王国の魔人騎士
マインに通信用の魔具を押し付けた後、俺は逃げるように屋敷から飛び出した。
あれ以上あそこにいたら、ぼろが出そうだった。
悪役みたいにグラスを傾けるだけじゃあ誤魔化せないシリアスの波が俺の心を蝕んでいた。
自身の屋敷に戻り、いつも通りのアニータに迎えられた俺は、自室のカウチに座り込み、息を吐いた。
試験一日目から、いろんなことがあり過ぎた。
モルドレッド教団も、自分たちにアルフィアという終わりが迫っていることを知っている。
事実彼らは、『無制限』を獲得しかねないエリスを妨害するために動いているし、エリスもまた、最後の追い込みをかけている。
そして帝国派閥。不安定な内情を纏め上げていた皇女を失い、崩壊寸前のそれは、お飾りの王を立て試験を乗り切ろうとしている。
明日からは、本格的に動くことになるだろう。マインに派閥の長としての求心力を取り戻させて、エリスの妨害に動くであろうガードゥたちバブブ公国派閥の妨害もしなければならない。
ティーリアたちとの同盟や祈祷学研究室、トレンティ君たちの同盟もある。
まあ、トレンティ君の方は、どうでもいいが。
このように、やるべきことは多い。何から手を付ければいいのか、俺にはよくわからない。
だからこそ、俺は迷わず、使い魔に意識を飛ばした。
◇◇◇
――試験二日目――
俺は学院に向かう。昨日、破壊されていた食堂や石の通路などは、きれいに修理されていた。だが隠し切れない緊迫感が、生徒たちの顔色を険しくさせていた。
試験二日目。ブローチを奪い合うという試験は、未だに互いの立場を探り合う段階だ。
だが使い魔が確認した武力衝突の数は、確実に昨日より増えている。
俺はベンチに座り、50を超える使い魔の視界を確認する。
中には使い魔を妨害する結界を張っている者もおり、全てを確認できるわけではないが、どれも小同盟同士の争いのようだ。
「小さい同盟なら、敵と味方を区別しやすい。だからスタートダッシュを切って点を集めているわけか」
その内のいくつが、裏では大派閥に繋がっているのだろうか。
試験二日目は、そんな代理戦争から始まった。
「じゃあ、さっさと戦争にするか」
点数を大量に集めなければならない俺とエリスにとって、ちんたらした探り合いをしている時間はない。
戦争の火ぶたは、彼女が切るだろう。
◇◇◇
学院の端、広大な広場に彼らはいた。
武装した彼らの数は、優に100人を超えている。
いずれも、優れた力を持つ魔術師や戦士たちだ。
整然と隊列を組む彼らの前に、黄金が姿を現した。
銀の鎧に身を包んだ細い肢体は瑞々しく、柔らかな肌は滑らかで、抱き締めればすり抜けそうなほど澄んでいた。
黄金のような長髪は煌びやかで、万人を魅了する危うさを孕んだ碧眼は、蒼玉のように煌びやかだった。
王国派閥の盟主、エリスイス・エスティアナは、静かに柔らかな唇を開いた。
「昨日、私たちの派閥の者が、犠牲になりました。彼女は他派閥で虐げられ、私を頼ってくれた友です」
柔らかな声音に反して語られる血生臭い内容に、王国派閥の生徒たちは驚愕し、納得する。争いの序曲に高揚する精神が、彼らの背筋を震わせる。
「派閥を裏切ったのなら、仕方がありません。下手人たちはそう思っているのでしょう。この程度なら、私は見逃すと思っていたのでしょう」
「許されることではありません」
冷えた声音が、彼らを貫いた。
「私は誰であろうと、盟友を傷つけるものは許しません。流された血には、刃で報いましょう。涙は、敵の悲鳴で拭いましょう」
朗々と紡がれる王女の言葉に、王国派閥は自分たちを包む慈悲を感じ、王女の意思に尊敬の念と戦意を昂らせる。
「刃を抜きなさい!敵はガードゥ・バブブ!彼に与する全てを倒し、奪われたものを取り戻すのです!」
