『大墓地』の変質


「お待たせ」


塔の一回部分に降りた俺は、エリス、ティーリア、ガーベラにそう言った。

にこにこ笑う俺を笑顔で迎えてくれたのはエリスだけで、他二人は不機嫌そうに俺を睨んでいる。


「…………ねえ」

「何?」


じと、っと湿度の高い視線を送って来るティーリアに小首を傾げる。


「アンタ、教団のこと知ってたの?」

「もちろんだよ。みんな知ってるよ?」

「うそ!」


流石に騙されなかった。

今にも掴みかかって来そうなティーリアを押し留めながら、俺は上手い言い訳を考える。

………何も思いつかないなぁ。


「そこまでにしなさい、ティーリア」


俺とティーリアの小さな諍いを見ていたエリスが、静かにそう言った。

ティーリアを見る目には、妹を窘める年長者としての責任感が宿っていた。

ティーリアは小さく鼻を鳴らして、ぺしりと俺の肩を叩いた。


「お姉さま。この得体の知れないアホ面の魔術師を信頼するんですか?」

「…………ひどい」


俺にとんでもない暴言を吐きながらも、その刺々しい言葉の針は、エリスに向いていると感じた。

………この姉妹、仲悪いなぁ。


「…………」


挑発するような言葉を吐いたティーリアをエリスは黙って見つめる。

その瞳からは感情が消え、涼やかに腹違いの妹を見下していた。

それなりの付き合いの俺には、エリスの凍り付いた湖面のような碧眼の奥に、煮えたぎるような怒りが潜んでいることが分かる。

それは、俺よりも付き合いの長いティーリアにも分かっているだろうが、毅然と下なら見返す。

睨み合う姉妹を止めたのはガーベラだった。


「エリスイス様、ティーリア様、失礼ながら、あまり時間が無いかとぉ」


そっと落ち着いた声音で差し込まれた言葉は、緊迫した空気をほぐすのに十分だった。

ティーリアがそっと視線を外し、「分かってるわ」と拗ねたようにガーベラに言い返した。


「そうですね。場をわきまえない行動でした。では、行きましょうか」


雪解けのように仄かな笑みを浮かべて、エリスは歩き出した。

それにガーベラも続く。ちらりと見えたエリスの横顔は涼しげだった。まるでさっきの姉妹喧嘩が無かったように。

………俺へのティーリアの追及をかわすのが目的だったのだろうか。

だとしたら、また助けられた。


「………アンタ、お姉さまに気に入られてるのね」


少し離れてエリス達について行く俺の横に並んだティーリアがそう言った。

視線を向けると、若木のような明るい緑眼と目が合った。

俺は見透かすようなその視線から逃れるように前を向いた。


「どうだろうね。何度か会ったことがあるぐらいだけど」

「教団を追っていた時に?」

「そうだよ。俺もエスティアナさんも都市から依頼を受けて動いていたからね」


不審ではないだろうか。そんなことを思いながら慎重に言葉を紡ぐ。

ティーリアはあからさまに俺を怪しんでいる。

いったいどこに無名の平民出身の魔術師が、かの学術都市から依頼を受けて、王女と共に世界の裏に根を張る大犯罪組織を追っていると言われて信じるのか。

少なくとも俺は信じないし、俺より世間知らずなティーリアでも流石に信じないだろう。

実際、ガーベラはやばい何かがあると思って、全く踏み込んでこなくなった。

こうなってくると笑えない。


「………うさんくさ」


思い切り苦虫を嚙みつぶしたような顔をされた。

俺も全くの同感だよ。


「でも、お姉さまに気に入られているのはホント」


エリスの背を見ながら、ティーリアはそう言った。その眼差しにどんな感情が込められているのか、俺には分からない。

だけど届ない何かを思ってはいるのだろう。


「何でそう思うの?」

「さっき怒ってたじゃない。あの人、怒った振りはするけど、本気で感情を動かすことなんてないもの」


「君、姉に酷いこと言うね」

「アンタは王女に対して不敬よ。ただの平民のくせに」


