貴族と平民。強者と弱者

黒い前髪の奥で、トレンティは後悔を浮かべていた。やっぱり、こんな学院に入るべきではなかった、と。

トレンティ達は、試験のため、学院にいた。

戦いを避けるためになるべく人の多い場所である中庭にいたのだが、どこからか悲鳴が轟き、不気味な魔物が壊れた鐘を鳴らすような絶叫を上げながら生徒たちを襲った。


それを他同盟の仕掛けた攻撃だと思い、応戦する者、異常を感じて逃げ出した者。

生徒たちの対応は様々だったが、トレンティ達はその間だった。

魔物の襲撃地点から近かった彼らは人の波に阻まれて逃げることは出来ず、さりとて前衛で戦っているわけでもない。

どうしても避けられない魔物にはジェームスが応戦しながら、彼らは逃げていた。

だが思うように動くことは出来ず、気づけば中庭の端にまで追い詰められていた。


ジェームスの直剣が、上段から振り下ろされ、四足の魔物へと迫る。それを魔物は4本の触手で受け止める。


「…………ぐ、うぅぅううっ!」


悍ましい触手の先に生えたかぎづめがぎらりと輝き、その先端をジェームスへと向ける。


「おらあっ!!」


しゃがみながら剣を上方へと振り払うことで、触手を受け流す。そして予備の短剣を引き抜き、魔物の瞳へと突き出す。

柔らかな眼球を貫き、悍ましい絶叫を引きだす。


「今だ!トレンティ!」


トレンティの前方で、不気味な魔物と剣で退けたジェームスは、トレンティに向けて叫んだ。


「わ、分かった!」


慌ただしい手つきでポーチから一本の瓶を取り出し、投擲する。

放物線を描いて飛んだそれは、魔物の頭に当たり、その液体をばら撒く。

液体は大気に触れた途端、桃色の気体へと変わる。


『Gra!?』


白濁色の皮膚を持った魔物は、狼狽えるように触手を振り乱し、仲間であるはずも魔物へと触手の爪を振り下ろす。

魔物の硬い皮膚も、同種の爪なら引き裂かれるようで、どす黒い血が魔物の背から噴き出す。


トレンティはどんどん瓶を放り投げて、狼狽える魔物たちを混乱させていく。


(よかった……!試験用に調合した対人混乱薬だけど、効いてる!)


