運命の歯車と異物

飛行フライ〉で宙を飛ぶ俺は、ひと際高い校舎の屋上に向かう。空中から見ると、白濁色の皮膚を持った魔物が何体も登っているのが分かる。

あの触手を上手く使って壁に登っているようだ。

高い登攀力と群れを成して動く性質、そして高度な知性。魔物としての性能は低いが、それを補ってあまりある厄介さだ。

作った者の悪意が透けて見えている。この魔物を用意した教団は、随分以前から準備をしていたようだ。


俺は一度止まり、魔具の反応を辿る。トレンティ君たちに渡したものだ。

上手く学院外まで逃げられたようだった。

彼らに接触したのは、帝国派閥への嫌がらせと攻略のためだったが、それももう無駄になった。

助ける理由はなかったが、目についた以上、見捨てる理由も無かった。

だが俺がするのはそこまで。学院外で殺されようと、俺には関係のない話だ。


俺の懐の魔具が震えるのを感じた。

俺はその小さな結晶を取り出し、魔力を流す。すると、空気を震わせ、声が聞こえた。

それは屋敷にいた黒牙だった。


「黒牙か!アニータたちは無事!?」


俺は焦りを隠せずに問う。屋敷は俺の魔具や魔術で厳重な警備を敷いているが、アルフィアが敵対するような動きを見せているなら、安全とは言えなかった。

俺が敵なら、まずはアニータたちを狙う。無事なのだろうか。


『………はい、ゼノン様。使用人たちは全員無事です。ですが屋敷の周囲にも魔物は及んでいます。今は地下室のゼノン様の工房に避難しておりますが』

「それでいい。あの部屋なら、アルフィアでも早々に侵入できないからね。問題は透明化術者だ。隔壁は全て閉め、『彼岸花』の悪魔たちを周囲に配置。纏め役はトリエにさせるといい。黒牙、君は不審な気配があれば、人化を解いてもいい。ゼノヴィアには俺から言っておくから」