雄たけびが重なる。打ち鳴らされる刃が、大地を踏みしめる軍靴の音が際限なく彼らの熱狂を高め、地面を揺らす。
エリスは眼前で熱狂する王国派閥の生徒たちを、平坦な気持ちで眺める。
(まあ、こんなものでしょうね)
エリスは予想通りの反応に、80点、と小さな口で呟く。
「行きなさい!ガードゥ・バブブは学院に居ます。彼の薄汚れた黄金のブローチを私に捧げなさい!」
戦士たちが、魔術師たちが学院へ向けて駆けていく。その鬼気迫る集団に、争いの気配を感じた生徒たちは一目散に逃げて行き、目を付けられたバブブ公国派閥の生徒は数の暴力で沈む。
踏みつけられた身体が血を吐き、降参の声を雄たけびが塗りつぶす。
そして一人が懐からブローチを奪い、再びガードゥへと向かっていく。
エリスは数人の護衛を残したまま、彼らの後に続く。
王女が付いていると分かった集団はさらに勢いづき、流される血は増える。
「必ず、殿下の友の仇を取りましょう!」
熱に浮かされたような顔で、下級生の生徒がエリスにそう言う。付き合いがある貴族とはいえ、少し礼を欠いた行為だったが、エリスはおしとやかに微笑みを返した。
(まあ、そんな人はいませんが)
厳密には、ブローチを奪われた人はいた。その女性は王国派閥に属していた。血を流した。
だがそれは、敵対派閥の生徒であり、血祭りにあげたのはエリスの指示を受けた部下だ。
スパイを排除し、全く関係のないガードゥを討伐するきっかけにした彼女はしたたかであり、悪劣だった。
だがそれに気づくものはいない。彼女が今まで積み上げてきた名声が、理性を奪う美貌が真実から目を遠ざける。
彼女は間違いなく、傾国の魔女だった。
エリスは石造りの塔のもとにいたガードゥを視界に収めた。
突如自分たちを包囲した王国派閥に困惑しているバブブ公国派閥の者を尻目に、彼は全てを理解したようにエリスを睨みつけた。
エリス達、王国派閥の人数は100人ほど。ガードゥたちバブブ公国派閥の人数が、70人ほどだ。
大派閥である王国派閥の人数が、100人程度しかいないのは、エリスが調整したからだ。
バブブ公国派閥討伐のために集められたものは、思慮の浅い者、敵対派閥と通じている可能性がある者、力が弱い者が大半を占め、残りはエリス子飼いの信頼できる部下たちだ。
エリスはガードゥ討伐のついでに、味方の選別も進めようとしていた。
だがそれは、人数を減らした決め手ではない。最大の理由は、その程度の人数差でも勝利を確信しているためだ。
「ガードゥ・バブブ。卑劣な男。貴方の所業は許されるものではありません。例え試験でのことであろうと、私は容赦しません」
朗々と鈴を鳴らすようによく通る声で、彼女はそう言った。
何の心当たりも無いガードゥは、眉を顰め、そして納得したように黙り込んだ。
例え自分が何を言ったとしても、太陽の如き王女の言葉を覆せないと。
王族としてのガードゥの気位が、言葉を浪費し、道化になることを許さなかった。
「行きなさい!」
エリスの言葉に従い、初めに動いたのはエリスの側にいた一人の騎士だった。
それは身の丈が2メートルを超えていた。全身鎧に身を包んでおり、岩のように巨大な拳を備えていた。
巨人の如き騎士は、太い足で地面を蹴り砕き、反動で宙を舞う。
下方から飛んでくる魔術や矢を無防備に受けながら、陣形を無視してガードゥの眼前で着地した。
―――大きい
ガードゥが抱いた思いは、そんな単純なものだった。
地面に半分以上埋まった足を引き抜く姿を見て、その思いはさらに強くなった。
「貴様、人間か………?」
思わず、疑問が口をつく。それも仕方がないだろう。
それが身に付ける全身鎧は通常の鎧の数倍ほどぶ厚く、太く、悍ましいほどの藤色に染まっていた。
