第二王女

ガタガタと緩やかに揺れる鉄の箱に身を委ねる。斜めに入り混じった格子越しに塗装が剥げた壁が流れていくのが見えた。狭い密室の中にいるのは俺と5,6冊の本を持ったローブ姿の少女が一人だけ。彼女はモノクルを片手で直し、僅かに傾いた本の山を持ち直す。


やがてゆっくりと減速し、網状の扉が開いた。俺は先にどうぞと譲ってくれた女性に小さく頭を下げ、降りた。

まず感じたのは、ほこりが陽に焼けるような匂いと本のインクが混じった独特の香りだった。何万冊もの本が様々な形状の本棚に並べられ、今の俺の立ち位置を中心に、壁一面に並んでいた。


俺の背後で役目を終えたエスカレーターが地面に潜り、消えていく。優に10人は乗れるほどの大きな鉄の箱だが、この部屋に大きさからすれば、ほんの小さな点ほどだろう。喧騒は無く、囁くような小さな声音と紙の音色だけが重なっている。ここは、魔術学院が誇る第一図書館だ。

空中に浮くように存在する巨大建造物であり、唯一の出入り口は、地上から伸びるエスカレーター一つだけ。


この学院の図書館はとにかく巨大だ。円柱型の建物であり、何層にも渡り階が積み重なっている。上に行けば行くほど閲覧制限が掛けられているため、特級クラスの生徒と言えど、最上階には入れない。

だが幸いにも、『大墓地』に関する書物は15階にあった。

俺は並べられた本棚の一角から古びた書簡を取り出し、端に置かれた木の座席に座る。


「共通語だけど、だいぶ古いね……」

色褪せた書をなぞり、文字を読み解く。気分は古文の長文問題を解く受験生だ。

「元は実験場だったのか。それがいつしかこの都市独自の埋葬法に変わったと」

都市黎明期に存在していた死霊術師が、アンデットの製造実験場として作り出したのがあの墓地の始まりらしい。

当時、聖人教と対立していた魔術都市には神官がおらず、死者の処理に困った市民たちが死霊術師であったその魔術師に弔いを頼んだ。

だが死霊術師は死体を実験に利用し、実験場には怨念が溜まった。それが死霊術師の死後、暴走しそうになり、運命の魔女アルフィアが空間を隔離した、と。

その結果、封じ込められた呪いが実験場を異界化させ、『大墓地』へと変えた。


「これだけか……」

何度も書物を見返すが、それ以上のことは分からない。大まかな成り立ちと『大墓地』に出てくる大まかなアンデットの種類と対処法だけが書かれているだけだ。

「これは、おかしいでしょ……」

大墓地は、大昔からこの都市にある。にもかかわらず、ほとんど資料が無い。

大墓地形成に関わった死霊術師の名前や術式。大墓地内の地形図や死霊の分布。

過去に研究、調査されてきたであろう情報がほとんどない。


そして何より、俺の出会った神の祝福を宿したアンデットに関わる情報が少しも無い。情報が記載されていないのか、あるいは都市側も知らないのか。

あれだけは、異質な存在だった。きっと、大墓地に渦巻く呪いとも無関係の何かだ。

ならば、大墓地が形成され、渦巻く呪いと死に引き寄せられた上位存在という線は無い。きっと、学術都市形成時から存在していたか、あるいは別の儀式か何かによって目を付けられたかだ。

