謎の前期試験
彼女は無造作に歩き回る。適当な扉を開き、中へ入ったかと思えば、奥の扉が開きそこから出てくる。トイレの個室に入った途端、見知らぬ部屋の中に出てくる。
やはり、正規の道は直進ではなかったらしい。
「あの道をまっすぐ進み続けていたらどうなったんですか?」
「うあ?知らんなー。進んだ奴は見たことないのー、あっちの意味で」
それは、直進する人がいないのか、直進した者のその後を見なかったのか。
どういうあっちなのかは聞かなかった。
それから進むこと五分ほど。俺たちは小さな物置に出てきた。見たことのない小物やアンティークの家具などが多数置かれている。
埃の積もった絨毯を踏み越え、その部屋を出る。
防犯の観点からなのか知らないが、無茶苦茶な道だ。あるいは、彼女の属する研究室がよほどの僻地にあるかだ。
「一年坊の最初の仕事はこの部屋の掃除じゃなー」
入ってもいないであろうどこかの一年坊に雑用を押し付ける気満々だ。
可哀そう。
「というか、フィー先輩の研究室は何をテーマにしてるんですか?」
俺は雑談の一つとして話を振る。
そう尋ねると一瞬ぴたりと立ち止まり、今度はすたすた歩き始めた。
「んー、まあ後々じゃな。後々後――」
どんだけ後だよ。
相変わらず通路にも道中に通る部屋にも人の気配は無い。それどころか、進むにつれ研究棟がどんどん古くなっている。今進んでいる通路も歩くたびにギシギシと不安定な音を立てている。
「着いたぞー」
そう言って、フィー先輩は古びた木製の扉を指さした。
ぎぎぃと恐ろしい音を立てフィー先輩は俺を招き入れてくれた。
「適当に座るといい」
「はあ、どうも」
俺は足の踏み場もないほど積み重ねられた書類の山を崩さないように慎重に足を進め、何とか向かい合うように置かれたソファの片側に腰掛けた。
待つこと数分、フィー先輩はお茶を乗せたトレーをふわふわと浮かせながら戻ってきて、小さなローテーブルに置いた。
「己は茶を入れるのが下手なんじゃ。でもおいしいって言えよー」
だったら俺の入れさせてくれ、とは笑顔でお湯を注ぐ先輩には言えなかった。
ちなみに紅茶はまずかった。
□□□
「それで、この研究室はどんな研究をしているんです?」
俺は、下町に美味しいパン屋ができただの友人が学院の中で神隠しにあっただのと、まずいお茶を置いてけぼりにして雑談に励むフィー先輩を制止して、そう尋ねた。
その瞬間、フィー先輩の饒舌な舌がぴたりと止まる。
「まあのう。色々じゃのう。結構専門的なあれじゃのう」
冷や汗を流しながらあらぬ方向へと視線を逸らす。
どうでもいいけど、色々やってるのか専門的にやってるのかどっちなんだろう。
「テーマは?」
ここまでくれば、フィー先輩が俺を研究室に入れたがっていることは分かっている。学院の規則で研究室には一定の人数が所属していなければ取り壊しになる。それに、優秀な魔術師を引き入れれば研究も進むだろうし、学院から下りる研究費にも関係してくる。
この研究室は、研究棟の中でも出入りの便が悪い端に置かれている。それに、研究室内を見る限り、大勢が行動をしている痕跡はない。あまり、大衆受けする研究をしているわけではないのだろうとは、予測できる。
「テーマ、は……」
「テーマは?」
ずずいと身を乗り出し、再度重ねて問う。
「テーマは、神じゃ!ここは祈祷学の研究室なのじゃーー!!」
じゃー、というフィー先輩の叫びが、微かに埃が舞う室内に寂しく反射した。遮光カーテンの隙間から差し込んだ陽光が、緊張を滲ませるフィー先輩の横顔を照らした。
祈祷学か。確か、祈祷術を魔術の観点から解析、発展させる異端の学問だ。
聖人教から派生した分派の一つであり、数百年前に生まれた新しい学問だ。
祈祷術は、大陸最大宗派の聖人教が独自に発展させた魔術体系の一つであり、それを使うものを聖職者と一般的には呼ぶ。
祈祷術は間違いなく魔術だ。だが、聖人教において、祈祷術とは魔術ではない。神から授かった奇跡の欠片という位置づけだ。
