相克した世界は反転する


「これ、どこ行ってるの?」


横たわる気まずい沈黙に耐え兼ね、俺は誰に問うでもなく疑問を口にする。

先ほどからエリスの後をついて行っているが、どこに向かっているのかまるで分からない。

同様の疑問を抱いたガーベラもまた、エリスをちらりと見る。

背中越しにも視線を感じ取ったエリスは、仄かに色づく唇を開き、返答を返した。


「あの魔物の進路を辿っているだけですよ。ゼノン君」


ゼノン君、という昔に何度か呼ばれただけの呼び名にむず痒く感じながら、「そうなんだ」と軽く返事を返した。

俺も地面を見る。確かに草が枯れたような痕跡が無くも無いが、この暗さも合わさり、俺にはよくわからない。

そういえば、エリスはサバイバルマスターだったな、とエリーゼ半島での出来事を思い出す。あの時もエリスは、見事なサバイバル術を披露したのだ。


「ですが、困りましたね」


立ち止まり、きれいな眉をㇵの字型に曲げたエリスはそう言った。


「どうしたのですかぁ?」

「痕跡が消えました」


俺は周囲を見渡す。ずっと発動させていた探知術式の範囲を地中深くにも広げるが、何も引っかからない。魔物がここから来たのなら、何らかの跡があるはずだが……。


「ああ、そうではなく」


俺の魔力の動きから、俺の勘違いに気づいたエリスは柔らかく否定する。


「ここから来た、というわけではありません。恐らくもっと遠くから来たはずです。ですが、その痕跡が消えています」

「………植物のせいですかぁ?」

「ええ。きっとそうですね。成長速度が以上に速い。呪いの痕跡も分解されています」


僅か数時間で大墓地を埋め尽くした植物たちだ。その程度の異変はあって当然だろう。


「だけど、この辺りから来たのは間違いない。手分けして探そうか」


俺はちらり、と先ほどから口数の少ないティーリアを見ながらそう言った。

幸い、俺たちは四人とも魔術師だ。使い魔、探知魔術、魔装術など索敵能力は高い。

戦闘能力も十分ある。襲われても合流するまで逃げ切ることは可能だ。

1人ずつに分かれるのはホラー映画だと死への直通路だが、俺達なら問題ないだろう。


「そうしましょうか」


エリスが賛同したことで、俺たちは手分けして敵の痕跡を探すことになった。


「じゃあ、これを渡しておこうか」


俺は三人に小さな結晶を手渡した。俺の手製の魔具であり、通信機能を持っている。


「通信範囲は狭いけど、強度は高いから妨害もされづらいはずだよ」

「ありがとうございます、ゼノン君。………では、行きましょうか。何か見つかればゼノン君の魔具で伝達を。何もなければ、一時間後にこの場所で合流しましょう」


そう言ってエリスは手を空中に向ける。そして手の平から光の弾を射出した。

空へと高く、高く昇っていった光弾はある一定地点で止まり、仄かな輝きを夜空に溢した。


「………お姉さま!?そんなことしたら、敵が―――」


輝く灯は障害物の少ない平原では遥か遠くからでも視認できるだろう。それは誘蛾灯のように魔物を招き寄せるのは明らかだ。あるいは、教団員たちは逃げるかもしれない。


エリスは妹の言葉を聞いて、小さく息を漏らした。


「それが狙いですよ。また魔物が来れば、進路を確認できますから。教団員が逃げるかもしれない、というのはあり得ないでしょう。あの運命の魔女が教団員がいる、と言ったのです。一度も会わずに終わることは無いはずです」


