彷徨戦霊
チンピラ王女に絡まれた俺は、再び『大墓地』に来ていた。調べても分からないなら実地調査をするしかない。
もし今回の調査でも何の成果も出なければ、図書館のさらに上層に忍び込むか、この胡散臭い門番を尋問しよう。
「きひひひ。通りなぁ」
再び薄気味悪い門番に許可を取り、内部へ進む。
「相変わらず辛気臭い場所だなあ」
明るい墓地なんてないから当然だけど、それでもこの場所の重苦しさは異常だ。
地面の下からは、蠢く死者たちの気配が漂っている。
昨日は湧いて出てきたアンデット共が邪魔だった。だが俺も、何の策も無く戻ってきたわけではない。
「〈影の蔵〉」
開いた影からティンダロスの猟犬たちが這い出てくる。それと一枚の絨毯も。
独りでに浮かび上がった豪華な絨毯は、くるりと広がり滞空した。
これはアリスティア城に残されていた遺産の一つだ。名は《風乗りの絨毯》。
飛行能力を持つ希少な魔具の一つだ。
「よいしょっと」
絨毯に乗り込み、座り込む。後は、進むだけだ。
「行けッ!」
猟犬たちが駆け出す。その後を追うように絨毯が後を付いていく。
当然生者である俺に反応して、ゾンビやスケルトン、霊体たちが這い出てきた。だが、関係はない。不浄の化身であるティンダロスの猟犬は呪いには強い耐性を持つ。
腐った肉を噛みちぎり、レイスの〈恐怖の叫び〉を聞き流しながら爪と牙で蹂躙する。
俺は構わず進み続け、ティンダロスの猟犬たちも、距離が開けば鋭角に跳躍し、追い付いて来る。俺たちは墓地の一角を荒らしながら霊廟へと向かっていった。
「ふははははははははっ!なんか楽しくなってきた!すっ進めぇ~!」
アトラクションみたいで楽しくなってきた!
俺は影から取り出したガラス玉を放り投げ、眼下の争いにちょっかいを出し始めた。
地面に当たり割れたガラス玉は内部から爆炎を吹き出し、墓地を焼いた。
――ギャアァアァアッ
単純な現象保存の魔術式を刻んだだけのガラス玉だが、込めた魔術のランクが高いため、かなりの威力だ。
燃える死者たちが、生前の本能に従い、腐った喉を鳴らす。
ついでに巻き込まれたティンダロスの猟犬が、崩れた肉体を戻しながら抗議の唸り声を上げている。ごめんね。
だけど派手にやり過ぎた。宙に浮かぶ俺の背後に、暗い淀みが生まれた。影を撒いたような黒い煙はやがて人形になった。
黒い襤褸切れに身を包んだ死霊は、薄くぼやける顔に憎しみを宿しながら、手にした短槍を振り下ろす。だが――
「彷徨戦霊か。珍しい」
その一撃は、無数の黒蒼の刃によって防がれた。
暗闇を焼くような火花が迸り、死霊の動揺したような顔の揺らぎを照らし出す。
呪いの気配が多いこの地でも、背後に迫られれば魔力感知に引っかかるものだ。
「〈精神震撼〉」
黒蒼の王冠杖を握っていない方の手から、無色の衝撃波を放つ。
それを喰らった死霊の全身がぶれ、動きが止まる。
人間の精神に干渉し、動揺させるだけの第三階梯の魔術だが、肉体という器の無い死霊にはよく効く。
先ほど珍しいと言ったのは、この死霊が強く滅多に見ないと言うだけではなく、ただ単に発生確率が低いからだ。
肉体を失った戦士の精神体である『彷徨戦霊』は、この異界でも不定形に過ぎる。この一撃で終わりだろう。
「なんだ?」
だが俺の予想に反し、死霊は消えない。
身体の輪郭が崩れた『彷徨戦霊』は、段々と一つの形に収束する。
白く淀んだ顔には苦悶の表情が浮かび、手足は確かな形を持ち、槍を握りしめる。
「やらかしたか……?」
『彷徨戦霊』は戦士の魂に呪いが纏わりつき、精神体の姿を取ったものだ。その姿は魂の在り方に左右される。