悪魔たちの警備網で察知した敵を、本気を出した黒牙が砕く。そういう形になるだろう。

竜の姿になり、本気を出した黒牙なら、生半な敵の攻撃など通じない。

竜が都市内にいるとなれば、面倒なことになるだろうが、すでに身分の隠ぺいを気にする段階にはない。


『かしこまりました。都市外への避難はどうしますか?』

「ゼノヴィアとベルを呼ぶ。あいつらが到着し次第、アニータたちを連れて逃げてくれ」


俺は学術都市に来る前に、護衛を増やせと言っていたゼノヴィアの言葉を思い出す。せめて黒牙の同僚の竜を連れてくるべきだっただろうか。

いや、あいつらは王国での作戦があったし、どうしようもないか。


そんなことを考えていると、校舎の一角で動きがあった。屋上にいた魔物たちが一斉にある一点に集まり出したのだ。

壁面の魔物も集中し、屋上には溢れるほどの魔物が集中している。

そんなに集まれば、身動き一つ取れないだろうが、まるで何かに誘われるように醜い雄たけびを上げている。


その中心にいた藤色の騎士は、拳を引き、振り下ろした。

蜘蛛の巣のように衝撃が伝播する。頑丈な鉱石でできた校舎が、砂糖菓子のように砕け、崩落する。

巻き込まれた魔物たちも足場を失い、落下し、瓦礫に押しつぶされていく。

藤色の騎士は、俺の姿を確認すると、背に生やした翼で飛翔し、近くまで飛んできた。


「すごいね、今の」

「………はい」


不愛想な返事に苦笑を浮かべる。

彼女とは、トレンティ君たちを助ける前に出会った。

突如飛んできた彼女が魔物たちを薙ぎ払ったのだ。

聞けば、エリスから信号弾の主を守るように言われていたらしい。

それだけで得体の知れない人間のために体を張れるのは、大した忠誠心だ。


彼女も俺のことを不信がっているのだろうが、俺は何も言えない。

まあ、一応俺の指示には従ってくれているようだし、問題は無い。


「さっきのはフェロモン?」

「……あの気持ち悪いのを取り込んで、同族を寄せるフェロモン分泌器官を作った」


かなり応用の効く固有魔術だ。俺と同じ錬金術、その中でも生体錬金術の流れを感じる。

俺なら同様の性質を持つ生物は作れるだろうが、それを人の身で再現することは出来ないだろう。

長い年月と資材をかけて、血筋を積み重ね、遺伝子を改良し続けた果ての成果だ。


「エリス………イス様はどこに?」


何となく彼女の前でエリスを呼び捨てにするのはまずいと思った俺は、敬称を付けて尋ねる。


「……学院の理事長室に向かわれた。アルフィア学院長と今後の打ち合わせをするそう」


俺は学院内の校舎や石塔の中で、一番背の高い建造物を見る。

そこだけは壁面を這う魔物もおらず、きれいなままの状態を保っている。


俺もすぐに向かうべきだが、透明化術者を探すために残っていた。あの男は重傷を負っていた。透明化が出来ず、周囲に隠れている可能性は高いと思っていた。

アルフィアが介入しているなら、俺に見つからないようなルートや方法を教えているのだろうが、探さないわけにはいかなかった。

結果は空振り。予想していたとはいえ、苛立ちは隠せない。


藤色の騎士、ヒシミア・マルテキストには魔物の排除を頼んだが、それも失敗だ。

正確には、どれだけ倒しても、尽きることなく湧き出している。


「俺もアルフィアの所に行くけど、君は?」


「……周囲の魔物を殺してみる。指揮個体がいるかもしれない」


彼女は主のいる石塔の守護をするそうだ。俺にもそうしろ、という無言の圧力を鎧の奥から感じるが、それを無視して、俺は飛翔した。


石塔の中ほどにあるバルコニー。そこから中へと入る。侵入者を阻む結界は都合よく穴が空いており、まるでここから人が来ると分かっているようだった。

中は、豪奢な応接室のようだった。シルクのカーテンを押しのけ、入る。

向かい合う椅子と長机が置かれており、その一席には、エリスがいた。


俺を見ると、花開くような笑みを浮かべ、安堵の息を漏らした。


「ご無事でよかったです」

「エリスもね」


俺は周囲を見る。人の気配は無い。エリスだけしかいないようだ。


「ガードゥは?」

「逃げられました。恐らく、透明化術者かと」


詳しく聞くと、俺が信号弾を打ち上げた後、ヒシミアはガードゥを置いて俺の方へと直行したそうだ。

その後、エリスがガードゥにとどめを刺そうと向かったが、辿り着いた時には誰もいなかったという。

恐らく、俺から逃げた透明化術者が、回収したのだろうと彼女は言った。

エリスが一足早く辿り着ければガードゥは殺せていたし、少し遅れた程度でも広域殲滅魔術を持つ彼女がいれば、対処は出来ていた。

それが出来ない絶妙な隙間とタイミングをついた行動だった。

彼女は剣呑な眼差しで、俺に問う。