エリスの理路整然とした説明に、ティーリアは押し黙る。


ちらり、とそれを見たエリスは、背を向けた。それは会話の終了を意味し、ティーリアが何も言わないと分かっているようだった。

俺もまた、エリスと正反対の方角へと向かう。

ガーベラは最後まで、ティーリアを心配そうに見ていた。


□□□


いくつかの緩やかな丘を越え、ひと際大きな岩の上に登る。吹き付ける夜風にローブの裾を取られながらも、足で地面の苔を削り取る。

やはり、人工物。このサイズから考えれば、小さな霊廟や墓地管理人の小屋だったのだろう。


どこを見渡しても何もいない。

同じような平原と地平線の果てに消えていく星の絨毯だけが広がっている。

平衡感覚を失いそうなほどの雄大な景色の中には、かつての『大墓地』の名残が、岩のように点在している。


俺は手を伸ばし、地面に術式を転写する。

ごぼり、と草塗れの地面が隆起する。数は100ほど。土をこねくり回しながら、その塊は二本の足と腕を生やした。


「〈創造:土人クリエイト・アースマン〉」


これは錬金術による使い魔作成だ。だがただの錬金術ではない。アリスティア家の錬金術だ。

生体錬金術の一種であり、無機物に偽りの命を与え、成立させる。

普通の『土人形ゴーレム』とは違い、術者の魔力提供が無くても、周囲の魔素を取り込み、魔力に変換する。

簡単な思考能力を持つため、使い魔としては優秀だ。

まあ、使い魔というよりは魔具の一種に近いが。

それは小さな頭を振るい、土ぼこりを落とす。そして俺を見上げて、指示を待つ。


「地中に潜行して、呪いの痕跡、振動を探せ」


命令を受けた使い魔たちは、その両手を硬質化させ、地面に勢いよく潜っていった。

そして内蔵された探知術式を発動させながら、四方へと散って行った。

俺は指輪型の魔具、《虚ろの地図》を見る。透明な結晶体で構成されている指輪のうちには青いラインが血流のように流れている。

その機能は、使い魔の五感情報を集積し、地図として反映させるというもの。


それを見る限り、異変は無い。

これで敵の捜査は十分だろう。何かあれば、自爆機能もあるし。

後は、もう一つの懸念材料を取り除きに行こう。


俺は〈飛行フライ〉を発動させ、とぼとぼと歩く人影の方へと向かっていった。


□□□


少女は、小さな歩幅で進んでいた。

その長い耳はぴくりと動き、周囲の物音を聞いているのだろうが、それを彼女の心が受け止めているようには見えなかった。

俺はゆっくりと近づき、隣に降り立った。

俺が口を開くよりも早く、彼女の剣呑な眼差しが俺を射抜く。


「さぼんな」

「言葉遣い。ガーベラに怒られるよ?それに、俺はちゃんと使い魔を飛ばしたよ」


俺の使い魔の性能を知っている彼女は、文句を言おうとして失敗したように口を歪めた。


しばらく、お互いに探知術式を展開しながら進んでいく。

虫も鳥もいない夜の平原は酷く寂しげだ。空気の音と擦れ合う平原の植物。そしてそれを踏みしめる二つの足音。

空に輝く星も、今にも音を上げて降ってきそうだ。


「………」


ティーリアは何も言わない。

俺がらしくないことをしていると気づいているのに、黙って足を進める。

踏み込んでくるな、と平然とした横顔が物語っているが、少し赤い瞳が小さく揺れる。


「君、大丈夫?残ったほうがいいんじゃない?」

「………」


返事はない。


「君たち姉妹の喧嘩、怖いし。壁一枚隔てて本気で刺し合ってる感じ、心がきゅってなるよ」

「………」


「それに、本調子じゃない。エリス……イスさんがいるからかな。動きは固いし、変なことしているし」


例えば、魔物に真っ先に突っ込んだこと。

得体の知れない魔物に突っ込む必要はなく、ガーベラのアンデットを先行させ、その能力を確かめてもよかった。

今回の場合は、エリスがさっさと討伐していたが、あれはティーリアの本来の戦い方とは外れていたように思える。

あの時の細い背中には、誰かに自分を見せつけるような痛ましさがあった。


