予想外の激闘
ゼノンとの食事から帰ってきたアニータは使用人服を身に纏い、豪奢な廊下の窓を掃除していた。
背筋の伸びた姿勢で規則正しく作業を進める姿は、使用人の鏡だ。だが今は、心なしかその動作が弾んでいるように見える。
窓枠を拭いているときも、時折、普段の無表情が崩れて仄かな笑みが口の端に浮かぶ。
そんな心温まる姿を、にまりと笑って見る少女の姿があった。
彼女はそーっとアニータの背後に忍び寄り、飛びついた。
「捕まえたっ!!」
「きゃっ……。オリン。離れてください」
短く悲鳴を上げた後、アニータは目を細めて同僚に苦言を呈した。
だがそれを聞く少女ではないと分かっているから、その声には諦めの色が濃かった。
「ふひひひひひひひひひひっ。デートは楽しかったかい、アニータちゃん」
背にもぞもぞと顔を押し付けながら、オリンはにたりと笑ってそう言った。
「なっ、んっ。そんなことは……というかなぜ知っているんですか!まさかあなた、私たちの後をついてきたのではありませんよね」
「やろうって言ったのはサリちゃんだよぉ~。私は逆らえなくて……被害者だよ?」
「嘘をつくのはやめなさい。あの子がそんなことをする訳が無いでしょう」
アニータは居心地が悪そうに身を捩って、すぐにオリンの嘘を見抜く。
だがオリンは気にした様子もなく、しなやかな手足を伸ばして、アニータに絡みついた。
「ちょっと………!」
きわどい所まで伸びた指先に、アニータは抗議する。だがやはり、オリンは気にしない。
「せっかく勝負下着で行ったのにね」
服の上から下着を確かめて、オリンは艶美に囁いた。
アニータは顔を真っ赤に染めて身を捩り、オリンの拘束から逃れた。
「…………もうっ!オリン、あなたは空き部屋の掃除をしていなさい!サリマリに甘えずに一人でね!」
「わわっ!怒った~。サリマリちゃん、助けて~!」
ぴゅぅ~っ、と逃走していく跳ね返った金のくせ毛を見て、アニータは息を吐いた。
同じ造物主が作り出した姉妹だというのに、どうしてこうも違うのか、と。
「あのぉ、アニータさん?」
背後から窺うように声が掛けられる。
アニータが振り向くと、頭一つ高い位置に流れるような緑の長髪と大きな緑眼があった。
「サリマリ」
オリンに揶揄われたこともあって、その声音はワンオクターブ低かった。
怒っていると勘違いしたサリマリはびくり、と体を震わした。
「あ、あの~、ごめんなさい!尾行しちゃって………」
長い指を交差させながら、申し訳なさそうに視線を下げるサリマリを見て、アニータは彼女が誤りに来たのだと分かる。
(律義な子ですね)
派手な外見とは正反対の真面目な性格。そのせいもあり、いたずらっ子のオリンの被害に一番会っているのはサリマリだ。
「別に構いませんよ。悪いのはオリンです。あの子が言い出したことでしょうし」
「………えっとぉ」
「嫌なら断らないといけませんよ」
「そう、ですよねぇ……」
苦笑しながらも何か言いたげなサリマリを見て、アニータは首を傾げる。
「なにか?」
「………ゼノン様とのお出かけはどうでした?」
おずおずと躊躇いながらも、その緑眼には好奇心が浮かんでいる。
アニータは数分前に抱いた勘違いを訂正する。やっぱり姉妹だ、と。
「何もありません!勘違いしないでください!」
「そ、それは分かってますけど、楽しかったですか!?」
「な、何を言わそうとしてるんですか!」
わーわー、と派手に金の美少女と緑の美女は叫び合う。
「珍しいな」
それを外出用のローブを着たゼノンは目を丸くして、見ていた。
「俺は出るから、アニータに伝えておいてくれ」