その表層には骨格のような文様が浮かび上がっており、目を凝らせば、藤色の奥に潜む紐ほどの太さの血管が見て取れた。
とてもその中に人がいるとは思えなかった。それほどの存在感と生命力を、鎧は発していた。
疑問への答えは、拳だった。
掬い上げるように振るわれた拳は、ガードゥの胴体を捉え、振り抜かれる。
紙のように浮かび上がったガードゥは弾丸のように吹き飛び、背後の石塔を貫き、視界の外へと消えていった。
機先を制し、盟主を倒した騎士に続くのは、戦士たちだ。
呆気にとられるバブブ公国派閥たちに、王国派閥の戦士が襲い掛かり、刃同士を打ち鳴らし、拳で大地に打ち据え、魔具が、武具が破壊を広げる。
そして逃走しようとした者たちには、魔術が降り注いだ。
「どうです?」
藤色の騎士は、知らぬ間に近くまで来ていた主君に膝をつく。
戦場の真っただ中で取るような行動ではないが、生物として格が違うその生命体の隙をつくようなものはいなかった。
黄金の王女に至っては当然だ。
我々のような下々の存在が、触れていい存在ではない。
そう心から信じ、周りも同じようにすると思っている妄信の騎士は、主を慮るという無礼を取ることなく、粛々と返事を返す。
「はっ。軽く小突いた程度では通りませんでした。ですが、それだけです」
鎧の中で反響する声からは、性別も年齢も分からない。
確かなことは一つ。その騎士は、生半な強化術など足元にも及ばないガードゥの肉体硬質化支配術を、問題ないと言い切ったことだ。
「それは頼もしいですね。では、ガードゥの始末は貴方に任せましょう」
始末、と物騒なことを笑顔で口にするエリスに疑問を持つことも無く、初めて聞いたその指示に、藤色の騎士は首を垂れて、了承の意を伝えた。
次の瞬間、騎士の姿はエリスの視界には無かった。
地面に刻まれた2つの大きな足跡を見て、エリスは怪しげな笑みを深めた。
◇◇◇
藤色の騎士、ヒシミア・マルテキストは凄まじい速度で学院をかける。
巨体が動く度に大地が、建造物が悲鳴を上げて崩れるが、それすらも踏みつけ、加速するそれは、小さな嵐のようだった。
ヒシミアは、跳躍し、周囲の石塔の頂上が見下ろせるほど高くに登る。
眼下には、大勢の学院生たちがいる。ヒシミアはそれを、鎧の表面に浮かび上がったいくつもの眼球で眺める。
「…………いた」
ガードゥの姿を捉えた。ガードゥは、自身の派閥の者すら見捨て、一目散に学院外へと逃走している。
試験期間中は、決められた時間、学院にいる必要がある。そのルールを守る気が無いガードゥの行動原理を彼女は知らない。
彼女は、エリスと教団を取り巻く争いに関わっていない。
興味すらなかった。
ただ機械的に、信奉する主の命に従い、ガードゥを殺すのみだ。
空気の壁を太い足でけりつけ、地上へと頭から向かう。
一瞬で地面とこちらへ振り向くガードゥの驚愕の表情が、目前に迫る。
ガードゥは反射的に、固有魔術を発動させた。魔術の隠匿など考える暇はなかった。
瞬間、ガードゥの姿が地面に吸い込まれるように消え、ヒシミアの真下の地面が捲れ上がった。
十メートルほどの範囲の地面が波のように浮かび、ヒシミアの突進を受け止める。
着弾、そして大気を揺らす轟音と、耳を塞ぎたくなるような破壊音が響き渡る。
ヒシミアとその鎧は、無傷。
そしてめくれ上がった地面もまた、一部を砕かれたものの、そのまま蠢き、ヒシミアを宙へと押し返した。
並の魔物なら木っ端みじんになるほどの衝撃を受けながらも、ヒシミアは落ち着いて空中で姿勢を立て直し、眼下を睨む。
蠢く岩の塊からガードゥが浮かび上がった。
そのまま人の形を成し、彼もまたヒシミアを睨みつける。
その片腕は、痛々しいほど真っ赤に染まり、あらぬ方へと向いていた。
(………あいつ、どうして生きてるの?)
