トレンティ君、初陣

学術都市を挟み込むように進軍する二体の魔物。それを止めなければ、都市は壊滅する。

そのため、都市に残る戦力の大部分が、この二体の魔物討伐のために投入されていた。

その内に一体、東から迫る魔物への討伐隊の中に、彼らはいた。


「――――こんなことになるなんて………」


魔術学院一年、普通クラスのトレンティは、蒼白な顔でそう呟いた。

その視線は地面に向けられており、視界を遮るように闊歩する魔物という現実から逃避していた。


彼は自身の不運を呪う。否、幸運なのだろうか。

貴族に目を付けられ、死にかけていたトレンティ達は、ゼノンの助けにより生き延び、逃げるための魔具すら与えられた。

トレンティ、ジェームス、ミーミリカはゼノンの言われた通り、都市外へと避難しようとしていた。そしてその途中で、冒険者ギルド前に建設された避難場所に立ち寄ったのだ。

立ち寄ってしまったのだ。


ゼノンからは都市外に行けと言われていたが、姿をくらませる魔具があろうとも、物資も持たず、たった三人で危険な都市外へと逃げることは、彼らの常識的にも出来なかった。


結果的に彼ら三人は、都市防衛のための戦力として酷使されることとなった。


近接職のジェームスと獣避けの魔術が使えるミーミリカは都市内部の魔物の討伐隊に、錬金術が使えるトレンティは、都市外の巨大魔物との戦いに駆り出された。

その結果、逃げたいトレンティは、なぜか巨大魔物に隊列を組んで近づいて行っている。


都市外に広がる平原は平坦な地形だ。そのせいか、まだ遠い場所にいる魔物の全貌が見える。

その姿は、一言で言えば蜥蜴だ。爬虫類らしいシャープな肉体ではなく、ぶくぶくと肥え太ったような巨体を晒している。その巨体と比べれば短い手足で地面を砕きながら、少しずつ都市へと進んでいる。

その肉体の全長は、数百メートルを超えている。そんな化け物を今から、自分たちが止める。


気が遠くなりそうだった。さっさと逃げようか。そんな思いが頭をよぎる。

意識は懐に仕舞った指輪に向かう。この指輪の効力はすさまじい。ほとんど魔力消費無く、ほぼ完ぺきな隠密能力を持ち主にもたらす。

これを使えば、学院外の豊かな地形に住まう魔物も眼前の怪物からも、そして隊列を成す人間からも容易に逃げ切れる。

否、そのためにゼノンは自分たちに指輪を渡したのだろうと今になって気づいた。


(今からでも、遅くないかな?二人を迎えに行ってから、逃げる?)


だが、都市の中も地獄だ。ある程度の戦闘能力を持つ二人ならともかく、戦闘能力に乏しいトレンティなら、姿を消していても流れ弾で死にかねない。ましてや魔物はジェームスでさえ、容易には倒せないような強さだ。

もしも、指輪の効力が消えれたら、もしも偶然襲われたら。そんな可能性ばかりが頭をよぎり、トレンティは行動に移せなかった。

そしてトレンティの足を前に進ませる要因がもう一つ。


「大丈夫かい?」


肩に置かれた手に振り返る。トレンティよりも頭一つ分大きな背丈の男を見上げる。

肩ほどの長さの金髪から覗く緑眼は、力強い光を宿し、トレンティを見ていた。


「あ、ライナスさん………はい!大丈夫です!」


貴公子のような甘いマスクに押されて、反射的にそう答える。

その首から掛けられている冒険者証の色は金。冒険者ギルドでもほんの一握りしかいないゴールドランクの冒険者だ。


「ブレイズでいいと言っただろう、トレンティ!僕たちは命を助け合う仲だ。もっとリラックスしていこうぜ」


軽くトレンティの背を叩くと、豪快な、だがどこか気品を感じさせる笑みを浮かべて、彼は隊列の後方へと戻っていった。

ライナス、そう呼ばれた男とライナスに声を掛けられたトレンティに周囲の視線が向かう。急に注目されてトレンティは、そっと視線を下へと向けた。


この注目度の高さは、ライナスへと向けられたものだ。

ブレイズ・ライナス。それがこの男の名前であり、学術都市の冒険者ギルドでも数組しかいないミスリルパーティーを率いる男の名前だ。


トレンティが後ろを振り返ると、トレンティにしたのと同じように学院の制服を身に纏い、緊張を顔に浮かべている生徒を鼓舞している。


ブレイズは、個人としてはゴールドランクの冒険者だが、その指揮能力とカリスマ性、そして地道に積み上げた実績を買われて、彼の率いる【勇猛なる戦士】はミスリルパーティーへと昇格している。

