幻想の泡は弾けて消える

アニータと歩いていると、ティーリアとガーベラに出会ってしまった。

(面倒なのに絡まれたなぁ)

俺は心中で大きくため息を吐いて、重い口を開いた。


「えっと、どちらさまでしょうか?」


ぱちくり、と目を瞬かせて呆ける。

ティーリアは唖然としたように小口を開ける。


「ア、アンタふざけてんじゃないわよ。試験放り出して女とデートぉ!?いい度胸じゃない!」


どうやら点数集めでひと悶着あったらしい。彼女のローブは煤けていて、戦闘の気配を感じさせる。それもあって、呑気に女と遊んでいる俺が気に喰わないようだ。

暴君お姫様とご機嫌斜めな時に出会った。災害みたいなものだ。

だが俺はティーリアなんかに屈しない。


「えっと、誰かと間違えているのでは?」


じっと黒曜石のような瞳を見つめて、迷惑だと伝える。

あまりの他人行儀な俺に、ティーリアは狼狽える。


「うぅっ……。え?ほんとに別人?あのあほ呑気チカラダケガトリエのゼノンじゃないの?」

どうやら本当に別の人を探していたようだ。俺はあほじゃないし力だけが取り柄でもない。


「では、ここで…………」

ぺこり、とアニータも頭を下げる。

「あ、はい。ごめんなさい」


将来詐欺とかにあいそうな子だ。生来の生真面目さに加えて、世間知らずのお姫様。

絶好の鴨じゃん。


「ティーリア様で遊ばないでねぇ?ゼノン」


背を向けた俺に、刺々しい声が突き刺さる。

振り向くと、じとっとした柴色の目が向けられていた。

美少女二人組の一人、ガーベラだ。魔術師のローブの上からでも隠し切れない女性らしい起伏にとんだ体と、溶けるような色気に溢れる顔だち。目の下の泣きぼくろが年齢に似合わない大人っぽさを演出している。