ヒシミアは、本気で突進した。足場が緩い空中だったとはいえ、一度目に殴った感触から、ガードゥを殺すには十分だと判断した。
直撃の瞬間、地面に潜られたがすぐに砕いたし、体を逃がす余裕などなかったはずだった。
「………だけど、怪我してる」
その事実だけで十分だった。
再び宙を踏みしめ、突進する。
「――貴様、殺しは―――」
何かを言おうとした男の声を、彼女は理解しない。
固く握りしめられた拳が、空気の壁を破壊する。蠢く地面に打ち返されるたびに、彼女の肉体は加速していく。
音も無く、光すら遠い世界で彼女はただ、命令を遂行する。
(―――何を考えている!?)
地面と融合したガードゥは、凄まじい速度で破壊を振りまく藤色の鎧に眉を顰める。
まるで理解できない。あの鎧は自身を殺すつもりだと、鎧の奥底から向けられる冷たい殺意と容赦ない攻撃が示していた。
だがそれをすれば、王国の魔人騎士と呼ばれ、代々王家に仕えていたマルテキスト家次期当主であるヒシミア・マルテキストは、他国の王族を故意に殺した罪人となる。
小国ながらも豊富な地下資源を持つバブブ公国の次期国王を殺したとなれば、死罪は免れない。
だからこそ、エリスイスも直接的にガードゥを殺すという手段を取ってこなかったはずだ。
その前提が今、裏返った。
エリスイス・エスティアナは自身を殺す気だと、ガードゥは確信した。
(――密偵は何も言っていなかったぞ!?)
ガードゥは、エリスが乱暴な手段を取る場合に備え、王国派閥に密偵を送り込んでいた。
密偵は、エリスが暗殺を企てていることも、王国派閥最大武力のヒシミアと接触したことも捉えていなかった。
誰が予想できただろう。ヒシミアはエリスの本性もたくらみも何も知らず、つい先ほどガードゥの殺害を頼まれ、自身の身分も家族すらも顧みずに戦っているなどと。
ガードゥの送り込んだ密偵をエリスは把握していなかった。ヒシミアの盲目的な信仰がガードゥの理性を上回ったのだ。
ガードゥは次々に周囲の地面を支配し、取り込んでいく。
そうすることで何度も突撃を繰り返す藤色の鎧を迎撃する。
否、そうしなければすぐに削り取られてしまうほど、藤色の鎧の破壊力は桁外れに高い。ただの拳の一撃が、高位魔術にも匹敵する。
その上、ガードゥの支配する鋼鉄以上の硬度を持つ地面に殴られても無傷だ。
(王国の魔人騎士。噂以上のでたらめさだ)
ガードゥは加速する藤色の騎士の猛攻を前に、焦燥を露わにする。
ガードゥの攻撃すら利用して加速し続ける藤色の騎士は、次期に手に負えなくなる。
幾度目かの衝突の時、ガードゥは支配する地面の粘度を変化させた。
「………!」
滑らかな質感へと変じた地面にヒシミアは躊躇うように一瞬、硬直するが、もうどうしようもない。彼女はそのまま粘土の海へと慣性のまま突撃した。
ガードゥの支配した土砂の半分は吹き飛ばされ、散らばるが、ヒシミアの動きは止められた。
粘土の海の中で半身を呑まれた藤色の鎧。
それは、石を持つように絡みつく粘土に押されて、地面の奥深くに消えていった。
「どれだけ力があろうと、粘土はそれを逃がす。このまま窒息しろ、化け物が」
地面から浮かび上がったガードゥは、眉を顰めて、どこか祈るようにそう言った。
だが次の瞬間、沼のように渦巻く粘土の蟻地獄の底から、二本の腕が伸びてきた。
藤色のそれは、ヒシミアの鎧だ。
だが、長さがおかしい。数十メートルを超えて空へと伸びる腕には数多の関節が見て取れる。
紫の腐肉が無理やり鎧の形を保っているような気持ち悪さに、ガードゥは背筋を震わせた。
「本当に人間ではないのか?」
鎧だけが形を変えていると分かっているが、そう言いたくなるほど藤色の騎士は人外じみていた。
それは沼の外側に腕を置き、地面に罅を刻んだ。
(地面を掴んでいる?)
