フィー先輩

研究棟は、本校舎とは違い、全部が石造りの塔だ。厚い壁に包まれており、研究棟に向かうまでには、二重の外壁を超える必要はある。だが、研究棟に入るには、警備員に学生証を見せるだけで通ることができる。

厳重な警備体制と比べ、簡潔な入場手続きはちぐはぐだが、それはこの警備の目的に起因する。

この分厚い外壁は、外部からの侵入者を防ぐためではなく、内部からの研究成果の流出を防ぐためのものだ。特に、魔物を組み合わせた合成獣や学院に被害が出るような魔術事象を対象としている。


もちろん、学院の安全に関係するそのような危険への対策は重要だが、それ以外にも警戒するべきことはある。例えば、外部からの侵入者とか内部からの持ち出しとかだ。中には、世に出回れば危険な研究もあるだろう。

そんなことがこの場所のことをガーベラから教えてもらった時にそんな疑問が浮かんだが、答えは簡単、自己責任。


研究室は魔術学院内にあるが、その立場は複雑だ。秘匿主義の魔術師の集まりだけあって、各研究室の研究内容は学院も把握していない一種の独立地となっている。

中には、禁止されている研究を進めている研究室もあるとかないとか。


それだけの自由度を許される代わりに、研究室の警備には学院はほとんど関与していない。

外部からの敵は、自身で防衛すべき。研究が流出すれば、それは研究をしていた研究室の管理不届きであり、研究室が罰則を受け、自身で責任を取り、流出した研究を回収する義務を負う。

内部での裏切りも自己責任。流出してはいけない研究の場合は、外部からの窃盗と同じように罰則を負い、回収義務を負う。流出しても影響が少ない研究ならば、泣き寝入りをしろ。

そんな戦国時代の陣取り合戦のようなおぞましい場所がこの地らしい。


「さて、入るか。黒牙はここで待っていてくれ」

中にいるのは繊細な魔術師たちだ。見るからに暴力の気配を感じさせる黒牙を連れて行くのは、面倒ごとに繋がりかねない。黒牙もそれを理解しているのか、俺の護衛のことを懸念しながらも分かりました、と短く返した。


「何かあれば、合図をください。駆け付けますので」

「ああ、ありがとう」

やっぱり黒牙はいい子だ。厳つい見た目に似合わず、気配り上手だし、竜とは思えないほど謙虚だ。同僚達はあれだから、苦労しているんだろうなぁ。

俺はよく言えば個性豊かな竜たちを思い出し、苦笑いを浮かべた。


それを見ていた警備の人が怪訝な顔をする。少し、恥ずかしい。

俺は誤魔化すように早足で外壁を通り抜け、高くそびえる研究棟の分厚い扉を潜った。


内部は意外にも普通だ。壁が異様に分厚く、窓が一つも無いため、真昼でも薄暗いのは不気味だが、変な実験動物が檻に入っていたり、魔術陣だらけというわけではないらしい。


そしてもう一つ気になることがあるとすれば、入る前と入った後で通路の広さが違うことだ。体感で1.5倍ほど通路の幅が広くなっている。見間違えではないだろう。この研究棟は、エリーゼ城と同じように空間が歪んでいるのだろう。

恐らく、外で見た間取りと大きさは当てにはならない。


「学院の研究棟にしては狭いと思っていたけど……」

流石は魔術学院。予想外だ。

現代の魔術技術では、空間の拡張や転移は難しい。俺も短距離転移と空間切断ぐらいの魔術は使えるが、それ以外であれば難しい。

空間魔術は基本的に扱う空間の数と広さが大きくなればなるほど難しくなる。

広大な研究棟の中の空間を広げようとすれば、現代の魔術では膨大な魔力と触媒、常時魔術を発動させる術者が必要になる。現実的には不可能だ。


エリーゼ半島内であれば、先代たちが敷いた魔術陣や地脈の調整のおかげもあり、自由に転移などは出来るが、それはエリーゼ城は初代の収集した魔具や神器といった現代魔術を凌駕する品の影響であったり、エリーゼ半島の膨大な魔力のお陰だ。

まさか外で可能になっているとは思わなかった。


「進むのは怖いな。どうしようか」


エリーゼ城に住んでいた俺は空間拡張の危険性を理解している。一度迷えば、二度と出てこれなくなる可能性が高い。10年以上住んでいるエリーゼ城でも、俺が理解できていない領域や部屋がたくさんある。


見える限りの廊下に部屋は無い。人の気配も当然ない。入り口は背後だが、一歩でも進めばどこに出るかも分からない。

道案内も地図も無く進むのは危険だ。だけど、おずおずと撤退するのも癪だ。

入り口の警備員に何を思われるか。

そんな俺のちょっとしたプライドと魔術師としての危険予測が、前進も撤退も許さず、俺の足を止めていた。


「地図が無いならマッピングだ」

しばらく悩んだ俺は、結局進むための方法を考えた。

影に魔力を注ぎ込む。使う魔術は先ほど使い魔を作った疑似生命付与の術式だ。

大量に小動物系の使い魔を作り出し、通路の先を埋め尽くそう。


「さあ、勝負だ!」

これは、俺と研究棟の聖なる戦いだ!


