彼女たちの夜
「ひひひひひ。楽しい参拝になったかい?」
黄ばんだ歯がにたりと半月を描く。まるで泥にまみれた俺達を嘲笑うように。
大墓地に翻弄された未熟な魔術師三人は、春に咲く桜の花のように、彼にとっては毎年の風物詩なのだろう。
彼にとっては何でもない揶揄いなのだろうが、魔力欠乏による疲労感と合わさり、酷く不快だ。
何かを言い返そうとして、やめる。不死者の退屈しのぎに付き合ってやる必要もない。
モダンな模様を描く鉄柵を尻目に、さっさと学院に戻ろうと決意する。
ガーベラも同じことを考えた。ちらりと瞳が合い、どちらからともなく、陽光の差す出口を見据える。だが、ティーリアは根を張るように足を動かさず、据わった目で不死者を見ている。
彼女は一番泥だらけだ。前衛で戦っていた彼女は、ぬかるみに足を取られ、頭から転倒したのだ。断じて俺の流れ弾が彼女を転ばしたのではない。
そして魔力枯渇が近かった俺たちは、泥を落とすために魔術を使うことも出来ず、彼女のストレスはMAXだった。
「………いつ、たしを」
ぶつぶつなんか言ってる。完全に行っちゃった人だ。こいつ、沸点も低ければ殺意のラインも低いらしい。
一番やばいタイプだ。
「まあまあ、行きましょうかぁ」
それをガーベラが抱えるように引きずっていく。
瞳孔ガン開きの半妖精人が運ばれていく姿は人形みたいで面白い。
学院へと続く階段を昇る。人気は無い。生き物の気配もない。だが二度目の通行ともなれば、慣れる。
「あの男、ムカつくわね。死ねばいいのに」
憤慨した炎を引きずったまま、若葉のような少女は火の粉を漏らす。
関わりたくないなぁ。だけど、まだ話しておかないといけないことはある。
「それで、君たちはこれからどうするの?あの霊廟の調査を進める?」
俺はあの地を諦めるわけにはいかない。あの場所にはいろいろな謎があって、興味をそそられる。だがそれは、彼女たちも同じだろう。研究対象が被るのならば、また今日のようにぶつかり合う可能性がある。
「……譲る気は無いわよ」
交渉の余地はないと、言明される。
国のために。彼女はそう言った。
各国の貴族、王族たちがこの地に子息を派遣するのは、優秀な魔術師や戦士を育て、戦力を増やし、国力を高めるためと言う側面の他にも、学術都市で得られる研究を持ち帰らせるためと言う目的もある。
この地で得られる研究が、国の向こう数十年を決めるとまで言われている。
そしてそれは、大げさでも何でもない。
帝国の魔工学や占星術もそうだ。どちらも、この地で研究され、国に持ち帰った魔術師が発展させたものであり、今や帝国を代表する先進技術となった。
この都市は、世界で最も魔術研究が盛んな地だ。外と比べれば、数世代以上進んだ研究を行い、設備を整っている。『大墓地』もそうだ。この地のみの特徴であり、大墓地で得られる素材、情報は国にとっての大きな財産となる。
デネス王国の第二王女として、ティーリアがあの霊廟を諦めることは無いだろう。
もしも神と接触をし、その加護を受けることが出来れば、第二の聖人国となることが出来るかもしれない。あるいは、弱点の無い不死者を生み出すことに成功すれば、無敵の軍隊を作れるかもしれない。
数多の可能性があの霊廟には眠っている。
「飴玉あげるよ?」
「いるかっ!」
差し出した手をぺっと叩かれる。
飴嫌いなのかな?水あめ舐めてそうなイメージだったのに。
「じゃあ、協力しようか」
仕方ないねと言いたげに呟く。
ティーリアは、はぁ、と端正な眉をひそめ、やがて馬鹿馬鹿しそうに笑った。
「何でアンタと」
かなり譲歩した条件だと思うのだが、あり得ないと言いたげだ。
何でこんなに嫌われているんだろう。