腕の長さからすれば、あまりに小さな、それでもガードゥの胴体ほどはある手のひらが地面を五指で握りつぶさんばかりに掴んでいた。
長大な腕が、曲がる。凄まじい力が加わった手は、地面を砕き、それでも下の地層を掴み、腕を支え続ける。
粘土の沼の中央部が盛り上がる。二度、三度、腕が曲がるたびに衝撃を受けたように蠢く。
「―――腕を支えにして出る気か」
蒼白に顔を染めたガードゥは、腕を突き出し、支配魔術に集中する。
地面が渦を巻くように流動し、中の存在を圧力で潰そうとする。
それでも押し留められない。粘土の渦の中心から藤色の頭部が現れる。
粘土に濡れているものの、その生物の皮膚じみた表層には傷一つない。
「おのれっ!」
ガードゥは支配魔術とは別の魔術を慌てて構築する。それは錬金術だ。地面の組成を変化させ、腕を支える手の下の地面を砂へと変える。
支えを失った腕は曲がり、でたらめに地面を薙ぎ払う。
自身の頭上を通り過ぎた藤色の腕に冷や汗をかきながらも、封じ込めることに成功した。
そして次の瞬間、粘土の海は吹き飛んだ。
中央からの衝撃に耐えかねたように膨れ上がった地面は、飛沫を散らしながら周囲に散乱する。
その中央にいたのは、藤色の騎士だった。伸びた腕は細胞が溶けていくように消えて、振り上げた足を静かに戻した。
ヒシミアは、腕を支えにして蟻地獄から脱出するつもりは無かった。そう思わせて、腕の対処に気を取られるガードゥの隙をつき、蹴りで粘土を吹き飛ばした。
空気すら踏み台にできる脚力があれば、粘土に衝撃を伝播させることは難しくなかった。
ガードゥは自身の背筋に走る悪寒に従い、固有魔術を発動させる。地面と融けたガードゥのいた場所に藤色の拳が振り下ろされる。だが、一手遅い。ガードゥは自身の肉体をそこから逃がしていた。
「逃げ足が速い」
淡々と挑発をするヒシミアに対し、地面から生えてきたガードゥは、嘲笑を返す。
「泥遊びは楽しかったか?」
返答は無言の拳だった。
ガードゥはそれを硬質化させた地面の盾の表層を粘土質化させて受け止め、さらに衝撃を5つに分けた支流で受け流す。それでも盾の一部は砕けたが、受け切った。
「底が見えたな、魔人騎士」
大地を木屑のように砕く膂力に、空気を踏みしめる脚力。鎧の腕を伸ばす変化能力。どれも脅威だが、物理的な攻撃しか持たない。
そしてガードゥの固有魔術は、物理系統の攻撃と相性がいい。
「早めに終わらせるとしよう」
ガードゥは焦りを隠しながら膨大な魔力を地面に注ぎ込む。
余裕は無かった。敵には屋敷の儀式魔術や魔具、魔鉱石のバックアップを受けた万全な状態のガードゥの固有魔術を破ったエリスイスがいるのだ。
なぜか戦闘には関わっていないが、それもいつまで続くかは分からない。なるべく余力を残した状態で眼前の藤色の騎士を殺さなければ、逃げ切れないと分かっていた。
その自身を通過点としか思っていないガードゥの侮りと焦燥は、ヒシミアの苛立ちとなった。
「お前を殺すのは殿下ではない。分をわきまえろ、ゴミ」
ヒシミアは地面を蹴ってガードゥへと向かう。
その速度を、魔装術を使ったガードゥは捉えきれた。
ガードゥとの間を遮りように形成された盾が、拳を受け止め、悲鳴を上げる。
だが一度目と同じように破壊されることは無い。
一瞬、ヒシミアの姿がガードゥの視界から隠れた。
それをヒシミアは見逃さなかった。
ガードゥの背後に回り込んだヒシミアがガードゥの上半身を拳で砕いた。
血と臓物が地面に零れ落ちる。ヒシミアは鎧の表面に付着した肉片を振り払う。
確実に殺した。潰した命の感触にそれを確信する。だがそれは、数十メートル先の地面に立つガードゥを見て、消えた。
そしてガードゥもまた、自身を殺した攻撃の絡繰りを知る。
ヒシミアの脚部の鎧は、形状が変化していた。太く、それでいてしなやかなで、獣の後ろ足のような強靭さと俊敏性を併せ持つ足へと。
再び藤色の騎士は拳を振るう。獣の足と合わさった一撃は、かつてない威力へと変じており、縦横無尽に跳ねまわる踏破力は、粘土の地面でも絡め取れない。
だがガードゥを殺しきることは出来ない。何度肉体を砕いても、ガードゥは地面の底から復活する。そのどれもが命の気配を宿しており、本物だと藤色の鎧は告げていた。
ヒシミアは考えることが得意ではない。ただ、主の命令のまま、動くだけの道具だ。
だが殺しきれないガードゥと戦い、このままでは主の命を果たせないという焦りが、彼女の思考を働かせた。
(死んだのはガードゥ。だけど死んでない。地面から湧き出す。本体は下にいる?)