ゼノンはその側に侍る金のくせ毛に猫のような金の目をしたオリンにそう言った。
「かしこまりました」
普段の悪戯げな笑みを消し、柔らかな笑みを浮かべたオリンは、静かに腰を折った。
アニータのいない間にゼノンの側に仕える。オリンはしたたかな少女だった。
「お帰りはいつごろになりますか?」
「そうだね………。多分夜中になると思う。待っていなくていいよ」
ゼノンはそう言ったが、オリンから肯定の返事はなかった。
使用人らしい穏やかな笑みを浮かべるのみだ。
「はいはい。じゃあ、待っててね。早めに帰るから」
「行ってらっしゃいませ」
オリンが開いた両開きの大きな玄関の扉を潜り、ゼノンは外へと出た。
それは帝国派閥を崩すための、一歩目だった。
◇◇◇
俺は一人、裏路地を通っていく。魔力灯が普及しているこの都市は、雲の濃い夜でも明るく、暗視の魔術は必要ない。
だが、明るいからこそ見なくていいモノも浮かび上がる。
街路の端に転がるゴミとか暗がりを蠢く魔法生物とか。
きっと明かりの普及していない田舎都市なら、存在しないことにされるようなものだ。
そして橙色の魔力の明かりは、さらに余計なものも映し出した。
前方から、駆けてくる人の足音が複数。そして魔力の気配。
だが具体的な数を掴めない。魔力に薄いヴェールを被せたような雰囲気がする。
(結界術か)
俺は探知の魔術を使い、周囲を見る。人の気配がない。
どうやら俺は結界術の中に囚われたようだと知る。
「俺を狙ったもの、って感じじゃないね。誰が戦ってるんだろう」
その答えは前方から来た。
炎弾が飛んでくる。視界を染める緋色の輝きに俺は反射的に魔術を発動させる。
「〈
俺の姿は消え、弾けた炎弾が街路を焼いた。
酸素を燃やし、煌々と燃える炎は、込められた魔力量の多さと術者の技量を示す。
「あれは………」
空中に転移した俺は、魔力の足場に立ち、俺は眼下を走り抜ける人影を見た。
ガードゥ・バブブだ。護衛騎士と共に、魔装術で強化した肉体で走り抜けている。
「―――私が時間稼ぎを。その隙にお逃げください!」
「うむ。命を賭せ、我が騎士よ」
騎士が足を止め、狭い裏路地を振り向き、剣を構える。
その刃の切っ先向こうから、人の気配を感じる。
何人いるのかは俺にも分からない。魔術を使ってもぼやけている。
(結界術の術者は向こうか。人避けと認識阻害の合わせ技。狙いはガードゥか)
完全に自分が巻き込まれたのだと悟る。
俺の魔力量もあり、人避けの結界を知らない内に無効化してしまったようだ。
(それにしても、結界術の作動すら気付けなかったんだけど)
俺はガードゥを狙う術者の魔術に興味を持ちながらも、とりあえずガードゥに接触することにした。
「やあ。今大丈夫?」
俺は大通りを走り抜けるガードゥに並走して飛翔しながら問う。
返答は、石粒の弾丸だった。
支配魔術で強化された石が、移動魔術ですさまじい速度で飛んでくる。当たれば、鉄板すら粉々に砕けるほどの魔術。それを一瞬で発動させる。
「敵じゃないって」
俺は風の自然魔術で膜を作り出し、弾丸を絡め取る。
移動魔術の効力が切れた石は力を失った。
「貴様は………」
そしてようやく俺の正体に気づいたのか、ガードゥは瞠目した。
「何に狙われてるの?俺も巻き込まれたんだけど」
「………あれは高貴な血を狙う犯罪者たちだ。貴様も都市の魔術師の一員ならば、敵を倒せ」
そしてその隙に自分は逃げる、ってことだろう?それに高貴な血を狙う犯罪者はお前だ。
(恐らく、追跡者は都市の暗部だろう。あの認識阻害の魔術は以前俺を狙った暗殺者の術式に似ている。なら、協力してガードゥを潰すか?)