「てかさ、君たち何で―――」

「――黙って」


しん、と弦を張ったような鋭い声音が、俺を貫く。瞬時に引き抜いた刃の切っ先が俺の喉を指し示す。

その眼には抑えきれない殺意が溢れ、新緑の瞳は暗く淀んでいた。


「分をわきまえなさい。お前が踏み込んでいい話では無いし、大して興味も無いでしょう」


柔らかく揺れる絹のような長髪がさらりと彼女の肩を流れていく。喪服のようなそれは孤独で夜に溶けて消えそうだった。


「君たち何で仲悪いの?」


刃を指先で押しのけながら、俺は笑顔で尋ねた。


「…………」


唖然。その言葉が一番よく似合う顔だ。ぽかりと開いた口は何か言葉を紡ごうとして失敗したように大きく息を吐いた。


「………ここが学術都市でよかったわね。王国なら斬首よ」

「王国ならもっと言葉を選ぶさ」

「また、うそ」


仄かな微笑を漏らし、小さく息を吸った。

ほんの僅かな動作だが何か覚悟を決めたように見えた。


「分かるでしょ」


主語を持たない問いかけ。俺は頷き、肯定する。


「別に珍しい話でもないわ。ありふれたことだし、その内折り合いもつく。きっと今だけよ。こうして剣を振るうのもそれに劣等感を抱くのも。その内、言葉遣いも直すし、変な顔で笑ってるわよ。それが大人になるってことでしょ?」


彼女は王国のために生きる王女だ。そのために学術都市では『大墓地』の神を持ち帰ろうとしていた。そして学院を卒業し、国に帰った後は、王族として生きることになる。

その手で刃を振るうことはもうないだろう。

だけど、彼女の言葉は嘘だ。なぜかその確信があった。この負けず嫌いで口が悪く、素直な少女は、ずっと今の自分を抱えて生きていく気がする。


「俺もあんな優秀な姉は嫌だね」


だから俺が言えたのはそんな言葉だった。


「一言で片づけんな、馬鹿」


仏頂面に笑みは戻らなかったが、張り詰めた様子は少しほぐれたように思える。

俺は小さく笑みをこぼし、そして違和感に気づく。


(…………十全に戦ってもらうためだ。少しは、無駄なことをしてもいいだろう)


違和感が何かは分からないが、俺は頭を振って、再び魔術に集中した。


□□□


俺はちらりと時計を見る。かなりの時間が経った。すでに当初定めた一時間という期限は迫っている。だが、今のところ成果はない。

俺の出した使い魔は地底で増殖を続け、かなりの範囲を索敵している。

送られてくる解析結果は、一度魔具を通しているため情報を処理できているが、直接脳に送られていれば破裂していたほどだ。


それほどの範囲を探っても、あのアンデットの痕跡はない。まるであの一体しかいないかのようだ。

だがそれは無いと、俺の持つ死霊術の知識が告げている。

あのアンデットの持つ呪いの量はかなり多かったが、それでも大墓地に満ちていた呪いの量には遠く及ばない。湖の中のティースプーン一杯程度だろう。


つまり、残りはどこかに消えた。それが分からない。


思わずため息が漏れる。『大墓地』に入ってきてから何も感じない。敵の姿も異変も何もかも。それが酷く不気味だ。


「ねえ、隣でため息つくのやめてくれない?辛気臭いわ」


品のいい眉を顰めて、ティーリアはそう言った。

一時の思いつめたような雰囲気は和らいだようだが、それでも普段の元気はない。


「何か感じる?」


俺はティーリアの尖った耳を見ながらそう尋ねた。

彼女は半妖精人であり、魔力に対する感覚は人間よりも鋭い。

だがティーリアはふるふると頭を振った。


「何も無いわ。不自然なぐらい自然豊かな場所よ」


ティーリアは冷たい夜風を浴びるように大きく伸びをした。

細い喉が震えて息を吐き、動いたせいでローブがはだけ、白い陶器のような滑らかな脚が覗いた。

俺はそっと視線を逸らしながら、疑問を抱いた。


「自然豊か?ただの平原だろ?」


ティーリアが自然豊かと称した地は、地平の果てまで地面を覆い尽くす下草が生えているだけの場所だ。自然豊かというのはもっと木々が生い茂り、動物たちが闊歩するような場所を言うはずだ。