ふふん、と得意げな笑みを浮かべてティーリアは俺を見た。

してやったりと言いたげだが、その通りだ。何も言い返せない。


そうしてしばらく、俺たちは学院の通路を進む。

壊れた学び舎を、曇天から零れた光の欠片が照らす。

魔物の姿は一つもない。藤色の騎士が、主に近づく全ての存在を蹴散らしたのだろう。

痛ましいほどの静寂に、四つの足音が連なる。


「私たち、何と戦うのかしらねぇ?」


全く同感だね。アルフィアは戦線を四つに分けている。

勇者たちの向かった『融獣孤島』と俺たちの向かう『大墓地』、そして学術都市を挟み込むように湧いてきた二体の大型魔獣。

恐らく、空間の亀裂から湧き出てきた『融合獣キメラ』は、『融獣孤島』を起源とする存在だ。

無尽蔵の数を力とするあの魔物たちに、冒険者としてゴールドランクを越えた、ミスリルまで上り詰めた勇者たちを当てるのは理にかなっている。彼らは対魔物戦のエキスパートだ。


その点、俺たちは何だろう?アルフィアは教団員を討伐するために向かわせたと言っていたが、戦闘能力に劣る透明化術者と種も仕掛けも割れた死にかけのガードゥ、人化状態の黒牙に負ける程度の戦士など、俺かエリス一人だけでもおつりがくる。

だというのにあの魔女は俺達四人を指名した。


回避主体の前衛をこなすティーリアに、耐久力の高い不死者を使役するガーベラ。

桁外れの剣技と光の魔術を駆使する完璧な中衛のエリス。そして後衛として自分で言うのもなんだが万能の魔術師の俺。

随分とバランスのいい高火力のパーティーだ。


しかも行き先は『大墓地』。俺とティーリア、ガーベラがこの数か月、研究対象としてきた『霊廟』がある地だ。

過去から伸びてきた糸が絡みついている。そんな不気味な思いがする。

あるいは今の俺にも、未来への糸が伸びてきているのだろうか。


「行きましょう」


大墓地へと至る地下道は、相も変わらず陰湿で薄闇が張っている。

番人の不死者のような男は、いない。

逃げたのか、あるいは死んだのか。寂れた門だけが俺達を出迎えた。


酷く不気味だが、エリスは気にした様子もなく、柵を押しのけ、ぬかるんだ地面へと足を進めた。


俺達も大墓地へと入る。星のない夜空が広がっている。

呪いを濃く孕んだ暗雲が広がり、空気は腐り、終わりを失った不死者たちが闊歩する腐り切った大地だ。

否、だった、というのが正解だろう。

俺達を出迎えたのは、満天の星空と草原だったのだから。


「は?」


ティーリアの唖然とした声が清流のようなそよ風に乗って消えていった。

俺も全く同じ思いだった。

ざわめく草原が濃い緑の香りを届ける。空を埋め尽くす星々の輝きに照らされて、柔らかく揺れるそれは、幻術の類ではない。


本来、『大墓地』には呪いが満ち溢れており、草木一本生えない不毛の大地だった。だが今は、命の気配で埋め尽くされている。

それは、吐き気を催すような呪いが消えたことを意味している。

魔術師としての感覚が、呪いの消失を確認し、魔術師としての常識がそれをありえないと否定していた。

近くにある小さな岩に近づく。それの表面に生えた草を手でむしり取り、表面をなぞる。


「ここは本当に大墓地なのでしょうか?」


エリスが不思議そうに周囲を見渡す。まるで別の空間に飛び出したというほうがよほど現実的だ。

だがここは大墓地だ。間違いなく。


「王女様、これ」


俺は手元の岩を指さす。俺がむしった草の下から覗くそれを見て、エリスは小さく頷いた。


「確かに『大墓地』ですね」


岩の表面には文字らしきものが刻まれていた。朽ち果てかけた岩の台座であり、それは墓石だった。

大墓地に腐るほどある死者たちの墓だ。学術都市で死んだ者が過去千年間、無造作に埋められ、この地の怨霊を育む贄となった。

それは今や、草原に飲み込まれかけていた。

俺は手に持った草を見る。こすり合わせて、感触と香りを確かめる。


(普通の植物だ。この場所の気温、湿度を考えればおかしくはない)