………いや、ガードゥの対処はエリスに任せている。彼女の作戦もあるだろうし、ここで俺がガードゥを潰して、他の教団員の行動が変化すれば問題か?
だけど暗部の人間がガードゥを追っているし、いいのか?
エリスほどの知能を持たない俺では、自分の行動がどんな結果をもたらすのか分からない。
「ん?」
結論が出る前に、俺は異変に気付いた。
俺とガードゥは時速60キロほどで大通りを進んでいる。それにもかかわらず、敵から逃げ切れない。
(………景色が変わっていない?)
高速で走り抜ける街並みが、変わらない。
同じ建物が、何度も目に入る。というか連続している。
(人避けと認識阻害だけじゃないのか!)
「ガードゥ・バブブ。周囲を見ろ」
ガードゥは呼び捨てにされたことに眉を顰めたが、周囲を見てすぐに顔色を変えた。
「…………ほう。結界術か」
「そうだね」
やはり、ガードゥも気づいていなかった。この男の性根は最悪だが、魔術師としては優秀だ。
俺達二人とも、自身を覆う結界に気づけなかった。
足を止め、情報世界を視認する。俺の現在地は………。
(ガードゥと遭遇した路地裏の500メートル先?)
俺の体感では数キロは進んだ。だがその事実はない。
「結界の輪郭が無いな」
ガードゥもまた、俺と同じ結論へと至った。
結界の輪郭が無い。それは異常事態だ。
結界術は、境目を作り出す技術だ。
例えば、神殿や教会に入れば、神聖な空気を感じるだろう。墓地に入れば、誰が言うまでも無く言葉数は減り、その場に適した言動へと変わる。
それが境界線だ。
だが俺たちが今、囚われた結界にはそれが無い。
異常と日常を隔てるはずの『線』を感知できない。
境界線が分からないなら、結界術を解体できない。
「術者を倒さないといけないみたいだね」
「………そのようだな」
俺を囮にして逃げ切る気だったガードゥは目論見が外れ、険しい顔をしている。
「なぜ貴様はここにいる?」
ガードゥは俺という異物の存在に、ようやく気付いたようだ。
「知らないよ。歩いていたら、巻き込まれたんだ」
恐らく相手は人避けの結界を張った後、敵を逃さない結界を張ったのだろう。
人避けの結界を魔術耐性で弾いてしまった俺は、後者の結界に巻き込まれた。
そういうことだろう。とんだとばっちりだ。
「………そうか」
いまいち納得できていないようだが、貴重な戦力ということで敵意を向けることは無かった。
「仕方がない。賊を打ち倒すぞ」
当然のように俺も参加するようだ。
「わたしの援護に回れ」
平民の俺に断られるとは思ってもいないガードゥは一人で結界の中心点と思われる場所に走っていった。
「………俺、どうすればいいの?」
出来れば見なかったことにしたいが、結界に囚われた以上、俺は敵だと暗部には思われている。そしてガードゥには巻き込まれた生徒だと思われている。
暗部の味方をすれば、ガードゥを捕らえられるだろうが、気になるのは透明化術者だ。
あれがこの場にいないという確証はない。
もしいれば、俺がガードゥの敵であることに気づかれ、エリスの繋がりが露見しかねない。
教団の戦力が不明な以上、俺の正体が教団にバレるのはまだ先でなければならない。
となれば、残念ながら暗部の人の味方はできない。
なら、選択肢は一つだけだ。
俺は巻き込まれたただの生徒役を演じ切る。
「はぁ。本当に面倒だ。〈
全ては透明化術者のせいだ。俺は転移でガードゥの付近へと飛んだ。
◇◇◇
空中に飛んだゼノンは〈
すでにガードゥと暗部は接敵し、戦いが始まった。
まず仕掛けたのはガードゥだった。魔装術で強化した肉体を駆使し、二階建ての建物を一気に登る。そして敵のいる位置に魔術で衝撃波を放った。
「…………」