自然しかないエリーゼ半島育ちの俺と、都会育ちのティーリアの感覚の違いと言えばそれまでだが、特に話題も無かったので、俺は軽い気持ちで問うた。


だがティーリアは俺の問いを真剣に捉えたのか、悩むように指先を頭に当てて、小首を傾げる。

ぱちくり、と新緑の瞳を瞬かせて、自信なさげに薄紅に色づく唇を開いた。


「…………ん。感覚?」

「感覚か………」


何かが頭をよぎり、立ち止まる。

ティーリアも不思議そうに俺を見ながら止まった。

感覚。そう、妖精人の感覚だ。彼女らは森と共に生きる精霊の申し子だ。

それはつまり、自然の寵児ということ。

彼女らが自然から受け取る感覚は、俺達人間とは比べ物にならない。

そんな妖精人の血を引くティーリアは、自然豊かというには微妙なこの大墓地をそう称した。


精霊が多いというわけではない。情報世界イデアを見た限り、精霊はほとんどいない。

呪いが充満していた地に精霊が来るのは遥か先になるだろう。

そして命の気配も乏しい。生命の営みがまともに循環していないのを、情報世界越しではあるが、俺も感じる。

停滞したこの世界の何を『自然豊か』と称したのか。


「概念だ」

「概念?」


鈴を鳴らすような声音で反復したティーリアを見やりながら、俺は言葉を続ける。


「自然豊かでは無い土地を自然豊かにする方法。それは対比させることだ」


魔術において、相克そうこくというものが持つ意味は非常に大きい。

例えば、火は水に弱く、水は雷に弱い。これは魔術における属性同士の相克関係だ。

だが普通に考えればそうはならない。水は火を消すが、火は水を蒸発させるし、雷はただ水を流れていくだけだ。弱いも強いも無い。

こんな自然界で成立しない現象が、魔術世界では成立する。

それは魔術が弱かった時代、本来単独では発生しない現象を、連なる属性同士で支え合わせたことから始まっている。

つまり、水を呼び水に、水に消される火を招いたのだ。この時二つの属性は釣り合う。

互いが互いを支え合い、現象として安定するのだ。

魔術師が最も最初に習う属性の基礎。俺もまた、遠い昔に師匠に聞かされた。


「対比関係となった属性は、互いに影響を与え合う。今もそうだよ!」

「な、何が?」

「この世界は、影響を受けている。向かい合う世界が呪いに溢れ、死で満ちているせいで、こんな世界に変わったんだよ」


謎が解けた俺は、満足感に笑みを浮かべる。


「よし、2人と合流しようか」


俺は使い魔の接続を全て切り、魔力供給を止めた。

もうあれらは必要ない。どれだけ地表と地下をさらっても何も出ないことは分かっている。

次期に崩壊して消えるだろうが、それまではかりそめの命を楽しむといい。


くるりと振り向いた俺の後を、ティーリアがついて来る。何のことかまるで分かっていない様子だが、俺が何らかの確信を得たことには気づいている。

黙ってついてきてくれるのは信頼だろうか、あるいは諦めか。

そんな優しく健気な少女のためにも、俺は説明を始めた。


「ティーリア、この『大墓地』に入って何を思った?」


ティーリアは得意顔で何かを説き始めた魔術師に、うえぇ、と言いたげな表情を浮かべるが、それでも真剣に考え、答えを口にする。


「『大墓地』じゃないみたい」


曇天の消えた晴れやかな夜空、不毛の地は植物の緑で塗り替わり、流れる大気は命を育んでいる。この地と『大墓地』を結びつけるのは、忘れられた墓石たちだけだ。


「そう。君の感覚は正しい。ここは、『大墓地』じゃない」

「はぁ?そんな訳ないでしょ。私たちはいつも通りの道を辿って来たわよ?」