彼女は相変わらず優雅だ。戦闘もそつなく切り抜けたのだろう。


「え?やっぱりゼノンなの?」

「ゼノン以外の何なのさ。君、大きな買い物をするときはガーベラに相談するんだよ?」


やれやれ、と忠告をする。だが俺の親切心が逆鱗に触れたのか、ティーリアは顔を真っ赤に染め上げた。


「アンタ騙したわね!!最低な屑野郎よ!!」

「騙す気なんて無かったよ。ちょっと揶揄からかおうと思っただけなのに、騙される方がおかしいじゃん」


唇を噛み締めてうなるティーリアをどうどう、と宥めながら俺はアニータを見る。

知らない人の登場で固まっている。人見知りするあたりは、目覚めたばかりの頃を思い出す。


「アニータ。こっちのきれいな女の人がガーベラ。こっちの黒いのがティーリアで俺の学友だ。ガーベラ、ティーリア、彼女はアニータ。俺の使用人だよ」


俺がアニータを二人に紹介すると、アニータは一歩前に出て挨拶をする。


「アニータと申します」


ぎゅっ、と手を身体の前で組み、背を丸める彼女の姿に、怒っていたティーリアも毒気を抜かれたように息を吐いた。


「私はティーリア。よろしくね」


そう言ってティーリアはアニータに右手を差し出す。


「はい。あの…………」


ティーリアの白い手を見て躊躇うように視線を動かす。

そしておずおずと手を差し出した。ティーリアはそれを握り返して春の若草みたいに柔らかく笑った。


「あの変人に迷惑してない?」


ちらり、と視線だけで俺を見て悪戯気にティーリアはそう言った。


「変ですが慣れていますから」

「ふふふっ。素直な人ね。もし嫌気がさしたらうちに来なさい。雇ってあげるから」

「はい。そうします」


アニータも緊張がほぐれたのか小さく笑った。

俺はそれを見て、驚いた。アニータがアリスティア家の関係者以外と打ち解けるのは珍しいからだ。

アニータはアリスティア家以外の人間とは交流がなく育った。そのため、彼らを特別視をする傾向にある。

自分たちと違う考え、価値観、生き方を持っていて、話が合わないのではないか。自分の言動が迷惑をかけるのではないか。

そう思って人に接している。


本人から直接聞いたことは無いけれど、恐らくはそうだ。

その優しさは、アリスティア家の中では彼女だけが持つものだろう。

他のホムンクルスの使用人たちも同様の特別視をするのかもしれないが、その上でどうでもいいと切り捨てる。彼女たちの優先順位はアリスティア家、そして俺だからだ。

だけどアニータは違う。それは学習が不十分のまま生まれた固体である彼女だけの欠陥で可能性だ。

俺はまた一つ見つけたアニータの特別に、頬を緩めた。


「引き抜きしないで?その子、使用人の纏め役だから。いなくなったら俺が困るから」

「じゃあ労わりなさいよ。私に取られないようにね」

「してる時に絡んできたんだよ」


ふぅ、と疲れた俺は息を吐く。

会話が一段落した時を見計らって、ガーベラがすっと言葉を差し込んだ。


「ほら、ティーリア様。行きますよぉ」


ティーリアの手を取ったガーベラはさっさと元来た道を進んでいく。

最後振り向いて、しー、と秘め事を交わす恋人みたいに唇に人差し指を当てた。

あいつもあいつで何か勘違いしているな。変な気を回している。


「………帰ろっか」


どっと疲れた俺はそう提案する。

アニータも俺と同じような顔で、ええ、と答えた。

人と接すると疲れるタイプの似た者主従だった。


◇◇◇


大きな時計の針が、Ⅻを指し示す。壮大な鐘の音が鳴り響き空気が揺れる。

その音を男は聞いていた。巨大な円盤越しに、都市の外壁に消えていく太陽が目に映る。

時間だ。

埃臭い空間に眉を顰めて、男は洗練された動作で座り心地の悪い木の椅子から立ち上がった。


「出てこい。いるのだろう」


不機嫌な声が反響する。数秒後、突然人の姿が浮かび上がった。

中肉中背の男だ。口元には薄い笑みが浮かんでおり、本心を覆い隠している。

人に警戒心を抱かせる得体の知れない雰囲気はあるものの、外見には特徴らしい特徴も無い。人ごみに紛れればすぐに見失ってしまうだろう。

男の名はトレース。モルドレッド教団の構成員であり、『透明化』の異能を持つ能力者だ。

彼は恭しく一礼をする。


「お待たせしましたか?」

「どうせ先に来ていたのだろう。悪趣味な」


トレースの下種な性根を知っている赤髪の魔術師、ガードゥ・バブブは嘲った。だがトレースの笑みは崩れず、ガードゥの嫌悪を楽しんでいる。


「傷は癒えたようで」

「まだだ。あの女を侮った」


ガードゥはローブに隠した傷をそっと抑える。何らかの呪詛が混ぜられていたのか、エリスイスに付けられた傷は治療魔術の効きが弱く、完治には至らない。

ガードゥの言葉を聞いたトレースは、笑みの下で嘲りを浮かべた。

侮りではなく、あなたの実力不足でしょう、と。

だがそれを表に出すことは無い。代わりにガードゥへの賛同の言葉を口にする。


「ええ。エリスイス・エスティアナ、想像以上の智謀と力です。我々の戦力は7割以上削られ、街に潜ませていた手勢は都市の警邏、暗部、そしてによって次々に殺されています。一体どんな手を使ったのやら」


エリスイスの背後にいるアリスティア家のことを知らないモルドレッド教団は、エリスイスの実力を上方修正した。

それでも、手勢を使って狩られる教団員を守れない。

エリスイスの持つ想定外の戦力である悪魔たちの働きにより、トレースやガードゥが身を隠す場所は次々と減っていき、隠れ家を転々とする生活を余儀なくされている。そのため、こんな寂れた時計塔の裏で密会を交わす羽目になったのだ。


「ふふふふっ。わたしの能力があれば隠れ続けることは可能でしょうが、構成員たちは捨てざるを得ません」


最悪の状況だというのに、トレースは楽しそうに笑う。

だがガードゥは知っている。トレースの表情に意味など無いということを。


「探し物はどうなった?」


ガードゥは尋ねる。探し物。それはモルドレッド教団が都市に来た最大の理由だ。

そのために100人を超える構成員を送り込んだ。

都市内部の有力な血筋や人物の誘拐はそのついでに過ぎない。


「見つかりませんねぇ。生ものなので冷凍施設を中心に探したのですが」


くくくく、と喉を鳴らすトレースを見て、ガードゥはため息をつきそうになる。

この男はくだらない冗談を時たま口にする。だがそれも、下手な人間性のアピールにしか見えず、ガードゥは不気味に思っていた。


「どうするのだ。エリスイスは試験の『無制限』の願いを使って我々を探し出すつもりだろう」


前期試験では獲得した点数に応じた権利を与えられる。

その中の一つが、500点で叶えられる『無制限』。都市にどんな願いでもかなえてもらえるというものだ。

それを使い、モルドレッド教団を運命の魔女アルフィアに探させるつもりだと、ガードゥは改めてトレースに言う。

だがトレースは、気にした様子もなく首を振った。


「そうでしょうね。アルフィアの考えは分かりませんが、運命閲覧者である彼女には今は我々を見逃す動機があるのでしょう。ですが、無制限を持ち出されれば、どうなるのか分かりません。なので試験の結果によれば、すぐに都市を撤退します」