トレンティの参加している魔物討伐隊は、ほぼ冒険者で構成されている。我の強い冒険者たちが隊列を作り、黙ってブレイズに従っているのは、彼の力と人望によるものが大きかった。

そして学院生などの戦闘を得意としないが、魔術が使えるため、隊に組み込まれた者には、こうして声を掛けて回り、安心感と信頼関係を醸成している。


トレンティもまた、締め付けるような緊張が和らいだのを感じる。そして、周囲に注目されたこともあって、指輪の魔具を使う機会を逃したトレンティは、そのまま隊列に身を置き続けた。


トレンティ達は進み続け、ついには学術都市を覆う結界の端まで到達した。


「すごい……これが運命の魔女の大結界なのか」


トレンティは学術都市全域を半円状に覆う結界を見て、感嘆の声を漏らした。

普段は、都市の外壁から伸びるように展開されている結界を間近で見る機会はない。

だが今は、範囲を拡大し、学術都市を大きく覆うように展開されている。


この結界はアルフィアが千年前に作り出した大結界である。あらゆる物理的な障害、魔力、術式を防ぐ効力を持ち、その結界が破壊されたことは過去一度も無い。

トレンティはおろか、学院にいる誰も見たことが無いレベルの結界術式だ。

表面に浮かぶ刻印魔術も情報世界に展開された術式も、トレンティでは何一つ理解できない。

だが、大自然を見た人間が、それに圧倒されるように、トレンティもまた、眼前の『神秘』に見惚れた。


「みんな!聞いてくれ!」


ブレイズの声が響く。少し小高く盛り上がった地面の上に立った彼は、隊列を組む全員を見ながら、力強く言葉を紡ぐ。


「あの怪物を討伐するためには、『壁』が必要だ!アルフィア様の結界もあるが、その内側にもう一層、城壁を構築する!地属性の自然魔術や錬金術を使える者は、前に出てくれ!」


彼の声に従い、冒険者の中から何人か、学院生の中の大多数が前へと出る。

ブレイズはそれを見て、小さく頷いた。


(………やはり、冒険者の中には魔力を温存する者はいるな)


ブレイズの広い視界には、魔術師を募集した途端、人影に身を隠す人間の姿を捉えていた。

大規模な戦闘を前に、魔力を温存しておきたいと考える者たちだ。

それを卑怯とは思わない。人によっては魔力量に差があるし、安全マージンの取り方も個々人の自由だ。

彼らは学術都市の指揮の元、強制依頼を受け、共に行動しているものの、所詮は烏合の衆。

指揮能力を買われて、ブレイズが指揮官を務めているもののそれに全員が従うとは彼も思っていない。


(学院生が多いのは助かったな)