暗部の人間は、背後に飛び、衝撃波を躱す。そして飛び散った瓦礫は、手に持ったナイフでいなす。危なげのないその動きは、それが普段から戦い慣れていると示している。
「〈支配の真円〉」
新たな魔術が行使される。
ガードゥの魔術が破片を巻き取り、彼を中心に巨大な渦を展開する。そしてそのまま暗部の人間へと走った。
渦を構成する瓦礫は、周囲を円形に削り取る。
だが、暗部には届かない。
ガードゥは走っているが、彼らの距離は縮まっていない。
それに気付いたガードゥは、渦を構成する瓦礫を飛ばした。
だがそれも、暗部の前で推進力を失い、落下する。
「物力エネルギーを中和する魔術、か?」
暗部の人間の服装は全身黒ずくめ。体格も見えないため、性別も分からない。
手には黒塗りのナイフを持っており、魔術師の佇まいではない。
黒衣の暗部は両手にナイフを持ち、ガードゥへと駆ける。瞬間、黒衣の姿はガードゥの目前にあった。
「―――ぬるいっ!」
ガードゥは奇襲に怯むことなく手刀を振り下ろす。支配魔術で強化された肉体はナイフを砕き、その身を潰そうと迫った瞬間、再び黒衣の姿は消えた。
「飛べ!」
瓦礫が飛翔する。だが再び、黒衣に届かずに大地に落ちた。
「貴様!見てないで戦え!この私の戦いを貴人のように見ているだけのつもりではあるまいな!!」
勝ち目が見えないガードゥはゼノンへと叫ぶ。
苛立ちが多分に混じった声からは、ゼノンのような平民の力を借りるのは屈辱だという傲慢さが垣間見えた。
「分かってるさ」
ゼノンは笑顔でそう答えながら、ガードゥと黒衣、双方の魔術を観察していた。
(ガードゥの戦い方はエリスから聞いたものとはかなり異なっている。防御したということは無敵にも思えた防御性能は失われているということ。エリスの推測が当たりだ。そして黒衣の方も大体わかった)
見るべきものは見た。ゼノンは満足して、その魔力を解き放った。
「………!」
「――何という魔力量だ」
黒衣は震え、ガードゥは自身の魔力を優に超える膨大な魔力量に驚愕する。
(………これは、まずいっ)
だがその戦場で、最も驚異を覚え、恐れたのは敵対者である黒衣だ。
(まるで自然災害だ。間に合うかっ!?)
黒衣もまた、全力で自身に刻まれた術式を行使する。
術式が現実に影響を及ぼし始める。
「――やっぱりか」
ゼノンの視界が変わっていく。目に映る全てが小さくなっていく。。
(まるで空を飛んでいるみたいだな)
凄まじい速度で高く飛翔しているような視点の変化だ。そして現実、ゼノンは黒衣たちから遠ざかっている。
空へと向かって、ゼノンの位置は変化し続けている。
ある一定の地点に辿り着いたとき、ゼノンの視界は固定された。今も落下し続けているというのにどれだけ落ちても一向に地上が近づかない。
「はははははっ!上に飛ばすならこれはどう?」
〈飛行〉も解けているゼノンは、自由落下の風音を楽しみながら、魔術を発動させる。
「〈落雷撃〉」
これは、雷が神の怒りだと信じられていた時代の人々の恐れを情報世界から抜き出し、利用した自然魔術。遥か昔、雷は不可避の天罰だった。
それを再現したこの魔術もまた、空から地上への攻撃に特化している。
〈落雷撃〉は世界に広く知られている汎用魔術だが、ゼノンの魔力で原型すらとどめないほど強化されたそれは、落雷というよりも空から降る光の柱のようだ。
「―――」
黒衣の魔力も高ぶる。そして、雷が落ちた。
閃光が黒衣の視界を焼き尽くし、轟音と共に地面に巨大な大穴を穿つ。
完璧に制御された落雷は放電することなく、完璧な破壊をもたらした。
「――まあ、そうだよね」
だがゼノンの声には落胆が滲んでいた。
(ぎりぎりだったッ!)