泥まみれになった遠因が俺にあるからかな。炎弾が近くに着弾して吹き飛ばしてしまったのは、申し訳なく思っているのに。
だけど、俺も譲れない。
「でもぉ、この辺が落としどころですよぉ?」
話を聞いていたガーベラが助け舟を出してくれた。
「はぁ?ガーベラ、こんな不審者と一緒に研究なんてできるわけないじゃない!襲われるわよ、ライアーにっ!」
ライアーを性欲塗れの種族名みたいに言わないで。ゴブリンの亜種みたいでいやだ。
あと、偽名だから、呼ばれるとちょっとドキッてするんだよ。
「彼は、強硬手段も取るタイプですよぉ。また、『霊廟』を取り合った戦えば、敗色濃厚ですよぉ。私たち、負けたんですし、共同研究できるだけいい方ですぅ」
やっぱり彼女は理知的だ。現実主義と言ってもいい。自分の状況と、俺を観察して分かった俺の性格を照らし合わせ、現状を理解できている。
「………チッ。いいわよ」
ティーリアも愚かではない。案外あっさりと矛を収めた。彼女も現状は分かっていて、その上でごねてたのだろう。
「仕方ないわね。私の手伝いをさせてあげましょう」
瞳にかかった長い濡れ羽色の髪を振り払い、優美に告げる。乾いた茶色い泥がさらりと舞った。きたなっ。なんでこいつ泥まみれなの?砂場で遊んだガキかよ。
「あざます」
「ありがとうございます、ティーリア様でしょうがっ!」
上下関係を付けようとしてきた。
体育会系苛めっ子エルフだ。今回の研究が終わったら、距離取ろう。
□□□
宵が世界を包む。ラウンジテーブルに置かれた小さなスタンドランプが、白磁の肌を闇夜に浮かび上がらせる。
ほう、と小さく息を吐き、体の内の熱を吐き出す。知らず、長風呂をしてしまったと夜の虫の鳴き声に耳を澄ませ、今だけの世界に身を委ねる。
少し湿っていて、寂しく零れ落ちる水滴のような時間だった。
「どうぞぉ、ティーリア様」
滑らかな濡れ羽色の長髪は少し湿っており、それを差し出されたふわふわのタオルで拭う。
ガーベラは従者のように、一人掛けのカウチに腰掛けるティーリアのかたわらに佇む。
「随分、長風呂でしたよぉ?」
少し責めるようなガーベラの視線から逃れるように、ティーリアはそっと顔を傾ける。
ティーリアは本来、カラスの行水だ。さっと体を洗えば、すぐに出てくる。湯船につかることもほとんどない。
だけど、今日は違った。考え事をしたくて、知らず長居してしまった。
「私も汚れてるんですけどぉ」
ティーリアが一番汚れていたが、ガーベラも長い間走り回り、汗や泥で汚れていた。魔術で浄化はしたが、それでも水で洗わないと綺麗になった気がしない。
ガーベラも魔術師である前に、女の子なのだ。
長い間風呂をお預けされたガーベラは少し文句を言いたくなった。
「………悪かったわよ。空いたから、どうぞ」
ぷいっとそっぽを向き、手で風呂場を指し示す。
その子供じみた仕草を見て、ガーベラは小さく嘆息した。
彼女が仕える主は、王女として優秀な能力と才覚を持っているが、少し子どもっぽく、気を許した相手には甘える。それを可愛くも思い、哀れにも思う。
―――王女に向いていない
デネス王国で公然に囁かれているティーリアの醜聞だ。
ティーリアは碌に公務もせず、第一王女に及ばない出涸らしだと。
それは誤りであり、酷い言い分だ。
彼女はきちんと公務に参加している。だがティーリアよりも目立つ第一王女の栄光と大陸に轟く賛美の声がそれをかき消すだけ。
誰よりも長くティーリアの側にいて、彼女と同じ時を刻んできたガーベラは、ティーリアが真面目に自身の役目を果たし、王女として相応しくあろうとしていることを知っている。