俺の放った魔術は、不運にも元の魂の記憶を呼び覚ました。
『グ、グゥウウウググギギ、ギ……』
大きく短槍を引き絞り、体を半身に構える。それは確かな『技』だ。狂気にのまれながらも、その魂は在りし日の戦いを忘れてはいない。
生前、何度も放ってきたであろう『必殺』の構えは怖気が走るほど美しかった。
「――ッ!」
弾かれるように接近してきた『彷徨戦霊』は槍を突き出す。空気をねじ切りながら放たれたその一槍は、回避不能の閃光だ。
反射的に指輪に魔力を流し、シールドを生み出す。何層にも積み重ねたシールドはいともたやすく貫かれたが、槍は頭部を掠め、背後に流れた。
シールドの形状を曲げ、槍の軌道をずらしたのだ。突き技は側面からの衝撃に弱い。
ゼノヴィアとの模擬戦が無ければ思いつかなかったアイデアだ。
(距離を取らないと)
短刃は戦霊の背後に置き去りにされ、遠いから使えない。いや、近くにあっても威力が低すぎて通用しないだろう。
魔術を構築する時間はない。俺が低位の魔術を構築するよりも早く、奴の槍が俺を貫く。なら、使えるのは魔具だけだ。
再びシールドを展開する。大きな盾を一枚、下から相手の槍を突き上げるように展開する。相手の武器を奪えれば最良。失敗しても敵と俺の間に壁を作れる。
だが戦霊はするりと槍を引き、自然な動作で構えなおす。まるで、俺のシールドなど有っても無くても変わらないと言いたげな動きだ。
突きが再び放たれる。魔装術で強化された俺の動体視力ですら、その軌道も技の起こりも捉えられない。心臓を貫く軌道で放たれた刺突に俺は反応できず、防ぐ術もない。
だが俺の身体は上から叩きつけるように展開されたシールドに押され、地面に向かっていた。相手の突きは空ぶり、盾を二枚、容易く砕いた。
だが、敵は優れた戦士だ。その程度の奇策で、魔術師一人を逃がすほど甘くはない。
すぐさま槍を引き抜き、上段に構える。振り下ろしの構え。空中から墜落している俺は、それを魔装術で強化した視界で捉えた。
確実に届かない距離だが、斬撃範囲を拡張する武技は多い。自身は今、致死圏にいると背筋に走る悪寒が告げる。
「行け、絨毯!」
俺は反射的に叫んでいた。命令を受けた絨毯は、俺の意を汲み死霊に突撃をした。胴体に突き刺さった絨毯は僅か一瞬のみ死霊の動きを止め、切り裂かれた。
(危ないっ!)
シールドの衝撃で僅かに痛む背に眉を寄せながら、〈
予想通り、追撃は無かった。相手は自在に宙を飛べる死霊とはいえ、生前は人の戦士だ。空中戦の経験は少ないだろう。自身の足元よりも下に潜りこんだ敵へは突きも届かせづらい。そう考えていたが……。
「あの化け物、絨毯がないと俺を殺してたな……」
驚くほどの対応の早さだ。まるで空中戦を戦い慣れているような動きだった。
「このまま逃げる、のは無理か」
上空に浮かぶ彷徨戦霊は、その両足で空中を踏みしめていた。その姿は、空中を浮かぶ死霊独特の浮遊方法ではない。
彷徨戦霊は、槍を振るい、地面を踏みしめる。上半身の振りのみで、俺が反応できない速度の突きを放った敵は、力を溜める地面を手に入れた。
「武技かなんかか」
魔術の類ではないことは見ればわかる。恐らく、生前から取得していた武技だろう。
では、問題だ。〈飛行〉が最速の移動速度のか弱い魔術師と生前は英雄級の力を持った死霊。どちらが速いか。
「戻れ」
《黒蒼の王冠杖》に短刃を戻し、自身の周囲に展開する。少しでも敵の動きを鈍らせる盾が欲しい。
地面に着地をする。空中に浮かんでいれば、警戒しなければならない方位が増えるためだ。先ほどはそれを使い、敵の虚を付けたが、二度目は無いだろう。