前に出てきた魔術師の多くは学院生だ。あどけない顔に決意の色を宿し、真っ直ぐにブレイズを見ている。

流石は天下の魔術学院と言うべきか。ほぼ全ての学院生が、該当する魔術を使用できる。

これなら十分だと、ブレイズは声を張り上げる。


「よし!詳しくは僕のパーティーメンバーのエマに聞いてくれ!」


ブレイズの側にいた長い黒髪を後ろで結んだ女性が、前へと出る。彼女は魔術師たちを連れて、結界の側へと向かった。


「いい?貴方たちは地面を五メートルほど隆起させて。後は私が纏めるから」


「………えっと、どういう?」


エマの言葉の意味を理解できなかった学院生が疑問を露わにする。

当然だろう。エマの指示の中には、使用魔術の指示も無く、範囲の指定も無かった。これでは個々人が適当に地面を掘り返すことにしかならない。

だがそんな疑問を抱いたのは、学院生のみだ。

彼女の魔術をよく知る冒険者たちは、理解の色を表情に浮かべて、各々が魔術発動の準備を始めている。


「場所は適当でいいわよ。この辺りなら、ね」


最後に学院生に向けて、軽く微笑みかける。学院生の男子は仄かに頬を染めて、か細く「はい」と返事を返した。


その場に集った魔術師の数は約20人。

隊の総数は百人強程度なことを考えれば、破格の割合だ。

そんな彼らが一斉に魔術の準備をする。

その光景は、長く学術都市を拠点としている冒険者たちも見たことが無く、視線が注目する。

それに眉を顰める学院生も少なくない。この場にいる学院生の中には、純粋な神秘の探究者として学院に所属している魔術師もいる。

自身の魔術を隠匿したい生徒にとっては、注目が集まるのは不快だろう。だがここでやめるわけにはいかず、術式を情報世界に投影していく。


そして彼らは、予想通りの手ごたえに眉を顰める。


魔術というのは、『情報世界』に記載された情報を書き換えることで発動する現実の改ざんだ。では2人の魔術師が同じ対象に術式をかけようとすればどうなるか。

答えは彼らが体感している。


(………ッ!術式が乱れる!あのエマとかいう冒険者、何を考えている!?)


そう、術式が乱れるのだ。互いの魔術同士が阻害しあい、まともな『魔術』にはならない。

普通なら不発になるか、力の強い魔術の方が不完全な形で発動する。

どうなっても共存することは無い。


エマは各々の魔術の発動範囲を指定せずに、地面を変化させるように指示した。そんなことをすれば、魔術同士が重なり合い、破綻するのは常識だ。

だがそうはならなかった。


「………な、なにこれ?」


1人の学院生が困惑したように声を漏らす。続くようにあちこちで同様の困惑が見て取れた。


「術式が、再構築されてる?」


彼らが情報世界に展開した20弱の個々の魔術。それがばらけた。

魔術を構成する術式単位に細分化され、それぞれの術式が再構築され、一つの巨大な魔術を構築していく。それは魔術師である彼らの感覚には、巨大な城壁のように見て取れた。


その術式の中核をなしているのは、エマの魔術であった。


エマの発動させた何の変哲もない地属性の魔術を補完するように、他者の術式が吸い込まれていく。

あり得ないことだった。複数の小さな魔術を使い、大魔術を発動させるのは熟達した魔術師が集まれば、可能なことかもしれない。

だが、自身の術式が制御下を離れ、組み替えられるとすれば、話は別だ。


魔術とは、自己の感覚に強く依存するものだ。それを術式という共通言語を使い、共有しているだけであり、基本的に他者の術式に干渉することは難しい。なぜならそれは、他者の見ている『情報世界』に干渉するということだからだ。