だがそんなガーベラでも、第一王女に及ばないという噂を否定することは出来ない。
幼少期、ティーリアは、剣を習った。彼女の才は凄まじく、指南役を3年で超えた。
だけど、どこからか、エリスイスは1年もかからなかったという声が聞こえた。
剣だけではなく、魔術の才能も示した。そして希少な『光』の適性を見出された。
だけどそれは、エリスイスに及ばない篝火のような小さな明かりだった。
姉妹と言うのは呪いだ。
長く2人を見てきたガーベラはそう思う。
共に育ったのだから、差がつくのは純然な才能。それを、突きつけられる。
お前は生物として劣るのだと、現実が言外に物語る。それが、生涯付きまとう。
ガーベラは知っている。ティーリアが、夜遅くまで修練を続けていることを。
それでも、眼前にそびえる大壁を越えられず、涙をこぼしていることを。
それでも、姉と同じ魔法剣士の道に進む強さを秘めていることを。
(ここでなら、見つかるかも)
ガーベラの願いは一つ。ティーリアだけの何かを見つけてほしい。
この都市でなら、ティーリアだけの力が見つかるかもしれない。
エリスイスにもない、ティーリアだけの誇りを。そうすれば、王国でのティーリアの扱いも変わるだろう。
そのためにも、『霊廟』は大きな手掛かりだ。神との接触は大きな危険を伴うが、持ち帰るものがあれば、大きな成果となる。
(ゼノンは得体が知れないけどぉ、あの力は使えるわぁ)
間違いなく、格上の魔術師だ。無名などと信じられない。恐らく、訳アリのだろう。
だが、うまく利用できれば―――
「ガーベラ?」
返事をしないガーベラを訝しんだティーリアの声音が、ガーベラを現実に戻す。
「何でもありませんよぉ。そういえば、ゼノンとは協力する、でいいですよねぇ?」
ガーベラは笑顔で誤魔化し、ゼノンのことを聞く。
ティーリアは最後までゼノンと協力することに抵抗を示していた。
まるで、散る雪に飛び掛かる子猫のようで微笑ましかったが、何かの拍子でゼノンと本気で揉めれば、面倒なことになると思い、釘を刺すという意味でも確認を取った。
「いいわよ。国のために、あの『霊廟』の神の調査は進めるわ。そのためなら、胡散臭い奴とも協力するわよ」
求めていた答えを聞けて、ガーベラはほっと息を吐いた。だが、ティーリアの言葉の一部に引っかかりを覚えた。
「そういえば、胡散臭いって何ですぅ?むしろ、馬鹿っぽいだけですけどぉ?」
意外と辛辣なことを言いながら、疑問に問う。ガーベラには、ゼノンが胡散臭いという印象はまるでなかった。
何か、隠し事をしているのはあからさまであり、むしろ隠し事が出来ないタイプに見えた。
「あ、そう言えば言ってなかったけ。あいつ、ミネルヴァ王女誘拐の容疑者よ」
「は?」
いつもの間延びした口調も忘れ、声が漏れた。
誘拐犯?王女の?そんな奴をティーリア様の協力者に?
いろんな考えが、洪水のごとく頭を巡る。
王女の従者として、許されないことをしているのではないだろうか。
「ガ、ガーベラ?」
混乱するガーベラを心配そうに、それでも何にガーベラが狼狽えているのか分からないと言いたげに、ティーリアは困惑を露わにする。
ティーリアにとっては、王女誘拐の容疑者と協力することに警戒はあれど忌避はないらしい。
それを見て、ガーベラは何が何だか分からなくなった。
「お風呂、行ってきますぅ」
「あ、うん。ゆっくりね」
間延びした口調に似合わず、現実主義で心配性のガーベラ。
知的でクールそうな外見に反し、向こう見ずで冒険家のティーリア。
そんな彼女たちの夜は、ゆっくりと過ぎていく。
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