トレースが口にしたのは、探し物の放棄だった。


「貴様が構わないのであればいいがな。それで、エリスイスはどうする?」


初めから教団の探し物には興味がなかったガードゥは興味無さそうに言い捨てた。そして、捕縛対象であるエリスイスの扱いを尋ねる。


「放置ですね。今にこだわる必要はありませんから」

「そうか」

「ええ。ああ、ちなみにミネルヴァ殿下の洗脳はあまりうまくいっていません。王族だけあり、精神も魂も魔術で守られています。下手すれば自死されるので、専門家が必要ですね」

「ふむ。そちらは任せる」


トレースは内心に警戒心を隠して、平然と頷いた。

トレースの眼前の男は、自身の配偶者となるはずのミネルヴァには興味を寄せず、エリスイスに注目している。それが魔術にしか興味のない男の本心を映し出してる。


(あれほどの怪物をあなたには渡せませんよ。何とか諦めて貰わないとね)


トレースは知っている。この男が国も家族も友人も全てを裏切ったのは、ただ魔術の探求という目的のためだけだ。そのために教団に身を置き、優れた魔術師を生む母胎を求めている。

トレースの知る、ある意味誰よりも正直な男はそれゆえに教義を理解しないと分かっていた。それでも今は味方でかりそめの主だ。上手く使うために言葉を重ねる。


「エリスイスの目的を挫くためには、あなたが試験に勝てばいい」

「分かっている。私の妨害など無かろうと、500点なんぞ、あの女でも集められんだろうがな」


ガードゥは気負った様子もなく答える。500点というのはそれだけの数字だ。大小さまざまな派閥が入り乱れる試験で500点ものブローチを集めるのは不可能に近い。

ただでさえ学院最強と呼ばれるエリスイスは警戒されている。500点集めるのなら、必要だ。


だが楽観するガードゥとは違い、トレースはエリスイスの陰にいる何者かを警戒している。

エリスイスに使われているのか、あるいは対等な関係を築いているのかは分からないが、明らかな教団への敵意を持つ存在がいると。

そしてそれが学院の生徒の中にいるのではないか、と疑っていた。


「…………最悪、探し物は、瓦礫の中から掘り起こすとしましょう」


トレースは、悪魔のように笑う。教団の目的は、有能な人員の誘拐、探し物、そして破壊。

何ら問題は無いと笑う。

妨害は入ったが、三つの計画は着々と進行しているのだから。


◇◇◇


カツ、カツ、と革靴が石畳を鳴らす。時計塔を背にし、陽気なリズムを刻む足音は、訓練を受けた者のそれではない。だからこそ彼は油断した。

暗がりから腕が伸びる。艶消しのされた肌の見えない革製の黒の服。

闇夜に紛れたそれは、歩く男の首へと延びる。

蛇のような腕が喉を捉える瞬間、標的の姿が消えた。

一瞬、途絶えた意識。そして慌てて周囲を見渡す。だが―――


「残念ですねぇ」

「―――――――」


気道が閉まり、視界が狭まる。

骨が軋み、口から悲鳴が漏れ出るが、

何も音がしない。暴れる足が蹴る地面の音も漏れ出る命の悲鳴も何も。


「動けないでしょう?」


トレースは自身の胸元で藻掻く哀れな男を見る。顔も見えない恐らくは名前も無い都市の暗部の暗殺者を。

その動きは完全に封じられている。力ではなく、技で関節の動きを止めていた。


「わたしの能力は人の認識から完全に消えるというもの。触れている者も消えるからあなたの姿も声も痕跡も全ては世界から消える。そして―――」


だらり、と腕が投げ出される。


「命も今消えましたね」


腕を放す。死体が地面に転がるが音はない。


「とはいっても、わたしの言葉も聞こえていないでしょうけど」


トレースは再び歩き出す。

足音はない。ただ、絞殺された死体だけが残った。


「思った以上に手が早い」


普段の笑みが消えた顔でトレースは考え込む。

先ほどの暗殺者の動きは明らかにトレースを捕獲するためのもの。つまり、エリスイスの手のものだ。


「待ち伏せられていたわけではないが、ある程度の目星はつけている、と言ったところでしょうか。向こうの手勢が多ければ、今ので詰んでいたかもしれませんね」


トレースの直接的な戦闘力は低い。それは彼の持つ『能力』の副作用だ。

身体能力は常人並み、魔力量も並み。魔具による多少の強化は可能だが、それでも弱者と言ってもいい程度だ。

彼が今の襲撃を切り抜けたのは、敵が一人であったこと、そして広域殲滅能力を持つ魔術師や戦士がいなかったからだ。