「今だよ!こっち来て!」


トレンティ達は、背後の木の扉を守るように戦っていた。その中に入り、儀式魔術を行使していたミーミリカが、完成の合図を二人に出す。

トレンティは『人避けの霊薬』を放り投げ、それが割れる姿を見ることも無く、ぼろい木の扉に飛び込んだ。

部屋の中には、掃除道具、桶、水の入ったコップが一見適当に、真実は魔術的な意味を持つように配置され、壁面には植物を利用した染料で文様が描かれていた。

トレンティは荒い息を吐きながら、扉に飛びつく。


「ジェームスさん!」


魔物に囲まれそうになっているジェームスを、威力の低い魔術で援護する。ジェームスはかすり傷を負いながらも室内に入り込む。トレンティは勢いよく扉を締め切った。

すると、先ほどまでジェームスを追っていた魔物たちが、急に興味を失ったように視線を逸らした。

それを小さな窓から見ていたトレンティは、ほっと息を吐いた。


「……悪い、トレンティ。傷薬持ってるか?」

「…………あ、ごめん!」


痛みに眉を顰めるジェームスに慌ててトレンティは、ポーチから薬を取り出す。

蓋を開けようとするが焦りがそれを妨げる。


「ウチがやるよ~」


ひょい、と薬をトレンティの手から取ったミーミリカが、小さく笑って薬をジェームスの傷口に塗り込んでいく。

ありがとう、と言うタイミングを失ったトレンティは手持ち無沙汰に周囲を見渡す。

そこは、物置小屋だった。

恐らく中庭を整備するための道具を置く場所であり、迫り室内には所狭しと棚が並べられており、枝切りばさみや脚立などが置かれている。


今はミーミリカの儀式魔術によって獣避けの結界を張っている。彼女は自然と共に育ってきた部族の出身であり、獣の対処は専門だ。

早々に見破られることは無いだろうが、周囲をうろつく獣の叫び声は、トレンティの心を恐怖で締め付ける。


「…………」


いつもは明るいジェームスも口数が少ない。

三人とも気づいている。これは異常事態だと。

外では逃げ遅れた学生がはらわたを裂かれ、血を啜られている。

鼻腔を潰すような生臭い匂いが、生々しい死の気配を伝えてきている。


これは明らかに学術都市に対するテロだ。このような学院内での大規模な殺戮は聞いたことが無かった。平和だと思っていた学術都市の安寧が崩れ去る。

怒涛どとうのような都市の動きに、彼らは道を見失った。


「…………ど、どうする?」


ミミーリカが猫耳をぱたりと伏せてそう言った。

その緋色の瞳からトレンティは目を逸らした。

だがジェームスは、顔を上げて重苦しく口を開いた。


「安全な場所まで逃げないと……」


そこで、彼の言葉は途切れた。言っている途中に気づいたのだ。安全な場所などどこにもないと。

だがトレンティは、はっと息を呑んだ。


「研究棟は!?」

「…………それや!あそこは異界化してるし、頑丈だよ!」


ミミーリカは明るい声でそう言った。

ジェームスも小さく頷いた。


「確かにあそこなら」


研究棟内部は道が入り組んでおり、正しい道を知らないと二度と出てこられなくなる。それに加えて、内部の研究成果を逃がさないように、厳重な魔術陣と高い防壁に囲われている。

この学院内でもあれほど厳重な警備がひかれている場所はないだろう。


だが問題が一つ。


「あそこは少し遠いな」


研究棟は、学院の端に位置する。彼らが今いる中庭からは距離がある。

ジェームスは窓から外を見る。辺り一面に魔獣がいる。


(………くそっ。さっさと逃げてたらよかったぜ)


魔獣は研究棟の反対側から湧いてきた。ジェームス達がすぐに研究棟に逃げていたら。

そう思わずにはいられなかった。


(オレが弱いからこうなった………!また足を引っ張っちまった………!)


あの時もそうだった。ミーミリカを奇襲から守り切れず、いけ好かない貴族に殺されかけた。前衛である自分がちゃんとしていれば。そんな思いが胸の内から湧き出してくる。

そして今も自身は何もできず、トレンティの薬とミーミリカの獣避け魔術に助けられた。


「…………そ、それでどうする?」


トレンティは、声を絞り出すように言った。目的地は分かったが、辿り着く道は分からない。そんな袋小路に追い詰められたような心境だった。


「それは………」


言葉に詰まる。ジェームスもどうすればいいかは分からない。

あの魔物は彼らの手に余る。細くしなやかな身体に反して、高い筋力と自由に動く3つの触手。斬りつけた感触では、あの白濁色の皮膚はゴムのようにしなり、斬撃が通りづらい。