魔術によって生じた結果を打ち消すことや魔術の発動を阻害することは出来ても、術式を奪い取ることなど、あり得ない。この世界でただ一人、エマを除いて。


「まさか、固有魔術!?」


学院生の一人が耐えかねたように叫ぶ。彼女の視線は大地に手を突くエマへとむけられていた。エマは肩越しに少女へと振り向き首を振った。


「違うわよ、体質よ」

「た、体質?」


固有魔術だと決めつけていた少女は虚を突かれたように言葉を返した。

ええ、と短く答え、エマは口を開いた。


「私は生まれつき、他人の情報世界を見て、干渉できるの」

「………はあっ!?そんなこと、できるわけ………」

「出来るのよ。なんでかは知らないけどね」


それ以上説明する気は無いのか、エマは自身の魔術の制御に集中し始めた。

少女が呆然としている間も、着々と術式が編み上がっていく。

その中には当然、少女が発動させた魔術もあるが、それはすでに原形を留めておらず、そのくせ術式を支える労力も魔力も少女から徴収されている。

まるで自分の身体を他人に操られているような違和感。エマの『編纂』を体感する自分たちのために、先ほど体質のことを説明したのだろうと少女はぼんやりと思う。


エマは一息に魔術を編み上げる。魔術を構成する術式の複雑さ、多さに比べて彼女の内から消えていく魔力の量は酷く少ない。


「〈大地の大壁〉」


地属性の自然魔術の中でも、汎用性の高い防壁系の魔術である。それを彼女は、その場の魔術師の発動させた『地面を変形させる術式』を寄り合わせて、構成した。

彼女が起動句を唱えた途端、眼前の地面が盛り上がる。

地面が隆起し、巨大な壁へと変わる。地層を無理やり引き抜いているような轟音が鳴り響き、数秒後には彼らの視線の先に地平線は無い。

ただ土色の巨大な城壁が聳え立っていた。


「すげぇ………」


ただひたすらに大きく、硬い城壁に恐れおののくように誰かの声が漏れた。

エマの『編纂』を知っている冒険者は感嘆し、知らない者は驚愕を露わにする。

その沈黙の合間を縫うようにブレイズの声が彼らを貫いた。


「よし!全員、城壁の中に入ってくれ!結界の淵で敵を迎え撃つ!」


城壁は、ただひたすらにでかいだけの壁ではない。その表面は衝撃を逃がすように角ばっており、内部には硬度を落とさないように緻密に張り巡らされた通路が存在する。

冒険者たちは中へと入り、驚く。内部はまるで城のようだった。

武骨な造りではあるが、敵の攻撃を防ぐスパイクや槍を突き出す溝のようなものも整備されている。


「流石は学院の卒業生だな」


1人の男子生徒が上から目線でそう評した。

エマの『編纂』は、複数の魔術師の術式を組み合わせることを可能とするが、その制御は全て、エマに委ねられる。

他者の発動させた膨大な術式を使いこなし、緻密な城壁を構築したのは、他の誰でもないエマの制御能力の賜物だった。


巨大な魔物が進む。その足音が、大地を揺らす。振動を城壁内部にいる彼らも感じるようになった。慌ただしく冒険者たちは動き、学院生は、緊張を噛み締めるように眉尻を吊り上がる。

誰もが、開戦の気配を感じていた。


そんな中でただ一人、地面に蹲り、吐きそうな顔をしている学生がいた。


「い、い、い、い、い、いいいっ、いやあぁああっ………!」


か細い悲鳴がトレンティの喉から零れる。中性的な見た目をしており、制服でなければ性別すら分からなかっただろう。

だが幸い、そんなみっともないトレンティを見ている人間はいなかった。

皆、最後の準備を整えている。妖精人の弓兵は、弓の慣らしをするように弦をはじき、獣人の双剣師は、血に飢えた獣のように牙を剝く。


学院の生徒たちも、冒険者に混じり、連携の打ち合わせをそこかしこでしている。

身分の高い者が多い学院生と荒れくれ者の冒険者が肩を寄せ合わせる姿はかなり珍しい。

実力があれば年下でも何でも構わないという考え方の多い冒険者の気風によるものだろう。

対等の、あるいはそれ以上の戦力としてカウントされている学院生たちも僅かに胸を張り、魔物への気炎を吐く。


そんな輪にすら入れない自分は何なのか。恐怖と緊張で震える心の奥で、そんなことを微かに思った。

そうして蹲ること数分後、トレンティもついに声を掛けられた。


「よぉ、坊主!」

「うひゃいっ!?」


肩に置かれた大きな手に、トレンティは飛び上がる。恐る恐るその手の主を見ると、そこには筋骨隆々の大男がいた。

種族は人間のようだが、巨人と見まがうほどに大きい。

浅黒い肌に抑え込められた筋肉がびくびくと動き、背負った巨大な両刃の斧が、怪しく光を放った。


ほぼ半裸の上半身に圧されるように一歩下がる。

だがすでに壁だ!トレンティに逃げ場はない!


「な、なんでしょ――――」

「いいな、お前!根性がある!軟弱な魔術師とは思えんぞっ!」


大声に驚いたトレンティの声はしりすぼみに消えていく。

だが、ここまで生き延びたトレンティの生存本能が、聞き過ごせない言葉を捉えた。


「こ、根性?」


自分の今いる状況と正反対の言葉が出た時は、ヤバイ。それを彼は経験則から知っていた。


「おう!ここは外に討って出る奴らの待機場所だぞ!学院生の奴らはほとんど上に言ったってのに、一人で残るとはな!それだけの実力を持つのか、あるいは無謀なガキか………。どっちにしても俺ぁ、好きだぜ、その生きざま」

「……………!」


ぱくぱくと口を開くトレンティ。陸揚げされた魚でも、もう少し落ち着いているだろう。

そんなトレンティの背後で、巨大な両開きの扉が開く。

押しているのは土竜人だ。外気が流れ込み、怪物の足音が開戦の狼煙を告げるように響き渡る。


「い……嫌だぁああああっっっ!!!」


冒険者たちが武器を掲げて雄たけびを上げる。巨大な足音ですら生ぬるい。

戦意を揚げる彼らの前では、魔物へと恐れすら塗りつぶされ、当然トレンティの声も消えた。


「行くぞ?ははははははっ!この俺を率いようってか!いい度胸だ小僧!俺達で魔物を討ち取るぞぉおおっ!」


冒険者に腕を掴まれたトレンティが、誰よりも早く城壁を飛び出る。

これがトレンティの初陣であった。

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