黒衣は無事だった。
落雷は黒衣の横、5メートルほどに落ちていた。
「落雷の軌道が曲がった」
ゼノンは見ていた。落雷が黒衣の頭上10メートルほどで曲がったことを。
「いや、あれは曲がったというより、ずれた、か?」
落雷は確かに黒衣に当たる軌道で落ちた。だが着弾点は黒衣の真横だった。
入り口と出口が違うような、そんな不自然な軌道の変わりかただった。
「ガードゥ・バブブ。同時攻撃をしようか」
「―――!」
「私に命令をするな、下郎が!」
ガードゥは文句を言いながらも、瓦礫の弾丸を放つ。
ゼノンも降下しながら、複数の風の刃を放つ。
だがその攻撃もまた、ずれた位置に着弾した。
「どういう魔術だ!」
「空間の入れ替えだよ」
ガードゥの隣に降り立ったゼノンは相手の魔術に言及した。
「空間をいくつかのエリアに区切って、それを入れ替えてる―――っと」
ゼノンはガードゥとの会話を邪魔するように投擲されたナイフを、背後に飛んで躱す。
(当たりっぽいな。初めのガードゥの瓦礫の攻撃が途中で落ちたのは、瓦礫の存在する空間を後方に飛ばし続けたんだろうね。面倒な方法だが能力を誤魔化すことは出来る)
(そしてそれをやめたってことは、2人の同時攻撃をさばくほどの処理能力はないってことだ。敵の空間入れ替えも無制限じゃない)
ゼノンが黒衣の魔術の限界を推測した時、ガードゥもまた同じ推理に行き着いた。
「ならば、入れ替えられない量の攻撃を加えればいいのだろう!」
ガードゥは大地に触れる。数百を超える瓦礫が浮かび上がり、一斉に黒衣へと向かう。
「死ねい!!」
「ちょっと待て、ガードゥ・バブブ!」
嫌な予感がしたゼノンは叫ぶ。だがガードゥがゼノンの言うことを聞くことは無い。
全方位から殺到した瓦礫が黒衣へと向かう。
だが黒衣に近づく端から、瓦礫が消える。
そしてゼノンの頭上に影が落ちた。
「―――ッ!やっぱりか!」
ゼノンは反射的に魔装術で肉体を強化し、駆けだす。その背後を支配魔術で強化された瓦礫が貫く。雨のように降り注ぐ瓦礫を時には風の魔術で撃退しながら、無事だった建物の中へと飛び込む。
そして建物の床に手をつく。
「〈黒鉄の被膜〉」
建物が手をついた箇所から黒く染まっていく。強化された建物は、瓦礫の雨を受け止める。
「ガードゥのやつ、俺を斬り捨てたな!」
雨音と呼ぶには巨大すぎる激突音にゼノンは声を荒げる。
砕け散った瓦礫の破片が窓の外に落ちていくのが見える。その光景は、ガードゥがゼノンに攻撃が向かっていると知って攻撃の手を緩めていないということだ。
頭上から黒く染まった破片が降ってくる。この建物も崩れようとしている。
「想像以上に厄介な魔術だ………」
黒衣の魔術は空間魔術だ。空間魔術は本来、使用難度が高く、魔力消費も高い。
ゼノンでも触媒なしに発動させられるのは空間転移などの初歩的なものだけ。
だが黒衣は、空間を入れ替えるという高等魔術を数えきれない回数使用している。
「どういう仕組みかな?気になるなぁ」
成行きで巻き込まれただけだが、ゼノンの魔術師としての性が、相手の魔術に興味を持ち始めた。
「ガードゥは………まあいいか。エリスがどうにかするだろうし、俺は危険な魔術師の誤解を解いて、少しお話をしよう」
自分の欲望に従うことをゼノンは決めた。
「よし、行こ―――」
行動しようとした瞬間、ゼノンの眼前に瓦礫が現れた。
「っ!?」
ゼノンは反射的に身を捩り、瓦礫の弾丸を躱した―――はずだった。
「――いッ」
腕にめり込む瓦礫にゼノンは眉を顰める。腕を砕いた岩は背後へと消えていき、避けた肉から血が噴き出た。
(―――くそっ!認識阻害か!)