もし彼らに魔物の皮膚を貫く槍や高火力の魔術を構築する知識や素質があれば無理やり突破するという手も取れただろう。

だが彼らは平民だった。その血統に特別な素質は宿らず、魔術の知識を蓄える年月も受け継いでいない。

冒険者としてならそれなりの地位まで上り詰めることが出来ただろうが、ここは学院都市だ。

彼らの力は相対的に低く、未来を見る魔女や光の王女を殺すためにモルドレッド教団が用意した魔物と戦うことは出来ない。


生まれ故郷では神童ともてはやされた彼らは、この学院で過ごした短い期間で何度も挫折を味わった。そしてまた再び。

重苦しい沈黙が横たわる。それを切り裂くように、物置小屋の外から悲鳴が轟いた。


「……き、きゅ、きゅうるなぁああああッ!!」


声帯が裏返ったような聞き苦しい悲鳴は、命が潰える間際の輝きのようにトレンティの瞳を瞑らせた。

ジェームスは、声の主を見る。そこには、美しい金髪を泥で汚した青年がいた。

紫色のローブ。傲慢な瞳を恐怖で濡らし、息を荒げている。

その周辺には魔物の死骸が転がっており、必死で抗ったと分かる。

だがそれ以上の数の魔物が彼らを取り囲んでいる。どこからか逃げてきて、そしてこの中庭で追い付かれたのだ。


周囲に並ぶ建造物にも、その触手を突き刺し、垂直に立つ魔物の姿がある。

魔物が今すぐ襲い掛からないのは、理解しているからだ。飛び込んだものが死ぬと。だが幾ばくかの屍を踏み越えれば、魔力を豊富に含む肉を喰らえると。


触手を操り、同族をつつくもの。挑発するように、地面を殴るもの。高い知性と残虐さを感じさせる動作に、彼らは瞳を揺らした。


「あいつらは………」


ジェームスにはその人影に心当たりがあった。

帝国派閥の上級生であり、ジェームス達を襲った貴族だ。


レイナス・ディダクト。そう名乗った男の言葉を、怒りと共にジェームスは記憶に刻んでいた。


「ね、ねえ。どうする?」


ミーミリカがジェームスの意見を伺う。

ジェームスは間髪入れずに答えた。


「見捨てるさ。助けてどうなる!?あいつらはミミを殺そうとした敵だ!」


ジェームスは覚えている。雷に撃たれたミーミリカの痛ましい姿を。

それを嘲笑い、蔑む醜い貴族の姿を。

叫んだ彼は、大きな声に驚いたミーミリカの顔を見て、小さく「ごめん」と呟いた。


「いや、助けるべきだよ」


小さな声が、ジェームスに異論を唱えた。

自身を見るジェームスとミーミリカの視線に押されるように、彼は焦りながら言葉を紡ぐ。


「僕たちが研究棟まで行くためには、あの魔物たちの群れを乗り越えないといけない。だけどその手段が僕たちにはない」


剣士として、魔物の一体と同様の力しか持たないジェームス。

錬金術師であり、戦いの術を持たないトレンティ。

唯一、魔物に有効な術を持つミーミリカは獣避けの儀式魔術構築により、魔力残量が少ない。


「彼らは嫌だけど……強いよ」


それは事実だった。ゼノンに容易くあしらわれたものの、それはゼノンが学院生の枠外の力を持つためだ。

彼らは貴族として優秀ではないものの、無能でもない。積み重ねた血と歴史に見合うだけの力はある。


「助けて交渉するべきだ」


「だけどよ………!」


トレンティの言葉が正論だとはジェームスも分かっている。

それでも、頷くことが出来なかった。

苦悩するように顔を顰め、しきりに拳を握っては開きを繰り返す。

そんなトレンティの肩に手を置き、ミーミリカは静かに言った。


「ウチは大丈夫よ。見殺しにするんも気分悪いし、助けよう?」

「…………ミミ」

「平気よ!ウチの儀式魔術は人三人増えたぐらいで、壊れんから!」


二コリ、と花開くような笑みを浮かべるミーミリカに、ジェームスは諦めたように笑みを返した。


「よし、助けるか」


ジェームスは扉に手をかける。


「トレンティ、薬の残りはあるか?」

「……えっと、混乱薬が三本……しかない」


それを聞き、ジェームスは少し思い悩む。


「なら、一本をオレが出ると同時に使ってくれ。もう一本は、あいつらを連れて帰るとき。最後の一本は………置いておいてくれ」


中庭にたむろする魔物の壁はぶ厚く、強い。確実にレイナスたちを助けるためには、三本とも使い切ったほうがいい。

だがそれを禁じたことを、トレンティは疑問に思わなかった。


「ミミは儀式魔術を維持に集中してくれ。よし、じゃあ………行くぞ!」


ジェームスは扉を開き、飛び出した。


◇◇◇


『Gruuuuua?』


中庭の広さは半径50メートルほど。その中に、数十体を超える魔物が集まっている。

今はレイナス達を取り囲むように厚い壁を形成しているため、物置から出たジェームスに気づくものはまだいない。


少しずつ、少しずつ歩みを進めるジェームスに不審そうに頭を振るう魔物はいるものの、気づく個体はいない。

ミーミリカの獣避けの効果が残っているのもあるだろう。だが――


(こいつら、あんまり鼻がよくないのか?)


