その理由はこの都市の権力構造のせいだった。


この学術都市の権力構造は、都市議員5名による議員制である。この都市の法律や方針と言ったあらゆる決め事の最終決定権は、彼らにあり、彼らが表面上の最高権力者であると言える。

だが実際、議員の内の3名はアルフィアのシンパであり、実質的な最高権力者はアルフィアだ。


これが裏目に出た。アルフィアの傀儡である三人の議員。そしてアルフィアは彼らに何の指示も命令も与えなかった。その結果、三人の議員は、現状維持を貫いた。この非常事態にも関わらずに。


そのためボブスやもう一人の議員は各々が権力を使い、各方面に指示を出した。普段は敵対関係にある二人だが、都市壊滅の緊急事態には力を合わせた。

2人は優秀だったと言えるだろう。

議員として培ったコネと権力を最大限に使い、商人には物資の協力を取り付け、使えそうな戦力は全て戦場に投入した。

その結果、都市内部の被害は想定以上に少なかった。


とはいえ、確認されているだけでも市民の三割が死んだ。行方不明者を含めれば五割にも上るだろう。

これも全ては、アルフィアの責任だとボブスは考えている。


彼女は全てを知っている。その事実だけは、彼は知っている。

その絶対的な能力を恐れているのは、ボブスだからだ。

だからこそ、何もしない魔女に彼は怒っており、これ以上被害を増やさないためにも、全体指揮を執りたいと考えていた。

そんなボブスの思いを見透かしたように、アルフィアは何でも無いように言った。


「じゃあ、頼むよ。指揮は、君が取るといい」

「……ではそのように」


ボブスは指揮権に関する指示がアルフィアから出たことに関して驚き、返事が遅れたが、それをアルフィアが指摘することは無い。


「私を恨んでいるかい?」


「……は」


ぽつり、と呟かれた言葉の意味が分からず、一瞬、停滞する。


「分かりませぬ。貴方は、都市の安寧だけは守ってこられたのに……」


その言葉は怒りというよりも失望に近かっただろう。

ボブスが生まれた時から、今の地位につき変わらぬ姿で生き続けている魔女の存在は、この都市の人間にとっては憧れであり、英雄でもある。


大国間という不安定な場所に孤独に佇むこの都市を守ってきたのは、アルフィアの武力なのだ。千年間、守り続けたこの都市の平和が壊れる日が来るとはボブス自身、考えてもいないことだった。それだけは、しない『魔女』だと思っていた。


何も言わずこちらを見つめる穏やかな緋色の視線に、ボブスは能面のような表情を向ける。


「……都市は大事さ。でも、永遠は無い」


まるで都市の終わりを見据えているようなアルフィアの言葉に、ボブスは固く唇を噛んだ。

この都市は現在も滅びかけている。内外から襲撃してきた魔物たち。否、モルドレッド教団。


例えそれを跳ね除けたとしても、人が死に過ぎた。

中には、他国から預かっている貴族や王族もいる。ミネルヴァ皇女など、その代表だろう。

この争いの結末がどうなろうとアルフィアの力を他国に疑われることに繋がり、子息や権力者を奪われた国がどのような対応に出るかは火を見るよりも明らかだ。


それでも、今を生きなければならない。


「失礼します」


小さく頭を下げて、ボブスは彼女の部屋を向ける。


「ああ、ちょっと待って」


アルフィアはそう言ってボブスを制止する。怪訝な顔をして振り向いた彼にアルフィアは白魚のように細くしなやかな指が向けられる。

ボブスは硬直したように身を固める。


アルフィアの力を恐れているボブスは、自身が彼女の魔術の標的になっていると気づいた。非魔術師である彼には何が起こっているのかは分からない。

だが、次の瞬間には自分が死んでいてもおかしくはないことは確かだった。


アルフィアが指を振るう。すると、ボブスの影が揺れて、沈んだ。


「もう行っていいよ」

「……は。失礼します。御身も気が向けば戦場で戦ってください」


ボブスは今度こそ、背を向けて去っていく。

それを見るアルフィアの瞳には、穏やかな色が宿っている。


「無理だよ。それをすれば、私は遠からず死ぬからね」


例え今を乗り越えても、この先で死ぬ確率が高くなる。否、確定する。

それを彼女は


「アリスティアも問題だけど、教団も大概だよ。アリアがいれば、違ったのだろうけど」


アリア・アリスティアが消えた影響は大きい。

デルウェア帝国は露骨にエリーゼ半島を狙い出し、今まで表立って大きな動きを見せることは無かった教団は動き出した。

傍若無人で風のように自由な彼女は、特定の敵へと粘着することは無かったが、一度目が付けられれば、死が確定する『魔女』は、数多の争いと混乱をもたらしながらも、他の勢力を抑圧していた。


「……まずは、ここからだ」


彼女の視界の先には、巨大な怪物へと進む小さな人影の群れがあった。


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短いので、明日も投稿します。(2023.8.17)

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