ゼノンは結界に内包されている認識阻害魔術の存在を忘れていた自分に悪態をつく。
黒衣は転移させた瓦礫の位置を偽装することで、ゼノンを欺いたのだ。
そして頭上を見たゼノンは硬直した。そこには、十を超える瓦礫の弾丸が転移していた。
体勢を崩したゼノンはそれを避けられない。
ゼノンは無事な手で懐から結晶の塊を取り出す。内部には複雑な文様が何重にも描かれており、ゼノンの魔術を吸って昏く輝く。
「〈
輝いた結晶は暗い光に飲み込まれていく。そこに残ったのは
それは急速に面積を増やした。そして全てを飲み込み始める。
周囲の大気も引力も吸い込んでいく。ゼノンは身体が浮く感触を覚え、慌てて魔術を発動させる。
「縛れ、〈銀の蔓〉!」
地面が変質した銀の蔓が、ゼノンの全身を捕らえ、宙に浮こうとする体を捕らえる。
ゼノンの頭上に生まれた洞は、直径数メートルほどに成長し、瓦礫も全て吸い込んだ。
ゼノンは凄まじい引力に抗いながら、情報世界を見る。そして笑みを浮かべた。
(やっぱり。周囲の空間も乱したね)
〈呑め、果ての海〉は、情報世界内に『何もない』という状態を無理やり魔術で作り出す。そして情報の消えた世界は、それを補完しようと周囲のあらゆるものを取り込もうとする。
ゼノンが試験用に考えたオリジナル魔術だ。
ゼノンでも媒介なしでは使えないほどの大魔術であり、それをわざわざ使ったのは防御のためだけでなく、敵の万能の転移能力を封じるためだ。
「結界術は未だに捉えられないけど、空間に干渉してるならそれを変質させればいい」
瓦礫の山は飛んでこない。
ゼノンは手に入れた猶予を活かし、黒衣を倒すための方法を思案する。
(瓦礫は初め、建物を狙っていた。中に飛ばして直接俺を狙い出したのは十数秒経ってから。つまり、この認識できない結界に、探知能力は含まれていない)
となれば、相手は魔術か武技か、道具によってゼノンを探知している。そしてそれは大した精度ではない。
魔力も吸い込む洞の前では、探知も出来ないだろう。つまり今ここは、黒衣にとっての空白地帯となっている。
(とはいえ、早めに動かないとね)
暗い穴に、黒く染まった建物の一部が吸い込まれ始めている。ゼノンも魔術で酸素を確保しなければ呼吸も出来なくなってきた。
この穴は、ゼノンが魔術で作り出しただけであり、制御しているわけではない。既にゼノンの手を離れたこの穴は、いずれ周囲の全てを吞み込むだろう。
(転移で接近は俺も無理。魔術で地面を掘る、は出来るけど……)
「あれでいくか」
ゼノンは影の内から結晶を取り出す。穴に吸い込まれようとするそれを、空中で何とかキャッチした。
ゼノンはそれを地面に押し付けた。
◇◇◇
「―-っ!!おのれぇっ!!」
ガードゥは叫び声をあげ、魔力の流れを加速させる。
瓦礫が地面から供給され、黒衣へと向かう。それはもはや弾丸というよりも濁流とも呼ぶべきものだ。
だがそれは全て黒衣には届かず、ガードゥの頭上から返って来る。
(あの平民っ!早々に死ぬとはな。役に立たん奴だ!)