学院地下に接続された大墓地へと繋がる門。

そこを通れば『大墓地』に辿り着く。俺たちはそれを経験から知っている。


「入り口を通ったからと言って、『大墓地』に行くわけじゃない。あの門は空間同士を繋ぐ連結路だ。地理的に学院と地続きなわけじゃないんだよ」


かつてこの地に邪悪な死霊術師が作り出した実験場は、すでにこの世界からは切り離されている。この地との因果で繋がってはいるものの、遥か遠い場所にある。


そう説明しても、ティーリアの表情には疑問が浮かんでいる。

まあ、この手の話は理屈として理解しにくいものだ。特にティーリアは感覚派のようだし、見た方が早い。

そう思い、ガーベラとエリスと合流するために足早に合流地点に向かう。歩くこと十分ほど、俺たちは合流地点に辿り着いた、が。


「………何あれ?」


ティーリアの唖然とした声が、小高い丘の上を流れていく。

頂上に立つことで一気に開けた視界には『異常』が映っている。吹き付ける冷風に瞳を窄め、俺たちはそれを見た。


それは、『穴』だった。


草原の真ん中、唐突に地面に穴が空いている。何かがぶつかった痕跡というわけでもない。

綺麗な円柱状に抉られたような、自然界には無い不自然な穴だ。

使い魔の鳥を一体、穴に向かわせる。その中に突進させる。その瞬間、接続が切れた。


「さあね。合流地点には間違いないようだけど」


俺は穴の上に浮かぶ光球を見上げる。煌々と星空の輝きを塗りつぶす太陽の如き輝きは、エリスが合流地点として定めた証だ。

俺達が見ている前で、空に輝く贋物の恒星が小さく萎んでいく。

長く、長く伸びた影が小さくなっていき、やがては薄く消えていった。

底の見えない穴の闇がさらに色濃く染まっていく。

光源が消え、隣に立つティーリアの端正な顔立ちが暗く染まる。


「どうする?二人を待つ?」


光球が消えたということは、合流時間が来たということだ。

二人は少し遅れているようだが、少し待てば来るだろう。あの不審な穴を探るのはそれからでも遅くはない。

だがティーリアはふるふると首を振った。


「近づいてみるわよ」


ティーリアは丘を下り、穴へと向かっていく。俺も彼女の後に続く。

穴に近づけば近づくほど、その非現実的な空間に眩暈がしそうだった。

穴の断面からは、地面の地層が見て取れる。視認できる範囲でも数十メートルはあるが、とても平坦だった。

綺麗にくりぬかれたというわけではない。何かに阻まれるように、土砂が一定範囲から穴を避けている。地中に埋めたガラス管の中から地面を見ている感じだろうか。

見えない何か。例えば結界のようなものが穴の淵にあるというわけではない。試しに触ってみるが、普通に地面に触れた。

情報世界に潜り、この地の情報を閲覧する。空間情報が無茶苦茶だ。


「これは、空間がおかしいの?」


俺と同様に情報世界を見たティーリアは確かめるように俺に尋ねた。

俺は小さく首肯する。


恐らくこれは、『呪肉塊の魔物』が湧き出してきた穴と同様のものだろう。

穴が空いていることは問題ではない。それはこの世界の相克に気づいたときから似たようなものはあると思っていた。

だからそれはいい。問題なのは、なぜ俺たちの合流地点に空いているのか、ということだ。


「………ゼノン、飛んで!」


考え込んでいた俺の思考に、ティーリアの焦燥した声が突き刺さる。俺は反射的に跳躍した。だが、一歩遅かった。跳躍したはずなのに、地面の穴は近くなっている。

否、巨大化している。穴が一瞬で、音もなく広がったのだ。


(くそッ!考えすぎた!)