その予想とも呼べない直感に従い、彼女は鎧を変異させる。
背が盛り上がり、二つの翼へと変わる。蝙蝠のような被膜を持つ羽は、淡く輝き、ヒシミアの身体を宙へと飛ばす。
地面を踏む必要の無くなった足は、人のそれに戻り、代わりに拳が肥大化する。
上半身が膨れ上がった翼を持つ巨人となって、ヒシミアは地面へと突撃する。
脚力によるブーストも載せた一撃は、ガードゥを無視して、地面を打ち砕いた。
(チッ。気づいたか、猿め)
地上の肉体で舌打ちを溢したガードゥは、地面に巨大な亀裂を刻んだ鎧騎士を侮蔑する。
その地面一帯は、ガードゥの支配魔術で強化されていた。それにもかかわらず、彼女の一撃で半分以上が砕け散ったのだ。
ガードゥは二撃目を何も考えずに地面に叩き込もうとするヒシミアを、地面を操ることで空中に押し上げた。
そうすることで辛うじて、破壊が広がることを防いだ。
「なぜ私がこんなことを……!」
嫌がらせのように空中で瓦礫を掴み、投擲でガードゥを砕いたヒシミアに、こらえきれずに弱音が零れる。
ヒシミアの戦い方は周囲をまるで顧みていない。衝突の衝撃で地盤は砕け、周囲の建物は崩れ落ちている。人などとっくの前に消えたか吹き飛ばされただろう。
この星を砕くような激突音はきっと、都市中に響き渡っている。その確信があった。
そしてこの破壊は、ガードゥが地面を支配して衝撃を逃がしたため、この程度の被害で済んでいる。
ガードゥがいなければ、都市の基盤に致命的な崩壊をもたらしたことは明らかだった。
(なぜ私がこんな都市を守らなければならん………!)