「これっ!」


気炎を吐く勢いの俺の後頭部を、ぱしりと小さな手が叩いた。

痛くはないけど、勢いを殺された。


俺は勝負の邪魔をした乱入者を一目見てやろうと振り返った。

そこにいたのは、想像通りの小さな子供だった。

きりりと吊り上がったくりくりした瞳には義憤の色を宿している。

ぷんすかという擬音が似合いそうなほど可愛らしく腕を組み、怒っていますよと表している。


長い金髪はウェーブがかっており、膝ほどまで伸びている。

身長は110センチほどか。俺の腹ほどまでしかない。

そんな小さな子供は、修道服を改造したようなローブを身に纏っており、その身に付けた魔具から魔術師であることがかろうじて分かる。


「ここは魔術禁止じゃ、一年坊!」

やけに偉そうで年寄臭い言葉遣いで、言葉遣いに似合った説教をかましてきた。


「はぁ。ガキ坊は迷子かい?ここは入っちゃだめだよ」

「だぁれがガキ坊じゃあっ!そんな言葉は無いわい!」

むきー、っとパンチを打って来る。力弱いなぁ。


おのれはこれでも4年生!貴様の先輩じゃあ!」

「それはそれは。失礼しました」

年上だと聞かされたことに疑問は無い。彼女のローブの下から覗く制服は俺と同じ魔術学院のものだし、変な見てくれの魔術師は少なくない。師匠だって変な魔女コスプレしてたし。


外見年齢が成長途中で止まるというのは、人工調整の副作用としては珍しくない。

魔術師は、持ちうる技術の全てを使い、次代の魔術師を作り出す。

少しでも多い魔力量を。少しでも高い魔術適正を。そうすることで、自身の財産を次世代に残し、発展させようとする。

そのための手段として、生体調整を子に施す魔術師は少なくない。俺も、この体は調整されたホムンクルスのものだ。


まあ、勝手に調整された副作用だと推測しているが、それ以外の可能性もある。例えば、魔術の反動とか、あるいは研究の成果によるものだ。

異界の予期せぬ生命体と邂逅し、第六感を得た魔術師とか、作った霊薬の効能で若返った錬金術師とかその手の話は魔術師の中では珍しくない。

彼女もそれらの魔術師たちと同様、研究の中で不老にでも至ったのかもしれない。


不老は俺が目下研究中の課題だ。その手掛かりになるかもしれない眼下の自称先輩に、俺は少し興味を持ち始めていた。


「それで、一年坊!は、何をしていたんじゃ?」

年齢を強調しながら問いかける。かなり失礼なことを反射的に言ってしまった自覚はあるので、その反応は意外だった。


「………ええと、研究室を探していたんです」

「何のじゃ?」

「何でしょうねぇ」

特に、何か特定の研究室を訪れたかったわけではない。ただの見学だ。

俺の答えをはぐらかしたと感じたのか、先輩は唇を曲げ、怪訝な表情を作った。


「研究室に属するのは2年からじゃろう。1年が来たということは……貴様特級クラスか!」

勝手になぞ解きを始め、答えを得た彼女はバシバシと肩を叩いてきた。つま先立ちになりながら。


「まあ、そうです」

「特級クラスの研究室見学は先週じゃぞ?貴様、何してたんじゃ?」

んな馬鹿な。聞いてないんですけど。

「ちょっと忙しくて」

ほーん、と怪訝な声が返って来る。


俺は先輩に疑問をぶつける。

「そういえば、何で俺が一年だと?」

魔術学院には、いわゆる学年章やネクタイの色など、前世でよくあった学年ごとの区別というものが無い。あるのはクラスを示す徽章のみだ。一見して、俺が一年生だと分かる要素はないはずだ。

だが彼女は、初対面で俺を一年生だと看破した。その理由が気になっていた。


「ああ、それはあれじゃ。入学式の時に見た気がしたんじゃ。校門のとこでなー。後は研究棟の中で魔術を使おうとするあほがいるとすれば、一年生ぐらいじゃろー」

前者の理由には納得を、後者の理由には羞恥を覚えた。つい乗りで魔術によるマッピングをしようとしたが、やはりあり得ない行為だったらしい。

そして、校門のところで見られたということは、俺が学院の大きさに圧倒されていた時のことだろう。あの時は多数の生徒に見られていた。俺を笑っていた生徒もいた気がする。特級クラスの徽章と合わさり、かなり目立っていたらしい。


「そういえば、名乗っていませんでしたね。俺はゼノン・ライアー。ご存じの通り、魔術科一年の特級クラスです。研究室に所属するために見学に来たんですけど、空間が入り組んでいて」

俺はそれ以上、入学式の時のことを思い出してほしくなかったので、何かを言われる前に名前を名乗った。


「おお、変な名前じゃ。己はフィアールカ・フィーフィー。フィー先輩と呼ぶとよい!」

「――ぉっ、よろしくお願いします、フィー先輩」


お前の方が変だろ、と言いそうになるのを理性の力でねじ伏せ、何とか挨拶を済ませた。

俺の不審な様子には気づかなかったのか、フィー先輩はふふん、と薄い胸を張り笑っている。


「この場所は特殊じゃからな!案内が無ければ奥には進めん。それで使い魔をばら撒こうとしておったのか。あほじゃなー。普通人に聞かん?」

めっちゃ呆れられた。正論過ぎてぐうの音もでない。


「目当ての研究室はあるのか?」

「無いですよ。色々見てから決めようと思っています」

「ふむふむふむ。では来るがよい。己が案内してやろう!」


フィー先輩はにやー、と笑いすたすたと通路を歩いて行った。

俺の返事を聞く気は無いらしい。


ついて行くか迷う。何か企んでるみたいだし。だが、彼女を逃せば研究棟の内部を見学するのは後日になりそうだ。


「行くか」

俺は早足で彼女の後をついて行った。

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