戦いが不得手な俺にとってはデメリットの方が多い。
普段であれば、地面に降りればアンデットに群がられるのだが、戦霊の気配に充てられたのか、その姿は見えない。皆、逃げた。ここにいるのは俺と戦霊だけだ。
敵は、動かない。宙を踏みしめたまま、こちらの出方を伺っている。
通常、魔術師を相手にするのならば、先手必勝だ。相手が魔術を構築するよりも早く、間合いの内に捉え、攻撃する。逆に、距離を取るのは悪手だ。
(舐めてるのか?いや、足に自信があるのか。俺の攻撃を躱し、カウンターを決めれる自信が)
冷静にこちらを見据えるその姿は、死霊と言うよりは、無慈悲な狩人のようだ。
間違いなく、狂気が薄れている。人間的な要素が表に出てきており、判断力と技の冴えは跳ねあがっているだろう。だが生前の意識はない。死霊として人間を憎みながらも、技と駆け引きが同居した最適なバランスを保っている。
「魔術の選択を間違えたな」
さっさと適当な魔術をぶつければよかった。死霊に対する精神干渉は危険。うん、覚えておこう。それはそうと、今はこいつを倒さないといけない。
「さぁ、来なよ」
無数の魔術陣を展開する。大気が渦巻き、透明の渦が陣の上に顕現する。多くの空気の流れが付近の砂ぼこりを引き寄せ、それがこすれ合う静かな音が耳に届く。
死霊は呼応するように槍を構え、俺に向けた。
天に立つ死霊を地に立つ俺が迎え撃つ形になる。そしてこれが、最後の交差だ。
ふう、と息を吐き、大きく脈打つ鼓動を止めようとする。
距離を詰められれば、俺は二度と引き離せないだろう。これで殺せなければ終わりだ。
「〈嵐玉〉!」
無数の風の玉が空へと昇る。大きく弧を描かせ、全周囲から敵の進路を潰すように飛ばす。
死霊は、地を蹴った。
(——ッ!見えない!)
その軌道を視認できなかった。だが、絨毯のように空に広がった〈嵐玉〉がその位置を教えてくれる。
中央部分。俺との最短経路に展開した〈嵐玉〉が弾けて消えた。
□□□
その死霊に意思はなかった。ただ、『大墓地』に揺蕩う呪いの意志により、生者を求め続けるのみだった。
生前の記憶もない。だがそれは、ゼノンの魔術を受けたことで生前に己に刻まれた本能とも言うべき戦士の技と経験を思い出していた。
それはすでに『彷徨戦霊』という種族の枠を超え、特異な個体として自己を確立しようとしていた。このまま生者を喰らい、魔力と呪いを蓄えれば、都市の脅威になりかねないほどのポテンシャルを持っている。
だがそうはならないことも、それは自覚していた。
それに仄かに芽生えた自我は冷静に自身の状況を把握していた。
――長くはもたない
ゼノンが放った精神干渉魔術〈精神震撼〉は、彷徨戦霊に対し、極めて大きなダメージを与えていた。すでに死霊としての形を保てないほどの。いずれ精神は崩れ、捕えていた魂は天へと還る。それを防ぐ術も持たない。
崩れる腕を周囲に豊富に漂う呪いを取り込み、強引につなぎ合わせる。槍を振るい、武技を放つたびに崩壊が加速することを自覚する。
それでもそれは、戦いをやめない。人を呪う死霊の性がそうさせるのか。
あるいは、こちらを見上げ、魔術を展開する若い術師に背を向けることを魂が許さないのか。
それに芽生えた自我は己を知らない。だがそれは、僅かに熱を帯びた槍を握りしめ、眼下に広がる嵐の弾帯に駆けた。
加速する。一歩目で魔装術を全開にしたゼノンの最高速度に達し、二歩目で音の壁を越えた。
ただ走り去るだけで嵐の玉は蹴散らされた。
斜め上から押しつぶすように槍を振るう。
武技『刺突』。ただの基本の武技だが、死霊の持つ圧倒的な速度と合わさり、必殺の一撃と化す。