魔獣というのは大体、五感が鋭い個体が多い。

それは変異元の動物の性質が強化され、引き継がれるからだ。

眼前の個体は肉食の四足獣のようであり、その嗅覚は鋭いと思っていたジェームスは、意外な状況に瞳を瞬かせる。

だがそれは好都合だ。


ジェームスは握りしめた剣を肩に抱えるように担ぎ、駆けだした。


『Graaaaa!?』


突如視界に入ってきた、先ほどまではいなかった人間の姿に、何体かの魔物が困惑したように啼き声を上げる。その声は連鎖し、瞬く間に辺りの魔物に広がる。

ジェームスは広がった視界の奥に、結界を張り、魔物の中心で狼狽えているレイナス達の姿を見た。

その結界は、何らかの魔具を利用した物なのか、本来の彼らの実力以上の硬度を持っていた。

レイナスはこちらに駆けているジェームスを見て、目を見開いた。


「貴様はっ………!」


その声は、疲労が滲んでいたが、ジェームスに対する侮蔑と傲慢さを孕んでいた。

助ける意味があるのか。そんな疑問が頭によぎったが、彼は迷いを振り払うように叫んだ。


「今だ、トレンティ!」


背後からジェームスを飛び越えるように瓶が投げられる。それが割れ、ジェームスを中心に桃色の煙が充満する。

ジェームスは、あらかじめ対抗術式を教えられていたため、認識阻害の効果を無効にできる。あたりの魔物は狼狽え、でたらめに触手を振り回す。

同士討ちのどす黒い血がまき散らされ、触手の一部がジェームスに向かう。

剣で受け流し、体捌きで躱す。

そして、レイナス達の前に行き着いた。


「死にたくないなら、こっちに来い!」


それだけを言って、ジェームスはきびすを返した。

ジェームスは元々レイナス達を助けるのに積極的ではない。それに加えて、ゆっくりと説得をする時間も無かった。

トレンティの調合した混乱の煙は、一定時間滞留するような術式が刻まれているが、それでも屋外ではすぐに散っていく。

また、あの煙は対人用だ。魔物への効果は薄いはずだ。


「トレンティ!頼む!」


二つ目の瓶が投げられる。それが魔物たちの混乱を加速させ、その隙をジェームスは駆けていく。その背後をレイナス達が付いて来ているのを、ジェームスは捉えていた。


「―――ッ!おおおぉおおぁぁああっ!」


複雑な思いを振り払うように、ジェームスは大きく剣を振り下ろした。

渾身の一撃が込められた一撃は、触手を弾き、立ち塞がる魔物の首に深い傷を負わせた。

ジェームスは、ミーミリカが開いている扉に飛び込む。

そしてその後を続くようにレイナス達三人が、飛び込んだ。


「早く閉めろぉ!!」


裏返ったようなレイナスの声が、ミーミリカの背を叩く。

扉を閉めることで、一時的に緩んでいた儀式魔術が再構築され、ミーミリカたちの気配を隠す。だが、直前までそこにいたという事実は消せない。


「きゃッ………!」


扉に体当たりした魔物が、扉を突き破り、物置部屋内に転がり込んでくる。振り回される触手が棚を切り刻み、道具がなだれ落ちてくる。


『Gruuuuuuu………』


触手を支えにして、魔物が体を起こす。その黄色い爬虫類のような瞳は、ミーミリカを見ている。ゆるりと触手が浮き上がり、その鋭い切っ先を向ける。


『Guraaaaaaa!!!』


触手が空気を切り裂き、ミーミリカに迫る。それがミーミリカの首筋を切り裂くより早く、胴体に突き刺さった雷撃が、その全身を焼いた。


『――――』


声も無く即死した魔物が、身体を震わせながら横たわる。攻撃したレイナスは鼻を鳴らしてその死骸を踏みにじる。


「薄汚い魔物が………!」


追い詰められて死にかけた恐怖と屈辱がないまぜになった怒りが、レイナスを動かしていた。


「ミミ、魔物除けの結界は?」

「う、うん。崩れかけてるけど、しばらくは維持できると思うよ」


ミーミリカは周囲に散らばった道具を手に取り、室内に配置していく。

それは崩れかけた結界を維持するための基盤だ。

足元を忙しなく動くミーミリカに気づいたレイナスは、冷たい視線を向ける。

自身を貫く心当たりのない暗い感情を向けられたミーミリカは、びくりと体を震わせる。


「―――ふんっ。貴様が、結界の術者か」


呟いた声は小さく、ミーミリカにしか聞き取れなかった。


「…………話がある」


レイナスは自身の眼前に立つジェームスに無機質な瞳を向ける。

レイナスの背後に立つ取り巻きの苛立ちの混じった瞳とは違い過ぎる彼の雰囲気に、ジェームスは僅かに狼狽える。

威圧感のある碧眼に押されるように、ジェームスは震える口を開く。


「オレたちは、研究棟に逃げる途中だ。………単刀直入に言う。遺恨は無視して協力しないか?」

「…………なるほどな。弱者が強者に縋る。正しい姿だ」


嘲弄するような響きだが、その表情は分かり切った真理を説くようなつまらなさが含まれていた。

そのイエスともノーとの取れない返事にジェームスは眉根を寄せる。

そして焦れたように言葉を続けた。


「アンタも人手は必要だろ」


レイナス達貴族三人は、純魔術師だ。それに対し、ジェームスは前衛の剣士であり、トレンティは攪乱の出来るサポート役、ミーミリカは対魔物魔術の使い手だ。

個々の力は弱いが、噛み合うものはあると、言外に示す。


(まあ、ほとんど役には立たないだろうがな)