「アルフィアを殺しますか?」


彼女は本気で言っていると分かった。アルフィアはもはや、俺の敵に回ったと言える。

ならば、すぐに都市外に脱出するか、アルフィアを殺しに行くべきだ。

だがそのどちらも取れない理由がある。

アニータたちだ。彼女たち、ホムンクルスの使用人たちは、戦闘能力を持たない。

増援として呼んだゼノヴィアやベルが来るまでは、しばらく時間がかかる。それまでは、都市内にいる彼女たちを守らなければならない。

結果として、俺は身動きが取れず、とりあえずアルフィアに会いに来た。


きっとアルフィアは俺がこうすることも知っていたのだろう。

運命を見る魔女。何を考えて行動しているのかまるで分からない。


「いや、殺さないよ。………アルフィアは上に?」

「はい。全員、揃っていると思います」


その言葉が引っかかったが、俺はエリスの後をついて、上階へと向かう。

ひと際大きな扉を学院の教師らしきものが開き、俺たちは中へと入る。

最奥のデスクに彼女はいた。いつか見た上から下まで真っ赤な三角帽子にローブ。

覗く髪も怪しい瞳も、全てが鮮烈な赤に染まっていた。


彼女は俺を見て、小さく笑みを浮かべた。


「やっとかよ」


そして、全員揃っている、というエリスの言葉の意味も理解した。

室内には、アルフィア以外の人間もいた。


黒い髪に黒い瞳、気だるそうな瞳をした『勇者』レオン・ガル・ディーン。そして聖人国の『聖女』ミア。


俺を見て、新緑の瞳を見開く長い漆黒の髪を持つデネス王国第二王女ティーリア・エスティアナ、そしてその従者であるガーベラ・ウィネス。


そしてなぜかいる『祈祷学研修室』の先輩、フィアールカ・フィーフィー。


「アンタ――――」


俺に何かを言いかけたティーリアを遮るようにフィー先輩が、ちょこまか走って俺の方に寄ってきた。そして身を隠すように俺の背後に回った。


「何してるんです?」


小声で尋ねる。するとフィー先輩は、目線を泳がしながら同様に小声で返答をした。


「しっ!隠れとるんじゃい。昔馴染みがいて、ちょー気まず………」


彼女の揺れる視線の先は、濃い黄金色の髪と瞳を持った修道服の少女へと向かっている。

彼女は『勇者』のパーティーメンバーである聖人国の『聖女』だ。

確かフィー先輩は聖人国の生まれだったはずだ。そして神にささげる『祈祷』を学術として体系化させる『祈祷学』を研究する魔術師となった。

よく見ると『聖女』もどこか困ったように、俺を、いや、俺の影に隠れるフィー先輩を見ている。


何か因縁でも遺恨でもあるのだろうか。まあ、今はどうでもいいので陰に隠れるフィー先輩を引っ張り出して、適当な椅子に置いた。

何か言いたそうに俺を見上げるフィー先輩を無視して、アルフィアを見る。

彼女は小さく笑みをこぼす。


「そろそろ始めようか」


◇◇◇


彼女の言葉は、「ここにいる者は皆、教団の暗躍を知っている者だけだ」という衝撃の事実だった。

俺はフィー先輩を見て、俺以外は俺を見た。

疑問はある。だが誰かがそれを問うよりも早く、アルフィアは言葉を重ねた。


「今現在、この都市は教団の解き放った凶悪な魔物に襲われている。数は三体」

「三体?どこが三体だ?」


勇者、レオン・ガル・ディーンはどこか小ばかにするように笑った。

その視線は、地上に蔓延る数多の魔物へとむけられている。


「あれは分裂体だよ。元になった魔物は一体だけさ」


その質問を分かっていたように、アルフィアは答えた。


「はっ。流石は魔女。何でも知ってるな。その眼で襲撃は分からなかったのか?」


レオンは一転して、鋭い眼差しを向ける。嘘は許さないと、敵意すら感じさせる威圧感が室内を包み込む。

それは、普段受ける気だるげな印象とは変わり、人類を守護する『勇者』としての顔だった。


「分からなかったね。どうやら私の眼を誤魔化す術を彼らは持っているようだ」


アルフィアは威圧を向けられながらも、平然と嘘をつく。

教団がアルフィアの未来予知を潜り抜けることが出来るなら、彼らに接触して、俺を罠に嵌めることは出来ない。

だから俺は嘘だと分かるが、それを知らない勇者は、納得したのか黙った。


(この魔女………)


俺は挑発するように流し目を送ってきた魔女を忌々しく思う。

ここで嘘だと糾弾することは可能だが、それをすればなぜ俺が教団員に襲われたのかという話になる。

アリスティア家だとバレたくない俺は、そんな真似をしない。それをアルフィアは理解している。


「話を戻そう。敵の主力は数人。彼らが魔物を解き放ったようだ。私は学院長として、今回の事件の概要を知り、解決する能力を持つ君たちに、依頼を出す。受けてくれるかな?」