刺突の速度は、空中でゼノンと戦った時の数倍に達している。攻撃力はそれ以上。
魔術師に耐えられる威力ではない。
短刃も掻い潜り、ゼノンの懐に入った死霊は、その一撃を放とうとし、膨大な魔力を感じた。
ゼノンの肉体から魔力が立ち昇る。僅か一瞬で、通常の魔術師10人分の魔力量を放出していた。膨大な魔力は物理的な圧力と化し、『刺突』の勢いを殺す。
『刺突』の形が保てず、魔力が霧散する槍の穂先を見て、その死霊は死地に立ったことを知る。あの嵐の玉は攻撃ではなく、索敵。最短経路で死霊が駆けることを予想し、攻撃のタイミングを知るためのものだ。
そして魔力放出による爆発のような圧力。あらかじめ、魔力さえ練っておけば、感覚だけで発動することができるそれは、魔力効率は最悪だが、速度の速い相手を止めることができる。
攻撃は失敗した。己に視線を向ける魔術師の姿を見てそれを悟る。だが、終わりではない。死霊は地面に着地し、槍を構えなおし、再び魔力を穂先に集わせる。『刺突』による攻撃は失敗したが、間合いを詰めることは成功した。
魔力放出も、足場が不安定な空中でなければ耐えられる。
相手の魔術よりも、早く動ける自信もある。
勝利を確信したそれは、続くゼノンの言葉に、薄い自我を得て初めての驚愕を覚えた。
「出ろ!お前たち!」
ゼノンの叫びに従い、周囲に展開された槍の短刃から、黒い犬が飛び出す。その正体は『ティンダロスの猟犬』。
鋭角から鋭角へと転移する能力を持つ猟犬は、自立展開された槍の短刃を出口に飛び出した。全方位から飛び出した5匹の猟犬。
そしてその周囲を覆う数多の刃。
一瞬、それは迷った。槍を一本しか持たないそれでは、至近距離に転移してきた猟犬を五体殺すことは難しい。それに加え、視界に入ってきた短刃。威力は低いと見逃してきたそれは、今や厄介な使い魔を吐き出す出口となった。
死霊の内にある、戦士の魂が完全な記憶を思い出していれば、迷うことなく最適解を出せた。猟犬をすぐさま始末し、ゼノンを槍の一撃で屠っただろう。
だがそれは、戦士と同一の存在ではない。あくまで戦士の技と経験を引きついだ別個体。生まれて間もなく、戦闘経験も浅いそれは、眼前に迫る確かな脅威に対し、僅か一瞬、されど致命的なほど硬直した。
それは皮肉にも、戦士の経験を得たことによって得た、死への恐怖であった。
猟犬が手足に喰らいつく。だが、まだ終わりではない。猟犬をぶら下げたままでも槍は振るえる。技のキレは遥かに落ちるだろうが、この距離なら――
だが、槍は動かなかった。いや、動かないのは、槍ではなく、腕だ。まるで、自分自身が攻撃を厭うように――。
致命的な硬直。それは、空白となった意識の奥でそれを見た。主槍をこちらに向けるゼノンの姿を。
「〈一槍砲〉」
手に持つ杖槍に魔力を込め、放つ。放出系に位置するオリジナル魔術により、槍の穂先から青い魔力の槍が生まれ、死霊を消し飛ばした。
俺は『目』に意識を込め、『情報世界』を見る。そこには、弱弱しく揺れる魂の姿があった。
「〈葬送〉」
それは、魂を送る鎮魂の魔術。魔術の理に包まれ、戦士の魂は天へと還る。
「さようなら、偉大な戦士」
魔力の燐光が墓地の空中に散り、青色に地面を染め上げる。ちらちらと舞うその姿は、旅立つ魂を見送る葬送歌のように、いつまでも輝いていた。
本当なら魂を集めて、死霊術にでも使うのが魔術師として正しい在り方なのだろうが……。
「これでイーブンだね」
俺は傷ついた絨毯を動かし、霊廟へと向かった。
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