思考に集中していて、逃げるのが遅れた。その鋭い感覚で異変にいち早く気づいたティーリアもまた、俺を慮り、逃げるタイミングを逃してしまった。

俺よりも先に跳んでいたティーリアの声が頭上から聞こえる。俺はその声と情報世界の位置情報を頼りに、魔術を放つ。


「〈錬金〉」


錬金術の最も基礎の魔術、〈錬金〉。

物質の構成を書き換える〈錬成〉ではなく、ゼロから物質を生み出す魔術だ。

生み出したのは鉄の鎖。俺の腕に巻き付くように現れたそれを、物質操作の魔術で操り、ティーリアに巻き付ける。

そしてそれを、魔装術で強化した腕力任せに振るう。


「ちょっとぉおお~~~!」


大きく手をばたつかせながら、ティーリアが穴の外へと吹き飛ぶ。俺はティーリアと正反対側に〈飛行〉を使い、飛ぶ―――が。


「ダメか」


俺達は穴の中に落ちていく。地上が遠くなり、ぶん投げたはずのティーリアはすぐそこにいた。

明らかに飛んだ距離と現在地が一致していない。穴の外には決してたどり着けないようになっている。


(これは、無理か)


「どうなってんのよ!?」

「少し前に言った話を覚えてる?」

「はぁ!?」


「この世界は相克関係にあって、対になる属性に影響を受けている、っていう話。―――つまり、俺達は今、表と裏を繋ぐ道を潜ってるのさ。脱出できないのは世界のルールだからだろうね。出来たての世界のくせにかなりの強度だ」


軽い感嘆の言葉を漏らしながら、穴へと真っ逆さまに落ちていく。

暗く、暗く、天井が遠のいていく。満天の星が消え、やがて全てが暗闇に包まれる。


俺は肌を指す湿った空気に小さくため息を溢す。

死と絶望の臭い。腐った死体と人を恨む呪いの香り。

懐かしい気持ちすら湧いて来る『大墓地』の気配だ。

だがそれは予想出来ていたこと。


(問題なのは、何で俺達を罠に嵌めるように吸い込んだのか、だ)


俺達は最大限に警戒を高める。予想すらできない事態だが、ティーリアもすでに精神を立て直し、魔力を全身に回している。

俺達は穴を抜ける。落差は約千メートルほどだ。それに見合う速度で景色が流れていく。

俺達は足から地面に落ちて、そして足から空へと昇って行った。


「な、ナニコレ!!」


さかさまになった世界にティーリアが悲鳴を上げる。そうしながらも体勢を立て直し、着地に備えるのは流石だ。

俺は効力を取り戻した〈飛行フライ〉を利用しながら、ティーリアの真横を落ちるように飛行する。


「言っただろ?裏と表だって。俺たちは裏面から表に落ちて来たんだ。裏の床が表の空だ。………ようやく来れたよ、『大墓地』」


眼下に蠢く屍たちの群れ。悍ましい呪いの侵された台地。腐敗と滅びをもたらす大気は淀み、暗い影を地面に落としている。

立ち並ぶ墓石の内には死者はおらず、冷然と聳える霊廟は、その役目をとうの昔に放棄している。

俺達が何度も訪れた『大墓地』の景色がそこにあった。


だが一点、違うものがある。大墓地の地平線の果て。普段であれば、呪いの霧が揺蕩うその場所に何かがいる。

呪いの霧を身に纏うように小高い影が視界に映る。それは僅かに動いている。


「あれって………!」

「ああ。魔物だ」


見上げるほどの巨体を持つ色濃い呪いを孕んだ生命体が、そこにはいた。

全貌は見えない。だが分かる。あれはまずい。呪いの多さとか巨体とかそう言う話ではなく、異質な魔力を感じる。どの魔物とも違う異様な気配を漂わせ、驚くことにその体表には魔術陣らしきものが見て取れる。

それは、あの魔物には魔術を扱う知性があるということ。


そして分断された事実に俺は気づく。

明らかにこの世界は意志を持って、俺達を認識している。

それが意味することに俺は盛大に頬を引き攣らせた。


(まずい………。これは、誰か死ぬかな)


かつて無い死地が迫っている。その確信が俺の背筋を冷たく貫いた。

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