魔力すら飲み込む穴を探知できないガードゥは、ゼノンが死んだことで黒衣の攻撃が自身に集中していると考えた。
ガードゥの支配の瓦礫はガードゥ自身に返って来る。それを〈支配の真円〉で防ぎながら、攻撃を続けていた。
防御にも魔力を割かなければならなくなったため、消費魔力は単純に倍。
凄まじい速度で減っていく魔力に、ガードゥは汗を流す。
「影に潜むしか能のないゴミが、王族である私と魔力比べで押し合うとはな!」
ガードゥの叫びすら、瓦礫のぶつかり合う音に掻き消される。
ガードゥは自身の魔力量が暗殺者に劣るとは思わない。
だが黒衣もまた、自身が勝利すると考えていた。このまま状況が動かなければ、だが。
(―――結界が完全に破綻してる。向こうで何が起こっている!?)
結界を通して、ゼノンの生み出した全てを呑み込む穴の存在を知る黒衣は、戦闘が始まった初めて焦りを抱く。
黒衣は今、完全にゼノンの居場所を見失っていた。そしてゼノンの発動した魔術現象が消えないということは、今も生きているということ。そう考えた。
黒衣は機械的にガードゥの攻撃を処理しながら、ゼノンの奇襲に備えていた。
(転移能力を知るあの魔術師が遠方からの大魔術を選ぶとは思えない。それは一度、防いでいる。例え威力を落として魔力を気取られないようにしても、低威力の魔術なら黒衣の刻印魔術で防げる。相手も遠距離攻撃は無駄だという結論に至るはず。なら、近づいて来る)
黒衣は探知魔術を自身の周囲10メートルに集中させた。黒衣は多様な魔術を使うことが出来ない。そのため探知魔術の制度も高くないが、実用性を捨て、近距離に特化させれば、どれだけ相手が優れた魔術師であろうと、その気配ぐらいは捉えられる。
黒衣の背後で地面が僅かに揺れる。前方の瓦礫の濁流に対処している黒衣にとっては完全な死角となっている。だが今は、探知魔術でその動きを捉えていた。
(人影……!地面を自然魔術で掘って来たのか)
「だが、気づいているぞ!」
黒衣の奥で笑みを浮かべ、勝利を宣言する。
黒衣は術式を調整し、前方から押し寄せる瓦礫の濁流を、自身の背後の空中に飛ばした。瓦礫の濁流は重力の影響も合わさり、滝のように地面に落ちる。
凄まじい轟音と共に地面が
黒衣の攻撃は特級クラスの王族、ガードゥの攻撃を流用した物。同じ特級クラスの生徒だとしても、防ぐことは出来ない。
結界で捉えた〈呑め、果ての海〉の消失も感知した黒衣は、ゼノンの死を確信した。
「〈結晶散弾〉」
そして背後から、死人の声を聞いた。
息を呑み、背後を振り向く。ゼノンの手には輝く結晶が生み出されていた。パキパキ、と不気味な音をたてる塊は、火を付けた花火のようだった。
ゼノンは押し込めた結晶を開放する。出口を与えられた結晶塊は、バラバラに弾けて、前方を面で攻撃する。
「――あぁああッ」
悲鳴を噛み締めて、黒衣は血を吐く。服は破け、結晶のいくつかは内臓まで届いたようだ。
赤熱する視界の中で、黒衣はゼノンの足元に空いた穴を見た。
「ま、さか……」
(――君が攻撃したのは土で作った人形だよ。アリスティアの錬金術だ。気づけないさ)
黒衣の思考を推測したゼノンは心中で笑みを浮かべる。ゼノンは人形を囮にして、その隙に黒衣の近くの地面から出てきた。勝利を確信した黒衣の探知魔術の隙をつくのはゼノンならば難しくはない。
黒衣は激痛と流血で途絶えそうになる意識を唇を噛んで耐えながら感覚で術式を行使する。黒衣の姿が、消えた。
「〈短距離転移〉」
ゼノンもあらかじめ用意しておいた転移魔術を発動させ、視界を埋め尽くす瓦礫の濁流を躱す。
そして切り替わった視界の先には、黒衣がいた。
「―――!?」