その実態が、魔術と同質のものであることは、魔術師ならだれもが知る常識ではあるが、教義として、祈祷術を魔術と同一化することは、聖人教における禁忌だ。
そんな祈祷術を、魔術だとみなす祈祷学派は、聖人教徒からすれば異端者であり、彼らは聖人国から追放された。
その後、学術都市に行きついたが、そこでも祈祷術を研究する異常者として扱われている。
そんな魔術と祈祷術という相反する学問の中間に位置するのが祈祷学だ。
フィー先輩が隠そうとした理由は分かった。祈祷学は魔術師人気がまるでない。
俺にとっても完全な専門外の学問である。
普段であれば、断っていただろう。だが、『大墓地』の神と接触したばかりの俺にとっては、少し興味を引かれる。
「どうじゃ?試しに通ってみんか?」
心配そうに上目遣いで尋ねてくる。あざといな、この人。
「そうですね。よろしくお願いします」
「即答ッ!?変な奴じゃ!」
断じて、あざとフィー先輩に絆されたわけではない。
どうせ、普通の学問であれば、アリスティア家には十分な知識と研究環境が揃っているのだ。なら、アイスティア家が触れていない学問を研究するのも悪くないと思ったまでだ。
「………特級クラスは変じゃの~」
俺がOKするとは思わなかったのか、そんなことを言いながらもにまにまと口元をほころばせている。
まあ、特級クラスに属するような奴は大抵名家の奴らだし、祈祷学なんていう色物に貴重な4年間は預けないだろう。
「改めてよろしくお願いしますね、フィー先輩」
俺は笑顔で先輩に右手を差し出す。握手だ。これからお世話になるんだから、礼儀はしっかりするべきだろう。フィー先輩もにこやかで晴れやかな笑顔を浮かべた。
「うむ!貴様もよろしく頼むぞ!えぇと、名前なんじゃったかな?」
こいつ、名前覚えてないのか……。
「ぶちのめすぞ、チビ」
「なんじゃとぉおおっ!!」
あっ。声出ちゃった。
□□□
「いやぁ、加入してくれよかったぞ。うんうん」
一通り暴れ狂って気が落ち着いたのか、自分で入れたまずいお茶を飲みながらしみじみと呟いた。もうその表情に怒りの色はない。単純そうな先輩でよかった。
「このままでは己たちは前期試験を乗り越えられんとこだったぞ」
その先輩の言葉には安堵の気配が感じられた。
「前期試験って何ですか?」
そういえば、試験についてもガラバ先生が話していた。教室が異様な緊張感に包まれたことを思い出す。
日本で生まれ育った俺は試験と聞いて筆記試験や実技試験などを思い浮かべた。魔術理論を記述したり、的に魔術を撃ったり、そういうやつだ。
だがフィー先輩の話口調からすると、そうではないっぽい。
俺の知る試験には他学年は関係ないからだ。
「んあ?そんなのも知らんのかー、後輩。それはのー」
フィー先輩が答えようとした瞬間、俺の使い魔から連絡があった。
上空からの視界情報が送られ、そこには見覚えのある頭二つが映った。
「すいません、俺はここで」
俺は慌てて立ち上がる。この研究室は入り口からかなり遠い。フィー先輩と話していたらティーリアたちを見失う。
「ええー、そっちから聞いたのにー」
そんな言葉を背に浴びながら、俺は扉を閉めた。たったった、と早足で来た道を引き返す。帰りに先輩の道案内は必要ない。空間が捻じれていてまるで謎解きのような経路を進んできたが、道は一本で急に変わったりしない。
埃臭い荷物置き場を、積まれたガラクタをよけながら進み、小さな扉を通り、トイレの中から出る。行きと逆の道を通り、俺は研究棟から脱出した。
黒牙は先ほどと変わらない場所で立っていた。1時間近くそうしていたのか。どこかで待っていていいと言っておくべきだったな。
「ごめん、黒牙。ティーリアたちがいたから行こうか」
「はい」
俺は黒牙を連れ、小走りで走った。
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