忘れ物

「ふぅ……」

空気に付与した質量を解除する。

少し沈んだ大地の上に、血を滴らせる贄が手を横たえた。

体は貫かれ、棚に横たえられた人形のように哀れな姿だ。

だが、頭は無事だった。


「これなら、記憶は抜けるね」

脳さえ無事なら、死霊術で蘇生できる。後は、記憶を抜いて背後関係を洗おう。

死体は、2人とも黒色のローブに身を包んでいた。

角度によっては透明にも見える。

不可思議な素材で作られたローブは間違いなく魔具だ。

使い捨ての暗殺者に持たせるようなものではないが……。

この都市なら、ありえるのか。


触るのは黒牙が戻って来るのを待とう。

魔術師の元に送ったのなら、対抗策の一つや二つぐらいは仕込んでいるだろう。

死後に発動する攻勢魔術や死体の呪いを利用した呪術などだ。

魔力が尽きた俺では、対応できるかどうかは分からないし、魔力耐性の高い黒牙コクガに任せた方がいい。

俺は死体に背を向け、屋敷の中へと戻っていった。


□□□


夜が明け、橙色だいだいいろの下手くそなクレヨンみたいな朝日が都市の外壁の向こうから顔を覗かせたころ、俺と黒牙は二つの死体を地下へと運び込んだ。

敵のローブの下に仕込まれた対抗術式を解除するのにさらに魔力を使い、未だに俺の魔力は全快していない。


魔力と言うのは、魂という名の器にたまった水だ。だが、魔力が枯渇寸前まで低下すると、魔力を生み出す魂の機能も低下し、魔力回復速度が落ちる。

昨日からずっと、魔力が正常ラインまで回復した途端使わされ、体には絡みつくような停滞感を感じている。


「敵は、分かりましたか?」

灰色の石材の壁の側に立っていた黒牙が、情報収集の調子を尋ねる。

この場所は、屋敷の地下。壁も天井も床も継ぎ目のない灰色の石材で構成されており、ひたすら頑丈で音を漏らさない。

言うなれば、小さな棺桶だ。


中央には、ビニールの膜で覆われた二つの死体がある。

光に照らされ、スポットライトのように薄暗い地下に浮かび上がっている。

頭蓋は開かれ、中にひっそりと隠されていた脳みそが露わとなっている。

そこには、多数の針が刺され、魔力の淡い光を帯びていた。

死霊術を使い、情報を集めている最中だ。


「全然だよ。記憶が崩れてると言うか、継ぎはぎだ」


日付順に並んでいないファイルの群れを見てる気分だった。

記憶そのものに接合性が無い。戦闘技術や隠密の術は、記憶の最も深い部分に記録されているため、戦うことは出来るだろうが、日常生活を送るのは難しいだろう。

なにせ、記憶がバラバラだ。


大昔の約束を今のことのように錯覚することもあるだろうし、大事な出来事を遠い過去の思い出だと抱え込むこともあるはず。

そして何より、今回の任務に関する記憶はあるが、それ以前の記憶はない。


任務の記憶も、途中で別の人間に引き継がれるようになっているため、全容は不明。

背後関係も不明だ。

分かったことは一つ。こいつは自分を『カラス』だと思っている。

連絡役は『ハト』、纏め役は『禿鷲ハゲワシ』。組織名は不明。仮に名付けるとすれば、『トリ』とかか。


恐らく、学術都市の暗部だろうが、それに確証も無い。

何せ情報源が記憶が無茶苦茶な二つの死体だけだ。


「しばらくは、俺が護衛に付きましょう」

黒牙は決定事項のように伝えてくる。俺が反対しても、変えるつもりは無いだろう。

見るからに強力な戦士の黒牙が付けば、無名の魔術師ゼノン・ライアーとしてのストーリーは崩れるかもしれないが、命には変えられない。


それに俺が断れば、黒牙も困るだろう。黒牙は本来、ゼノヴィアの部下であり、俺の護衛役として派遣されている。ゼノヴィアの過保護さから考えれば、昨夜俺が暗殺者と戦ったのも許容範囲外だろう。