黒衣の驚愕が手に取るように分かる。それはそうだろう。黒衣が逃げた先に、ゼノンが現れたのだから。
「結晶は独自の魔力波形を放っている。発信機みたいなものさ」
ゼノンは黒衣が手傷を追えば、いったん能力を使い、後退すると予想していた。
この光景が予想外なのは、黒衣だけ。
ゼノンは腕を突き出し、相手の術式が発動するよりも早く、魔術を放った。
「〈結晶弾〉」
拳ほどの結晶のかたまりが、黒衣の胴体に直撃した。
◇◇◇
ガードゥは遠方で響いた激突音に眉を顰める。突如黒衣と平民が消え、次に魔術の気配だ。何が起こったのかはすぐにわかった。
「………運に恵まれたな、無礼者」
自分が追い詰めた黒衣が逃げた先に、偶然ゼノンがいた。そう結論付けたガードゥは、傲慢に鼻を鳴らし、その場を後にした。
◇◇◇
「うあぁっ………があああぁッ、がはっ」
口から大粒の血を吐いて、黒衣は蹲る。
周囲を見えれば、瓦礫の山だ。どうやら建物の上にいた自分は、敵の攻撃により地面に落とされたようだと分かる。
そしてそれほどの攻撃を受けて生きていることを不思議に思う。
「やあやあ。大丈夫かい?」
自身の頭上から投げかけられる呑気な声に黒衣は眼を剝いた。
「――ッ!?教団の、魔術、師、か………」
息も絶え絶えに、黒衣はゼノンを睨みつける。
だがゼノンはゆるりと首を振った。
「違う、違う。俺は学院の魔術師だよ。君の結界術に巻き込まれたのさ。その証拠に、手加減したでしょ?」
「―――人の内臓を潰すのが、手加減か?」
「大丈夫、大丈夫!治るから!」
ゼノンは黒衣に手をかざす。ゼノンの指に嵌った翡翠色の指輪が輝き、黒衣の肉体を癒した。ゼノンはこの魔具を使い、自身の腕も治していた。
黒衣はにこにこと笑みを浮かべるゼノンを見上げ、どうやら本当に敵ではないようだと、警戒を一段階下げる。
「ね?」
「………敵では無いのなら、初めに言え」
自慢げなゼノンに苛立ち、文句が口をつく。
「言ったって信じないでしょ?それより彼、何したの?」
「それを知らせる権限は私にはない」
実際には、黒衣にもガードゥが何をしたのかは知らない。だがそれはいつものことだ。
黒衣は上にやれと言われたことをやるだけの『魔術師もどき』。
任務のターゲットを気にするような人間らしさは消えて久しい。
「君の結界、どういう仕組み?」
ゼノンは本当に聞きたかったことを尋ねる。
その瞳は、現実世界でも情報世界でも、黒衣の全てを見透かそうとする。
その実験動物を眺めるような無機質な視線に、黒衣は背を震わしながら、「教えない」と気丈に言った。
「固有魔術?」
「教えないっ」
「この土地限定の儀式魔術とか?」
「教えないっ!」
「教えてくれないなら、攫って解剖しようかなぁ」
トン、と黒衣の上から心臓を指さす。
「………ん?」
だが指先から帰ってきたのは、柔らかな感触だった。
「………………へ、変態魔術師っ!」
黒衣を手繰り寄せるように腕を交差させた黒衣を見て、ゼノンは目を瞬かせる。
「え、ウソ。ご、ごめんね?てっきり男だと………!」
「いいから消えろ!殺すぞ!?」
「ごめんなさ~~い!!」
ぴゅんっ、と魔装術を使い消えていくゼノン。その姿を潤んだ眼で睨みつける黒衣は、汚れた黒衣の奥で白い頬を染め、「ぬああぁああああああっっ!!」と声にならない叫びを残した。
「――くっ。この屈辱は忘れんぞ………」
黒衣は自身の身に刻まれた固有魔術を行使し、その場から消えた。
ちなみに黒衣は帰還後に、街を破壊したことを上司に酷く怒られ、名も知らない白髪の魔術師への怒りを募らせることになった。
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