だがそれは、強がりとブラフを含んだ嘘のようなものだった。

ジェームスはまだ戦えるが、2人は限界に近い。

トレンティは、武器である薬がほぼなくなっており、獣人であり魔力保有量の少ないミーミリカは、結界を直せば魔力切れになるだろう。

だがそれでもいいとジェームスは考えている。


(とりあえず、中庭を抜ける………!道の細い校舎内に逃げ込めれば、俺達三人だけで研究棟まで逃げ切れる可能性は高くなる)


中庭を抜けるまでレイナス達の力を利用できればいい。二人には言っていなかったが、ジェームスはレイナス達を利用して切り捨てるつもりだった。


(こいつらは貴族だ。俺達とは分かり合えねえよ)


誰に言い訳をしているのか。それも分からないまま、自身の騎士科としての誇りと生き残りたいという本能の間で揺れる。

だがそれでも―――。

ちらり、とトレンティとミーミリカを見る。トレンティは貴族たちに怯え、ミーミリカは魔力を儀式魔術に吸われながら、必死に結界を維持している。

2人は生き延びさせる。その決意だけは揺るがない。


「……いいだろう」


そう答えたレイナスに、背後にいた二人の取り巻きが狼狽えの声を漏らす。

それをレイナスは手で制する。

その冷静なレイナスの姿に、ジェームスはほう、と一息ついた。とりあえずは協力関係が築けそうだ、と。


「ではお前とそこの黒髪。前衛としてわたしが魔術を完成させるまで時間を稼げ」


「…………な、何を言っている!?」


無情に告げられた言葉に、ジェームスは声を荒げる。


「オレはともかく、トレンティは後衛、錬金術師だ!」


とても前衛など務められない。そう言うが、レイナスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「だからそう言っている。錬金術師など、道具を作るしか能がないのだ。今の状況では肉壁にしか使えんだろう」

「薬を使ったサポートも―――」

「それはわたしの共にさせる。出せ」


かっと頭に血が上ったのを、ジェームスは感じる。

トレンティの作った道具は利用するが、トレンティ自身は使い捨てる。

その自分勝手なレイナスの言い分を受け入れるわけにはいかなかった。


「ふざけるな!!そんなことが―――ッ!?」


振られたレイナスの拳が、ジェームスの顔の正中線を捉えた。

魔装術で強化された拳は、無防備だったジェームスの視界を真っ赤に染め、その身体を吹き飛ばした。


「あぐっ、あぁっ、あああああっ」


止まらない鼻血に顔を抑え、レイナスを睨みつける。その獣のような怒りを向けられても、レイナスは冷たい視線を変えない。


「ジェームス君っ!?」「ジェームスさん!」


トレンティが、ジェームスの側にしゃがみ込み、狼狽えるように手を肩に置いた。

同じようにジェームスの元に向かおうとしたミーミリカの前には、レイナスの取り巻きが立ち塞がった。


「何をしている!結界を修復しろ!」

「……で、でも――っ」


口答えしたミーミリカに目を細めた取り巻きの一人は儀礼剣を引き抜き、ミーミリカの頭の上に生えた猫耳に添えた。


「獣だから人間の言葉に逆らうのか?ならば人にしてやろうか!?」


「お、おい、やめろよ!!」


ジェームスは痛む顔を抑えて、ミーミリカに駆け寄ろうとするが、レイナスから放たれる魔力の孕んだ威圧感に足を止める。


「あの獣は有用だ。従順にすれば傷つけはせん」


言い換えれば、ジェームス達が逆らえば、その限りではないということだ。


「お前はっ………!助けたのは、オレたちだぞ!」


身動きの取れなくなったジェームスは、叫ぶようにそう言った。

だがそレイナスはそれに動じることはない。


「当然の義務だろう。貴様ら平民の存在意義は、我ら尊き血に貢献することだ。わたしの命を繋ぐために犠牲となることに、何の不満を持つ?ましてやあの獣は本来ならばそれすらも許されぬ下劣な命だ」