それは学術都市周辺でも普通にみられる何の変哲もない雑草の類だ。

魔力を豊富に含んでいるというわけではなく、異常はない。

ただ、どこからか来たこれが、一瞬で岩に根を張るほど繁殖したという点以外は。


「何があったのかしらぁ?」

「腐った死体たちもたまにはきれいな空気を吸いたくなったんじゃない?」


早々に理解を放棄したティーリアが適当に呟いた。


「あの量の呪いが消えるかしらぁ?」


ガーベラはアホの子を放り出し、魔術師としての好奇心を露わに俺に問うてきた。


「不死種の魔物は呪いを吸って成長するだろう?強力なアンデットが複数発生した墓地からは、呪いが消えることがあるらしいけど………」

「アンデットの器になる死体や無機物に、無尽蔵に呪いを詰め込めるわけではないわよぉ?この地の呪いを全部吸う物体なんて何?」


「神器とか?」

「馬鹿馬鹿しいわぁ」


全くその通りだ。俺は苦笑を返した。

アンデットには呪いを納める器を持つタイプと、俺が以前戦った『彷徨戦霊』のような精神体だけの二種類に大まかにだが分類できる。

後者がこの現象を引き起こすことは、まずあり得ない。器が無い精神体は、呪いを未練や憎しみと言った感情で無理やり繋ぎとめることで不死種として存在している。存在として酷く不安定で、あんな大量の呪いを繋ぎとめることなどできない。


「なら死体だろうね。ここは1000年間、死者を積み上げ続けた実験場だ。中にはこの地の大量の呪いを吸い込む死体もあったんじゃない?」

「今、急にアンデットに変わったってことぉ?」

「ま、無いよね」「無いわぁ」


「計測器具持ってくればよかったなぁ」「私、持ってるわよぉ。簡易式だけどぉ」

「おー、なら早速設置しよう。まずはどこまで呪いが消えたかだね。死者の眠っていた地中は色濃く呪いが染みついていたはずだ。そこからも消えていたら、アンデット化による呪いの消失の線は―――」


「もういいでしょうか?」


困ったようなエリスの声が、俺たちの間に割り込んだ。ぴたりと熱が冷めていき、俺とガーベラは気まずそうに視線を逸らした。


「す、すいません、エリスイス殿下」

「ははははは………。ごめんね?」


「うっわぁー、幼馴染と知人の我を失った姿、キツ過ぎでしょ………」


小さいほうの王女様のドン引いた声がとどめを刺した。

……こいつ、言っていいことと悪いことを知らないのか!


