2人っきり

「これは、困りましたね」


滑らかな頬に手を当てて、エリスは品よく小首を傾げた。

その視線は、誰もいない集合地点であった場所へと向いている。


下草を揺らす音に気付き、振り返る。周囲の捜索に出ていたガーベラが戻ってきたのだ。


「どうですか?二人はいましたか?」

「いえ。どこにもいません」


ガーベラは足元に寄ってきた不死種の獣を撫でて、影へと納める。

その表情は強張っており、普段の間延びした口調は鳴りを潜めている。


「ゼノン君の通信用の魔具も通じません。通信圏外に出ていると見るべきでしょう」


エリスは結晶を手で弄びながら、瞳を細める。

異常がこの静かな星空の平原を包んでいる。それを彼女たちは感じている。


「…………あの二人は先に帰還していた。それは確かですね?」

「はい。新しい匂いが残っているので、つい先ほどかと」


(なら、2人が死んでいるとは考えづらい)


ゼノンが本気を出せば、その命を脅かせる者はほとんどいない。

その事実を『アリスティア』の名を知るエリスは知っている。

そしてティーリアもいる。剣士として高い技量を持つ彼女がいれば、ゼノンが魔術を発動させるまでの時間稼ぎぐらいは可能だ。


とりあえずの二人の死の可能性は無い。そう思い至ったエリスは本心から表情を緩めた。

もっとも、その心配と安堵は、ほとんどがゼノンへと向いていたが。


「ガーベラ。二人は強者です。そのように思い詰める必要はありません」

「ですが………!」


不安は拭えないのかガーベラは苦渋に顔を歪ませる。


「落ち着きなさいと言っているのです。デネス王国の宮廷魔術師ともあろう者が、簡単に取り乱すものではありません」


引き絞った弦を放つような冷静な声が、不安定に揺れるガーベラの心をとらえた。

ガーベラは何かを言いたげに口を開いては閉ざす。

妹を心配する様子の無い姉へと糾弾だろうか。

だが言葉を放つことは無く、大きく息を吸い、そっと瞳を伏せる。


「…………申し訳ありません。もう大丈夫です」


再び瞳を開いたとき、紫水晶のような瞳には理知的な魔術師としての色が戻っていた。

エリスは当然とばかりに頷いた。


「では、状況を整理しましょう。ゼノン君とティーリアは先に集合地点に来ていた。そしてその後に私が来ました。その時には二人はもういませんでした。最後にガーベラ、貴方が来た。十分ほど経っても二人が見当たらなかったので、捜索しても見つからなかった」


言葉にすればそれだけ。だが、あまりに奇怪だ。


「ガーベラ、貴方は異常な魔力の動きや魔術の気配を感じましたか?」

「いえ。何も」


音も気配もなく、あの二人は消えた。そんなことは考えづらい。

二人は優れた魔術師だ。敵に襲われたとしても、何もできないということは非現実的だ。

だが、現実として、2人は何の痕跡も残さずに消えている。


「魔具の通信圏外を探しますか?」


ガーベラの視線はエリスの手の内にある結晶の魔具がある。

ゼノンは魔具の通信は強いが範囲は狭いと言っていた。

これが通じないのなら、その通信圏外にいると考えるべきだ。

ガーベラの思考は合理的で、普段の冷静さを取り戻していると分かる。

だが、エリスは首を振った。


「なぜでしょうか?」

「二人が通信圏外に行く理由がありません。仮に通信圏外にいたとしても、使い魔の一つぐらいは寄越すでしょう」

「それは……そうですけど」


そのことには、ガーベラにも気づいている。だが、それ以外に考えられない。

可能性がそれしか無いのなら、時間を無駄にせずに行動するべきだ、というのがガーベラの考え方だった。


だが、エリスは違った。彼女はゼノンとティーリアの思考をトレースし、既にこの異界にはいないという結論に至っていた。

それは、魔術師と大軍を率いる将としての視点の違いであり、どちらも間違いでは無い。

だが今回は、エリスの考えが正解だった。


「一度、『大墓地』の入り口に戻ります」

「二人はすでに『大墓地』にはいないと?」


ガーベラは能面のような無表情の奥に、不快感を滲ませて問う。

いくら第一王女であり、遥か上の身分であろうとも、自身の敬愛する主であるティーリアが逃げ出した、とも取れる言葉は、許容できなかった。


「行きますよ」


疑問には答えずに、エリスは駆けだした。


□□□


『大墓地』の入り口には、すぐにたどり着いた。

エリスとガーベラは見覚えのある門の前に立つ。ガーベラの足元から湧き出した不死種の犬が、鼻を鳴らし、2人の気配を探る。

だが、犬は小さく首を傾げるのみだ。


「…………新しい匂いは無いようです」


ガーベラはここにはいない主を誇るようにそう言った。


2人はここには来ていない。その事実に、エリスは僅かに眉を顰めた。

エリスは門へと近づき、錆びた鉄の枠組みを持つ。それを引くと、鈍い音が響き、向こう側が映りこむ。それは大墓地と繋がる場所であり、そこには『大墓地』が映りこんでいた。

エリスは一歩、踏み出す。門へと入り、学院の地下通路へと出る―――ことは無く、入った門から出てきて『大墓地』へと出た。


「エリスイス殿下!?」


正面にいたエリスと顔があったガーベラは驚愕を露わにする。

門を出たはずの人間がすぐに入ってきたらそうなるだろう。

だがエリスには予想通りの結果であり、最悪の事実だった。


―――門から出られなくなっている。


エリスは王女としての冷静な仮面の下で舌打ちをしたい気分になった。

敵の潜む異界に入ったというのに、出られるかどうかの確認を怠った。

彼女の中では明確な失態だった。

自分のせいで、主を危険に晒しているかもしれない。もし傷を負っていれば、どうやって償えばいいのだろうか。

(私の命だけでは許されない罪です)