その依頼への拒否権は、無い。彼らは学院に通う貴族、王族たちであり、学術都市を見捨てて逃げ出せば、後の国際問題となる。

アルフィアに直接頼まれなければ、どうとでも言い訳が出来ただろうが、もう無理だ。彼らの答えはイエスしかない。


それが分かっているガーベラが、眉を顰めたのを俺は見た。

やはり彼女はティーリアを連れてすぐに逃げ出すつもりだったようだ。だがそれを、アルフィアに阻まれた、ということだろう。


「それで、私たちに何をさせたいのでしょうか」


エリスは静かに問う。アルフィアは、楽しそうに答えた。


「レオン君たちには、『融獣孤島』に向かってくれ。そこに都市内にいる魔物の本体がいる。この討伐を頼みたい」


「…………」

「かしこまりました。無辜の民を救う。それが我らの教義ですので」


黙る勇者に代わり、聖女ミアが、恭しくそう言った。慈愛の篭った言葉には嘘はなく、彼女だけは立場が無くてもアルフィアの依頼を受けただろう。


「そしてデネス王国の方々、ゼノン君には『地下墓地』に向かってくれるかい?そこに教団員がいるはずさ」

「分かりました。よろしくお願いしますね?ゼノン君、ティーリア、ガーベラ」


代表して、エリスが答える。だがその裏で、俺は眉を顰める。

勇者たち、そしてフィー先輩は俺の実力を知らないので疑問には思っていないようだが、エリスも同様の警戒を抱いただろう。

明らかに過剰戦力だ。エリスやティーリアたちだけでも、教団員は始末できる。俺まで行く必要はないだろう。

だが、アルフィアがそれを明かす気は無い様だ。


「おい」


勇者が剣呑な声を出す。


「そこの白髪、使えんのかよ?」


レオンはじろりと俺の全身を見る。無遠慮な視線は初対面に向けるものでは無い。

まあ、初対面ではないけど。

前に一回冒険者ギルドで会ったが完全に忘れられている。ゼノヴィアがいれば、俺なんて印象に残らないだろうが、少しショックだ。


「もちろん。それは私が保証するさ」


感情の読めないアルフィアの笑みに、レオンは小さく舌打ちを返した。


「まあ、いいがな。俺には関係ねえ。……おい、足を引っ張ったら死んでも殺すからな」


勇者らしい膨大な魔力を俺に向け、威圧する。

俺は小さく頷いた。


「己はぁ?」


緊迫する空気を欠片も読まず、普通に省かれていたフィー先輩が心細そうに呟いた。


「フィーフィー君は、待機ね」


フィー先輩は待機ならなぜ呼ぶん?と言いたげな顔で頷いた。

というか、この人も大概謎だ。聖女と知人だったり、教団のことを知っていたりと。


「ではよろしく頼むよ。あぁ、ゼノン君、君は残ってくれ」


エリスは変わらぬ笑顔で、それ以外は怪訝そうに俺を見て、室内を去っていった。

扉が閉められる。人の気配が去ったのを感じて、俺は防音、対使い魔の結界を張る。


「慎重だね。そんなに警戒しなくても―――」


笑顔で話していたアルフィアの首が飛ぶ。鋭利な傷口からは血がとめどなくあふれ出て、その身体は横たわる。

〈彼方の刃〉。かつて一度、アルフィアを殺した空間切断魔術だ。そしていま一度、アルフィアを殺し、それでも殺せていない。


「酷いことするね」


どこからか出てきたアルフィアが、死体になった自分を見てそうつぶやく。

現象としては、ガードゥの固有魔術〈同化体フィーシェンシー〉と同様に命をどこかに逃がしたようにも見えるが、そうではないことは、情報世界の動きで分かる。

アルフィアは今さっき死んで、死んだ瞬間、新しいアルフィアが来た。


(死後、自動で発動するタイプの術式、いや異能に近い。魔眼と同じような体質か?)


「知らなかったよ。アンタが魔王を信奉しているなんて」

「まさか。私は世界の味方さ。あんな得体の知れない生物を神だとは思ってはいないよ」


「なら、どうして俺を売った?」


俺の疑問にアルフィアは笑みを消して、答えた。


「教団を消すためさ。教団員には君とエリスイス・エスティアナとの関係を教えた。彼女の虎の子だとね。だけど、それ以上は言っていないよ」

「なぜ俺に言わなかったんだ?」

「君に今回の件を教えれば、未来が変わっていた。未来は容易く変わるからね。ほんの少しの意識の変化が、仕草に現れ、教団員は私の望む未来から外れた行動をしていたかもしれない。傷を負ったことが不満なら、賠償するよ。いくらでも望む額を言うといい」


「…………俺とエリスの関係性が教団員にバレて、何が奴らを追い詰める?」

「それは言えない。だけど遠い未来が今、変わった」


忌々しいことに、アルフィアの説明に不審な点はなかった。いや、あったとしても俺には分からない。アルフィアは彼女だけに見れる世界に従い、動いたのだから。

だが俺の魔術師としての感覚が警鐘を鳴らしている。


「この殺戮がアンタの望むものか?」


俺は眼下の景色を見る。死体は魔物に食い散らかされたが、血の跡は生々しい死の痕跡を残している。街には火の手が上がり、今も騎士団が都市中に散らばった魔物たちを捜索している。