「それに、敵襲です」


エリスの視線を辿る。俺はそれを見て、はっきりと眉を顰めた。

地平の果てから、何かが向かってきた。暗い夜の星明りに照らされ、浮かび上がった姿は醜悪そのものだった。

まず、皮膚が無い。出来の悪い崩れた内臓と溶けた骨を流動する黒い液体が繋いでいる。

ぐじゅり、と自重で自身の肉体を押しつぶしながら、転がるようにこちらに向かってきている。


「何でこっちに来るのよ?」

「生者を求めるのが、アンデットの性質だからね」


その無様な死体は、可視化できるほどの濃い呪いの靄を纏っていた。

進むたびに零れ落ちる血液が、大地を犯し、植物を枯らしていく。

空気が淀み、かつての『大墓地』の景色が微かに蘇る。


「どうなってるんだろうね」


馬鹿げた量の呪いが消えたと思えば、今度は濃厚な呪いを含んだアンデットが現れた。しかも見たことが無い種だ。

ベースになったのは、人の死体のようでそうではない。明らかにサイズがおかしい。巨人の死体から内臓を抜き出し、それを混ぜ合わせたような縮尺をしている。

訳が分からない。この地に巨人の死体があるなんて聞いたことは無い。

だがやることは明確だ。


「素早く片付けましょう」


エリスが直剣を抜く。魔力の燐光を宿した刃は闇夜を切り裂き、三日月のような彼女の美しさを際立たせる。

あの不死種はSランクの下位に匹敵するだろうが、それを恐れるものはいない。


彼女たちが駆け出したのは、同時だった。低く身を落としたティーリアが短剣を引き抜きながら駆け出す。その頭上を舞うように、光の翼を生み出したエリスが飛翔する。

その刃には退魔の光が宿っており、淀んだ空気を流星のように切り裂きながら進んでいく。


「似た者姉妹だよね」

「それ、絶対に本人の前で言わないでよぉ?」


ガーベラが腕を振るう。影が光に反して伸び、水面のように蠢く。

中から現れたのは太い腕だ。

黒く、分厚いそれは、憎悪に塗れており、皮膚と一体化した鎧の下には腐った肉を隠している。

手に持つのは、片手剣というには長大すぎる大剣だ。それをやすやすと片手で握りしめ、もう一方の腕には、タワーシールドと呼ばれる身を隠せるほど巨大な盾を持っている。


「でかくなった?」


俺はそいつを知っている。『死の騎士』。ガードゥが使役し、俺が刻んだ不死種だ。

その体長は5メートルを超え、構える盾は大壁のようだった。

以前戦った時よりも、遥かに強大な呪いを孕んでいる。そしてそれを納める肉体も強靭に進化している。


「試験用に調整したのよぉ。身体能力の下限が上がったから、使いづらくなったけどねぇ」

「………だろうね」


こいつが編み物をできるとは思えないし、人を撫でれば、鎧の表面に浮かび上がったやすりのような棘で切り裂かれるだろう。

すでにBランクの『死の騎士』の面影は皆無だ。


「あの魔物は強いわぁ。エリスイス殿下でも手こずるはずよ」


ガーベラは『死の騎士』に命令を出す。

太い脚に筋肉を浮かび上がらせながら、それは駆けだした。走るだけで地面が捲れ上がり砂ぼこりが致命的なほど視界を隠す。

……前が見えない。

ちらり、と横目でガーベラを見れば、俺の視線から逃げるように正反対を見ていた。


「まあ、いいけど。〈短距離転移ショート・テレポーテーション〉」


俺は空中へと飛ぶ。確かにあの魔物は厄介だ。重層に重なった呪いはあらゆる魔術への耐性を与え、穢れた血液は触れるだけで生者の肉を焼く。

あのクラスの不死種なら、再生能力ぐらい持っているだろうし、相手をするのは骨が折れるだろう。


俺はちょうど、敵の斜め後ろほどに出た。

初めにその魔物に接敵したのは、エリスだった。


エリスに気づいた魔物は、内臓が擦れるような湿った音を響かせ、血管から血を噴出させる。圧縮されたそれは、鉄すら切り裂き、一滴の血でも毒となり身体を侵すだろう。

エリスはそれを、僅か髪の毛一本の距離で躱す。

まるで攻撃がすり抜けたような違和感。それほど自然な体捌きと卓越した見切りの力。

高い動体視力と精神力が無ければ成せない絶技を、彼女は当然のように行使する。


魔物を取り囲む呪いの瘴気も呪毒の血液も全てを躱し、彼女は瞬く間にその巨体に接近した。

あっという間の出来事だった。ティーリアも『死の騎士』も置き去りにし、俺の援護すら間に合わない一瞬の出来事。

そして魔物前で、止まる。それはタメだった。

凪のような静の動きから一転、その身に膨大な魔力を纏う。

月のように輝いていた剣が、光を増す。太陽のように、目もくらむような光を手元に招来する。


「ふっ!」


空中から光の宿った剣を振り下ろす。

拡張された斬撃は容易く肉を断ち切り、穢れた血を浄化する。

一撃で中ほどまで切り裂いたエリスは、返す刀で切り上げた。


『Gyurrruuuuuuuuuuuuuuuuu!!??』


悍ましい絶叫が鳴り響く。壊れた学期のような悲鳴を聞きながら、エリスは血の一滴もついていない剣を振り払う。


「こんなものですか」


四つに絶たれた肉塊をつまらなそうに睥睨する。分子レベルまで焼かれ、破壊された呪いは無害な水となって大地に降り注いだ。

内に秘めた呪いも魔力も、たった二つの斬撃で焼き切られ、尽きた。


圧倒的だった。


(エリスって、こんなに強かったっけ?)


俺は驚愕を露わにする。彼女は初めて会ったときから強かったし、その万能の才能に並ぶものは無いだろう。だが、これほどとは知らなかった。

俺のようにずば抜けた魔術の適正と魔力量を持つわけではない。ただ、圧倒的にうまい。

神がかった剣技とそれを支える天性の肉体。未来すら見通しているのではないかと思うほどの戦略眼に洞察力が合わさり、流れ作業のように大魔術を急所に叩き込んでいる。

以前エリーゼ半島で溶岩竜と戦った時に見せた、高速起動からの大技をぶつける騎士の技。だが別物に見えるほど完成度が上がっており、あれを躱すのは魔物であろうと人であろうと不可能ではないかと思わせた。

魔術剣士として、これほど完成されている存在はいないだろう。過去の伝承の英雄たちの中にもいたかどうか。僅か10代で彼女はその域に達していた。


「何をしているんですか?先に進みますよ」


何でもないように刃を納め、その黄金の髪をたなびかせる。

俺は微かな笑みを浮かべ、ガーベラは苦笑しながら、そしてティーリアは俯き、再び『大墓地』を進んでいく。

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