そんな自罰的な考えをしながらも、エリスは普段通りの声音で、ガーベラに疑問を問う。


「ガーベラ。あの二人はすでにこの世界にはいないと見るべきです。ですが、『大墓地』から出る門はありません。だとしたら、あの二人はどこから出たのでしょうか」


ガーベラは柴色の瞳を大きく見開く。

出入り口であるはずの門が、出口の役割をはたしていない。その事実には驚愕するが、理屈としてはおかしくない。

この門は物理的に学院の地下を繋いでいるわけではなく、空間魔術で繋がっているだけだ。

この世界の変質を考えれば、そのぐらいの変異は不思議ではない。

問題なのは、出口の見つからない世界から消えた二人だ。


「…………あの二人は、偶然『大墓地』からの出口を見つけて、出てしまった。出た先ははるか遠い場所で、出口から入ることは出来ないから戻れない?」

「その可能性は高いです」


出口と入り口はワンセットだ。エリス達の眼前の門が入り口の役割を果たし、出口の役割を果たしていないのは確認済みだ。

であれば、出口の役割を果たし、入り口の役割を果たしていない門があると考えるべきだろう。

出口が無い、とは考えない。それは魔術的に考えればあり得ない。

この手の異空間は、世界に隣接するように存在するものだ。それが世界から離れずにあり続けているのは、『門』という楔があるためだ。

それを破壊、消滅させれば、異界諸共消えるため、消せないのだ。


「ですが、とりあえず二人は生きていそうですね。一安心です」


2人が出た先がどんな場所かは知らないが、例え魔物だらけの地獄であっても、生き残れる強さがある。

予想していたことが現実味を帯び、エリスは本心から安堵の息を吐いた。


「エリス殿下、2人で大丈夫でしょうかぁ?」

「……?はい。大丈夫だと思いますけど………」


ガーベラに言葉に違和感を感じながらも肯定する。

だがガーベラは今までにないほど険しい顔をしている。


「いえ!そうではなく、ティーリア様とゼノンが二人っきりで大丈夫でしょうか!」

「―――!」


ガーベラの言わんとすることを理解し、エリスもまた焦りを浮かべた。

確かに、あの二人は距離が近い。

以前、エリスも学友として適度な距離感を保つように、とゼノンに進言していたが、それが守られているようには見えない(エリス基準)。

『大墓地』に向かう途中も、何度注意しようと思ったことか。

実の妹に対する嫉妬と苛立ちを、エリスは確かに感じていた。


「ティーリア様は、その……世間知らずですから、ゼノンがそれに付け込んであんなことやこんなことをぉ……うぅううっ」


眼の下の泣きぼくろを小さく歪めながら、顔を真っ赤に染める。その言葉は尻すぼみに小さくなっていった。


(意外と初心ですね)


男の視線を惹きつける魅惑的な肢体と妖艶な立ち振る舞いに反して、意外とその手の耐性は無いのがガーベラという少女だった。


「確かに、妹がゼノン君の毒牙にかかるのは許容できません。急いで二人と合流する必要がありますね!」


かつてない力の篭った言葉にガーベラが気づくことは無かった。


だが合流するとしても、その手段が思いつかない。

2人は何らかの出口を通り、この世界を出た。そう考えられるがエリス達はその出口らしきものの候補も思いついていなかった。

現状、自分たちが迷子のような状況だ。


「……これは、追い詰められたのは私たちかもしれませんね……」


意味深な言葉を呟いたエリスの表情には憂いが色濃く映っていた。

その表情には、絵画になりそうなほど儚さと幻想を含んでいた。


(分断された。ゼノン様がされたのか私がされたのか……)


その事実に軍師としても卓越した才を持つエリスは気づいた。

エリスは、世界が裏表のように存在し、自分たちが新しく作られた裏にいるとは知らない。

それは彼女が『世界』に関する知識をゼノンほど持っていないためだ。

魔術師たちにとっても、異世界というのは未知の塊だ。それを研究しているのは、アリスティア家のような一部の大魔術師か学術都市ぐらい。

騎士の国であるデネス王国ではその手の研究は乏しい。そのため、王女であるエリスも、世界同士の相克関係を知らない。

ティーリアのような自然に対する鋭い感覚も無いため、違和感にも気づけない。


少しの手がかりでも答えに至る卓越した頭脳も、手掛かりが無ければ答えに辿り着けない。そのため、この世界は『大墓地』だと勘違いをしていた。

だが、自分たちが置かれている状況は正しく理解していた。出口が見つからない世界に放り出されている、と。


(戦術的に考えるのであれば、次は………)


―――箱に放り込んだ獲物を追い詰める


「ガーベラ。戦闘準備をしなさい」


ガーベラが疑問を問うよりも早く、大地が脈動した。

下から突き上げるような衝撃に、2人は魔装術を発動させ、体勢を整える。

そうしなければ立っていられないほどだった。

その衝撃はまるで、地面を突き破ろうとしている何かによるもののようだった。

揺れは断続的に続き、やがて二人の眼前に巨大な影が顕現した。


身に纏った膨大な魔力。吐き気がするほど濃い呪い。その体表には魔術の輝きが宿っていた。


『UrGaaaaaaaaaaaa!!ERIISUUISUUUUUUUUUUUUU!!』


低く、地の底から響くような咆哮は、大気を揺らし、砂塵を巻き起こす。

嵐のような衝撃を結界で防ぎながら、エリスはその怪物を睨みつける。


(あれは、人ですか?)


自身の名を呼んだ怪物の殺意が自身に向くのを見て、エリスは小さく冷や汗を流した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


短いので、明日も投稿します(2023.8.9)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る