恐らく、詳細な情報があるとすれば、さらに上の階層に置いてあるのだろう。俺では閲覧できない情報だ。


これは少し困ったことになる。あの地の情報が分からなければ、対策も出来ない。

「上の階に資料があるとすれば、忍び込む……のはリスキーか。ならあの門番を……」


「ちょっといいかしら」

険しい顔で悩んでいた俺に、刺々しい声が掛けられる。今にも形を持って、俺を斬り刻みそうなぐらい威圧感に満ちている。


聞き覚えの無い声音。俺は相手を刺激しないようにゆっくりと顔を上げる。

彼女は椅子に座る俺の隣に立ち、俺を見下ろしていた。

長い濡れ羽色の長髪。瞳は若葉のような緑色で、髪の合間から覗く耳は長く鋭い。

エルフ、いや耳の長さから考えるとハーフエルフか。

彼女は確か、同じ特級クラスの人だ。


「何か?」

「……話があるの。来なさい」

「…………えぇ?」

眉間にしわを寄せ、弱弱しく瞳を泳がせる。俺のできる精一杯の面倒くさい、という顔だ。大抵の奴はこれを見て日を改める。そして二度と話しかけては来なくなる。

コツは眉毛の角度だ。全ての感情は眉に宿るのだ。


「この場で話してもいいけれど、アンタの学院生活に差し障るかも」

だが彼女は俺の表情を一顧だにせず、嗜虐的に笑い不穏なことを言った。

よくよく周囲を観察すれば、本棚の陰からこちらを窺う視線がいくつもある。どうやら彼女は人気者みたいだ。

「い、行くよ~。いじめないでよぉ~」

せめてものお返しに虐められる可哀そうな生徒を装ってみた。美少女には敵も多い。明日から性格の悪い苛めっ子として噂されるんだなッ!

「……次、馬鹿なこと言ったら指の間に針捻じ込むから」

「ひえっ……!」

目が据わってる。ほんとに苛めっ子だったかもしれないッ――



俺の予想は当たっていた。

校舎裏に連れ出された俺は、顔の横に突き立てられた白銀の刃を見て、そう思った。

「アンタ、ガーベラに何したの」

低い声で脅される。その瞳には俺に対する義憤の炎が宿っていた。

「……君誰だよ」

「まずは、私の質問に答えなさい、クズ」

彼女は俺の襟元を掴み、引き抜いたナイフを添えてくる。


近づいた顔は、エルフの血筋らしく整っていて、毛穴の一つも見当たらない。エリスが全てを包み込む光のような美しさだとすれば、彼女のそれは若木だ。深い森の奥にひっそりと佇む若木のような清らかな美しさ。だがその烈火の如き怒りを宿した表情は、森を焼く災厄のようだ。


「あの子はとても落ち込んでいたわ。そういえば、教室で貴方と一緒に話していたわよね?ゼノン・ライアー」

「えっと、何もしてないんだけど」

仲たがいはしたけど。

「そう。それがアンタの選択ね。……わざわざ苦しい方を選ぶなんて」

本当のことを言ったら同情するように見つめられた。だけどその瞳の奥には絞められる鶏を見るような憐れみと侮蔑が混じっていた。


「まずは指ね。次は眼球と耳……」

「本当に何もしてないです!ただ一緒に大墓地に調査に行って、すれ違いがあって別れただけですぅ!!」

あまりの怖さに早口になってしまった。だけど本当に怖い。美少女、コワイ。

「すれ違い?」

彼女はナイフを動かし、先を促す。だから俺は昨日あったことを洗いざらい話した。


「なるほど、ね」

彼女は考えこむように頭を振った。少し、怒りは収まったように見える。触れる物を切り裂くような威圧感は健在だが、誤解は解けたようで何よりだ。

「……もし、またガーベラに近づいて何かしたら殺すわよ」

「……はい」

微妙に誤解が解けていない気がする。


「……私はティーリア・エスティアナ。デネス王国の第二王女。そしてガーベラの友人よ」

あー、昨日ガーベラに教えてもらった人だ。確か、彼女の幼馴染とか言っていた。

わざわざ教えてくれるなんて、意外と律義な人だ。

ティーリアは俺を開放し、ナイフをしまう。

「消えなさい」

そう冷たく言い放ち、彼女は去っていった。

君が消えてるじゃん……。意外と面白い子かもしれない。俺はふりふりと揺れる黒髪を見てそう思った。

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