自分の身を守るためではあるが、それが気に入らない都市を守っていることに繋がっている。その事実がガードゥを苛立たせた。
その真っ赤に燃える感情は、ガードゥに大胆な行動を取らせる。
幾度目だろうか。ヒシミアは空中に吹き飛ばされる。
鎧を最大稼働させた脚力で空中を踏みしめ、蹴りつける。
同時に翼で宙を叩き、加速する。振り下ろす拳を、支配された地面は躱した。
「―――」
ぽかりと空いた洞窟に吸い込まれるようにヒシミアは地面に落ちていき、伸びきった拳が強化されていない普通の地盤に突き刺さる。
威力が衰えてなお、クッキーのように地面を砕き、ひび割れを刻み込む。周囲から流れ込んでいる砂粒を振り払いながら、彼女は頭上を見る。
小さく開いた穴から、明るい太陽が覗いていた。
そして、空を覆う洞窟の天井には、ガードゥの上半身が生えていた。
それを見たヒシミアは鎧の内で目を細める。
天井には、ガードゥの下半身を納めるほどの厚さはない。
「………そういう魔術なのね」
鎧の中で反響したくぐもった声が、納得したように零れる。
「そうだ!私の固有魔術〈
高揚したようなガードゥの叫びが小さな洞窟に響き渡る。
〈
肉体も精神も支配物に溶け込ませ、同一化する。そうすることで、支配物すべてが己の肉体であり、命であり、力へと変わる。
屋敷でエリスと戦った時は、魔術陣を刻んだ屋敷と同化することで、埒外の硬度を自己にも宿し、一室に蓄えた魔鉱石を利用することで、本来の魔力容量を超えた魔力の運用を可能にした。
エリスにすら魔術の発動を悟らせなかったのは、あの屋敷内部にガードゥの魔力が満ちていたこと、利用した魔力の大部分が個人の色に染まっていない魔鉱石のものだったためだ。
そして今は、地面と同化することで、ヒシミアの攻撃を凌いでいた。
先ほどからヒシミアが殺していたガードゥは、あくまで地面を切り取って作った切れ端でしかない。
今のガードゥの本体は、地中深くまで支配を及ぼした地層である。
全てがガードゥと化した洞窟が蠢き、天井から崩落するようにヒシミアへと迫る。
人を象ったガードゥの腕が鋭利な岩の刃へと変わる。
「私に近づくほど支配は強く、硬い!この手で殺してやろう!」
その刃は、名匠の打った魔剣に匹敵する切れ味を宿していた。
ヒシミアは、その遅すぎる動きを完全に捉える。
拳を構え、そして硬直する。
(―――動けない)
その時、ヒシミアは気づいた。自身の周囲の大気が、ガードゥと同様の魔力を宿していることを。
ガードゥの体内ともいえる地面で練り込まれ続けた空気は、ガードゥの固有魔術と合わさり、不可視の鎖へと変じていた。
それは、ほんの一瞬、怪物の如き怪力を宿す鎧の動きを封じた。
その一瞬で、大地の刃はヒシミアの首筋へと吸い込まれ――
「は?」
ヒシミアの胸部から生えた藤色の腕に、右半身諸共打ち砕かれた。
視界の端で散っていく自身の腕を、他人事のように眺める。
(――なんだ、あの腕は)
ヒシミアの第三の腕は、鎧と同様の材質で構成されていた。
だがその表面はなめらかな艶やかさを宿しており、細く、人の腕のようだった。
それは支配した空気の拘束を容易く引きちぎり、撫でるような軽い振りでガードゥの魔剣を打ち砕いた。
(これは、違う。これは、人ではない)
その悍ましい死の気配に、ガードゥは反射的に固有魔術を解除した。それが辛うじて、彼の命を繋いだ。
自由になったヒシミアが腕を引き絞る。
その腕に初めて膨大な魔力が宿った。それは、武技の輝きだった。
「『擦炎重』」
そして、それを壁面に撃ち付けた。
視界に映る洞窟が吹き飛ぶ。魔力で変質した衝撃波が空気を赤熱化させ、拳を起点に爆炎が膨れ上がる。
音が消え、ヒシミア諸共炎が大地を舐める。融解した地面が真っ赤に染まる。
息を吸うだけで肺まで燃えてしまうだろう。それほどの高温が、辺り一面を焼いた。
彼女の放った武技は、自身すら巻き込んでしまう欠陥技だった。
だが桁外れの防御力を持つ彼女にとっては、むしろ便利な範囲攻撃だった。
彼女は低くなった地面と表面を覆う溶岩を踏みしめる。
爆炎と溶岩に囲まれた彼女の姿は、物語に出てくる地獄の淵に住む亡国の騎士のようだった。
彼女はふてくされたように灼熱の空気を吸い込み、喉を焼くことなく小さく息を吐いた。