住人たちは怯え、建物に引き籠っているだろう。それでも死者の数は増え続けているはずだ。

学術都市が生まれてから千年。これほどの被害が都市内に及んだことはないはずだ。


「そうだね。将来の不幸を消すことに比べれば、必要な犠牲だろう」


その氷のような冷たさを感じる声音は、魔術師らしくて、不思議と彼女に不似合いだった。


「………俺は行く。次があればアリスティア家と戦争だ。その覚悟があれば俺を罠に嵌めるといい」

「それは怖い。気を付けるよ」


俺はアルフィアの執務室から出る。扉が閉まり、彼女の視線が遮られる。

敵対しないという言質は取り付けた。

だが、彼女は、いや、あれは味方ではない。


「何が運命だ。馬鹿馬鹿しい」


悪態は、誰にも届かず魔女の巣窟に消えていった。


◇◇◇


―――同時刻―――


その地は呪われていた。

吐き気を催すほどの呪いに満ち溢れ、只人であれば数時間もしないうちに瘴気に肺を焼かれ、数多といた不死者たちの仲間入りを果たしただろう。

そんな場所の奥の奥。誰からも忘れられた廃村に彼らはいた。

朽ちた木の床を鳴らし、体を横たえる男は、何度目とも知れない血の塊を吐き捨ていた。


「ぐっ、がっ、はははっ、これは中々、ですね」


男は全身に走る激痛を歓迎するように笑い、失敗した。

その身体に巨体の大男、バスが魔法薬を振りかける。

一本で平民の年収を超える『傷薬』だ。


「うあぁああああああっ………」


傷に染みる。

そんな次元を超える魔法薬の痛みに噛み締めた口から悲鳴が零れ落ちる。


「………どうにか、ならないものですかね、これ」

「慣れろ。これからも世話になり続ける薬だ。

「………はあ」


傷の癒えた体を起こしたトレースは、小さく息を吐いた。

そしてそれを待っていたように、冷静な声が響いた。


「お疲れ様。生きててよかったよ」


本心の欠片も無い声が、2人を包み込む。

バスはメイスを構え、声の主に向ける。それをトレースは細い腕で制した。

いつの間にかそこには赤い魔女がいた。

未来を見通し、トレースに甘い声で囁いた最悪の魔女が。


「いったいどうやってここに、と聞くのは無駄でしょうね」

「ああ………!ようやく顔を見れたね!そんな感じだったんだね」


くすくすと小さな口を押えて笑うアルフィアに、トレースは無表情を返す。


「私の言ったとおりだったでしょう?」

「………ええ。ゼノン・ライアー。確かにエリスイス・エスティアナの協力者のようですね。彼女の騎士が、彼を助けたのを私の部下が確認しています。ですが一点、間違いが。あの化け物、聞いていた以上の力でした」


トレースの脳裏に蘇るのは涼しい顔をして大魔術を発動させ続けた白髪の魔術師だ。

眼前の女からはエリス王女の影の協力者だとしか聞いていなかったが、その力はもしかすればエリスイス・エスティアナを越えていたのではないかと思われた。


「そうかい?私には同じように思えたけどね。長く生きすぎて、小さな力の差を見抜く力を失ったのかもしれないな」


揶揄うようなアルフィアの声音を、固いトレースの声が断ち切る。


「………分かりませんね。エリスイスの邪魔をしてあなたに何の得が?」


アルフィアは小さく微笑む。眼前で踊る哀れな人形へと。

彼はアルフィアがエリスイス・エスティアナを警戒していると思い込んでいる。自分たちと同じように。

確かにあの人理の限界に到達した王女は、過去、現在、未来に至るまで二度と現れない『理想の人類』だ。

だが人であるがゆえに、運命の魔女の手のひらから零れ落ちることは無い。


彼女が恐れるのは人理の外から来た異物。

極北の地の錬金術師と聖人の願いの振り戻しが招き寄せた何か。

運命の輪から外れ、悍ましき未来へと歯車を進める怪物。


(あの子はあれを、魔術の申し子だと喜んでいたけど)


やはり自分は魔術師ではないと、アルフィアは自嘲する。

こんなちっぽけなものを守り通そうとしているのだから。


は良くも悪くも世界への影響力が強すぎる。私の求める平穏には程遠い」


トレースは疑惑の感情を瞳に浮かべ、問うた。


「ならば、ご自身で殺せばいいのでは?貴方なら可能でしょう?『宝石の魔女』亡き今、貴方を止められるものはいないでしょう」


微かな皮肉を孕んだ問いは、確かに彼が心から浮かべる疑問だった。

アルフィアはその質問が分かっていたように、淀みなく答える。


「殺し方にも順序がいるのさ。特に、運命にとってはね」


魔女は微笑む。

17年前から彼女の願いは定まった。己の生まれた意味を知った。

千年を超えて積み重ねた月日はのためにあるのだと確信した。

だから今日もまた、魔女は淡々と積み重ねる。運命の歯車を一つ一つ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


いつも読んで下さり、ありがとうございます。

短めなので明日には続きを更新したいと思います。

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