「何を言いたいんだっ!」


「許すと言っている。わたしのために死ぬ名誉を」


ジェームスは閉口した。レイナスの瞳は冷静だ。彼は冷静に、そして本心からジェームス達の死は当然で、自身のために犠牲になることが名誉だと捉えている。

ミーミリカに関しては、それが慈悲だとすら思っているのだろう。


あまりの常識の違い。レイナスの中では、ジェームスたちは同じ『人』ですらない。

だからこそ、平気でその命を踏みつけられる。

人が殺した豚を美味しく食べることが弔いだと思うように、彼らもまた、ジェームス達の命を最大限に使い潰すことが誠意だと考えていた。


「行け。わたしたちのために道を開け」


レイナスは荒れていないきれいな指先で、扉を示す。

レイナスの背後では、ミーミリカが取り巻き二人に両脇を固められ、儀礼剣を突きつけられていた。


「………ご、ごめん。僕のせいで」


ジェームスの袖を掴んだトレンティが震えているのを感じた。恐怖とそれを超える自責の念。


「お前のせいじゃない………!」


それだけを何とか言葉にした。扉に手をかけ、剣を引き抜く。


「オレの後ろに居ろ」


認識阻害の薬や魔具は全て、レイナスに奪われた。トレンティに魔物と戦う術はない。

守らなければならない。その思いが、痛いほどに剣を握りしめさせる。


「さっさと行け」


背後から聞こえる貴族の傲慢な声に急かされ、2人は獣避けの結界から出た。

獣たちの視線が、2人に向かう。

竦みそうになる足で地面を踏みしめ、途切れそうになる意識が明転する。


背後から膨大な魔力が立ち昇る。それはレイナスたちのものだ。

ジェームスやトレンティなど足元に及ばないほどの魔力総量。

今はレイナスの魔術が完成するまで時間を稼ぎ、何とか二人で生き延びるしかないと、ジェームスは覚悟を決めた。


「うおぉおおおおっ!!」


剣を振るう。

土壇場の力が触手を弾き飛ばし、魔物の巨体を揺るがせる。

それでも数の差を覆すことは出来ない。幾本かの触手がジェームスの血肉を抉り、それ以上の傷をトレンティに強いる。

背後から聞こえるか細い押し殺した悲鳴が、何よりもジェームスの心を揺るがした。

自分が傷を負っているとジェームスに教えないため、怪我などしたことがほとんどない彼は、必死に苦痛に耐えている。

その優しさは傲慢な貴族共が持たないものだ。


(………あいつらがそんなに大事なのかよ!)