「疲れるのに」
第三の腕は相応の消耗を彼女に与えたのか、その声音には疲労感が滲んでいる。
「すごい生存能力」
ヒシミアは呆れたように呟いた。
彼女の視界の先には、魔力の塊があった。揺蕩う空気が集まり、一人の人間を象った。
「支配した物体が肉体。少しでも残ってたら生き残れる。すごい固有魔術」
「………うあッ、あああぁあああ、き、さま………」
とても無事とは言えなかった。
同化し、肉体としていた地面や空気は、大半が砕け、焼け切れた。
残った肉体をかき集め、人間体を再構築したが、明らかに足りていなかった。
右腕と左足は元から無かったように、消えていた。目に見える範囲にも皮膚はない部分が多く、痛みで顔を引き攣らせている。
中身もどこまで残っているのか分からない。時折大量の血を吐き、苦痛を訴えるように地面を濡らす。
「じゃあ、死んで」
鎧は、一回り縮んだように見える。だがそれでも、内に宿す暴力の質に変わりはない。
拳を握りこみ、ガードゥの上半身に狙いを定める。
「そ、そこまで!君たちの戦いは試験の範囲を超えている!これは教員命令だ!」
拳が振り下ろされる前に、学院の教員が、彼女を止める。
その手には短剣が握られており、肉体には魔力が巡っていることを、ヒシミアは確認した。
ヒシミアは拳をほどき、無造作に教員を見る。それだけで、押し付けるような威圧感を教員は感じていた。
「………我が身可愛さに争いが止むまで来なかったくせに。あなたみたいな都合のいい人、嫌い」
刺々しい敵意を向けてくるヒシミアに、教員は身構える。彼は騎士科の教員であり、学院に採用されるほどの実力を持っている。冒険者であれば、シルバーランク相当だ。
だがそれでも、純粋な白兵戦に限れば学院最強どころか、王国でも有数の力を持つ彼女には勝てない。
(どういうつもりなんだ?ガードゥ王子と殺し合いをする動機など無かったはずだ)
自身に向く暗い殺意に冷や汗を流しながら、教員は思う。
多数の国から貴族、王族を迎える学院都市は、貴族間の人間関係に敏感だ。
個人間の感情や国家間の摩擦、家同士の諍いまで調べ上げ、暗殺や謀略に注意を払っている。
この試験もそうだ。貴族には学院の教員の監視が付いており、問題が起きれば教師の判断で処罰を与えられる。
ヒシミア・マルテキストの戦闘は、試験の範囲を超えていた。
殺意ありとみなし、彼がこの場に来た今も、彼女はガードゥへの殺意を隠そうともせず、教員である彼にもそれを向けている。
(彼女の学院での生活態度は優秀だった。何が彼女を動かしている?)
「………君の勝利だ。彼のブローチを持って、立ち去りなさい」
獣を宥めるように、教員は短剣を納め、柔らかくそう言った。
だが藤色の鎧はさらに殺意を増した。
「――ッ!?」
肌を刺すような殺意に、彼は無意識に一歩退く。
鎧が膨れ上がったような威圧感すら感じていた。
「止めに来たのに、やめる。信念がない。信仰が無い。つまり、汚い行動」
(………これだから魔術師というのは)
教員はいよいよ決断を迫られた。自身がいなくなれば、彼女はガードゥを殺す。
逃げなければ、自身がヒシミアに殺される。
このまま足止めをし、教員や騎士団の増援を待つべきだが、その時間を稼げるかどうか。
「…………そ、の女を、ころ、せ。私が、せきに…を」
掠れたガードゥの声が、教員の心を揺るがせる。
逃げようとする足が止まる。その声に微弱な暗示が込められていたことに気づいたのは、ヒシミアだけだった。
彼は決断を迫られる。
だがそれを待つ前に、状況は動いた。
空に3発の魔術が放たれる。緋色と青と黄色の雷撃だ。
でたらめな魔力を注がれたそれは、学院を覆う結界すら貫き、都市の上空で散った。
術者の魔術の腕と、焦りが伝わって来る魔術だった。
弾けたそれは、信号弾のようだった。
それを見たヒシミアは瞳を瞬かせた。
――その信号の発信者を、疑問を持たず何を捨てても守りなさい。それの前には貴方の命すらも些末なものです。
かつて、敬愛する主に下された命を思い出す。
それは、エリスがヒシミアに教えた緊急事態の合図であり、ゼノンが救援信号としてエリスに教えていたものだった。
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