想像以上に都市における趨勢すうせいは決定しかけていると、トレースは冷や汗を流す。


「これがエリスイス・エスティアナですか。私の知る限り、都市の騎士団、暗部、謎の勢力を従え、操っている。驚異的な指揮能力だ」


異なる思想、能力を持つであろう最低でも三つの集団を組み合わせ、一つの集団のように操る。

言葉にすれば単純だが、それをするには組織内の力学や主要人物の性格を読み切り、誘導する必要がある。それを、エリスイスは驚異的な精度で成し遂げていた。


「これではガードゥの妨害は成功しそうにありませんね。役者が違いすぎます。……早めに点検しておきますかね」


彼は陽気な足取りの先を変えた。


◇◇◇


能力を発動させた男の足取りは、誰にも捉えられない。あらゆる結界、五感、魔術から消える。それは絶対だ。世界最高の魔術師であるアリア・アリスティアの結界術でさえ、それは変わらない。

だからこそ、トレースは容易に学院の門をくぐった。学院にはトレースだけではない。夜遅くまで残っている研究者や学生たちが疲れ切った、あるいは楽しそうに活動している。だが、誰一人としてトレースには視線を向けない。


彼は迷いなく足を進めて、中庭へと辿り着いた。

中庭には様々な花や木々が植えられている。錬金術によって調整された植物には季節の概念はなく、本来ならあり得ない花同士が、隣り合って花弁を揺らしていた。

月明かりが照らす花に囲まれた中庭は、トレースにも感嘆の息を漏らさせるほど美しい光景だった。


「きれいでしょう?私の自慢の庭さ」


だからだろうか。幻想ありえないの声を聞いたのは。


目を奪われたトレースの背後から、声が掛けられる。

それがなぜか、周囲を歩く生徒にかけられた誰かの声だとは思わなかった。

あの女が自身に向けた声だと、直感した。


トレースはゆっくりと背後を振り向く。まるで現実を直視する時間を先延ばしにしたいかのように。


緋色の花が咲いていた。


中庭の中央、数多の花々に囲まれて、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべた魔女がいた。

瞳も長い髪もローブも帽子も全てが赤い。染め上げるような緋色が、トレースの視界を埋め尽くしていた。


「……運命の魔女アルフィア」


トレースの脳裏を占めるのは、なぜ、という疑問だった。


(見えているのか?ありえない。まさかわたしと同様の……)


トレースの疑問に答えるように、アルフィアは口を開いた。


「見えてはいないよ。ただ、知っている。君はここに来るってね。少し話をしようか」

「………いいでしょう」


迷った末、使、トレースは答えた。


「ふふ。疑り深いね。まあ、いいけど。君がこの先、『』で何をするのかは知っている。だがそれは、おすすめしないね」


アルフィアは当然のようにトレースの行動も教団の切り札も言い当てた。

トレースは眉を顰め、聞き返す。


「なぜです?」

「失敗するから」


端的なアルフィアの答えに、トレースは笑みを浮かべた。


「その方が都合がいいのでは?わざわざ警告をするということはあなたにとって好ましくないことのようですね」


答えは無かった。だがそれが何よりの答えだと、トレースは笑みを深めた。


数瞬、無言の時間が流れる。不思議な時間だった。

中央に立ち、睨み合う魔女と人間。それを認識する者は誰もいない。

まるで夢の中だ。次の瞬間二人が消えても誰も何も言わない世界。

それは意識の隙間に生まれた幻想の泡のようなものだった。


静寂を破ったのはトレースだった。月明りが雲で陰り、トレースの顔を覆い隠す。


「わたしは失礼します。どうやらあなたにはわたしを殺すつもりが無いようですので」


恭しく一礼をする。

これから起こる惨劇を迎えるように、魔女の不満を歓迎するように。


「貴方が隠し持つ『神体』のことも掴んでいます。いずれ必ずいただきます」

「それは無理かな。君の手に渡る未来はない」


くすり、と笑みを落として赤い花は消える。まるで初めから誰もいなかったように。


「忠告を。運命を気取るのは人には過ぎた傲慢ですよ」


トレースも消える。

幻想の泡は弾けて、全ては元に戻った。

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