『Gruuuuuuuuuuuuuaaa!!』


いつになっても死なないジェームスに業を煮やした獣の一体が、体当たりをした。

ジェームスは反射的に剣を突きつけたが、刺突は頭蓋骨で滑り、脳を潰せなかった。


「―――ァッ」


肺から空気が絞り出されて、トレンティを巻き込みながら芝生の上を転がる。


「―――だ、大丈夫、か、トレンティ?」

「…………僕は、大丈夫………」


失血して意識が朦朧としていたトレンティの声音は細い。

周囲を取り囲む魔物をジェームスは睨みつける。その手に剣はない。

先ほどの刺突で砕け、破片と変わっていた。


2人が獣の牙の奥へと消える直前、2人の背後から魔力が轟いた。

それは雷の音だった。レイナスの手の内に生まれた雷雲の渦が、スパークを漏らしながら激しい音をたて、空気を切り裂いていた。

その凄まじい魔力を内包した一撃は、容易く魔物たちを焼き払うだろう。


「トレンティ、立て!逃げるぞ………!」


待っていた時が来た。それに気付いたジェームスは下手くそな笑みを浮かべた。

魔物たちもレイナスを恐れるように一歩下がった。

これが最後のチャンスだった。ジェームスは既に立てなくなったトレンティの腕を掴み、引っ張り上げる。

だが二人の足元に、魔弾が突き刺さった。


「逃げずに戦え!臆病者共が!」


取り巻きの一人が、魔具でもある儀礼剣を突きつけながら、唾を飛ばして叫ぶ。

すでに、レイナスの魔術が完成するまで時間を稼ぐというジェームス達の役目は終わっている。

だが魔物と自分たちを遮るものが無いという状況に、彼らは耐えられない。


「――お前ら、いい加減にっ」

「ジェームス君、トレ君、早く逃げて―――」

「貴様は黙っていろ、獣風情が!」


殴られるミーミリカに、ジェームスは駆け寄ろうとする。

だが遅すぎた。

レイナスの雷雲が膨れ上がる。

その瞳はすでにジェームス達を見ておらす、その奥の魔物の群れに向けられている。


「待て、レイナス!」

「〈雷雲轟〉」


魔術が解き放たれる。雷雲が空中に飛び出し、一気に体積を増した。

その内に含まれる魔力の量に、ジェームスは青ざめた。

その魔術の魔力量は、ジェームスの総魔力量に匹敵するだろう。

防ぎようのない威力の魔術が、自分たちを含めた広範囲に展開する。


「よくやった、お前たち」


感情の篭っていない言葉が、死にゆく二人にかけられる。


「―――あ」


降り注ぐ雷撃が二人の視界を焼き、そして、

雷撃は優に数十秒続いた。その間、放たれ続けた雷撃は中庭を蹂躙し、その一部は空中へと昇り、その途中で軌道を変え、周囲の建物内や壁面にいた魔物を討った。


雷雲が晴れる。降り注いだ陽光の眩しさと生きている安堵に、ジェームスは目を細めた。

静かだった。魔物は全滅し、生者はジェームス達だけだ。

その静寂を裂いたのは、レイナスの声だった。


「貴様ぁああ!何をしたぁあ!!」


「レ、レイナス様?」


取り巻き達が、困惑したような声を出す。

レイナスの大魔術は、狙い通り以上の効果を出した。それにもかかわらず、レイナスの顔は真っ赤に染まり、今にもジェームス達を絞め殺しそうだった。

魔術の発動者であるレイナスには分かっていた。自身には雷撃を操作するような魔術制御力はなく、あれほどの威力の雷撃を発動させ続ける魔力量は無いと。


屈辱だった。恐ろしかった。


魔術を発動させた途端、自身の手を離れたような違和感。

自身の最大の魔術を、自身以上の精度で発動された。一体誰が、どうやったのか。

その答えは、空からやってきた。


「危なかったね。間一髪だ」


白髪、黒眼の魔術師。黒いローブに身を包み、その全身には悍ましいほどの濃度の魔力が整然と流れている。

誰もが声を失った。魔力を扱う者ならば、肌で分かる魔力総量のでたらめさと制御能力の超越さ。言葉を出せば、殺されるのではないか。そんな思い込みすら抱いてしまった。

血統主義のレイナスでさえ、本能が訴えかけてくる恐怖で、その主義を無意識に曲げた。


ゼノンは、トレンティ達とレイナス達を見て、大きくため息をついた。


「………またか」


既に一度、同じような状況に立ち会ったことのあるゼノンは既視感に眩暈めまいがしそうになった。

見知った顔を見つけたから助けに来たら、それなりの魔術で消し炭にされかけていたのだ。慌てて発動されていた魔術を乗っ取り、雷撃を操作したからこそ、ジェームス達は助かったのだ。


「…………お、まえは」


レイナスが震える声でそう言った。

以前もレイナス達はゼノンに敗北した。だがあの時はこれほどの威圧感を纏ってはいなかった。これほど、隔絶していなかった。


「気が立ってるんだよ。面倒ごとを増やさないでくれ」


ゼノンはレイナス達に一瞥を返した後、地面に降り立ち、死にかけの二人に回復魔術を行使する。体の傷が癒えて行き、体力がわずかながら戻る。



「あ、ありがとう、ございます」


トレンティが震える声で礼を言った。

ゼノンは笑みを返したが、それを見るトレンティの眼差しは普段とは異なっていた。

ゼノンが敵ではないと分かっていながらも、その魔術師として遥か格上の存在の臨戦態勢は、トレンティのか弱い精神には毒だった。

知人である人間から怯えた目を向けられる。

普通であれば傷つくことだろうが、トレンティの感情の変化を分かっても、ゼノンは気にした様子もなく小さく笑ったままだ。


(………ああ、この人は違うんだ)