それを分かっているのか、黒牙の顔色は昨夜からずっと悪い。

かわいそうに。


「分かった。頼むよ。俺は魔力が回復するまで家に籠っているから、この死体は保存しておいてくれ」

「はい」

「んー」

俺は眠気で思い頭を抱えて、階段を昇った。


□□□


翌日、ぐっすりと眠り、魔力を回復させた俺は、黒牙を引き連れ学院へと向かう。

大通りには、多様な人種が行きかっている。重い全身鎧を軽々と着こなす狼人や森の装束に身を包み、人の目を引く見目麗しい妖精人エルフ

大声で店引きをするのは、恰幅のいい腹を抱えた土竜人ドワーフかヒューマンか。


人間以外が大勢いるというのも、異国情緒を感じられて楽しいのだが、それよりも髪色が多様なのが面白い。元日本人の俺の感覚からすると、かなりの違和感だ。


そんな中でも、黒牙は一段目立っている。二メートルを超える長身とその全身を包む筋肉の鎧。太っているという印象はなく、必要最低限の筋肉だけが付いたしなやかな身体だ。

だがそれでも、スケールが大きいため、側によればかなりの威圧感だ。


水中を割って進むみたいに人混みが割れ、学院の門が見える。

ちらほらと見えてきた生徒たちの視線もこちらに向く。特に白い制服を着た生徒――騎士科の生徒だ――の視線は尊敬半分、畏怖半分だ。やはり、見るものが見れば、黒牙の肉体の異様さは分かるらしい。


黒牙は肉体能力に長けた地竜の中でも、特に肉弾戦に長けた高位魔獣『獣地竜』だ。人化して頑強な鱗と毛は無くなっても、その肉体は暴虐の力を宿している。


「とりあえず、ティーリアたちを探そうか」


『霊廟』の研究をティーリアとガーベラと協力して進めると決めたが、彼女たちと連絡手段が無いことに別れた後気づいた。

彼女たちも特級クラスであり、講義に参加する義務はない。今日、学院にいるかは分からないが、家にいてもすることは無いし、半ば散歩気分で出かけていた。


ちなみに、昨日の暗殺者たちのことは考えないことにした。エリスや『彼岸花』に頼めば調査してくれるだろうが、今は頼みづらい。彼女たちは、今はモルドレッド教団の対処に全力を注いでいる。

俺が頼めば、彼女たちは断れないだろうし、現場を混乱させるだけだろう。


さて、まずはティーリアたちを探そう。

ちなみに、学院内は、魔術の使用が禁止されていない。

というか、都市内でもある程度なら許されている。


禁止されているのは、街を破壊するような攻撃性の高い術式、他者のプライバシーを侵食するような監視術式などだ。


俺は魔術を構築する。影がゆるりと起き上がる。薄い影の液体はやがて厚みを持ち、立体へと変わる。

粘土をこねるように形が整い、それは鳥の形を取った。


影の鳥は10羽ほど。それは、まるで生き物のように羽をくちばしでつつき、思い思いに宙へと飛び立った。

錬金術で疑似的な精神を付与した簡易使い魔だ。

室内に潜り込ませるのはアウトだろうから、学院の外周を飛ばせよう。


使い魔の視界を見ると、俺の使い魔の他にもいくつかの使い魔がいる。

やはりこの程度の魔術ならセーフか。

ティーリアたちが通りかかったら、そちらに向かおう。


「さて、これからどうするかな」

いきなりすることが無くなったな。というか、使い魔を飛ばすだけならここに来る必要はなかったな。

「学院の義務などは無いのですか?」

思い悩む俺の背後から、黒牙が低い声で問う。


そういえば、担任の先生がどこかの研究室に所属する必要があるとか言っていたな。

どんな研究室があるかも知らないし、その辺の調べようか。

「あったよ。思い出させてくれてありがとう、黒牙」

「いえ」

小さく頭を下げ、黒牙は一歩下がる。本当にいい従者だ。出過ぎず、俺をサポートしてくれる。この子ぐらいだろう、俺をサポートしてくれる竜なんて。


今日することを考えながら、廊下を歩む。今は午前中。講義の時間なのか、廊下を歩く生徒は少ない。

木張りの通路は、穏やかな温かみと陽光に包まれている。つい、昼寝をしたくなる雰囲気だ。

俺は研究室を見るため、本校舎の脇にある研究棟へと向かった。

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