トレンティは、それを実感として知った。

眼前の魔術師は、どこか浮世離れした雰囲気を出会った時から纏っていた。それは、生まれ育ちの違いだと思っていた。

だが、それとも違う異質な在りかた。

そもそも住む世界が違うかのようなものの見方をしている。どこか、分厚いガラス一枚を隔てているような清廉さと無関心をトレンティは感じた。


「さて、さっさと避難するといい。すぐにお代わりが来るからね」

「え………あれで終わりじゃないのか!?」


ジェームスが驚愕に目を見開く。それをゼノンは首肯した。


「際限なく湧き出してるよ。すでに学院中に散ってる。騎士団は学院を放棄して、封じ込めにシフトしたからね。逃げるなら、学院外がいい」


だけど、都市外には逃げない方がいい、と小さく加えた。

外に湧きだした二体の巨大魔獣を知らない彼らは疑問を抱いたが、ゼノンにはそこまで説明する気は無く、それを聞ける者もいなかった。


「これあげるよ」


ゼノンは銀の指輪をジェームス、トレンティ、ミーミリカに投げて渡した。

表面におびただしい術式が刻まれているそれは、認識阻害の魔具だ。


「い、いいんですか?」


その魔具の性能に気づいたトレンティが、恐る恐る尋ねる。

明らかに一流の魔具職人が、希少な素材を使わなければ作れないような異常な性能だ。


「いいよ。それを使えば見つからないから」


ゼノンは興味無さそうに呟いた。

事実、ゼノンにとっては先ほど瓦礫を錬成して適当に作っただけの玩具だ。

ただの認識阻害の効果しかないものであり、仮にトレンティ達がゼノンの敵に回っても恐ろしくはない。


「じゃあ、俺は行くよ」


ゼノンは再び飛び上がる。それを阻んだのは、レイナスだった。


「待て!どこかの貴人の方だと思われるが、かつての非礼を詫びよう。わたしにも御身の宝を預けてはくれないか?」


顔に焦りを浮かべながら、レイナスはそう言った。

ゼノンは無表情にそれを眺めた。


「哀れだね」


ゼノンが貴族ではないというのは、レイナスも知っている。だがその上で、ゼノンは貴族だったということにしていた。

そうでなければ、頼むなんて出来なかった。

貴族であるという自負と他者が傅くのが当然とする生き様。

だがレイナスはそれを捻じ曲げた。自分の都合のいいように解釈していた。

死にたくない。だが平民には頭を下げられない。相反する思いの行き着いた先は、虚飾だった。


「なっ………」


言葉を失うレイナスに、ゼノンは最後の言葉をかけた。


「弱いなら、身を縮こまらせて生きるべきだ。来世ではそうするといい」


仮にガードゥであれば、自身が死ぬとしても王族としての誇りを抱き、黙って死んだだろう。まあ、そもそもあの男なら、この程度の魔物など指先一つで壊滅させるが。

ガードゥの貴人としての誇りとそれを支える力。ゼノンはそれだけはガードゥを評価している。

それに気付き、ゼノンは小さく顔を顰めた。その心のうちに、レイナスはすでにいなかった。


ゼノンが消えた空をレイナスは眺めていた。そして自身の置かれた状況を思い出し、周囲を見渡す。


「レ、レイナス様?」


間抜け顔で自身を見返す配下を見て、殴りつけたくなる思いを抱く。

その手の内には、穢れた獣人の娘はいなかった。


「奴らはどこに行った!」


その言葉に配下たちも周囲を見る。だが人影はない。レイナスは慌てて探知魔術を発動させるが、どこにも反応はない。


(回復したとしても、体力はまだ戻っていないはずだ!もうわたしの索敵範囲の外まで………?)


そして気付いた。自身の魔術に、あの白髪の魔術師の魔具による隠ぺいを見破る術はあるのだろうか、と。


「…………あ」


言われた言葉を思い出す。力がないなら、相応に生きろ。


「……ふ、ははははははっはははっ!わたしは、弱いのか………!」


「レイナス様!魔物の群れが!」


取り巻きの一人が、レイナスの肩をゆすり、訴えかける。

彼らの視界の先からは、土煙を巻き上げ、こちらに迫る白濁色の皮膚を持つ合成獣の姿があった。その数は先ほどの群れの規模を超えており、どこから来たのかという疑問すら抱けなかった。


だがレイナスは、薄い笑みを浮かべたまま、それを静かに眺めていた。


「レイナス様、レイナス様ぁ!―――ッ!?クソっ、お前なんかについてこなければ―――」


言葉を言い捨て、取り巻き達は群れと反対側に逃げて行った。魔装術を発動させていても、その速度は魔物よりも遅い。

死ぬのが早いか遅いかだけの違いだ。


「これがわたしの―――」


最後の言葉は何だったのだろうか。

聞いた人間は一人もおらず、魔物の惨禍の歌の中に溶けて消えていった。

緑の下草に飛び散った血液が、また一つ、増えた。


惨劇は終わらない。都市内でどこからか溢れた魔物は、弱い一般生徒を食い荒らしながら、その勢力図を伸ばした。

それはやがて、学院を封鎖する騎士団の包囲網すら突破し、都市中へとウイルスのように広まっていった。

都市は着実に、崩壊へと向かっている。

教団の願い通りに、そして魔女の思い描いた運命へと。

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